誰かを「待つ」、何かを「待つ」。その先に何かの期待があるからこそ、人は待つことができるのかもしれません。携帯電話の普及によって、リアルタイムに連絡がとれるようになり、お店や電車がくること、知人からの返信を待つ間にイライラする方も多いと思います。そんな「待つ」ことが苦手になった現代人たちに贈る「待つこと」に関する小説を紹介いたします。
「ゴドーを待ちながら」
(白水Uブックス) サミュエル ベケット・作
不条理演劇の代表作。ゴドーとは何者なのか。待っている理由も、待たなければいけない理由も分からないのにひたすら待ち続ける二人の男たち。ストーリーはありませんが、男たちの「待つ」過程のやりとりはユーモアあふれ、時に怠惰で、役者や演出家によって、またこの戯曲を読み返すたびに印象が変わります。ゴドーについても様々な論があり、自分なりの解答を見つけ出すのも面白いと思います。
「待つ」
太宰 治・作
二十歳の少女は、毎日線の駅のホームで自分自身にも分からない「誰か」を待ち続けます。太平洋戦争中に執筆されたこともあり、「平和」を待っているという解釈が多いようです。不安や期待に揺れ動く少女の心がキラリと光る、行間を読むような小説です。
「アナログ」
ビートたけし・作
コンピューターを使うより模型を使って建築デザインを手掛ける主人公。一目惚れした美しい女性と、毎週木曜日にピアノというカフェで会う約束をしたが、連絡先も身元も本名すらも分からない。そんなアナログな人間関係の構築は若い人には不安定にうつるかもしれませんが、そこにあるのは人間の心の根底にある愛に変わりはありません。ただひたすら、来るか来ないかも分からない相手を待ち続ける健気さや不器用さが、たけしさんのユーモア溢れる文章とともに描かれています。
「待つ」ということ
(角川選書) 鷲田 清一・作
「どうしてあの人はすぐに返信をくれないんだろう。こんなにも苦しいのに」そうやって何かの期待や見返りは執着につながるかもしれません。「時に身を委ねる」ということを忘れてしまった人たちへ。未来における偶然性に期待を抱いて「待つ」ということは目的論ではなく、しっかりとした歩みであると気づかされます。
「待つこと」は何かが停滞しているから、時間の無駄というのではなく、そこから何かが始まるということでもあると思います。時間すら消費されていくように感じられるのは、どこか不健全なことのような気がします。心にゆとりをもって「待つ」ことをはじめてみませんか?