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【横山秀夫おすすめ本】『64』『クライマーズ・ハイ』から知られざる短編集まで16選【代表作まとめ】

組織の論理と、自分の良心。そのあいだで引き裂かれる人間の姿にどうしても惹かれてしまうなら、横山秀夫は外せない作家だ。警察や新聞社、戦争末期の若者たちまで、極限状況に置かれた人間の「決断」をここまで徹底的に描き抜いた作家は多くない。

この記事では、警察小説の金字塔『64(ロクヨン)』から短編集、戦争文学まで、横山作品のエッセンスを味わえる16冊を厳選して紹介する。どこから読めばいいか迷っている人にも、次に手に取る一冊がはっきり見えるように、作品ごとの魅力と読後感をできるだけ丁寧に書いていく。

 

 

横山秀夫とは?──「平成の松本清張」と呼ばれる理由

横山秀夫は1957年、東京生まれ。国際商科大学(現・東京国際大学)を卒業後、群馬県の地方紙・上毛新聞社で約12年間記者として働いたのち、作家に転じた。新聞記者として、警察発表と事件現場のギャップ、官僚組織の理不尽さを目のあたりにしてきた経験が、そのまま後年の警察小説・社会派小説の土台になっている。

1991年、未発表長編『ルパンの消息』の原型となる作品でサントリーミステリー大賞佳作を受賞しプロ作家の道へ。1998年『陰の季節』で第5回松本清張賞、2000年『動機』で日本推理作家協会賞短編部門を受賞し、「警察小説の新しいスタンダード」を切り拓いた存在として一気に注目を浴びる。

横山作品の特徴は、一般的な警察小説のように「刑事 vs 犯人」の構図だけに焦点を当てないところにある。組織の論理、出世争い、情報管理、記者クラブとの駆け引き……。事件の裏でうごめく権力と打算の中で、それでも自分の正しさを手放したくない人間たちの揺らぎを、ねちっこいほど追いかけていく。

その到達点とも言える『64(ロクヨン)』は、「このミステリーがすごい!」2013年国内編1位、本屋大賞2位を獲得し、英訳版がCWAインターナショナル・ダガー賞候補にもなった。警察小説でここまで広い層に読まれた作品は多くなく、「平成の松本清張」と呼ばれるゆえんも、この作品群を読むと肌感覚でわかってくるはずだ。

おすすめ本16選

1. 『64(ロクヨン)』──未解決誘拐事件と「広報官」の孤独が交わる警察小説の金字塔

『64(ロクヨン)』は、昭和64年(たった7日間しかなかったあの年)に起きた少女誘拐殺人事件と、その14年後を舞台にした大長編だ。主人公は、県警本部の広報官・三上。刑事ではなく「広報」という立場を主人公にしたところからして、横山らしいひねりが効いている。

物語の表の軸は、未解決の誘拐事件「ロクヨン」を思わせる新たな脅迫状の出現と、記者クラブとの激しい情報戦だ。警察発表をどう出すか、どこまで出すのか。世論を味方にしたい上層部と、独自スクープを狙う新聞各社のぶつかり合いが、読んでいて胃が痛くなるほどリアルに描かれる。

一方で裏の軸として、三上自身の家庭の問題が静かに進行していく。家出した娘とのすれ違い、妻との距離感、かつて自分が関わった捜査への後悔。警察組織でそれなりの地位にいる中年男性の「しぼんでいく自己像」が、ロクヨン事件の真相と呼応するように浮かび上がってくる。

読みどころは、組織の論理と、自分の中の正義の折り合いをどうつけるのかという一点だ。上から降ってくる理不尽な指示、現場の事情、マスコミとの折衝。そのすべてを飲み込みながら、それでも譲れない一線を探る三上の姿に、自分の働き方や生き方を重ねる読者も多いと思う。

正直なところ、序盤は固有名詞が多くて少しとっつきにくい。だが、広報室に記者たちが押し寄せるシーンや、ロクヨン当時の捜査をめぐる内部抗争が見えてくるあたりから、一気にページがめくれていく。後半、タイトル「64」の意味が多重的に立ち上がる瞬間には、物語全体がカチッとかみ合う快感と、ささやかな救済のような余韻が同時に押し寄せてくる。

警察小説が好きな人はもちろん、「組織の中で自分の仕事に折り合いをつけられない」と感じている社会人にも突き刺さる一冊だと思う。横山作品を初めて読むなら、腰を据えてまずこれに挑むのもありだし、ほかの作品を2〜3冊読んだあと「ラスボス」として向き合うのも楽しい。

2. 『クライマーズ・ハイ』──日航機墜落事故を背負わされた新聞記者たちの「あの一週間」

『クライマーズ・ハイ』は、1985年の日航機墜落事故(JAL123便事故)を題材に、群馬の地方新聞社を舞台にした新聞小説だ。原作者自身の記者時代の経験をもとに描かれた作品で、「御巣鷹山の事故」をどう報じるかをめぐる地元紙の死闘が描かれる。

主人公は地元紙「北関東新聞」の記者・悠木。事故当日、山に登る予定だった彼は、急遽「日航全権デスク」に指名される。飛び込んでくる情報を取捨選択し、紙面のトップを決め、他紙との競争に勝ち続けなければならない。わずか一週間ほどの出来事にもかかわらず、そこに凝縮された緊張感は、体感時間としては何カ月にも感じられるほどだ。

この作品の魅力は、「事件」そのものではなく、その周りで働く人間の生身の感情にフォーカスしているところにある。上司や同僚との軋轢、過去の取材での失敗からくるトラウマ、家族との関係の崩れ。悠木をはじめとする記者たちは、事故報道の最前線に立ちながら、自分の人生のほころびとも向き合わされていく。

登山の比喩も印象的だ。頂上を目指して登る行為は、仕事で高みを目指すこと、そして人としてどこまで高く、どこまで危ういところに立つのかという問いに重ねられる。クライミング中の「ハイ」な状態と、極限の報道現場の昂揚感が呼応し、読んでいる側の呼吸まで乱してくるような感覚になる。

個人的には、新聞業界に詳しくなくても、仕事に追い詰められた経験のある人なら誰でも共感してしまう場面が多いと感じる。締切に追われながらも、ただの「記事の量産」に堕したくない。自分が書く言葉に、人の生死と重みが乗ってしまう。その重さに耐えられるのかという揺れが、全ページを通して響いている。

新聞社が舞台ということで警察要素は薄めだが、「組織小説」としては横山作品の本質が最もよく出ている一冊でもある。『64』の前に、まずこちらで「横山節」に慣れておくのもおすすめだ。

3. 『半落ち』──「空白の二日間」が照らし出す、守りたいものの正体

半落ち

半落ち

  • 柴田恭兵
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『半落ち』は、現職警部・梶聡一郎が「妻を殺した」と自首してくるところから始まる。アルツハイマー病に苦しむ妻に「殺してほしい」と懇願され、その願いに応えたのだと梶は語る。動機も経緯も素直に話し、「完落ち」の事件に見えた──ただひとつ、犯行から自首までの「空白の二日間」を除いて。

物語は、その二日間に何があったのかをめぐって、刑事、検察官、弁護士、新聞記者、裁判官、刑務官という六人の視点から語られていく。それぞれが梶と向き合うなかで、自分自身の「空白」や、譲れないものに気づいていく構成が見事だ。一人ひとりの章が独立した短編のように読めながら、最後には一本の大きな物語に収束していく。

警察小説というより、「命を引き受ける」という行為そのものを問う小説に近い。愛する人に死を望まれたとき、自分ならどうするか。法は何を裁けて、何を裁けないのか。答えの出ない問いが、読後しばらく頭の中でこだまし続ける。

横山作品の中では、感情の振れ幅がかなり大きい一冊だと思う。組織の論理と人情のあいだで揺れる登場人物たちの姿に、何度も喉の奥が熱くなる。映画化もされ、多くの俳優たちが梶とその周囲の人々を演じたが、原作小説ではより静かで、なおさら重たい余韻が残る。

どんでん返しを楽しむタイプのミステリを期待すると少し肩透かしかもしれないが、「人間ドラマとしてのミステリ」を読みたい人にはこれ以上ない入門書になるはずだ。警察小説が苦手な人にも薦めやすい一冊。

4. 『第三の時効』──「F県警強行犯シリーズ」の代表作にして会心のどんでん返し

『第三の時効』は、F県警強行犯シリーズの一冊で、長年未解決のまま時効が迫る殺人事件を扱った連作短編集だ。冷徹だが有能な捜査指揮官・二渡を中心に、強行犯たちのプライドと意地がぶつかり合う。

表題作「第三の時効」は、横山秀夫の「どんでん返し」の巧さを味わうのに最適な一編だろう。ある殺人事件の公訴時効が迫る中、捜査陣は「通常の時効」とは異なる「第三の時効」が存在するのではないかと気づく。そのロジックが明かされる瞬間、事件だけでなく、警察組織の「顔」を守ろうとする人間たちの思惑までひっくり返る。

個人的に好きなのは、捜査会議の空気感だ。上司の顔色をうかがいながらも、一歩も引きたくない若手や中堅刑事たちが、ギリギリのところで本音をぶつけ合う。現場の泥臭さと、会議室の乾いた緊張が交互に描かれ、ページをめくる手が止まらない。

一冊まるごと長編を読む時間が取れないときでも、この短編集なら一編ごとに区切りをつけて読める。だが、気づくと結局すべて読み終えてしまうタイプの本でもある。『64』に続く「警察内部の闘争劇」として読むと、横山の視線の鋭さがよりはっきり感じられるはずだ。

5. 『陰の季節』──「警務部」という裏方から見た警察組織の暗部

松本清張賞を受賞した『陰の季節』は、いわゆる刑事部ではなく「警務部(人事・監察などを担う管理部門)」を舞台にした連作短編集だ。主人公の二渡真治は、警務部人事課の警部。事件現場に出ることはほとんどないが、その代わり警察組織の裏側すべてを見渡せる位置にいる。

表題作では、退職を控えた大物OBの再就職問題をめぐって、県警内部に波紋が広がる。誰をどこに天下りさせるのかという、一見地味な人事案件が、実は組織の力学と密接につながっていることが少しずつ明らかになっていく。事件の派手さはないが、「人が権力にしがみつく」ときのみっともなさと切なさが浮かび上がる。

ほかの収録作でも、昇任試験、出世コースから外された男の復讐心、情報の握りつぶしなど、「事件」とは呼ばれない小さな不正や不条理が積み重なっていく。ここで描かれるのは、誰も血を流さない代わりに、心だけがじわじわと傷んでいく世界だ。

警察の華々しい「捜査一課もの」に慣れていると、最初は地味に感じるかもしれない。しかし読み進めるうちに、むしろ現実の組織はこういう「陰の季節」によって支配されているのではないか、という怖さが出てくる。会社勤めの人が読むと、警察ではなく自分の職場の顔が次々と浮かんでしまうかもしれない。

6. 『ルパンの消息』──デビュー前に書かれた“幻の処女長編”

『ルパンの消息』は、著者が新聞記者時代に書いた長編で、長らく「幻のデビュー作」と呼ばれていた作品だ。時効成立直前に「15年前の女子高生転落死は自殺ではなく殺人だ」というタレコミが入り、当時のクラスメイトたちの秘密が剥き出しになっていく。

構図としては、学園ものと本格ミステリが混ざり合った青春サスペンスに近い。高校時代の悪ふざけ、教師との軋轢、親との関係。あの頃の「ちょっとした選択」が、15年後の人生を大きく決定づけてしまう残酷さが描かれる。

のちの作品と比べると、やや若書きの部分もあるが、それが逆に勢いにつながっている。現在パートと過去パートが交互に進み、読者自身も真相を追いかける「探偵役」のような気分で読み進められる構成は、今読んでも十分スリリングだ。

横山作品の中では比較的読みやすく、警察小説というより青春ミステリとして楽しめる一冊。まずはエンタメ性の高いものから入りたい人に向いている。

7. 『震度0』──大災害の陰で揺れる県警幹部たちのプライドと保身

震度0

震度0

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『震度0』の舞台は、阪神淡路大震災の翌日。大災害で日本中が揺れる中、とある県警本部内で不祥事と幹部の失踪が発覚する。表向きは「震災対応」で忙殺されながらも、裏では自分の出世と組織のメンツを守るための暗闘が繰り広げられる。

タイトルの「震度0」は、物理的な揺れがなくても、心の中や組織の中で大きな揺れが起きている状態のメタファーだと読める。派手な事件は起きていないのに、登場人物たちの心拍数だけがどんどん上がっていく感じが独特だ。

横山作品の中でもとくに「会議室小説」としての色が強く、読んでいるとほぼずっとネクタイを締めたままの息苦しさがつきまとう。誰が味方で誰が敵なのか、誰がどこまで嘘をついているのか。外の震災報道と対比されることで、組織の小ささと人間の卑小さがいっそう際立つ。

スカッとするカタルシスを期待するよりも、「多かれ少なかれどこの組織にもある闇」をじっくり眺めたいときに読みたい一冊だ。

8. 『臨場』──「俺の言葉は死者の言葉だ」と言い切る検視官の矜持

『臨場』は、検視官・倉石義男を主人公にした連作短編集だ。事件で亡くなった人の遺体に最初に向き合い、「これは事件か事故か」を判断するのが検視官の仕事。倉石はその道のエキスパートであり、「俺の言葉は死者の言葉だ」という名ゼリフに象徴されるように、遺体の声に耳を澄ませる。

一般的な刑事ものと違うのは、「誰が犯人か」よりも「この人はなぜ死ななければならなかったのか」に焦点が当たっているところだ。小さな家庭内の悲劇から、社会の歪みが凝縮されたような死まで、倉石は淡々と、時に激しく真相に迫っていく。

テレビドラマ化もされているので、倉石のキャラクターはすでにイメージを持っている人も多いかもしれない。ただ、小説のほうがより乾いていて、より情が深い、というやや矛盾した印象を与えてくる。余計な感傷をまき散らさない分、最後の一行でスッと熱いものが込み上げてくるような構成が多い。

一編ごとに完結するスタイルなので、短時間で読書の満足感を得たいときにも向いている。「死者の言葉を代弁する」とはどういうことか、その重さを味わいたい人におすすめだ。

9. 『影踏み』──“ノビ師”を主人公にした異色のクライムノベル

『影踏み』は、警察官ではなく「ノビ師(プロの泥棒)」を主人公に据えた異色作だ。ターゲットの生活パターンを徹底的に研究し、留守宅に忍び込む。その技術と観察眼は、ある意味で刑事以上に「人の心の隙」を見抜いている。

主人公の真壁は、ある日侵入した家で見つけた女性の姿に違和感を覚え、そこから過去の事件や自分自身のトラウマと向き合うことになる。ノワールな雰囲気と、横山らしい家族ドラマが結びついた一冊で、静かな場面でも底に流れる緊張感が途切れない。

警察の内側ではなく「外側」にいる犯罪者の視点から、社会や警察組織を見るのも面白い。犯罪者としてのプライドと、かつての自分を裏切ってしまったような後悔が入り混じる真壁の心理には、善悪だけでは測れない人間の複雑さがにじむ。

警察小説とは少し違う角度の横山作品を読みたい人に、ぜひ試してほしい一冊だ。

10. 『ノースライト』──「消えた一家」と「家をつくる」という仕事の物語

『ノースライト』は、『64』から約6年ぶりに刊行された長編。主人公は一級建築士・青瀬稔だ。彼は自分が設計した理想の住宅「Y邸」を訪れ、そこに家具も私物もそのまま残っているのに、住人一家だけが忽然と姿を消していることに気づく。

物語は、「Y邸の住人たちはなぜ消えたのか」「そもそも彼らはどんな思いで家を建てたのか」という謎を軸に進んでいく。同時に、バブル崩壊後の建設業界で、発注者の意向や会社の事情に振り回される建築士としての青瀬の苦悩も描かれる。

警察も事件も直接は出てこないが、「仕事」と「家族」をどう両立させるかというテーマは、横山作品の根幹そのものだ。Y邸の大きな北窓から差し込む柔らかな光(ノースライト)は、読者にとっても「自分の人生にとっての光はどこか」という問いを投げかけてくる。

構成としてはミステリだが、読後感はしみじみとした人間ドラマに近い。建築や住まいに興味がある人なら、とくに細部の描写を楽しめると思う。

11. 『出口のない海』──人間魚雷「回天」に乗り込む若者の、行き場のない青春

『出口のない海』は、警察ものから離れ、戦争末期の若者たちを描いた長編だ。甲子園優勝投手だった青年・並木は、海軍予備学生として召集され、人間魚雷「回天」の搭乗員になる道を選ぶ。

回天は、ほぼ生還の見込みがない特攻兵器だ。そこに乗り込むということは、自分の死に方を選ぶことに近い。並木はなぜその道を選んだのか。本当にそれしか道はなかったのか。物語は、彼の葛藤や仲間たちとの交流を通して、「生きてしまうこと」と「死ぬこと」の重さを問い続ける。

横山作品らしく、敵国の描写よりも、日本側の組織や教育のあり方に批判的な目が向けられているのも印象的だ。上官の理不尽な命令、集団心理、責任のなすりつけ合い。戦争という極限状態でも、どこまでも「組織」は醜く、しかしそこに属する人間はどこまでも切実だ。

スポーツ青春小説と戦争文学が交差するような、不思議な読後感を残す一冊。警察小説だけでなく、作家・横山秀夫の幅広さを知るうえでも読んでおきたい作品だ。

12. 『顔 FACE』──「顔」を武器にする女たちの、ささやかな反撃

『顔 FACE』は、D県警シリーズの一冊で、婦人警官や似顔絵担当者など、組織の中で弱い立場に置かれがちな女性たちを主人公にした短編集だ。

表題作「顔」では、似顔絵係の婦人警官が、自分を軽んじてきた男性陣に一矢報いるような展開が待っている。「顔」というテーマは、見た目にまつわる偏見や、肩書きに隠された本性を暴くモチーフとして全編に通底している。

横山作品はどうしても男社会の話になりがちだが、この一冊では、その男社会の中で押しつぶされそうになりながら、それでも自分の尊厳を守ろうとする女性たちにスポットが当たる。決してフェミニズム小説ではないが、「組織の中で見えない壁にぶつかる」という経験をした人には刺さるはずだ。

13. 『動機』──小さな「動機」が、組織全体の歪みを照らし出す

日本推理作家協会賞を受賞した短編集『動機』は、D県警シリーズの中でもとくに評価が高い一冊だ。警察手帳の一括保管問題を扱った表題作をはじめ、一見些細に見える不正や違反が、やがて組織全体の体質を浮かび上がらせていく。

この作品の面白さは、「完全犯罪」でも「天才的トリック」でもなく、人間の心の少しのズレが事件を生むという点にある。出世から外された悔しさ、家族に対する後ろめたさ、同僚への嫉妬。どれも犯罪とは呼べない感情だが、それらが重なったとき、取り返しのつかない行為につながってしまう。

各編のオチは決して派手ではないが、それだけに、一行一行の重みがずっしりと残る。横山作品の「骨太さ」をコンパクトに味わいたい読者にすすめたい短編集だ。

14. 『深追い』──刑事部以外の部署から見える、もうひとつの警察日常

『深追い』は、交通課事故係や少年課など、刑事部以外の部署に光を当てた短編集だ。三ツ鐘署を舞台に、派手な殺人事件の裏側で日々起きている「小さな事件」やトラブルが描かれる。

交通事故の処理、少年非行の相談、近隣トラブル。どれもニュースにはほとんど乗らない案件だが、当事者にとっては人生そのものに関わる問題だ。担当する警察官たちは、予算や人員不足に悩みながらも、なんとか目の前の火種を消そうとする。

読みながら、「自分がもし相談に行ったとき、向こう側の人間はこんなことを考えているのかもしれない」と想像してしまう。最前線の刑事ものとは違う、人間臭くて少し疲れた警察官たちの顔が見える一冊だ。

15. 『真相』──“横山秀夫サスペンス”の源泉ともいえる短編集

『真相』は、「18番ホール」などの短編を収めた初期の作品集で、のちにドラマシリーズ「横山秀夫サスペンス」の原作にもなった一冊だ。 政治家の選挙、ゴルフ場開発、地方自治体の人事など、事件とは呼びにくいグレーゾーンを舞台に、人間の欲と恐れが描かれる。

表題作では、息子の犯罪をもみ消そうとする父親の心理が、息の詰まる密度で描かれる。誰もが「正義の側」でいたいと願いながらも、いざ我が身にふりかかると簡単に線を踏み越えてしまう。その怖さを、短いページ数の中にギュッと詰め込んだような作品だ。

テレビドラマで横山作品に触れたことがある人は、この短編集を読むと「元ネタはこういう形だったのか」とニヤリとできる。短編ごとにテーマがはっきりしていて、通勤や通学の合間に少しずつ読み進めるのにも向いている。

16. 『看守眼』──「事件の外側」から見つめると、真相は違って見える

『看守眼』は、警察官だけでなく、刑務所の看守や新聞社の整理部など、「事件の外側」にいる人々の視点から描いた短編集だ。

たとえば、拘置所の看守が、収容された容疑者を毎日見ているうちに、彼が本当に犯人なのか疑いはじめる話。あるいは、新聞の見出しを組むだけだったはずの人物が、ふとした誤植から大きな波紋を呼んでしまう話。直接捜査に関わらない立場だからこそ見えてくる「真相」が、少しずつ浮かび上がってくる。

この一冊を読むと、「事件をどう報じるか」「どう伝えるか」という行為そのものが、どれだけ多くの人の判断の積み重ねでできているかを実感する。ニュースを目にするときの視点が、ほんの少し変わるかもしれない。

関連グッズ・サービス

本を読んだ後の余韻や学びを、日常の中に長くとどめておくには、生活に組み込みやすいツールやサービスと一緒に楽しむのがいちばんだと思う。横山秀夫の作品とも相性のいいアイテムを、いくつか挙げておく。

Kindle Unlimited

分厚い警察小説や短編集を何冊も読み比べたいとき、サブスクで好きなだけ試せるのは正直かなり心強い。通勤電車で『64』をじわじわ読み進めていく、なんて楽しみ方もしやすくなる。

Audible

警察小説は「ながら聴き」とも相性がいい。散歩や家事の時間に『クライマーズ・ハイ』や『半落ち』を耳で追っていると、気づけば物語の緊張感に歩くスピードまで引きずられていた、なんてこともある。

Kindle端末

横山作品は文庫でもある程度ページ数があるので、専用端末で読むと手首がだいぶ楽になる。夜遅くベッドの中で『陰の季節』を一編だけ読む、という贅沢な使い方もしやすい。

 

 

深夜読書用のコーヒー・お茶

重たいテーマの小説を読むときほど、そばに温かい飲み物があると気持ちを落ち着けやすい。『出口のない海』のような作品を読み終えたあと、湯気を眺めながらゆっくり気持ちを整理する時間も含めての読書体験、という感じがする。

 

まとめ

横山秀夫の作品は、どれも「事件」そのものより、その周囲で生きる人間たちの矜持や迷いに重心が置かれている。警察官、新聞記者、建築士、特攻隊員、看守……肩書きはバラバラでも、みんな「自分はどう生きたいのか」を問われ続ける。

ゆっくり味わいたいなら、『64』や『クライマーズ・ハイ』のような長編から入るのもいいし、まずは『動機』『陰の季節』『臨場』あたりの短編集で横山節のエッセンスをつかむのもいい。戦争文学として一味違う読書体験をしたいなら『出口のない海』も忘れたくない。

今いる組織の理不尽さに息苦しさを感じているときほど、横山秀夫の小説は痛いほど響く。けれど読み終わったあと、ほんの少しだけ背筋が伸びるような感覚も残るはずだ。どの一冊からでもいいので、自分のタイミングで一歩踏み込んでみてほしい。

FAQ

Q. 横山秀夫を初めて読むなら、どの一冊から入るのがいい?

重くてもいいから代表作から行きたいなら『64(ロクヨン)』、仕事小説としての熱量を味わいたいなら『クライマーズ・ハイ』がおすすめだ。もう少し短くて読みやすいものから行きたい場合は、短編集の『動機』か『陰の季節』がいい入口になると思う。

Q. 警察小説は難しそうで不安。読みこなせる?

たしかに階級や部署名など、最初は慣れない用語も出てくる。ただ、横山作品は基本的に人間ドラマが中心なので、「誰が何にこだわっているのか」さえ追っていけば自然と世界に入っていける。難しさが気になる人は、まず『半落ち』や『臨場』のように、人間関係に焦点が当たっている作品から試してみるといい。

Q. 電子書籍やオーディオブックで読む価値はある?

長編が多いので、電子書籍や音声配信とは相性がいい。通勤時間や家事の合間など、細切れの時間に少しずつ読み進めたり聴き進めたりできるのは大きなメリットだ。紙の質感が好きな人でも、予備としてKindle UnlimitedAudibleを併用すると、読書の選択肢がかなり広がると思う。

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