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【伊坂幸太郎おすすめ本20選】読むならこの10冊+代表作も総まとめ|泣いて笑って世界をちょっと好きになる

軽妙で笑えるのに、最後には胸の奥を静かに殴ってくる小説が読みたくなるときがある。そんなとき、真っ先に思い浮かぶ作家のひとりが伊坂幸太郎だ。どんなに物騒な設定でも、人間を信じたくなる温度がかならず残る。このページでは、はじめて読む人から長年のファンまで楽しめる定番作を中心に、代表作とシリーズ作品をまとめて紹介していく。

 

 

伊坂幸太郎とは?

伊坂幸太郎は1971年千葉県生まれ、東北大学法学部卒。仙台在住で執筆を続けている作家だ。1996年に「悪党たちが目にしみる」でサントリーミステリー大賞佳作を受賞しデビュー。その後『オーデュボンの祈り』、『ラッシュライフ』などで注目され、『ゴールデンスランバー』で本屋大賞と山本周五郎賞の二冠を達成した。

特徴的なのは、「ザッピング」と呼ばれる多視点構成や、作品同士をゆるやかにクロスオーバーさせる世界観だ。別の小説で出会ったキャラクターがふいに顔を出し、過去に読んだ物語の影が現在のシーンを照らす。殺し屋シリーズや、死神・千葉の登場する作品群など、シリーズ作も多いが、どこから読んでも単体で楽しめるバランスの良さがある。

テーマは、家族や友情といった温かなものから、政治、暴力、テロリズムまで幅広い。ただ、どんなに過酷な状況でも、ユーモアとポップカルチャー(音楽や映画、小ネタ)が空気穴のように差し込まれていて、「世界はまだ捨てたものじゃない」と読者に思わせてくれる。その感覚こそが、伊坂作品を読み続けたくなる最大の理由だと思う。

伊坂幸太郎おすすめ本10選

1. ゴールデンスランバー

首相暗殺事件の濡れ衣を着せられた宅配ドライバー・青柳雅春が、巨大な陰謀に追い詰められながら逃げ続ける長編サスペンス。本屋大賞と山本周五郎賞をダブル受賞し、『このミステリーがすごい!』国内編1位も獲得した、まさに「その時点での集大成」と評された一冊だ。

物語の軸はとてもシンプルで、「俺はやっていないのに、世界中が犯人扱いしてくる」という悪夢のような状況から始まる。青柳はヒーロー体質でもなければ、特別に賢いわけでもない。ただの「良い人」だ。その男が、旧友や元恋人、昔のサークル仲間に支えられながら逃げていく。その過程で、学生時代の思い出やビートルズの楽曲が、現在の逃亡劇ときれいに重なっていく構成が鮮やかだ。

読んでいて驚くのは、700ページ近いボリュームがほぼ息継ぎなしで読めてしまうことだと思う。陰謀の手触りは冷酷なのに、ところどころで差し込まれる会話の軽さや、細部のユーモアに何度も救われる。通勤電車で読み始めると、乗り換えの駅を何度かスルーしそうになってあわてて立ち上がる、そんなタイプの本だ。

ラストは、読者の解釈に委ねられたまま静かに終わる。派手な種明かしよりも、「あのときの一言」「あの行動」が心に残る終わり方で、読み終えた瞬間に、もう一度最初のページを開きたくなる。はじめて伊坂作品に触れる人にも、がっつり世界観に浸りたい長年の読者にも、まず勧めたくなる一本だと思う。

2. アヒルと鴨のコインロッカー

大学進学のため仙台にやってきた椎名と、隣室の青年・河崎。「一緒に本屋を襲わない?」という突拍子もない誘いから物語が始まる。現在の椎名視点の物語と、二年前のペットショップ店員・琴美の物語がカットバック形式で進み、やがて一つの真実に収束していく構成の妙が光る長編だ。

序盤は「広辞苑を盗む」という奇妙な計画に振り回される椎名のコミカルさが前面に出る。そこに、ブータン人留学生ドルジやペットショップの仲間たちが加わり、一見すれば少し不思議な青春群像劇だ。しかし、ペット惨殺事件という残酷な出来事が挟まることで、物語は徐々に暗い底を見せ始める。読者は「なぜ本屋を襲うのか」「コインロッカーの意味は」といった謎を抱えたまま、ページをめくる手を止められなくなる。

クライマックスで明かされる真相は、派手などんでん返しというより、「ああ、そういうことだったのか」と、静かに心の奥を締め付けてくるタイプの答えだ。いくつもの何気ない描写が一本の線になっていくとき、途中で笑って読み流した台詞がまったく違う重みを帯びてくる。その感覚を一度味わってしまうと、「伊坂幸太郎の伏線回収」に癖になる読者も多いと思う。

軽い青春小説に見せかけて、人間の残酷さと優しさ、異文化との距離感、過去から逃れられない感覚など、かなりヘビーな要素を含んだ作品だ。それでも読んでいる最中の手触りはどこか爽やかで、読後には、誰かとコインロッカーの前まで歩いて行って、この小説の話をしたくなる。

3. 死神の精度

「死神・千葉」が、一週間後に死ぬ予定の人間に接触し、「可」か「見送り」かを判定していく連作短編集。クレーム対応に追われる女性、任侠の世界に生きる男、雪山のホテルでの殺人事件、恋に悩む青年など、六つの人生が描かれる。

千葉は「死神」と呼ばれながら、どこか人間くさい存在だ。新しい音楽を探すのが大好きで、CDショップの試聴機に入り浸る。相手の感情を逆なでするようなことを淡々と言い放ち、殴られても平気な顔をしているのに、仕事そのものには妙に真面目で、淡々とルールに従う。そのズレた感性が、シリアスになりがちな「死」を扱う物語に、絶妙な軽さを生んでいる。

一編一編は独立して読める短編だが、全体を通して読むと、千葉の「死」の捉え方が少しずつ変化しているようにも見える。読者側もまた、最初は「誰が死ぬのか」という視点で読んでしまうが、次第に「この人はどう生きたのか」「最後の一週間をどう選ぶのか」へと意識が滑っていく。死を扱っていながら、妙に清々しい読後感が残るのは、そのシフトのおかげだと思う。

一気読みもできるが、一篇ずつ大事に読みたくなる本でもある。仕事や生活に疲れた日の帰り道、電車の中で一話だけ読むと、少しだけ自分の時間を俯瞰して眺められるような感覚がある。伊坂ワールドの入り口としても、また長く付き合える一冊としてもおすすめだ。

4. 砂漠

仙台の大学に入学した北村が、個性的な四人の仲間と出会い、四年間の大学生活を過ごす青春小説。麻雀、合コン、通り魔との遭遇、超能力対決、捨て犬の救出……日常と非日常がごちゃ混ぜになった時間を、「春」「夏」「秋」「冬」そして再び「春」という構成で描き出す。

この作品の面白さは、事件そのものよりも、「あの頃の空気」の再現度にある。取り立てて大志もなく、かといって何も感じていないわけでもない大学生たちが、夜中まで麻雀をしたり、くだらない会話を延々と続けたり、ときどき取り返しのつかないことをやらかしたりする。そのすべてが「いつか終わるもの」として描かれているからこそ、些細なシーンでも胸が痛くなる。

作中で語られる有名な台詞「その気になればね、砂漠に雪を降らせることだって余裕でできるんですよ」は、何度読み返しても胸に刺さる。若さの万能感とも、無謀さとも違う、ぎりぎりの希望の姿だと思う。読みながら、自分の学生時代のどうでもいい会話や、無為に過ごした夜をひとつひとつ思い出してしまった。

派手などんでん返しを期待すると肩透かしを食らうかもしれないが、人間ドラマとしての伊坂作品が好きなら、必ず心に残る一冊になるはずだ。ミステリー色の強い他作品をひと通り読んだあと、少し落ち着いた気分で手に取りたい。

5. 重力ピエロ

遺伝子を扱う会社に勤める兄・泉水と、芸術的才能に恵まれた弟・春。かつて家族に起きた悲惨な事件の記憶を抱えた兄弟が、連続放火事件と謎のグラフィティアートの真相を追いかけていく長編だ。遺伝子のルールと落書きが奇妙にリンクし、兄弟はやがて、過去と現在が交錯する圧倒的な真実に直面する。

ミステリーとしての仕掛けも十分に凝っているが、この作品の核は「家族とは何か」という問いにある。血の繋がり、DNA、親子鑑定といった単語が何度も出てくる一方で、父と母の在り方は驚くほどブレない。重いテーマを扱っているのに、家族の会話にはユーモアがあふれていて、そのギャップがどうしようもなく切ない。

読み終えたあと、強烈な余韻を残すのが「最後の一文」だ。途中でおおよその真相には気づいていても、最後の一行で物語の重心がぐっとずらされる。その瞬間、それまでの会話や行動が別の色を帯びて立ち上がってくる感覚がある。あの一行を読むためだけに、本書を手に取る価値があると言ってもいい。

家族をテーマにした小説は数あれど、ここまで残酷さと優しさを両立させた作品はそう多くない。明るい伊坂作品のイメージしか持っていない読者には、かなり重く感じられるかもしれないが、「伊坂幸太郎の骨格」を知るという意味で必読だと思う。

6. オーデュボンの祈り

コンビニ強盗をした青年・伊藤が、気づけば地図に載っていない「荻島」に迷い込み、そこで未来を言い当てるしゃべる案山子・ドルジュや、嘘しかつかない男、殺人を許されている男など、奇妙な島の住人たちと出会う物語。新潮ミステリー倶楽部賞を受賞したデビュー長編でありながら、その完成度の高さから、今もなお「超発掘本」として再評価されている。

設定だけ聞くとファンタジー色の強いおとぎ話のようだが、読んでみると印象はかなり違う。テンポのいい会話、どこかズレた人物たち、島の奇妙なルール。それらが積み重なるうちに、「この世界は何かがおかしい」という違和感がじわじわと募っていく。物語の中盤から終盤にかけて、その違和感の正体が明らかになり、読み手の足元がぐらつく瞬間が何度も訪れる。

個人的には、伊坂作品の「世界の見え方」を最も端的に味わえる一冊だと思う。現実から半歩ずれた場所を描くことで、むしろ現実の残酷さや理不尽さがはっきりしてくる。島の秘密が明かされたあと、日常の風景のなかに、ふと荻島の空気を感じることがあるかもしれない。

デビュー作だからと後回しにしていると、もったいない。むしろ最初期に読んでおくと、あとから読む他作品の「あ、このキャラ」「この会話の感じは荻島だな」といったリンクがより楽しくなる。

7. ラッシュライフ

泥棒、宗教画修復家、失業者、カルト宗教の教祖、若い夫婦……まったく繋がりがなさそうな人々の物語が、少しずつ交差し、一枚の大きな絵になっていく長編。「ザッピング」と呼ばれる多視点構成を代表する一冊であり、伊坂作品の「多線型ストーリーテリング」を味わいたいなら、避けて通れない作品だ。

最初は、短編集のように別々のエピソードが並んでいるだけに見える。泥棒・黒澤の飄々とした会話、宗教画を修復する男の苛立ち、人生がうまくいかない男の焦燥。それぞれのエピソードが、それぞれのリズムで進んでいく。しかし、読み進めるうちに「あれ? さっきのシーンと繋がってないか?」と気づく瞬間が増え、やがて一気に線が収束していく。

どこかで見たことのある手法に思えるかもしれないが、伊坂の手にかかると、その構造自体が人間観のメタファーのように機能し始める。「自分の物語だと思っていたものが、実は誰かの物語の一部でもある」という感覚は、読むたびに妙なリアリティを伴って迫ってくる。再読するほど、新しい発見があるタイプの本だ。

8. グラスホッパー

妻をひき逃げで失った元教師・鈴木、ターゲットを自殺に追い込む「押し屋」の鯨、ナイフ使いの殺し屋・蝉。三人の視点が入れ替わりながら進む、「殺し屋シリーズ」第1作にして、ハードボイルドとコメディと家族小説が渾然一体となった異色作だ。

設定だけ聞くとかなり物騒だが、読んでみると意外なほど「人間臭さ」が強い。復讐心に燃えながらも、どうしても一線を越えきれない鈴木。トラウマを抱えつつ淡々と仕事をこなす鯨。頭のネジが飛んでいそうで、実は妙に純粋な蝉。それぞれの矛盾した内面が、ユーモラスな会話とともに少しずつ剥き出しになっていく。

「殺し屋」という非日常の職業を通じて、仕事と感情、家族を守ることと倫理の境界線など、かなり普遍的なテーマが浮かび上がってくる。文章のリズムもよく、ページをめくる手が止まらないまま読み終わって、ふと「自分の復讐心とどう付き合うか」という現実的な問いに戻されるような読後感がある。

9. マリアビートル

東京発・盛岡行きの東北新幹線「はやて」の車内を舞台に、複数の殺し屋たちの思惑が交錯するノンストップ・エンタメ。世界一不運な殺し屋・七尾(天道虫)、少年の復讐を背負った木村、陽気な殺し屋コンビ・レモンとタンゴなど、強烈なキャラが一両の中にぎゅっと詰め込まれている。ハリウッド映画『ブレット・トレイン』の原作としても知られる一作だ。

一両から降りられない、時間は刻々と進んでいく、車内は閉ざされた空間。この「移動し続ける密室」が、物語のスリルを最大限に引き出している。ページをめくるたびに、予想外の事故や誤解が連鎖し、読者は何度も声を出して笑いそうになる。その一方で、登場人物たちの過去や、彼らが背負ってきたものが小出しにされることで、単なるドタバタでは終わらない深みも生まれている。

映画から入った読者には、原作ならではの細かい伏線やキャラクターの背景を味わってほしいし、原作先行の読者には、頭の中に自分なりの「車内映画」を立ち上げながら読む楽しみがあると思う。『グラスホッパー』を読んだあとだと、伊坂流「殺し屋宇宙」の広がりがよりくっきり見えてくる。

10. AX アックス

「殺し屋シリーズ」第3作。伝説級の殺し屋でありながら、家庭では妻に頭が上がらない恐妻家の男が主人公だ。仕そのギャップがとにかく愛おしい長編で、シリーズの中でもとくに「家族小説」としての色が濃い。

殺しのシーンはきちんとスリリングで格好いいのに、その直後の家庭パートで一気に肩の力が抜ける。スーパーの特売に付き合わされたり、義母との関係に悩んだり、息子の進路に心を砕いたり。読んでいるうちに、「どこにでもいる中年男性」像と「伝説の殺し屋」がぴったり重なってしまうのが面白い。

ラスト近くで描かれる「ある覚悟」の場面は、シリーズの中でも屈指の名シーンだと思う。自分の命と家族の未来を天秤にかけるとき、この男はどんな選択をするのか。そこまでの軽妙なやりとりがすべて下地になって、一気に感情が噴き上がってくる構成は見事だ。

『グラスホッパー』『マリアビートル』を読んだあとにたどり着くと、殺し屋シリーズ全体がひとつの大きな「家族の物語」にも見えてくる。シリーズの締めくくりとしても、一冊の小説としても、とても満足度が高い。

11.チルドレン

伊坂幸太郎の中でも、「人の善意」を信じたくなる作品を挙げるなら、この二冊を外せない。『チルドレン』は、破天荒な銀行員・陣内を軸にした連作短編集で、家裁調査官見習いの武藤の視点から、さまざまな事件と出会いが描かれていく。銀行強盗未遂、結婚式のトラブル、家族を巡る揉め事など、どのエピソードも一歩間違えばこじれたまま終わりそうなのに、陣内のとんでもない発想が、なぜか事態を「ちょっとだけ良い方向」へ転がしてしまう。

陣内は常に大声で、空気を読まず、失礼なことも平気で言う。それでも読んでいるうちに「この人がいて良かった」と思えてしまうのは、彼が誰よりも人の可能性を信じているからだと思う。「俺たちは奇跡を起こすんだ」という名台詞は、作中の誰かを奮い立たせるだけでなく、読み手の中にも小さな火を灯す。ふざけた会話が続いたかと思えば、ふと胸に刺さる一行が紛れ込み、その落差に何度も足を止めたくなる。

12.サブマリン

続編の『サブマリン』では、舞台が家裁へと移り、武藤は家裁調査官として本格的に仕事をしている。担当するのは、ひき逃げ事件の「加害少年」とされた少年。少年が本当にやったのか、何を守ろうとしているのかを探るうちに、武藤は被害者家族や学校、ネット世論といった複雑な利害の渦の中へ飲み込まれていく。そこに、相変わらずマイペースな陣内が上司として関わり、場の空気をかき回しながらも、肝心なところでは誰よりも真剣に少年を見つめる。

『チルドレン』が「若さゆえの無鉄砲な正義」の物語だとしたら、『サブマリン』は、大人になってからもその感覚を手放さないための物語だと思う。少年事件という重いテーマを扱いながら、説教くささよりも「それでも子どもを信じたい」という祈りのような感情が前に出てくる。ラスト近く、静かに差し出される手に、読んでいるこちらも救われる感覚がある。

この二冊は、派手なトリックよりも、人の心の動きが好きな読者に向いている。仕事で子どもや家族問題に関わっている人には、あまりにも「あるある」で、でも少しだけ希望のある視線として響くだろうし、ただ落ち込んでいる休日に読んでもいい。きれいごとを笑い飛ばしながら、最後にはきれいごとを信じたくなる。そんな、伊坂作品の良心のような二冊だ。

13.魔王

伊坂作品の中で、社会の不穏さを一番真正面から描いたのが『魔王』と『モダンタイムス』だと思う。『魔王』は、言葉で人の感情を操るような「カリスマ政治家」が台頭する時代に、兄・真司と弟・潤也がそれぞれのやり方で抗おうとする物語だ。兄は、他人の「心の声」が聞こえてしまうような不思議な体質を持ち、その力を使って政治家の危険さを暴こうとする。一方で弟は、その力を信じきれないまま、兄の行動に振り回されていく。

選挙やメディアが盛り上がるたび、「この熱狂はいったいどこへ向かっているのか」と不安になる瞬間がある。『魔王』はまさに、そのざわざわした感覚を物語にしたような一冊だ。カリスマ政治家はあからさまな悪人として描かれない。彼の言葉には確かに魅力があり、誰かを救うようにも聞こえる。その曖昧さが、今自分が暮らしている現実と怖いほど重なる。読んでいて心地よい小説ではないのに、目が離せなくなる。

14.モダンタイムス

『モダンタイムス』は、その後の世界を描いた長編で、一見するとSEの男がシステムトラブルに巻き込まれるサスペンス……なのだが、物語の裏側には、検索履歴や監視システムを使って人々の行動と思考をコントロールする巨大な仕組みが潜んでいる。主人公・渡辺は、妻に浮気を疑われながらも、仕事で開発するシステムが国家レベルの監視網とどう結びついているのかを知っていく。

検索キーワードひとつで、私たちの興味や不安が丸裸にされる時代に、『モダンタイムス』が描く世界はもはや「近未来」ではなく、ほとんど今そのものに見える。何気なく打ち込んだ検索窓の一語を、もう一度見直したくなるような感覚が残るはずだ。しかも、伊坂らしいユーモアや会話劇は健在で、重苦しさだけに押しつぶされることはない。

この二冊は、エンタメ小説の読みやすさを保ちつつ、「政治とか監視社会とか、何となく気にはなっているけれど、専門書を読むほどではない」という人にちょうどいい入り口になってくれる。読み終えたあと、ニュースを見るときの目線が微妙に変わる。その変化を、怖がるか面白がるかは、読者次第だ。

15.フィッシュストーリー

伊坂作品の「つながりの魔法」をいちばん素直な形で味わえるのが『フィッシュストーリー』だ。売れないロックバンドが、解散前の最後の録音として残した一曲。その曲に込められた「いい曲なんだよ。届けよ、誰かに」という願いが、時代も人物も異なる出来事をつないで、やがて世界の危機を救うことになる。表題作のほか、黒澤が活躍する「サクリファイス」や、のちに映画化される「ポテチ」など、全四編の中編が収められた短編集でもある。

『フィッシュストーリー』を読んでいると、「今やっていることは、いつかどこかで誰かに届くかもしれない」という、ほとんど信仰のような感覚がじわじわと育ってくる。売れないバンドマン、さえない空き巣、どこにでもいる野球選手――彼らの行動は、その場では何の意味もないように見える。それでも、時を超えて一本の線に収束したとき、読者は「そんなことがあってもいい」と思いたくなる。伊坂作品に繰り返し登場するキャラクターたちの顔ぶれに、「おかえり」と心の中で声をかけるのも楽しい。

16.ガソリン生活

『ガソリン生活』は、語り手が「車」という異色長編だ。望月家の緑のデミオが、のんきな兄・良夫、頭の回る弟・亨、思春期まっただ中の姉・まどか、そして彼らの母親の日常を見守りながら、女優の急死事件やいじめ、恐喝などのトラブルに巻き込まれていく。車同士がおしゃべりをして情報を交換する世界観が、奇抜なのにすぐに馴染んでしまうのが伊坂らしい。

人間側から見れば、車はただの「移動手段」だが、車たちから見れば、運転席や後部座席で交わされる会話も、溜息も、ふとした沈黙もすべて記録されている。『ガソリン生活』を読み終えると、自分が乗っている車にも心があるのでは、と思ってしまう。望月家の小さな揉め事や、亨のいじめ問題が、車の視点を通すことで少しだけ軽く見えつつ、実はけっこう重たいテーマに触れているのも巧い。

「伊坂ワールドのつながり」を楽しみたいなら『フィッシュストーリー』、「家族の物語」として温かい読後感を味わいたいなら『ガソリン生活』がおすすめだ。どちらも軽快に読めるのに、読み終えた後でふと、日常の景色が変わって見える。

17.逆ソクラテス

『逆ソクラテス』は、子どもたちを主人公にした短編集だ。表題作では、「敵は、先入観だよ」というセリフを合言葉に、小学生たちがクラスメイトや教師の偏見をひっくり返すための作戦を立てる。ほかにも、運動会のリレー選手に選ばれてしまった運動音痴の少年の奮闘を描く「スロウではない」、ミニバスチームの敗北とその後の人生を描く「アンスポーツマンライク」など、五つの物語が収められている。:contentReference[oaicite:6]{index=6}

どの短編も、構造としてはシンプルだ。偏見やラベリングで窮屈になった世界に、子どもたちが小さな反乱を起こす。それだけなのに、読んでいると胸が熱くなる。彼らの言葉は、きれいごとに聞こえる瞬間もあるが、同時に「こうあってほしかった自分の過去」をなぐさめてくる。嫌な教師や、空気を読まないと生きづらい教室の風景は、多くの人に覚えがあるはずだ。子どもの頃に抱いた怒りや願いが、物語の中で一度きっぱりと形になる。

18.ホワイトラビット

『ホワイトラビット』は一転して、大人たちの世界を舞台にした籠城ミステリだ。仙台の住宅街で発生した人質立てこもり事件、通称「白兎事件」。警察の特殊部隊SITが出動する一方で、泥棒の黒澤たちは別件の仕事として詐欺師の家に忍び込んでいる。まったく別々に見える出来事が、時間軸をずらして語られるうちに、少しずつ一本の事件に収束していく構成がスリリングだ。

この作品の面白さは、「何が起きたか」は最初からだいたいわかっているのに、「どうしてそうなったのか」が最後まで見えないところにある。時系列が巧妙にシャッフルされていて、読者はパズルを解くように情報を組み立てていく。「あの場面のあの台詞は、そういう意味だったのか」と気づかされる瞬間がいくつもあり、そのたびにページをめくる手が止まらなくなる。

『逆ソクラテス』で描かれるのは、「世界をまともにしようとする子どもたちの視線」であり、『ホワイトラビット』で描かれるのは、「複雑すぎる世界の中で、それでも誰かを守ろうとする大人たちの足掻き」だ。並べて読むと、「子ども時代の理想と、大人になってからの現実は本当に両立し得るのか」という問いが、少しだけ輪郭を持って立ち上がる。理不尽な出来事が続くニュースに疲れたとき、どちらの本も、少しだけ世界をましに見せてくれる。

19.フーガはユーガ

『フーガはユーガ』は、伊坂幸太郎史上もっとも切ない、と言われることの多い長編だ。幼い頃から父親の暴力に晒されてきた双子の兄弟・優我と風我。彼らには、誕生日の日だけ二時間おきに身体が入れ替わるという、「アレ」と呼ばれる特別な能力がある。この能力を使って、兄弟は自分たちを痛めつける父親や、世の中の「悪」に立ち向かおうとする。物語は大人になった優我が、ファミレスで一人の男に過去を語るかたちで進んでいく。

双子ものの物語は、たいていどこかで「入れ替わり」が使われる。しかしこの作品では、そのギミックが単なるトリックではなく、「どうしても変えられない運命に対する最後の抵抗」として描かれている。誕生日の一日だけ、二人は二時間ごとに場所を交換し、そのわずかなズレの中で少しずつ、誰かを救おうとする。暴力の描写は決して軽くないのに、兄弟の会話には笑いもあり、彼らを支えようとする大人たちの存在もにじむ。そのバランスが絶妙で、読み終えたあとに残るのは、絶望ではなく「それでも生き抜いた」という手触りだ。

20.777 トリプルセブン

『777 トリプルセブン』は、人気の「殺し屋シリーズ」最新作で、『マリアビートル』から数年後の物語にあたる。ツキに見放された殺し屋・七尾――通称「天道虫」が、超高級ホテル「ウィントンパレス」で、娘からのプレゼントを届けるだけの「簡単な仕事」を請け負うところから始まる。しかし、同じホテルには驚異的な記憶力を持つ女性・紙野結花が身を潜めており、彼女を狙って殺し屋たちが続々と集結。仕事はあっという間に、誰も予測できない大混乱へと変わっていく。:

殺し屋シリーズらしく、登場人物は皆どこか壊れていて、物騒なのに愛嬌がある。七尾は相変わらず「不運の権化」だが、ピンチに追い込まれたときほど思考が高速回転し、気づけばギリギリのところで危機をすり抜けていく。その姿には、『グラスホッパー』『マリアビートル』からつづくシリーズの積み重ねがあり、過去作を読んでいると「あの名前」「このコンビ」に何度もニヤリとさせられる。

この二冊を続けて読むと、「どうしようもない状況の中で、人はどこまで踏ん張れるのか」という伊坂の関心が、まったく違うトーンで描かれているのがわかる。『フーガはユーガ』は、暴力と喪失の中でなお誰かを守ろうとする物語で、『777 トリプルセブン』は、笑ってしまうほど理不尽なトラブルを笑い飛ばしながら進んでいく物語だ。重さと軽さ、その両方を持った伊坂幸太郎という作家の振れ幅を、もっともはっきり味わえる組み合わせと言っていい。

関連グッズ・サービス

本を読み終えたあと、伊坂ワールドの余韻をもう少し長く味わいたくなることがある。そんなときに使えるツールやサービスを、相性の良さでいくつか挙げておく。

まずは、電子書籍でまとめて読みたい人向けに Kindle Unlimited を挙げたい。伊坂作品の一部や関連するミステリー作品が定額で読めることがあり、「気になっていたけど紙で買うほど踏ん切りがつかない本」を試すのにちょうどいい。

 

Kindle Unlimited

移動中や家事の合間にも読書の時間をつくりたいなら、音声で聴ける Audible もかなり相性がいい。『ゴールデンスランバー』のような長編も、音で聴くとまた違ったテンポで楽しめる。

Audible

伊坂作品は映画化・ドラマ化された作品も多いので、映像でも楽しみたいなら Amazonプライム・ビデオ や Prime Video チャンネルもチェックしておきたい。小説を先に読むか、映像を先に観るかで、印象がかなり変わるタイプの作品が多い。

Amazonプライム

Prime Video チャンネル

紙の本派なら、軽めの文庫をまとめて持ち歩くためのシンプルなブックカバーや、夜更けの読書を支える小さめの読書灯があると、読み進めやすさが一段階変わる。『砂漠』や『重力ピエロ』のような「何度も読み返したくなる本」は、手触りの良いカバーと一緒に持って歩きたくなる。

まとめ:どの伊坂作品から始めるか

伊坂幸太郎の小説は、どれも「人間を信じたい」という気持ちと、「世の中は理不尽だ」という認識が、ほぼ同じ濃度で混ざっている。そのバランスが好きになると、作品ごとのテイストの違いも含めて、どんどん読み進めたくなるはずだ。

迷っているなら、こんな選び方もありだと思う。

  • 一気読みしたい夜なら:『ゴールデンスランバー』『マリアビートル』
  • じっくり余韻に浸りたいなら:『重力ピエロ』『オーデュボンの祈り』
  • 気楽に伊坂節を味わうなら:『死神の精度』『チルドレン』『逆ソクラテス』
  • 青春の汗っぽさを味わうなら:『砂漠』
  • 殺し屋シリーズを堪能したいなら:『グラスホッパー』→『マリアビートル』→『AX』→『777 トリプルセブン』

どの一冊から入っても、いずれ他の本へと手が伸びていく。そのとき、まるで別々の本棚から本を引き抜いているのに、裏側ではちゃんと隣り合っていた、という感覚を味わう瞬間がきっと来る。そこから先は、もう伊坂ワールドの住人だと思っていい。

よくある質問(FAQ)

Q1. 伊坂幸太郎はどの一冊から読むのがおすすめ?

迷ったら『ゴールデンスランバー』か『アヒルと鴨のコインロッカー』を推したい。どちらもエンタメ性が高く、伊坂らしい伏線回収と会話のリズムをしっかり味わえる。重いテーマも含んでいるが、読後感は決して暗くならない。ライトに入りたいなら『死神の精度』や『逆ソクラテス』のような短編集から入るのも良いと思う。

Q2. 殺し屋シリーズは必ず刊行順に読んだほうがいい?

基本的には『グラスホッパー』→『マリアビートル』→『AX』→『777 トリプルセブン』の順で読むと、キャラクターや世界観の広がりを一番気持ちよく味わえる。ただ、各巻はそれぞれ単体としても楽しめる構成になっているので、「映画『ブレット・トレイン』から入ったから『マリアビートル』だけ先に読む」といった読み方でも問題ない。ハマったら順番を意識して読み直すと、細部がさらに楽しくなる。

Q3. 映像化作品から入っても楽しめる? 原作との違いは?

伊坂作品は映画化やドラマ化が多く、映像から入る読者も多い。『ゴールデンスランバー』『アヒルと鴨のコインロッカー』『重力ピエロ』『グラスホッパー』『マリアビートル(ブレット・トレイン)』あたりが代表的だ。映像版では登場人物や設定が大胆に整理されていることも多く、原作を読むと「ここがカットされていたのか」と驚く場面もある。可能なら、まず原作で物語の骨格と会話の面白さを味わい、そのあとで映像を観ると二度おいしい。

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伊坂作品が好きなら、次はこんな作家・テーマの本も相性がいいと思う。

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