人生にちょっとだけ疲れたとき、でも大げさな励ましは欲しくないとき、瀬尾まいこの小説は不思議と呼び出される。大きな事件がなくても、人と人が静かに支え合う瞬間だけで、胸の奥がじんわりあたたかくなるからだ。血のつながらない家族、思うようにいかない学校生活、すれ違う恋と友情。読んでいるうちに「自分のことも、誰かのことも、もう少し信じてみようか」と思えてくる。
瀬尾まいことは?
瀬尾まいこは、1974年生まれの小説家だ。デビュー前後まで中学校の国語教師として働きながら執筆を続け、「卵の緒」で坊っちゃん文学賞大賞、「幸福な食卓」で吉川英治文学新人賞、「戸村飯店 青春100連発」で坪田譲治文学賞、「そして、バトンは渡された」で本屋大賞を受賞している。
元教師という経歴のとおり、教室や部活動、家庭で揺れる子どもたちの姿を描かせると抜群にうまい。いじめや家族の離婚、病気、貧困といった重いテーマを扱いながらも、作品全体に流れているのは「人はそんなに簡単には見捨てられないし、捨てない」という芯のある優しさだ。
血縁ではない親子や、友達とも恋人とも言い切れない関係性がたびたび登場するのも特徴だと思う。誰かが誰かの味方であろうとするとき、その形は一つではない。そうした「関係のグラデーション」を、説教くさくない筆致で描き分けていく。だから読者それぞれの人生のどこかに、じんわりと重なる登場人物が必ず一人は見つかる。
ここからは、家族小説から青春もの、短編集まで、瀬尾まいこの世界を代表する18冊をまとめて紹介する。どれから読んでもいいが、自分の今の気分にいちばん近い物語から手に取ると、より深く響いてくるはずだ。
瀬尾まいこおすすめ本18選
どの本から読む?ざっくりナビ
いきなり20冊並ぶと迷うと思うので、さっと選びたい人向けのガイドを先に置いておく。
- 家族小説の代表作から入りたい → 『そして、バトンは渡された』
- じっくり家族の再生を味わいたい → 『幸福な食卓』
- ここ数年の話題作から読みたい → 『夜明けのすべて』
- 青春とスポーツで泣きたい → 『あと少し、もう少し』
- 教師×図書館×文芸部の話が好き → 『図書館の神様』
- 笑えて泣ける商店街青春もの → 『戸村飯店 青春100連発』
- 作家と息子の共同生活に興味がある → 『傑作はまだ』
- コロナ禍世代の物語を読みたい → 『私たちの世代は』
1. そして、バトンは渡された
4回苗字が変わり、父が3人、母が2人。それだけ聞くと、主人公の高校生・優子は「かわいそうな子」に思えるかもしれない。だが物語の中の優子は、自分の人生を不幸だと決めつけない。むしろ目の前の状況を淡々と受け止めながら、今そばにいてくれる人たちを大切にしようとする。2019年本屋大賞を受賞し、映画化もされた長編だ。
この作品で印象的なのは、「バトン」という言葉の使い方だ。親が変わるたびに、優子の苗字や生活環境も変わっていく。しかしその変化の向こう側では、いつも誰かが優子を守ろうと踏ん張っている。血のつながりがなくても「親」であろうとする大人たちの不器用さが、ときに笑えて、ときに痛々しくて、気づけば胸がいっぱいになる。
自分の家族を説明しようとするとき、うまく言葉にならない人ほど、この本は刺さると思う。複雑な家庭環境だからといって、そこにある愛情まで否定されるわけではないこと。人は誰かに愛情を注ぐことで、自分自身も救われていくのだということ。それを、押しつけがましさゼロで読者に届けてくる。
読み終えたあと、親子関係に限らず、友人やパートナーとの関係も含めて、「自分は誰からどんなバトンを渡されてきたんだろう」と振り返りたくなる一冊だ。
2. 幸福な食卓
「父さんは今日で父親を辞めようと思う」。家族そろっての朝食の席で、父親が突然そう宣言するところから物語は始まる。高校生の「佐和子」を軸に、ぎくしゃくしながらも家族として生き直そうともがく人々の姿が描かれる。吉川英治文学新人賞を受賞した、瀬尾作品の代表格だ。
この小説には、いかにも「いい人」ばかりが出てくるわけではない。自分の弱さや卑怯さに折り合いをつけられない登場人物もいるし、家族だからこそついてしまう嘘もある。それでも、誰もがどこかで「なんとかしたい」と思っている。その気持ちが、家族それぞれのささやかな行動としてじわじわと表ににじんでくるところに、独特のリアリティがある。
タイトルの「幸福な食卓」は、物語の最初からそこにあるわけではない。喪失や別れを経てようやく手に入る。だからこそ、読後に胸に残る温度は高い。家族にうまく感謝を伝えられないまま大人になった人にも、もう一度読み返したくなるタイミングが必ず来る本だと思う。
3. 夜明けのすべて
PMS(月経前症候群)に苦しむ美紗と、パニック障害を抱える山添。二人は同じ職場で働く同僚だが、恋人ではないし、親友と呼ぶには距離がある。ただ「同じ苦しさを生き延びるための同志」として、少しずつ言葉を交わし、支え合うようになっていく。自身のパニック症状の経験も反映された作品で、映画化もされ大きな反響を呼んだ。
病名や診断名が先に立ってしまうと、人はどうしても「症状のある人」として他者を見てしまいがちだ。この小説は、その視線を静かに外していく。仕事が思うように進まない日、ふとした音や言葉に心がざわつく瞬間、何でもない会話に救われる夜。そうした細部をひとつひとつ描きながら、二人が少しずつ「自分のままでもいいかもしれない」と思える地点へ歩いていく。
恋愛に回収されない物語なので、「男女が出てくると何でも恋愛に見えてしまう」タイプの人にはむしろ新鮮かもしれない。生きづらさを抱えたまま、それでも働き、生活を回していく人たちの姿は、今の社会で生きる多くの読者の姿とも重なるはずだ。
4. 卵の緒
瀬尾まいこのデビュー作であり、坊っちゃん文学賞大賞を受賞した短編集。タイトル作「卵の緒」では、血のつながらない母と息子の関係が描かれる。母は息子に、自分たちは血縁ではないとあっさり告げるが、そこに悲壮感はない。むしろ「一緒に暮らしてきた時間」が、血のつながり以上に確かなものとして積み重なっている。どの短編にも共通しているのは、「家族の形は一つではない」という視点だ。綺麗ごとではなく、実際に暮らしていくなかで生じる不満やズルさもきちんと描きつつ、それでも一緒にいたいと思う気持ちが最後に残る。そのバランス感覚が、デビュー作の段階ですでに完成していることに驚く。
一篇一篇がコンパクトなので、通勤電車や寝る前に少しずつ読み進めるのにも向いている。瀬尾作品の原点を知りたい人にとって、ここから入るのもとてもおすすめだ。
5. あと少し、もう少し
中学生たちが寄せ集めメンバーで駅伝に挑む物語。学年や得意・不得意がばらばらな走者たちが、たすきをつなぐために少しずつ距離を詰めていく。各区間ごとに語り手が変わる構成で、それぞれの家庭事情や抱えているコンプレックスが浮かび上がる。
いわゆる「熱血スポーツもの」とは一線を画していて、勝つことだけが目的ではない。誰かのために走ること、自分自身のために走ること、その二つの重なり方が人によって違う。瀬尾はその違いを否定せず、どの子の選択にもささやかな肯定を与えていく。
駅伝シーンの臨場感はもちろん、スタート前やレース後の静かな時間の描写がとてもいい。教師や保護者の視点で読むと、子どもたちの背中をどう見守るかというテーマも見えてくる。読後、秋冬の冷たい風のなかを、少しだけ早足で歩きたくなる。
6. 天国はまだ遠く
仕事にも人間関係にも疲れ、生きる気力を失った女性が、死ぬ場所を探すつもりで山あいの民宿を訪れる。ところが、その民宿の主人は死に場所を求める客をあっさり受け止め、特別扱いもしない。鶏の世話をしたり、畑仕事を手伝ったりするうちに、主人公は「死ぬために来たはずの場所」で少しずつ暮らしに巻き込まれていく。
瀬尾作品には「死にたい」と口にする人物がたびたび登場するが、その言葉をドラマチックに消費しないところが好きだ。この小説でも、自殺願望は派手な事件にはならない。むしろ淡々とした日常の積み重ねが、主人公の感覚を少しずつ変えていく。温泉の湯気や山の空気、民宿の台所の匂いまで立ち上ってくるような描写が続き、気づけば自分もその民宿に長逗留している気分になる。
「人生を劇的に変えたいわけじゃないけれど、今のままもきつい」という人にとって、静かな励ましになる一冊だ。
7. 図書館の神様
教師になる夢に挫折した女性が、地方高校の図書室で清掃と雑務の仕事を始める。そこで出会うのは、ひとり文芸部である男子生徒。彼との交流を通じて、かつて自分が顧問として向き合えなかった部員たちの姿や、叶わなかった夢の後始末と向き合っていく
図書室という場所は、学校の中ではどこか「日常から半歩ずれた空間」だ。この小説では、その空気感がとても丁寧に描かれている。棚に並ぶ本の背表紙、窓から差し込む光、放課後の静けさ。そこに、教師でいることをやめた語り手の居心地の悪さと安堵が同時に流れ込んでくる。
教師としての自分に区切りをつけられないまま大人になってしまった人、あるいは「学生時代の自分」と折り合いをつけられない人にも刺さる物語だと思う。読後、学校図書館や地域の図書室にふらっと寄り道したくなる。
8. 僕らのごはんは明日で待ってる
ネガティブな男子と、底抜けにポジティブな女子。高校時代から7年間にわたる二人の関係を、「一緒に食べるごはん」という軸で描くラブストーリーだ。甘いだけではなく、途中で大きな喪失やすれ違いも挟みながら、「それでも誰かと一緒にごはんを食べる」ことの重さと嬉しさが浮かび上がる。
食事のシーンの描写がどれも印象的で、読んでいると自然にお腹が減ってくる。派手なご馳走ではなく、ありふれたメニューばかりなのに、誰とどんな状況で食べるかによって味は変わる。そのことを、物語全体でじっくりと体感させてくれる。
恋愛小説として楽しむこともできるし、「人生のある期間を共に食べた相手」との物語として読んでもいい。過去の恋人や友人との食事をふと思い出してしまうような、不思議な余韻を残す一冊だ。
9. 戸村飯店 青春100連発
大阪の下町にある中華料理店「戸村飯店」を舞台に、性格も能力もまるで違う兄弟と家族の騒がしい日々が描かれる。店の経営はギリギリ、兄弟も反発ばかり。それでも、笑えるトラブルと小さな奇跡が次々と転がり込んでくる。坪田譲治文学賞を受賞した、にぎやかな青春小説だ。
この作品の魅力は、とにかく台詞のテンポがいいこと。関西弁の応酬が心地よく、ページをめくる手が止まらない。中華鍋の音や油の匂い、商店街のざわめきまでも文字から立ち上がってくる。
一方で、家族の経済状況や将来への不安といった現実的な問題もきちんと描かれている。笑っているだけでは乗り越えられないことがあり、それでも笑いがなければやっていけない、という感覚のバランスが絶妙だ。読後、炒飯かラーメンを食べに行きたくなる危険な一冊でもある。
10. 強運の持ち主
元OLの主人公・璃子が、「占いの館」で働き始めるところから物語は転がり出す。といっても、霊感があるわけでも超能力者でもない。マニュアルを頼りにカードを切り、訪れる客の話に耳を傾けながら、自分なりの言葉を探していく。
占いそのものの当たり外れよりも、「誰かに自分の話を聞いてもらう」ことの効能がよくわかる一冊だ。恋愛、仕事、家族の悩みを抱えた客たちが、それぞれの人生へ戻っていく背中が印象に残る。璃子自身も、彼らとのやりとりを通じて、自分の過去やこれからを見つめ直していく。
仕事に疲れたとき、「自分のやっていることは意味があるのか」と揺らいだことがある人なら、占い師という職業を通じて描かれる「働くこと」の意味に、きっと何か引っかかるものを感じると思う。
11. 春、戻る
結婚を控えた女性のもとに、「自分はあなたの兄だ」と名乗る年上の男が現れる。そこから、主人公のこれまでの家族史と、知らされてこなかった事実が少しずつ姿を現していく。奇妙な設定ながら、物語はどこまでも静かで、感情の揺れが丁寧に追いかけられている。
瀬尾の作品には、「過去に起きた出来事の意味を、少し時間が経ってから受け止め直す」という構図がよく出てくる。この小説もまさにそれで、主人公は兄を名乗る男との対話を通じて、自分がどう愛され、どう守られてきたのかをゆっくりと理解していく。
人生の節目に親やきょうだいとの関係を考えたことがある人なら、この物語の温度にきっと触れる部分があるはずだ。タイトルどおり、ふと春の匂いが戻ってくるような読後感がある。
12. 君が夏を走らせる
かつて問題児だった少年が、1歳児の子守りをしながら駅伝メンバーとして走ることになる。『あと少し、もう少し』と同じ世界観を共有しつつ、こちらはさらに「子どもを預かる」という責任が物語に加わる。
駅伝のシーンは熱いが、それ以上に心をつかまれるのは、1歳児との時間だ。言葉をうまく話せない子どもと向き合うなかで、主人公は自分の中にある暴力性や不安定さと向き合わされる。走ることと子守り、その二つの行為が「誰かのために自分の時間を使う」という一点でつながっていく構図が鮮やかだ。
不器用な若者が責任を引き受けていく過程を、説教ではなく汗と息づかいで描いた青春小説として、とても胸に残る。
13. おしまいのデート
タイトルどおり、「何かがおしまいになる一日」を切り取った短編集。離婚した両親と子どものデート、教師と元教え子の最後の再会など、さまざまな関係の「終わり」が描かれる。それなのに、読後に残るのは決して暗さだけではない。
人間関係の終わり方は、本当にいろいろだ。きれいに感動的に終わることもあれば、ぐだぐだのままフェードアウトしていくこともある。この短編集では、そのどちらもきちんと肯定されている印象がある。うまく言葉にできないまま別れてしまった相手との記憶が、ふと胸の奥から浮かび上がってくるかもしれない。
一話ごとの密度が高いので、少し時間を空けながら味わう読み方もおすすめだ。
14. 傑作はまだ
人付き合いが極端に苦手な引きこもり作家のもとに、25歳の息子が転がり込んでくる。二人は同居を始めるが、親子としての時間をほとんど共有してこなかったため、距離感はぎこちない。それでも、生活を共にするなかで少しずつ互いの輪郭が見えてくる。
作家である父親の「書けなさ」と、息子の「生きづらさ」が、ユーモアを交えながら描かれる。タイトルにある「傑作」が、果たして小説のことなのか、人生そのものなのか、読み進めるほどにわからなくなってくるのがおもしろい。
親子の関係は、幼少期だけで完成するものではない。大人になってから始まる時間も確かにあるのだと教えてくれる物語だ。
15. 温室デイズ
学校のいじめや家庭の崩壊といった少し重いテーマを扱いながら、どこかミステリー調の空気も漂う青春小説。タイトルどおり、温室のような閉じられた空間で、若い登場人物たちの感情がむくむくと膨らんでいく。
瀬尾作品の中ではやや陰影の濃い一冊だが、そのぶん「光」が差し込む瞬間の眩しさが際立つ。誰かを傷つけてしまった過去や、自分でも持て余している感情と向き合う場面は、読み手にもささやかな痛みを伴う。ただ、その痛みを避けずに受け止めようとする姿勢に、確かな希望が宿っている。
16. その扉をたたく音
裕福な実家に暮らし、どこか無気力な日々を送るミュージシャン志望の青年が主人公。ある家族との出会いをきっかけに、彼は自分の音楽や生き方と真正面から向き合わざるをえなくなる。
タイトルにある「扉」は、比喩でもあり、物理的な扉でもある。閉ざされた部屋の中で鳴る音楽と、外の世界で鳴っている生活の音。そのあいだに横たわる距離が、物語を通じて少しずつ縮まっていく。
夢を諦めきれないまま大人になってしまった人にとって、耳が痛い場面も多いかもしれない。それでも最後には、「自分にとっての音楽とは何か」「生活と夢をどう共存させるか」という問いが、少しだけ優しい形で胸に残る。
17. 優しい音楽
表題作「優しい音楽」を中心とした短編集。混雑した駅で出会った男女の物語や、亡くなった家族の面影を追いかけてしまう人々など、「音」と記憶が結びついたエピソードが並ぶ。
タイトルどおり、文章そのものが音楽のようにやわらかい。誰かの足音、駅のアナウンス、部屋の中のBGM。そうした日常の音が、登場人物の感情と密かに絡み合っているのが読んでいて心地よい。
一つひとつの短編が、暮らしの中でふと流れてきた曲のように、読者の心にも小さなフレーズを残していく。忙しい日々の合間に、少しだけ音量を落として読むのにぴったりの一冊だ。
18. 私たちの世代は
小学校三年生のときに突然始まったコロナ禍。その後の十五年間を、二人の少女の視点から描いていく長編だ。マスクやオンライン授業といった「日常」が、彼女たちの進路や人間関係にどんな影響を与えたのかが、静かな筆致で追われていく。
「コロナのせいで失ったもの」が語られる一方で、「コロナがあったからこそ得られたもの」も描かれているのが印象的だ。人と会えないからこそ届いたメッセージ、制限のある生活だからこそ見えてきた価値観。読みながら、自分自身のここ数年を自然と振り返ってしまう。
当事者世代の読者にはもちろん、「あの頃の子どもたちは何を感じていたのか」を想像したい大人にも読んでほしい物語だ。
関連グッズ・サービス
本を読んだ後の余韻を、日々の生活のなかでじっくり味わうには、読書を続けやすくする道具やサービスを組み合わせておくと心強い。
まずは定番だが、電子書籍読み放題の
があると、瀬尾作品だけでなく他の作家の家族小説や青春ものも気軽に試せる。紙の本で気に入った作品を、移動中は電子で読み返す、というスタイルとも相性がいい。
耳から物語に浸りたいなら、オーディオブックの
もおすすめだ。疲れている夜、明かりを消してベッドに横になりながら瀬尾作品の優しい台詞を聞いていると、心の緊張が少しずつほどけていく感覚がある。
紙の本派なら、ページが自然と開いたまま保てるブックスタンドや、目に優しい暖色系の読書ライトが一つあると、夜更けまで読み耽ってしまっても体への負担が少ない。瀬尾作品のように「あと一章だけ」とつい読み進めてしまうタイプの物語とは、とても相性がいい。
FAQ(よくある疑問)
Q1. 瀬尾まいこをまったく読んだことがない。1冊目はどれがいい?
いちばん無難なのはやはり『そして、バトンは渡された』だと思う。家族小説として完成度が高く、重いテーマを扱いながらも読後感は明るい。少しコンパクトな作品から入りたいなら、『卵の緒』や『優しい音楽』のような短編集もおすすめだ。短編の方が合うか、長編の方が合うか、自分の好みを確かめる入口としても使いやすい。
Q2. 重すぎる話は苦手だけれど、読みごたえは欲しい。
そのバランスでいくと、『天国はまだ遠く』『強運の持ち主』『戸村飯店 青春100連発』あたりがちょうどいい。どれも深刻なテーマは含んでいるが、ユーモアや日常の描写がたっぷり入っているので、読んでいて気持ちが沈みすぎない。ページを閉じたあと、ふっと息をつけるタイプの物語が多い。
Q3. 10代の読者や、読書初心者にも勧められる?
むしろ10代にこそ読んでほしい作家だと思う。中学校教師としての経験が生きていて、難しい言葉をあまり使わずに、感情の細かな揺れを描いてくれる。文章も平易で読みやすいので、読書に慣れていない人でもつまずきにくい。『あと少し、もう少し』や『君が夏を走らせる』『図書館の神様』など、学校が舞台の作品から入ると、教室の空気がそのまま連続している感覚で読み進められるはずだ。

















