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【寺地はるなおすすめ本20選】初めて読むならどれ?家族と仕事に寄り添う物語たち【代表作まとめ】

がんばり過ぎてしまう人、周りの「普通」に押しつぶされそうな人、自分だけが場違いに思えてしまう人。寺地はるなの小説は、そんな読者の肩にそっと手を置いてくるような優しさがある。派手な事件も大きな奇跡もないのに、読み終えるころには、今日をやり過ごす力が少しだけ増えている。

ここでは、家族・仕事・「普通」との距離感を描き続けてきた寺地作品の中から、長編小説を中心に20冊をじっくり紹介する。前編では、とくに「家族」と「ふつう」をめぐる物語を軸に取り上げていく。

 

 

寺地はるなとは?

寺地はるなは1977年佐賀県生まれ、大阪在住の小説家だ。2014年、『ビオレタ』で第4回ポプラ社小説新人賞を受賞してデビューし、『水を縫う』で第9回河合隼雄物語賞、『川のほとりに立つ者は』で2024年本屋大賞第9位に入賞している。

作品の舞台は、商店街や中小企業、古いホテルや遊園地など、どこか懐かしい庶民的な場所が多い。そこに生きるのは、感情移入しやすい「ふつうの人たち」だが、その「ふつう」がじつはどれほど不自由な規範に満ちているかを、寺地は静かに炙り出す。家族・仕事・ジェンダー・ケアといったテーマを扱いながらも、説教くささはなく、読者の側に立って「それはしんどいよね」と言ってくれるかのような語りが特徴だ。

また、「物語の主人公になりにくい仕事」をあえて描きたいと語っているのも寺地らしい。和菓子職人ではなく製菓会社の事務員、医療現場の花形ではなく送迎や雑用を請け負う人、学童のスタッフや税理士事務所の職員など、見えにくい仕事に光を当ててきた。

その視線の根っこには、「人はそれぞれ違うし、がんばれない日があってもいい」という強い肯定がある。どの作品にも、“社会のほうを少しずらすことで、生きづらさを軽くする”という静かな革命が潜んでいるのだ。

寺地はるなの本の読み方ガイド

作品数が多くてどこから読めばいいか迷う人のために、あとで紹介する各レビューへのリンクをまとめておく。

気になるテーマや自分の状況に近いものから手に取るのもいいし、刊行順に読むと、作風の変化や関心の移ろいも見えてきておもしろい。


前編|家族と「ふつう」を問い直す7冊

1. 川のほとりに立つ者は

2024年本屋大賞で第9位に選ばれた長編で、寺地はるなの現在地を象徴する作品だ。恋人が川に転落して意識不明になったことから、主人公の女性は、彼の過去と周囲の人間関係に向き合わざるをえなくなる。そこから浮かび上がってくるのは、「彼をめぐる秘密」というより、世間が当たり前だと思い込んでいる「ふつう」の形そのものの歪みだ。

読み進めていくと、タイトルの「川のほとりに立つ者」という言葉が胸に重く乗ってくる。流れていく出来事の向こう側に、立ち尽くすしかない人間がいる。自分の意思で川に飛び込んだわけでもなく、岸から眺めているだけでもいられない。読んでいて、人生の「どうしようもなさ」に何度も足を取られる感覚があった。

しかし寺地は、そのどうしようもなさを突きつけるだけでは終わらせない。主人公が、恋人の家族や友人たちとすこしずつ言葉を交わし、彼の知らなかった一面を知り、自分との関係をもう一度引き受け直していく姿が、とても静かで力強い。どの人物も善悪で割り切れないグレーなところを抱えていて、そのグレーを責める代わりに、「そうなってしまう理由」を丁寧に拾い上げていく。

病室の空気や、川沿いの風景、スマホの画面越しのやり取りなど、一つひとつが目に浮かぶようで、知らない土地のはずなのに「ここ知ってる」と思わせるリアリティがある。寺地作品が好きな人には、粗く傷ついた心を撫でるような言葉の連なりに、何度も立ち止まりたくなるだろう。

恋人やパートナーとの関係が「これでいいのかな」と揺れている人、家族の事情で「相手の過去」に巻き込まれている人には、特に刺さる一冊だと思う。読み終えたあと、誰かの秘密に対して「知る/知らない」を選ぶことの重さを、少し違う角度から考え直したくなった。

2. 水を縫う

刺繍好きの男子高校生と、「かわいい」が苦手な姉を中心に、「家族」という枠の中でのジェンダーと役割の問題を描いた物語。第9回河合隼雄物語賞を受賞し、心の成長と家族の再編を描く作品として高く評価された。

面白いのは、どの登場人物も「一見ふつう」であることだ。女の子らしさを求める母、男子高校生に「男らしさ」を期待する周囲、女子の「かわいい」を消費する社会。それらは特別ひどい悪人ではなく、どこにでもいる人々の姿をしている。その「どこにでもいる感」ゆえに、読者はときどき自分自身の言動を思い出して胸がちくりとする。

刺繍というモチーフの選び方も見事だ。布に針を通す行為は、見た目以上に手間と集中力を必要とする。兄弟たちがそれぞれの「好き」を貫こうとするとき、社会の目は布の裏側の糸のもつれを見て「汚い」と言うかもしれない。けれど、その裏側がなければ、表の絵柄は決して立ち上がらない。その構造を、物語全体が体現している。

読んでいて一番印象に残ったのは、登場人物たちが「自分のことを自分で決める」という当たり前のことに辿り着くまでの時間の長さだった。親の期待や周囲の目を一気に振り切って劇的に変わるわけではない。むしろ、刺繍の一針一針のように、少しずつ生活の中で実験しながら変わっていく。

「かわいい」が得意じゃない人、「らしさ」の押し付けに疲れている人には、かなり心強い相棒になってくれる本だ。読後、家族や友人の服装や趣味を見るときにも、その人が選び取ってきた「好き」の履歴を想像したくなる。

3. ビオレタ

棺桶を売る雑貨店「ビオレタ」を舞台に、失恋した女性が自分の人生を立て直していくデビュー作。第4回ポプラ社小説新人賞を受賞し、寺地ワールドの原点となった一冊だ。

「棺桶を売る店」という設定を聞くと、最初は少し構えてしまうかもしれない。しかし実際にページをめくると、そこにあるのは死の暗さというより、「終わり」をきちんと見つめることで、逆に今が少し明るくなるような空気だ。店主や客たちとのやりとりには、葬儀社の実務感ではなく、「自分の人生をどう締めくくりたいか」という、じわじわ効いてくる問いが潜んでいる。

主人公は、婚約者に振られ、「自分には何もない」と思い込んでいるタイプの人間だ。その視線で周囲を見ているので、読者も一緒になって暗い色で世界を塗りつぶしてしまいそうになるのだが、棺桶店の面々が放つズレたユーモアや、ささやかな優しさによって、少しずつ画用紙の端に色が足されていく感じがある。

「新しい彼氏を見つけてハッピー!」のようなわかりやすい再生ではない。代わりに、仕事を覚えたり、常連客と顔なじみになったり、店の棚を工夫してみたりといった、ごく小さな出来事が積み重なっていく。日々のルーティンの中で、「あれ、昨日よりちょっとだけ呼吸が楽だな」とふと気づく、その瞬間が丁寧に描かれている。

仕事の失敗や失恋で「自分なんて」となっているとき、この本を読むと、劇的な逆転が起きなくても、別の生き方がちゃんと残っているのだと教えられる。デビュー作ゆえの荒削りさも、寺地作品の好きな人にはむしろ魅力に感じられるはずだ。

4. 夜が暗いとはかぎらない

大阪の「あかつきマーケット」という古い商店街を舞台に、不器用な人たちのささやかな日常を描いた連作短編集。閉店が決まったマーケットをめぐり、人々がそれぞれの「居場所」と向き合っていく。山本周五郎賞候補にもなった作品だ。

連作と言っても、各編の主人公は違う。しかし、読んでいるうちに、マーケットの通路の匂いやシャッターの音が自分の記憶にあったものと重なってくる。自分が子どものころ通っていた商店街や、駅前の古いビルの片隅を思い出す人も多いと思う。

この本のすごいところは、「さびれていく商店街」というよくある題材を、「ノスタルジー」と「再開発への怒り」という両極端に寄せずに描いている点だ。変わっていくことを誰か一人のせいにもしないし、過去を美化もしない。その代わりに、そこで働いてきた人たちの、生活の手触りだけを残そうとする。

個人的には、読みながら何度もページを閉じて、自分がかつてアルバイトをしていた小さな店のバックヤードを思い出した。理不尽な客や、どうしようもない上司もいたけれど、そこにはたしかに笑い声や、商品を並べる手のぬくもりがあった。その記憶を、「たいしたことない」と切り捨てなくていいのだと、この本に言われたような気がする。

仕事を辞めたあとにふと「自分は何を残せたんだろう」と不安になる人、地元の商店街がシャッター通りになっているのを寂しく眺めてしまう人に、ぜひ読んでほしい。暗さの中に、うっすらと滲む灯りを探すような読書体験になる。

5. 大人は泣かないと思っていた

厳格な父と衝突してきた娘が、実家のゆず畑の収穫を手伝うために帰省し、家族の過去と向き合う成長小説。タイトルのとおり、「大人だから」「親だから」と感情を封じ込めてきた人たちの内側にある涙を、静かにすくい上げていく。

地方の家業と家族の確執というと、ありがちな題材にも見える。けれど寺地は、「跡を継ぐ/継がない」といったわかりやすい対立だけでなく、家族が長年積み重ねてきた、だれにも言葉にされなかった小さな不満や諦めを丁寧に描く。父が言えなかった一言、娘が飲み込んできた感情の細部が、「ああ、そうなるよな」と思わせるリアリティを持って迫ってくる。

印象的なのは、父親像の描き方だ。頑固で不器用な父は、物語ではしばしば悪役のように扱われがちだが、この作品では、彼なりの不安や寂しさがちゃんとある人間として描かれる。読者は主人公の娘に感情移入しつつも、ふとした拍子に父の側にも胸を掴まれる瞬間があるはずだ。

ゆず畑の匂いや、冬の空気の冷たさ、台所の湯気などの描写がとても鮮やかで、田舎の家に帰ったときの、居心地の悪さと安心感が入り混じった感覚がよみがえる。個人的には、実家の仏間で親戚に囲まれたときの妙な緊張まで思い出してしまった。

「親と距離を取りたいけれど、完全に縁を切りたいわけでもない」という曖昧な感情を抱えている人には、かなり響くと思う。タイトルにある「大人は泣かない」という思い込みが、どこから来たのか。読後、そのフレーズを自分の中でそっと書き換えたくなる。

6. 今日のハチミツ、あしたの私

恋人に別れを告げられ、実家にも戻れずに彷徨っていた女性が、蜂蜜屋で働き始めるところから始まる再生の物語。蜂蜜というモチーフが、この物語にとてもよく似合っている。甘さだけでなく、花の種類や採れる季節によって味が大きく変わる、あの複雑さが、主人公の揺れにぴったりはまっているのだ。

蜂蜜屋での仕事は決して「キラキラした転職」ではない。重い瓶を運び、仕込みを手伝い、商品説明を覚える。地味で、失敗も多くて、最初はなかなかうまくいかない。そのリアルさが心地いい。華々しい成功譚ではなく、「食べていくための仕事」をしている人の姿を、きちんと尊重して描いている。

蜂蜜のテイスティングの場面や、常連客との会話から、主人公が少しずつ「自分の舌」を信じられるようになっていく。誰かの評価や流行ではなく、「自分はこれがおいしいと思う」と言えるようになるプロセスが、そのまま自己肯定感の回復になっているのがわかる。

読んでいて、失恋の痛みよりも、「失恋をきっかけに、自分の人生の舵を握り直す」物語なのだと感じた。別れた恋人は確かに重要な存在だったけれど、その人に認められるためだけに自分を形作る必要はない。蜂蜜の棚を前にした主人公が、どの瓶を手に取るか迷う場面は、自分の未来を選び直す小さな儀式のように見えた。

失恋後の空白期間に読むと、「今の自分は何を『おいしい』と思うだろう」と考えるきっかけになる。蜂蜜が苦手な人でも、きっと読後には何か一つ甘いものを買いに行きたくなるはずだ。

7. カレーの時間

レトルトカレーを愛する祖父と同居することになった孫を中心に、カレーを通して世代間のギャップと絆を描くヒューマンドラマ。高齢者の生活と若い世代の就労・独立問題が、カレーの湯気越しに立ちのぼってくる。

カレーは、日本の家庭においてほとんど「国民食」と言っていい料理だが、その中身はじつに多様だ。手作り派とレトルト派、隠し味に何を入れるか、翌日のカレーをどう食べるか。そうした「どうでもいいようで、本人にとっては大事なこだわり」が、この本では人間関係の象徴として使われている。

レトルトカレーを愛してやまない祖父の姿は、一見コミカルだ。だが、読み進めるほどに、そのこだわりが「自分で選べることの少なさ」を埋め合わせるための小さな自由なのだと見えてくる。高齢になり、体も弱り、社会から求められる役割も減っていくなかで、どのカレーを選ぶかだけは自分で決めたい。そのささやかな願いに、読者はふっと胸をつかまれる。

同居を始めた孫のほうも、決して「介護する側の正義の人」ではない。仕事や恋愛、自分の生活に精一杯で、ときには祖父をわずらわしく思う。その揺れを、寺地は責めずに描く。祖父のレトルトコレクションの棚を整理したくなる気持ちも、「そういうのが生きがいなら残してあげたい」と思い直す心の動きも、どちらも本物の感情として扱われている。

祖父母との同居や、親の介護問題が頭の片隅にある人にとって、この作品は決して答えを押しつけてこない。その代わりに、「一緒に暮らすって、こういうめんどくささとこういう楽しさがあるよね」と、テーブルを挟んで話してくれるような温度を持っている。


中編|仕事と居場所をめぐる7冊

8. ガラスの海を渡る舟

大阪のガラス工房を引き継いだ兄妹と、その周囲の人々を描く物語。古い工法と新しい需要の狭間でゆれる工房は、まさに「ガラスの海」のようだ。透明で美しいが、ひとたびひびが入れば砕け散る。その上を、彼らは舟で渡ろうとする。

ガラス職人ものというと、職人のストイックさや芸術家性に寄った作品が多いが、この作品の魅力は、工房を支える「その他大勢」の視点にもきちんと光が当たっている点だ。注文を取りつける営業、事務、近所の人たち。彼らの「ちょっとしたひと言」や勘違いが、工房の未来を左右することもある。

同時に、家族経営ならではのしがらみも重くのしかかる。兄妹それぞれのやりたいこと、先代からの期待、地元との関係性。ガラスの硬度と同じくらい頑固なものが、あちこちに埋め込まれている。それでも彼らが壊れずにいられるのは、ガラスに光が通るときの美しさを、誰よりもよく知っているからだろう。

読後、職人仕事に対する尊敬の気持ちが増すのはもちろんだが、それ以上に「家族と仕事が一体化している人」の大変さへの想像力が芽生える。実家の商売を手伝った経験のある人なら、「ああ、こういう口出し、うちでもあった」と苦笑いしながら読むはずだ。

9. タイムマシンに乗れないぼくたち

過去の過ちや後悔を抱えた人々を描く独立短編集。「コードネームは保留」「深く息を吸って、」など、生きづらさを抱えた登場人物たちの物語が7つ収められている。どの短編も、「こうすればよかったのに」という後悔を持つ人に、やわらかく寄り添ってくる。

タイトルの「タイムマシンに乗れない」というフレーズが、この本のすべてを表している。誰も過去には戻れない。けれど、過去の自分を抱えたまま、今の自分として生きていくことはできる。その「どうしようもなさ」と「それでも」という二つの感情が、短いページ数の中で何度も交差する。

心が疲れているとき、長編に取り組む気力はないが、何か物語に触れていたい夜がある。そんなとき、この短編集はよく効く。お酒でも甘いものでもなく、「今日はこの一編だけ」と決めて読むと、それだけで少し気持ちが軽くなる。

個人的には、「自分の人生をやり直したい」と思う瞬間がある人こそ、このタイトルの意味をかみしめながら読んでほしい。タイムマシンがなくても、今日の行動で、明日の自分は変えられる。その当たり前を、押しつけではなく、そっと差し出してくれる一冊だ。

10. ほたるいしマジカルランド

大阪北部の蛍石市にある老舗遊園地「ほたるいしマジカルランド」を舞台に、従業員たちの群像劇を描いた作品。願いごとを叶えてくれるという噂のメリーゴーラウンドが名物だが、そこで働く人たちは皆、どこか不器用で、悩みを抱えている。

アトラクションスタッフ、インフォメーション、清掃、植栽管理…。華やかなイルミネーションの裏で休憩室に集まる彼らは、「お客様の笑顔のために」という言葉に少し疲れながらも、それでも仕事に向き合う。読みながら、「テーマパークで働く人」への視線が変わる読者も多いはずだ。

「願いが叶うメリーゴーラウンド」がありながら、作品は安易な魔法に頼らない。むしろ、「願いが叶う」と噂されるものにすがりつきたくなるくらい、現実がしんどい人たちの日常が描かれる。そのうえでなお、彼らが少しずつ自分の足で立ち直っていく姿に、静かな涙がにじむ。

遊園地の閉園後の静けさや、朝の開園前の慌ただしさの描写がとてもいい。読んでいると、夜の遊園地にひとり取り残されたような孤独と、それでもどこかに同じようにがんばっている人がいるという連帯感を同時に味わうことになる。

11. わたしの良い子

奔放な妹が残していった子ども・朔を引き取った独身女性・椿の物語。発達障害を持つ朔は学校で「できない子」と扱われ、椿は「良い子でいさせなければ」と追い詰められていく。

この作品の一番苦しいところは、「良い子」という言葉が、どれだけ子どもと養育者を縛るかが容赦なく描かれている点だ。先生も祖父も、悪気なく「友達とは仲良くしなければ」「悪口を言ってはいけない」と朔に押しつける。そのたびに、読者の胸にも重い石が積まれていく。

しかし寺地は、ただ学校や大人社会を告発するだけでは終わらない。椿自身もまた、「良い姉」「良い保護者」であろうとするあまり、自分の感情を後回しにしていることに気づいていく。朔と一緒に泣きたくなる夜、怒鳴ってしまったあとに自分を責める朝。その揺れを、「それでもあなたはダメな大人じゃない」と肯定する視線がある。

子育てをしている人には、あまりにも現実に近くて読むのがつらい場面もあるかもしれない。それでも、読み終わるころには、「良い子」や「良い親」という言葉を少し疑ってみる勇気が出てくる。子どもの側で読めば、「大人だって完璧じゃない」と知るきっかけにもなる。

12. やわらかい砂のうえ

砂丘の町で育ち、大阪の税理士事務所で働く24歳の万智子が主人公。許容範囲が狭く、他人から「めんどくさい」と思われがちな彼女が、恋愛と仕事、自分の「美しさ」と向き合っていく物語だ。

万智子は、読者によっては「わかる」と共感され、別の読者には「こういう人、職場にいる」と少し距離を置かれるタイプかもしれない。しかし寺地は、その「めんどくささ」の奥にある真面目さと優しさを、ていねいに描き出していく。彼女が初めて彼氏と付き合い、些細な行き違いでこじれてしまう過程は、「ああ、あるある」と顔を覆いたくなる。

ウェディングドレスサロンのアルバイト先で出会う年上の女性たちがまたいい。彼女たちの言葉は、自己啓発書のようなキラキラしたアドバイスではない。もっと生活に根ざした、「人にどう見られるかより、自分が自分をどう見るか」の話だ。その会話を通じて、万智子が少しずつ「やわらかい砂のうえ」を歩けるようになっていく。

自分の容姿や性格にコンプレックスがある人には、かなり刺さる一冊だと思う。「美しくなる」とは、誰かの理想に近づくことではなく、自分のまま世界と向き合う力を得ることだと、この本は繰り返し伝えてくる。

13. ミナトホテルの裏庭には

大正末期に建てられた宿泊施設「ミナトホテル」を舞台にした連作長編。祖父の旧友・陽子さんのわがままを叶えるべく、ホテル裏庭の鍵探しを依頼された若者・芯輔を軸に、「わけあり」の客たちの物語が交差していく。

この本が特別なのは、「わけあり」の人たちが、誰も劇的に変わらないところだ。大きなカタルシスや改心はない。けれど、ミナトホテルの裏庭で行われる集まりや、一周忌の席で交わされる言葉が、彼らの中に小さな変化を残していく。その「小ささ」の描き方が、寺地らしくてたまらない。

裏庭の鍵、ホテルの猫「平田カラメル」、風船が空に飛んでいく描写など、象徴的なモチーフがいくつも配置されているのに、それが決して大げさな「感動シーン」として消費されない。むしろ、読者が自分の人生の中の似た光景を思い出せるような余白を残してくれる。

家族とも仕事とも違う、第三の居場所を求めている人には、このホテルの空気が心地よく感じられるはずだ。自分にも、人生のどこかでふと立ち寄った「ミナトホテル」があったのではないか、と振り返りたくなる。

14. 雨夜の星たち

「他人に感情移入できない」ことを長所として生きる26歳の女性・三葉雨音が主人公。彼女は、病院送迎やお見舞い代行などを行う「お見舞い代行業」にスカウトされ、移動手段のない高齢者たちを車で運ぶ「しごと」を始める。

三葉は、いわゆる「空気が読めない人」だ。依頼人に対しても、「察することはありません」ときっぱり宣言し、「普通はこうするでしょ」という暗黙の了解には従わない。そのスタンスは、ときに冷たく見えるが、同時にとても誠実でもある。誰かの感情を勝手に推測せず、「してほしいことは言葉で伝えてほしい」と求める姿勢は、ケアの現場における重要な視点でもある。

読者の多くは、「空気を読む側」で生きてきた経験があるだろう。だからこそ、三葉の生き方に最初は戸惑う。しかし読み進めるうちに、「空気が読めない人」がいることで、むしろ救われている場面がたくさんあることに気づかされる。感情移入できないからこそ、必要以上に抱え込まないし、依頼人の自立も尊重できる。

「周りに合わせるのがしんどい」「察して動くことに疲れた」と感じている人には、三葉の存在が強い味方になる。雨夜に浮かぶ星のように、見えにくいけれど確かにある光を、丁寧に描いた作品だ。


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15. 白ゆき紅ばら

グリム童話「白雪姫」ではなく、「白ゆき紅ばら」をモチーフにした長編。行き場のない母子を守る施設「のばらのいえ」で育った祐希と紘果という二人の少女の30年にわたる関係を描く。表向きは「かわいそうな子どもを救う」施設だが、その愛と理想と正しさが、やがて彼女たちの人生を歪めていく。

この作品は、読んでいて決して楽ではない。大人たちは皆、「愛」を行動原理にしている。だからこそ厄介で、誰もが「これは子どものため」「家族のため」と信じているがゆえに、取り返しのつかないことをしてしまう。その構図が、あまりにも現実的で、ページをめくる手が何度も止まった。

ただし、寺地は「歪んだ愛」を糾弾するために物語を書いてはいない。むしろ、「人はかならずまちがえる。その事実に救われる人間もいる」という視点を提示している。完璧な大人や親はいない。間違えながらも、そこで立ち止まって考え直すことができるかどうかが大事なのだと、物語全体が訴えている。

児童養護施設やシェルターに関心がある人にとっても、刺激的な一冊になるだろう。支援の現場にいる人ほど、自分の「正しさ」が暴走しないよう、何度も読み返したくなる作品だ。

16. こまどりたちが歌うなら

小さな製菓会社「吉成製菓」に転職してきた事務員・茉子を主人公に、「見えないルール」と働き方を描く長編。サービス残業、女性だけのお茶くみ、パワハラ気味の上司など、現代の職場にありがちな問題がこれでもかと詰め込まれているが、読み心地は不思議と明るい。

茉子は、前職の人間関係に疲れ果て、親戚のコネで入社した身だ。「コネの子」と陰で言われてもいる。そうした微妙な立場ゆえに、会社の「当たり前」に違和感を覚えつつも、声を上げることに躊躇する。その逡巡の描写がリアルで、「自分ならどうするだろう」と何度も考えさせられた。

面白いのは、問題提起がすべて正面からの告発ではないところだ。茉子はときに迂闊なことも言うし、周囲の事情を理解しきれないまま突っ走ってしまうこともある。それでも、「これはおかしい」と感じたことを無かったことにせず、同僚たちと少しずつ対話を重ねていく。その積み重ねの末に起きる小さな変化が、読んでいて胸にじんとくる。

「働き方改革」という言葉にうんざりしている人ほど、本書を読んでほしい。法律や制度の話の前に、職場の空気を作っている一人ひとりの感覚が変わることの大切さを、物語として受け取れるからだ。

 

17. 架空の犬と嘘をつく猫

「嘘吐きの家系」と呼ばれる羽猫家の30年を描いた長編で、映画化も決まっている注目作。3人目の子どもを亡くしたことを受け入れられず、空想の世界に閉じこもる母。愛人の元へ逃げる父。思いつきで「遊園地をつくる」と夢を語る祖父、骨董屋で「嘘」を売る祖母。嘘と嘘つきが大嫌いな姉と、母のために嘘の手紙を書き続ける長男・山吹。彼らの姿を通して、「嘘」と「家族」の関係がえぐるように描かれる。

この作品が恐ろしいのは、羽猫家の嘘が、どれも「誰かを守るため」に始まっていることだ。母を壊さないため、家族をバラバラにしないため、今の生活を維持するため。動機は一見善良なのに、その積み重ねが誰かを確実に傷つけていく。読者は、どこかで自分も同じような嘘をついてきたのではないかと、背筋が冷たくなる。

一方で、寺地は嘘そのものを悪と断じてはいない。真実をそのまま押しつけることが、必ずしも正義ではない場面もある。大事なのは、「なぜその嘘を選んだのか」「その嘘によって誰が守られ、誰が傷ついているのか」を見つめることだと、物語を通して問いかけてくる。

家族との関係に、言えないことや隠していることがある人にとって、この作品は痛いほど刺さるだろう。読後、家族にかけてきた「大丈夫」という言葉を、一度心の中でひっくり返してみたくなる。

18. 声の在りか

パート帰りの主婦・希和が、小4の息子・晴基の字にそっくりな「こんなところにいたくない」という短冊を見つけるところから始まる物語。本人に問いただすことも、夫に相談することもできないまま、希和は息子が出入りしている民間学童「アフタースクール鐘」で働き始める。

保護者のLINEグループ、学童のママ友、夫とのコミュニケーション…。希和の周りには「こう言うべき」「こうするべき」という空気が絶えず流れている。彼女はそれに合わせようとして、自分の「声」をどこかに置き忘れてしまった。そんな彼女が、子どもたちや経営者・要との関わりの中で、少しずつ自分の言葉を取り戻していく。

この作品がリアルなのは、「自分の意見を言おう!」と一念発起して劇的に変わるのではなく、失敗しながら、ごまかしながら、それでもちょっとずつ言葉を変えていくところだ。最初のうちは、「そんな言い方しかできない自分」に読者ももどかしさを覚えるが、その不器用さこそが現実だと気づかされる。

日常に息苦しさを感じている人、自分の言葉が誰かの受け売りばかりだと感じる人に、この本はじんわり効いてくる。声は、急にドラマチックに見つかるものではなく、日々の小さな選択の中で少しずつ形を成していくのだと教えてくれる。

19. ナモナキ生活はつづく

「食べて眠って働いて……」という、名もなき日常をすくい上げたエッセイ集。洗濯機を回しながら野菜を刻み、鍋を見張りつつ掃除機をかけるような生活を送る人に向けて書かれている。人気小説家・寺地はるなの初のエッセイ本だ。

小説とは違うが、語り口は紛れもなく寺地ワールドそのものだ。イマジナリー家政婦「エネルギッシュ敏子」、心にたまる負の感情=負ポイントをいかに減らすかを考える「悲しいポイ活」、お酒をやめてみた日々の記録など、タイトルを眺めているだけで少し笑ってしまう。

読んでいて嬉しくなるのは、「やる気が出ない」「家事やりたくねえよぉ」と嘆く自分を、寺地自身が率先して肯定しているところだ。完璧な暮らしを目指さなくていい。片づいていない部屋も、「わしゃ気にせんよ」と言えるようになるための具体的な工夫が綴られている。

小説で寺地作品を好きになった人が読むと、「この人はこういう生活をしながら、あの物語を書いていたのか」と距離がぐっと縮まる。日々の生活に押しつぶされそうなとき、エッセイの一篇だけ読んで寝る、という使い方もできる一冊だ。

20. 世界はきみが思うより

2025年刊行の最新作。ある出来事がきっかけで、他人が作った料理を受け付けなくなってしまった高校生・冬真と、「きれいなものが好き」なあまり、太ることへの強い嫌悪感を抱える社会人・紗里、それぞれの物語が交錯する。

冬真は、同級生・時枝くんの家に「難病を抱えた美少女の妹がいる」という噂を聞き、半ば冷やかしのような気持ちで訪ねていく。その出来事がきっかけで、他人が作った料理に対する彼の拒否感は、自分自身や他人への信頼とも深く結びついていることが明らかになっていく。

一方、国際交流プラザで働く紗里は、自分が撮影した写真が原因で時枝くんを傷つけてしまったことを知り、「罰」としてマッチングアプリを始める。その行為自体は自罰的だが、出会う人々との関わりの中で、彼女もまた「きれいさ」への偏った価値観を問い直していく。

世界への信頼を失った若者たちが、他者と関わることを通して、世界を少しだけ「ましな場所」として再発見していく過程が、とても丁寧に描かれている。SNSや噂話、写真といった現代的なモチーフを扱いながらも、根っこにあるのは、「自分が見ている世界がすべてではない」という、静かな気づきだ。


関連グッズ・サービス

本を読んだ後の学びを生活に根づかせるには、生活に取り入れやすいツールやサービスを組み合わせると効果が高まる。

  • 寺地作品の多くは電子書籍化されているので、すきま時間に読みたい人はサブスクを活用すると楽になる。

    Kindle Unlimited

    何冊も並行して読みたくなるタイプの人は、とくに相性がいい。
  • 家事や通勤の合間に物語の世界に浸りたいなら、音声読書サービスも相性がいい。ハードなテーマの作品でも、声で触れると不思議と入りやすい。

    Audible

    を入れておくと、「洗濯物をたたむ時間=読書時間」に変えられる。
  • 紙の本が好きでも、家に置くスペースが限られている人には、専用の電子書籍リーダーが便利だ。画面の光が柔らかい端末を使うと、就寝前でも目が疲れにくい。寺地作品のように「寝る前に一章だけ読みたい」本と相性がいい。
  • 『今日のハチミツ、あしたの私』を読んだあとに、少し良い蜂蜜を一瓶だけ常備しておくと、現実のキッチンで物語の余韻を味わえる。パンに塗るたびに、主人公が棚の前で悩んでいた場面を思い出す。
  • 『カレーの時間』や『川のほとりに立つ者は』を読んだ夜には、レトルトでもいいのでカレーを作ってみると、「誰と食べるか」「どんな会話を交わすか」が急に大事に思えてくる。そういう小さな儀式を持つと、読書体験が生活の中に定着しやすい。

まとめ|気分別・最初の一冊ガイド

寺地はるなの小説は、大声で人生を変えようとはしない。その代わりに、仕事帰りの疲れた身体や、台所に立つときのため息にそっと寄り添ってくる。読み終えたとき、世界が劇的に美しく見えるわけではないが、「明日もなんとかやっていけそうだ」と思える。その感触が、何よりの贅沢だ。

たくさん紹介してきたので、最後に「今の自分」に合わせた入口をいくつか挙げておく。

  • 気分で選ぶなら:『ほたるいしマジカルランド』『タイムマシンに乗れないぼくたち』
  • じっくり読みたいなら:『川のほとりに立つ者は』『白ゆき紅ばら』『架空の犬と嘘をつく猫』
  • 仕事や職場にモヤモヤしているなら:『こまどりたちが歌うなら』『雨夜の星たち』『ガラスの海を渡る舟』
  • 子育て・家族に悩んでいるなら:『わたしの良い子』『大人は泣かないと思っていた』『声の在りか』
  • まずは軽めに触れたいなら:短編集『タイムマシンに乗れないぼくたち』やエッセイ『ナモナキ生活はつづく』

どの一冊から入っても、きっとどこかのページで、自分の生活とぴたりと重なる瞬間がある。そのときに浮かんだ感情を、どうか「たいしたことない」と流さず、少しだけ味わってほしい。そこから先の生活を、寺地の物語と一緒に編み直していけるはずだ。

FAQ

Q1. 寺地はるな初心者には、本当にどれから読むのがいちばんいい?

物語としての濃さと読みやすさのバランスで言えば、『川のほとりに立つ者は』か『水を縫う』が入口としてちょうどいい。前者は現在の代表作として、寺地のテーマが凝縮されているし、後者は家族とジェンダーの問題を通して、彼女の「他者へのまなざし」がよくわかる。短編や軽めのものから入りたいなら『タイムマシンに乗れないぼくたち』でもいい。

Q2. 重いテーマが多そうで不安。読後に落ち込んだりしない?

確かに、発達障害、虐待、貧困、職場のハラスメントなど、テーマだけ並べると重い。ただし、寺地作品には必ず「それでも人は誰かを思いやれる」という希望が一本通っている。読んでいる最中に胸が痛くなる場面はあるが、突き放されたまま終わることはない。しんどいと感じたら、短編やエッセイ『ナモナキ生活はつづく』をはさみながら、自分のペースで読めば大丈夫だ。

Q3. 仕事や家事で時間がないけれど、寺地作品を継続的に読みたい。

一度に何十ページも読まなくても、寺地の文体は「すきま読書」と相性がいい。通勤電車で1章だけ、寝る前に10ページだけ、といった読み方がしやすい。電子書籍や音声サービスを組み合わせると、台所や洗濯物の前でも物語に触れられるので、「読書のための特別な時間」をわざわざ作らなくていい。

Q4. エッセイ『ナモナキ生活はつづく』は、小説と比べてどう違う?

小説が「誰かの人生に寄り添う」ものだとしたら、エッセイはもっと直球で、寺地自身の生活に寄り添ってくれる。名もなき家事やしんどさを、ユーモアを交えて言葉にしてくれているので、「こんなふうに思っていいんだ」と肩の力が抜ける。小説と行ったり来たりしながら読むと、作家本人の視点とフィクションの行き来が見えて面白い。

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