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【森見登美彦おすすめ本】『夜は短し歩けよ乙女』から始める必読17冊【代表作まとめ】

観光ガイドに載っている京都とは別に、路地の陰や鴨川のほとりに、もうひとつの京都があるのではないか――そんな気配を濃密に感じさせてくれるのが、森見登美彦の小説だ。阿呆な大学生の迷走、黒髪の乙女への片想い、狸や天狗や得体のしれないケモノたち。現実と妄想の境界がゆらぎ、読み終えたあとには、日常の風景まで少し違って見えてくる。

この記事では、デビュー作から最新作まで、森見作品の核心を味わえる主要作を一気にたどっていく。初めて読む人が最初の一冊を選ぶためにも、すでにファンの人が読み返しの順番を考えるためにも使えるよう、作品ごとの読みどころと「どんな読者に刺さるか」を丁寧に言葉にしてみた。

 

 

森見登美彦とは? ― 京都と妄想が生む「森見ワールド」

森見登美彦は1979年、奈良県生まれ。京都大学農学部を卒業し、同大学院農学研究科で修士号を取得したのち、2003年に『太陽の塔』で日本ファンタジーノベル大賞を受賞してデビューした作家だ。

作品の多くは京都を舞台にしている。下宿の四畳半、鴨川デルタ、下鴨神社、祇園祭の宵山――観光地として知られた風景を、大学生たちの妄想や狸・天狗・ケモノが跋扈する「異界」として描き直すことで、独特のマジックリアリズムを確立してきた。

代表作としては、並行世界のキャンパスライフを描く『四畳半神話大系』、黒髪の乙女への恋心をコミカルかつロマンチックに描いた『夜は短し歩けよ乙女』、タヌキ一家が暴れまわる『有頂天家族』、小学生の視点からSF的な謎に迫る『ペンギン・ハイウェイ』などが挙げられる。いずれも、山本周五郎賞、日本SF大賞、本屋大賞上位など、文学賞と読者人気の両方を獲得してきたものばかりだ。

初期には「阿呆な京大生の妄想」を前面に出した青春小説が多かったが、のちには怪談色の強い『夜行』や、メタフィクション色の濃い『熱帯』のように、物語そのものの構造を問い直す野心的な長編へと広がっている。作品ごとにテイストが変わりながらも、どこかユーモラスで人懐っこい語り口と、「どうしようもない阿呆さ」を抱えた人間へのまなざしは一貫しているところが、森見作品の大きな魅力だ。

森見登美彦おすすめ作品レビュー

1. 夜は短し歩けよ乙女

京都の大学を舞台に、黒髪の乙女と、彼女に片想いする「先輩」の一夜一夜を描いた長編小説。山本周五郎賞を受賞し、本屋大賞でも2位に輝いた、まさに森見マジックの代表作だ。

物語は、酒場をはしごする夜、大学祭の夜、古本市の夜、冬の夜と、四つの「夜」のエピソードに分かれている。それぞれに奇妙な古本市の神様や、謎の紳士・李白さん、下鴨神社の古本市を舞台にした大騒動などが登場し、現実の京都と、妖しい異界が緩やかに重なり合っていく。

視点が面白いのは、黒髪の乙女パートでは世界が朗らかに開かれているのに、先輩のパートでは、ひたすら「彼女の目に留まりたい」という下心と妄想が暴走しまくるところだ。恋心のどうしようもなさを、これほど笑いと優しさで包み込んだ小説はなかなかない。先輩の片想いの痛々しさに笑いながらも、ふと自分の青春の黒歴史がチクリと疼く。

「恋愛小説」と聞いて身構える人ほど楽しめる一冊でもある。甘さよりも、馬鹿馬鹿しさと執念深さが前に出るので、恋愛経験が豊富でなくても、むしろ「報われない側」の気分に心当たりがある人のほうが、先輩の行動に妙な共感を覚えてしまうはずだ。

アニメ映画や漫画版もあるが、まずは小説で、あの文体のリズムと長い比喩を味わってほしい。京都の夜にふらりと出かけてみたくなるし、久しぶりに大学の古本市をのぞきたくもなる。読み終えたあと、街灯の下を歩くときに、黒髪の乙女が角を曲がって現れそうな気配が、かすかに残る。

2. 四畳半神話大系

同じく京都の大学を舞台に、「もしあのとき別のサークルを選んでいたら」という並行世界を四パターン描く青春迷走ファンタジー。語り手の「私」は、毎回「バラ色のキャンパスライフ」を夢見るのだが、なぜかいつも悪友の小津に巻き込まれ、奇妙な事件と失恋にまみれて終わってしまう。

四つの章は、それぞれ映画サークル、ソフトボールサークル、秘密結社、サイクリングサークル……と違う看板を掲げているのに、登場人物の顔ぶれは微妙に変わらない。読者は「またか」と呆れつつも、「今度こそ違う結末にたどり着いてほしい」と、いつしか主人公の選択を見届ける立場に巻き込まれていく。

この「何度やり直しても、根っこの阿呆さが変わらない」という構造が、大学生活の普遍的な手触りを巧みにすくい取っている。サークル選びに失敗した記憶がある人や、「あの頃もっと行動していれば」と悔やんだことがある人には、笑いと同時に強烈な既視感を呼び起こすはずだ。

アニメ版のイメージが強い作品だが、原作小説は言葉のテンポが鋭く、比喩や長台詞の妙味をじっくり味わえる。四畳半という窮屈な空間を、これほど豊かな宇宙に変えてしまう筆力に驚かされる一冊。人生の選択肢にぐるぐるしている人にこそ、お守り代わりに勧めたくなる。

3. 太陽の塔

日本ファンタジーノベル大賞を受賞したデビュー作。京都の男子学生が、別れた恋人「かがりさん」への執着と妄想に取り憑かれ、友人たちと奇妙な日々を送る物語だ。

ストーリーだけ追えば、失恋した青年が過去を引きずり続ける話なのだが、その描写の仕方がとにかく偏屈でねじれている。主人公は自己憐憫と自虐が大好物で、読んでいるこちらが「そこまで言わなくても」と苦笑したくなるほど、自分の惨めさを語り続ける。そのくせ、彼なりのプライドとロマンチシズムが全ページに染み込んでいて、気がつけばこの面倒くさい青年の視点にすっかり慣らされてしまっている。

森見作品のなかでも、とくに「自意識のこじらせ具合」を生々しく味わえる一冊だと思う。大学時代に世界が手に負えないほど大きく感じられた人、自分の人生がどこか茶番じみていると感じてしまった人には、笑いながらも刺さるところが多いはずだ。

現在の洗練された森見ワールドから入った読者が読むと、「こんなに剥き出しで荒々しい時期があったのか」と驚かされるかもしれない。逆に言えば、この不格好な情熱があったからこそ、その後の作品で京都や妄想があそこまで自在に操れるようになったのだと感じさせる、原点のような一冊だ。

4. ペンギン・ハイウェイ

舞台はとある郊外の町。主人公は「将来は偉い研究者になる」と宣言している小学四年生のアオヤマ君だ。ある日その町に、突然ペンギンたちが出現する。海もない場所なのに、どこから来たのか分からないペンギンたち。そして、アオヤマ君が通う歯科医院のお姉さんが、ペンギンと不思議な関係にあるらしい――。日本SF大賞を受賞した長編SFであり、ひと夏の成長物語でもある。

アオヤマ君は、観察と記録を何より大事にする理系少年だ。彼の目を通して描かれる世界は、奇妙な現象も冷静に分析の対象として扱われる。そのクールさが、かえって物語の切なさを増幅させる。お姉さんとの距離感、クラスメイトとの微妙な関係、そして世界の成り立ちへの好奇心。そのすべてが、ある一点で静かに収束していくラストには、子ども時代の終わりの眩しさと寂しさが同時に押し寄せてくる。

森見作品にありがちな「阿呆な大学生」はここには出てこないが、代わりに「世界を理解しようとするあまり、感情を置き去りにしがちな少年」が、独特のユーモアと観察眼で描かれている。理科や天文が好きだった子ども時代を持つ人には、アオヤマ君のノートの書き込みや実験の様子に、深い共感を覚えるはずだ。

映画化もされているが、小説のほうが「言葉で世界を分解しようとする」アオヤマ君の思考回路が丁寧に描かれていて、森見らしい文体の遊びも堪能できる。SFが苦手な人でも読みやすい、やわらかな入口の一冊。

5. 有頂天家族

「面白きことは良きことなり」という開高健の言葉をモットーにする、下鴨神社近くの狸一家が主人公の長編小説。京都では古来より狸と天狗が人間に紛れて暮らしており、狸たちは「金曜倶楽部」と呼ばれる人間たちに時折鍋にされてしまう――そんな設定をベースに、亡き父の遺志を継いで騒ぎを起こす四兄弟の活躍が描かれる。

長男の矢一郎は責任感はあるが堅物、次男の矢二郎は蛙になって井戸に引きこもり、三男の矢三郎は阿呆で人たらし、末っ子の矢四郎は能天気。彼らが天狗の先生や人間の美女・弁天に翻弄されながらも、父の死の真相や狸社会のしがらみに向き合っていく様子は、どこまでも賑やかで、しかし時に胸に刺さる。

擬人化された狸たちの姿を借りて描かれているのは、家族の継承や、世代交代の苦さでもある。自分の父親の背中を追いかけたいのに、どうしても同じにはなれない。その切なさと、それでも「面白きこと」を選ぼうとする矢三郎たちの明るさのバランスが、この作品の温度を決めている。

家族ものが好きな人、京都の町を舞台にした群像劇が好きな人には、まず真っ先に勧めたい一冊。有頂天家族シリーズはアニメ化・舞台化もされており、他メディアから入った人が原作に戻って読むと、細かな心情描写の豊かさに驚かされるはずだ。

6. 熱帯

「気がつくと最後まで読み終えているのに、内容をまったく思い出せない奇書『熱帯』」。この一文から始まる長編は、行方の分からない本『熱帯』を追い求める人々の連鎖を描きながら、やがて「物語とは何か」という根源的な問いに行き着く、実験的なメタフィクションだ。

東京、京都、そしてどこか遠くの南国を思わせる島へ。登場人物たちは、それぞれの人生の行き詰まりや喪失を抱えながら、『熱帯』のページを開く。そのたびに、現実と物語の境界がふっと曖昧になり、自分がいまどちら側にいるのか分からなくなる。読み手のこちらも、いつの間にか彼らと同じ「物語の迷路」に迷い込んでいる感覚を味わうことになる。

森見作品らしい軽妙さは抑えめで、密度の高い読書体験を求める人向けの一冊だと思う。ページを遡って読み返したくなる箇所が多く、読み終えてすぐに「もう一度最初から」という気分にさせられる。物語論やメタフィクションが好きな人、あるいは「本に人生を翻弄されてきた」と自覚のある人には、とくに手ごたえのある長編だ。

「京都×妄想キャンパス小説」だけが森見作品だと思っている人にこそ読んでほしい、作家としての野心がむき出しになった一冊でもある。

7. 新釈 走れメロス 他四篇

太宰治「走れメロス」や中島敦「山月記」など、近代文学の名作を、現代京都の学生生活に置き換えて再構築したパロディ短編集。原典を知っているとニヤリとする仕掛けが満載だが、知らなくても一冊のコメディとして十分楽しめる構成になっている。

たとえば「走れメロス」は、サークル活動やバイトに追われる学生たちの人間関係として描き直されるし、「山月記」は、プライドの高い青年の自意識の暴走として再解釈される。原作の核となるテーマ――友情の信頼や、名誉と自己嫌悪――は保ちつつ、そこに森見節の冗長なモノローグと、京都の日常風景がねじ込まれていくのが面白い。

国語の教科書で読んだときにはピンとこなかった古典が、不意に身近な話として迫ってくる感覚がある。学生時代に文学部の講義をさぼった記憶のある人ほど、今読むと「ちゃんと読んでおけばよかった」と苦笑しながら楽しめるはずだ。

原典への入口としても優秀で、この本をきっかけに太宰や中島敦を読み返す読者も多い。文学史の敷居をさりげなく下げてくれる、一粒で二度おいしい短編集だ。

8. 恋文の技術

能登半島の実験施設に「左遷」された若き研究者・守田一郎が、友人や恩師、後輩、元恋人などに手紙を書きまくる「文通武者修行」の記録。全編が手紙だけで構成された書簡体小説でありながら、読み進めるうちに、彼の一年間の成長と恋愛模様が立体的に浮かび上がってくる。

守田の手紙は、最初のうちは自己演出に満ちている。相手ごとに文体を変え、いかにも「味のある手紙」を書いてやろうと張り切っているのだが、その頑張りが空回りしていることが読者には丸見えで、そこがまず可笑しい。ところが、職場の人間関係や恋愛の行方が少しずつ揺れ始めるにつれ、手紙の文章にも、彼の本音や弱さがにじみ出てくる。

手紙というメディアは、メールやSNSとは違って、書いている時間がそのまま思考の時間にもなる。森見はその時間の流れを巧みに物語のなかに織り込み、手紙を書き続けることでしか自分を見つめ直せない男の姿を描き出す。文通の経験がない世代でも、「誰か一人を思い浮かべて言葉を選ぶ」感覚には、どこか懐かしさを覚えるのではないか。

森見作品のなかでは比較的「現実寄り」だが、そのぶん、社会人一歩手前の不安や、地方に飛ばされたときの孤独がリアルに響く。手紙を書くことが好きな人、あるいは最近あまり長文を書いていないと感じている人に、静かに刺さる一冊だ。

 

9. 夜行

鞍馬の火祭の夜に突然姿を消した女性・長谷川さん。10年後、彼女と一緒に旅をしていた仲間たちが再会し、それぞれが「夜行」と題された絵との奇妙な体験を語り合う――という枠物語のなかに、五つの怪奇譚が収められた連作怪談集。直木賞や本屋大賞の候補にもなった。

一編一編は、鉄道の夜行列車、霧深い宿場町、奇妙な喫茶店など、どこか見覚えのある風景から始まる。しかし物語が進むにつれて、空間の歪みや時間のズレがじわじわと広がり、「気づくと帰り道が分からなくなっている」ような心もとない感覚に誘われる。ホラーとして血なまぐさい描写は少ないが、その分、読後にふとした暗がりが怖くなるタイプの怖さだ。

森見作品の軽やかなイメージを持って読むと、いい意味で裏切られる。阿呆な大学生も狸も出てこない代わりに、「行方知れずになってしまった人間との距離」をめぐる繊細な感触が描かれている。失踪ものや怪談が好きな人だけでなく、人付き合いのなかで「ふとした拍子に誰かが遠くへ行ってしまう」経験をしたことがある人には、静かに痛い一冊だ。

読み終えたあと、自分の過去の旅や、夜行列車の記憶を思い返してしまう。あのとき同じ車両に乗っていた見知らぬ誰かは、今どこで何をしているのか――そんな問いが、じんわりと立ちのぼるような本だ。

10. きつねのはなし

古道具店の主から風呂敷包みを託された青年が訪れた奇妙な屋敷「きつねのはなし」、物語を語ることに長けた青年を描く「果実の中の龍」、ケモノに魅入られた少女と幼なじみの少年の「魔」、通夜の後の酒宴と「家宝」をめぐる「水神」。四つの短編がゆるやかに響き合い、闇の気配と水のイメージに満ちた「京都奇譚集」を形作る一冊だ。

森見作品というと、コミカルな大学生の物語を思い浮かべる人が多いかもしれないが、この本はまったく別のトーンを持っている。語り手たちはみな何かを喪っており、日常の片隅からじわじわと異界に引き寄せられていく。狐面やケモノの気配、水の音など、具体的なモチーフが繰り返し現れるのに、最後まで「何が起きているのか」ははっきりとは説明されない。その曖昧さが、かえって読者の想像力を刺激する。

怖さの質も、いわゆるホラーとは少し違う。読んでいる最中よりも、読み終えたあとに、夜道や風の音がいつもより濃く感じられるような怖さだ。京都という町の古さや、路地の暗がりに潜む気配を、一度でも実際に歩いたことがある人なら、ページをめくる手が自然と慎重になるはずだ。

明るい森見作品しか知らない人には、「こんな顔もあったのか」と新鮮な驚きがある。怪談や不条理な物語が好きな人、説明されすぎない物語に惹かれる人に、ぜひ夜ではなく昼間に(あるいは、あえて真夜中に)読んでほしい短編集だ。

11. 聖なる怠け者の冒険

「週末は家でゴロゴロしていたい」だけの、ごく普通の社会人・小和田くんが、なぜか京都の街を騒がせる謎のヒーロー「ぽんぽこ仮面」の騒動に巻き込まれていく長編小説。本屋大賞候補にもなった作品で、『有頂天家族』世界とゆるやかにつながる設定も見どころだ。

物語の軸にあるのは、「怠けたい」という気持ちと、「社会にとって役立つ人間でなければ」というプレッシャーのせめぎ合いだ。小和田くん自身は、だらしなくて頼りない青年に見えるが、その目線を通すことで、京都の街を牛耳る謎の組織や、ぽんぽこ仮面騒動の裏側にある思惑が、ゆるゆると浮かび上がってくる。

おもしろいのは、「怠け者」であることが決して否定されないところだ。むしろ、よく働き、よく怠けるバランスをどう取って生きていくかが、物語の芯になっている。仕事で消耗している社会人にとっては、「こんなふうに情けなくていいのだ」と肩の力が抜けるような読後感がある。

『有頂天家族』や『四畳半』を読んでいるとニヤリとできる小ネタも多いので、ある程度森見作品に慣れたあとに読むとさらに楽しめる。日々にちょっと疲れた週末に、ソファに沈み込みながら読みたい一冊だ。

12. 宵山万華鏡

祇園祭の宵山を舞台に、複数の人物の視点から同じ夜を描き出す連作短編集。姉妹が山鉾を見物しに行く話や、宵山の夜にしか開かない不思議な店の話などが、万華鏡のように重なり合い、一夜の祭りを異様に濃密な時間として立ち上がらせている。

祭りの喧騒や華やかさの裏には、いつも少しだけ不穏な気配がある。この本はその気配を、怪談とまではいかないギリギリの線で描いていく。人混みのなかで迷子になったときの心細さや、ふと立ち寄った路地裏で感じる違和感――そうした感覚が丁寧に救い上げられていて、京都の夏の夜に独特の奥行きを与えている。

宵山の経験がある人が読むと、「あのじっとりした夜気」や「浴衣のすれ違う感触」がたちまち蘇るだろうし、行ったことがない人にとっても、「行ってみたい」と「ちょっと怖い」が同時に湧き上がるような読書体験になる。夏の夜に、冷たい飲み物を片手にゆっくり読みたい一冊だ。

13. シャーロック・ホームズの凱旋

ヴィクトリア朝の雰囲気をまといながら、森見流の「京都ホームズもの」として構築された長編。スランプに陥った名探偵ホームズと、その相棒ワトソンが、ある事件をきっかけに再び立ち上がるまでを描く。パスティーシュでありつつ、きちんと一つの物語として完結しているのが読みどころだ。

ドイル版ホームズへの愛情が随所に感じられる一方で、森見らしい冗長なモノローグや、現実と幻視のあわいが覗く描写もふんだんに盛り込まれている。原典に忠実であろうとしすぎるあまりに窮屈になってしまうパスティーシュとは違い、「ホームズとワトソンという二人が現代の森見ワールドに来たらどうなるか」を、かなり自由に妄想している印象だ。

ホームズ作品のファンなら、ニヤリとする小ネタを拾いながら読む楽しみがあるし、原典を知らなくても、「スランプからの再起」という普遍的なテーマとして読める。探偵ものや古典のリメイクが好きな人に、じっくり味わってほしい。

14. 有頂天家族 二代目の帰朝

『有頂天家族』の続編であり、下鴨家の狸兄弟たちが再び京都の街を駆け回る物語。タイトルにある「二代目」とは、赤玉先生の跡を継いだ新たな天狗のこと。彼の帰還によって、狸・天狗・人間のあいだに、さらにややこしい対立と同盟が生まれていく。

続編ということもあり、人物相関図はかなり込み入っているが、そのぶん、前作で築かれた関係性が、より深いところまで掘り下げられていく面白さがある。矢三郎たち兄弟それぞれの葛藤や、亡き父の影をどう受け止めるかといったテーマも、前作以上に色濃くなっている。

なにより、「面白きことは良きことなり」というモットーが、ますます重みを増して響いてくる。家族や仲間を守るために戦うことと、自分の阿呆さを貫くこと。その両立の難しさを、狸たちのドタバタを通して描くバランス感覚は、続編ならではの成熟だと思う。

前作が気に入ったなら、迷わずこちらにも手を伸ばしてほしい。シリーズ三作目以降への橋渡しとしても重要な一冊だ。

15. 四畳半タイムマシンブルース

劇団ヨーロッパ企画の名作舞台『サマータイムマシン・ブルース』と、『四畳半神話大系』がコラボした青春SFコメディ。ある夏の日、下宿のエアコンのリモコンが壊れてしまい、そこへ突然タイムマシンが現れる。彼らは昨日に戻ってリモコンを直そうとするのだが、行動の結果として時間軸はどんどんややこしいことに――という筋立てだ。

タイムトラベルものとしての緻密さと、四畳半シリーズの阿呆さが絶妙なバランスで同居しているのが楽しい。時間ものに付きもののパラドックスを、「まあいいじゃないか」と笑い飛ばしてしまう勢いがありつつ、細かい伏線や整合性もきちんと回収されるので、SFとしての満足度も高い。

『四畳半神話大系』を読んでいると、キャラクターたちの言動がより愛おしく見えるが、未読でも十分に楽しめる。夏のだらけた午後に、冷房の効いた部屋で読むと、そのまま物語の四畳半にもぐり込んだような気分になれる。

16. 四畳半王国見聞録

京都を舞台にした七つの短編からなる「四畳半並行世界」の連作短編集。四畳半という狭い空間を起点に、鉄道旅行や妄想世界、恋愛の迷路までが、さまざまなバリエーションで語られていく。

『四畳半神話大系』と世界観を共有しつつも、こちらは短編ごとに語り口もテーマもかなり異なる。精神の貴族を気取る青年や、行動力ゼロの男たち、どこかズレた恋人たちが、それぞれの四畳半から世界を眺めている様子は、時に滑稽で、時に胸が痛い。

一話ごとの完成度が高いので、通勤電車や寝る前の時間に一編ずつ味わう読み方もおすすめだ。大学時代の自分の部屋を思い出しながら読むと、あの狭い空間のなかでどれだけ大げさな妄想をしていたか、しみじみ思い出してしまう。

17. 美女と竹林

知人から任された竹林の管理に悪戦苦闘する日々を軸に、作家としてのスランプや妄想、日常の小さな事件を綴ったエッセイ集。「闇の中でケモノが笑う」ようなフィクションとは違うが、森見という作家の素の部分がのぞける一冊だ。

竹林という自然相手の仕事は、汗だくになりながらもどこか笑えてくるようなトラブルの連続だ。その顛末を、本人はいたって真面目に、しかし読み手にはどうしても笑いとして届いてしまう文体で綴っていく。そこに、締め切りやスランプの話、読書遍歴などが交ざり合い、森見ワールドの裏側がゆるやかに開示されていく。

小説のファンにとっては、「あの作品のあの部分は、こんな経験から生まれていたのか」とつながるところも多い。作家の生活や思考の裏側を覗き見したいタイプの読者には、とてもお得な一冊。肩ひじ張らずに読めるので、移動時間のお供にも向いている。

 

関連グッズ・サービス

本を読んだ後の森見ワールドを生活に根づかせるには、読書まわりの道具やサービスを少し整えておくと、京都の「異界」への通い方がぐっと楽になる。

まずは電子書籍読み放題のKindle Unlimited森見作品の多くは電子版も出ているので、紙で揃える前に「まずは一周してみたい」という人には相性がいい。夜行列車のなかやカフェなど、京都以外の場所でも四畳半世界にすぐ潜り込めるのがうれしい。

耳で本を味わいたいならAudible

も心強い。『夜は短し歩けよ乙女』や『ペンギン・ハイウェイ』のような作品は、声優の読み上げで聞くと、台詞のテンポやリズムがまた違って立ち上がってくる。散歩しながら京都の空気を妄想するのにもぴったりだ。

長時間の読書には、軽くて目に優しいKindle端末もあると便利だ。バックライトを落として布団に潜り込み、『宵山万華鏡』や『きつねのはなし』をこっそり読むと、現実の夜との境界がいい感じに曖昧になる。

さらに、京都の街歩きに備えて、歩きやすいスニーカーやシンプルなトートバッグを一つ用意しておくといい。実際に鴨川や下鴨神社を歩くとき、「今このあたりに狸がいるかもしれない」と想像するだけで、小さな旅行が物語の延長になる。

 

 

 

森見登美彦おすすめ本の読み方ガイド

森見作品は、どこから読んでもいいようでいて、入り口を間違えると「思ったより暗い」「ギャグだと思っていたら怖かった」と戸惑うこともある。ざっくり分けると、次のような系統がある。

  • 王道・森見ワールド入門編:『夜は短し歩けよ乙女』『四畳半神話大系』『太陽の塔』
  • ファンタジー寄り・家族もの:『有頂天家族』『有頂天家族 二代目の帰朝』『聖なる怠け者の冒険』
  • SF・少年小説寄り:『ペンギン・ハイウェイ』『熱帯』『四畳半タイムマシンブルース』
  • 怪談・ダーク寄り:『きつねのはなし』『宵山万華鏡』『夜行』
  • 文学パロディ・短編集:『新釈 走れメロス 他四篇』『四畳半王国見聞録』『大和撫子七変化』
  • エッセイ・舞台裏:『恋文の技術』『美女と竹林』

はじめてなら、まずは『夜は短し歩けよ乙女』か『四畳半神話大系』から入るのが無難だと思う。ここで森見節のリズムと阿呆な語りに慣れてから、少しダークな『きつねのはなし』や『夜行』に踏み込むと、同じ作者が書いているとは思えない振れ幅に驚かされるはずだ。

この記事では、上のグループを入り混ぜながら、読み味の違いも伝わるように順番に紹介していく。気になる作品があったら、あとで読み返しやすいように、各見出しに id を振っておいたので、ブックマーク代わりに使ってほしい。

まとめ ― 自分だけの「四畳半王国」を見つけるために

森見登美彦の作品を続けて読んでいると、自分のなかにも「四畳半王国」があることに気づく。大学時代の狭い部屋、夜行列車の薄暗い通路、真夏の宵山の雑踏、子どもの頃に歩いた住宅街の裏路地――そうした場所が、物語の記憶と結びついて、ひそやかな異界として立ち上がってくる。

軽やかな青春コメディから入りたいなら、『夜は短し歩けよ乙女』や『四畳半神話大系』から。じっくり物語の迷路に迷い込みたいなら、『熱帯』や『夜行』へ。京都の町と家族の温度を味わいたいなら、『有頂天家族』シリーズや『聖なる怠け者の冒険』がおすすめだ。

  • 気分で選ぶなら:『夜は短し歩けよ乙女』『有頂天家族』
  • じっくり読み込みたいなら:『熱帯』『夜行』『きつねのはなし』
  • 短時間で雰囲気を味わうなら:『新釈 走れメロス 他四篇』『四畳半王国見聞録』

どの一冊から始めても、読み進めるうちに、現実の風景に「ちょっとしたズレ」が生まれてくるはずだ。そのズレを面白がれるかどうかが、森見作品を楽しむ鍵になる。自分の生活のなかに、小さな四畳半王国をひとつ持つつもりで、気になる作品から手に取ってみてほしい。

FAQ ― 森見登美彦を読む前によくある質問

Q1. 初めて読むなら、どの一冊から入るのがいい?

いちばん無難なのは『夜は短し歩けよ乙女』だと思う。ラブストーリー、京都の風景、謎めいたキャラクター、森見節の文体――この作家の特徴がバランスよく詰まっている。もう少し群像劇寄りが好みなら、『四畳半神話大系』か『有頂天家族』でもいい。暗めの話が平気で、怪談が好きなら、あえて最初から『きつねのはなし』や『夜行』に飛び込んでしまうのもありだ。

Q2. アニメや映画だけ見ていても楽しめる? 原作を読むメリットは?

『四畳半神話大系』『有頂天家族』『ペンギン・ハイウェイ』『夜は短し歩けよ乙女』などは、アニメや映画の出来が非常によく、映像だけでも十分楽しめる。ただし原作には、キャラクターの内面をぐるぐると語る長いモノローグや、比喩の連射など、文章ならではの快感がある。映像で世界観に慣れてから原作に戻ると、「ここまでうるさい頭のなかだったのか」と二度おいしい体験になるはずだ。

Q3. 森見作品はどれもつながっていると聞くけれど、全部読まないと分からない?

たしかに『有頂天家族』と『聖なる怠け者の冒険』のように、作中で同じ酒や組織が登場したり、『四畳半』と『四畳半王国見聞録』のように、世界観を共有している本は多い。ただし、基本的にはどの作品も単独で楽しめるように書かれているので、「全部読まないと分からない」ということはない。むしろ、いくつか読んだあとで「あ、このキャラクター前にも出てきた」と気づく瞬間がご褒美のようなものだ。

Q4. 電子書籍やオーディオブックで読むのはアリ?

むしろ相性がいいと思う。電子書籍なら、気になったフレーズにハイライトを入れながら、森見節をコレクションしていけるし、オーディオブックなら台詞回しのテンポの良さが際立つ。すでにどちらも対応作品が増えているので、通勤中や家事の合間に森見ワールドへ出入りしたい人は、

Kindle UnlimitedAudibleと組み合わせて使うと、読書のハードルがぐっと下がるはずだ。

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