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【中上健次の代表作・おすすめ本】『岬』『枯木灘』『千年の愉楽』から読む路地文学ガイド

紀州熊野の「路地」と呼ばれる集落から立ち上がり、血と土地と物語を極限まで書き抜いた作家が、中上健次だ。被差別部落に生まれた自身の来歴を真正面から引き受け、暴力と性愛、神話と路地の生活を一体化させた小説群は、今読んでもまったく古びない。この記事では、「紀州サーガ」を中心に小説・短編集・エッセイ・ルポまで、中上健次を味わうための主要作19冊をまとめて案内する。

 

 

中上健次とは?──「路地」から世界文学へ抜けた作家

中上健次は1946年、和歌山県新宮市の被差別部落、いわゆる「路地」に生まれた小説家だ。高校卒業後は羽田空港などで肉体労働に従事しながら書き続け、1976年に『岬』で第74回芥川賞を受賞。戦後生まれとして初の芥川賞作家として一気に注目を集めた。

彼の作品の多くは、故郷・紀州熊野の「路地」を舞台にしている。差別と貧困、血縁の複雑さと暴力、それでもなお噴き出してくる生のエネルギーを、濃密な文体で描き切るスタイルは、ウィリアム・フォークナーや大江健三郎との系譜で語られることが多い。

『岬』『枯木灘』『地の果て 至上の時』などの「秋幸三部作」、オリュウノオバが語り手となる『千年の愉楽』、都市の若者の鬱屈を描いた『十九歳の地図』など、路地も都市も同じ熱量で書き込むことで、「周縁から中心を撃つ」ような文学世界を作り上げた。

晩年には、ジャズや映画、アジアの辺境への旅、評論やルポルタージュにも活動を広げる。46歳で夭折しながらも、その短い生涯で残した作品群は、いまもなお現代日本文学のひとつの頂点として読み継がれている。

中上健次おすすめ本の読み方ガイド

中上作品は「難しそう」「どこから入ればいいか分からない」と感じる人も多い。ざっくりとした読み進め方のイメージを先に共有しておく。

電子書籍でまわりを気にせず没頭したい人は、文庫化されている作品をまとめて読むスタイルもありだ。長編・短編・エッセイを行き来すると、中上健次というひとりの作家の「呼吸」が見えてくる。

中上健次おすすめ本19選

1. 枯木灘

『岬』の続篇として書かれた長編で、主人公は紀州・新宮の路地に生きる青年・秋幸。彼は土方として海岸の工事現場でつるはしを振るい、肉体労働の高揚感の中だけ、複雑な出自への鬱屈から解放される。だが現実の生活では、放火や暴力の噂が絶えない実父・浜村龍造の影が、つねに彼の背後にまとわりついている。

父がばらまいた血の網の中には、自殺した異父兄、敵意むき出しの異母弟、父への復讐の道具にしてしまった異母妹など、逃げ場のない人物関係が絡みつく。秋幸は彼らとの関係を断ち切ろうとしつつ、結局は血の呪縛から逃れきれない。そのどうしようもなさを、海と山と路地の風景とともに描く描写が凄まじい。

この作品の読みどころは、「父殺し」の物語でありながら、暴力や復讐が単純なカタルシスとしては描かれないところにある。龍造は怪物でありながら、秋幸がどこか惹きつけられてしまう生命力の源でもあるからだ。憎悪と同時に、どうしても否定しきれない血の誇りのようなものが、文章の熱に混じって立ち上がってくる。

文体は一気に読み進めるにはかなり重く、文中で時間や視点がうねるように移り変わる。それでも、海辺の工事現場の眩しい光や、路地の家の湿気、夏の匂いがいちいち全身にまとわりついてくるような感覚がある。ページをめくるごとに「土地」に飲み込まれていくあの感覚を、一度味わってしまうと他の作家には戻りにくい。

初めて中上健次に触れる人には、決して「軽い入口」ではない。ただ、戦後日本文学の中でも、血と土地と家族をここまで書き切った作品はそう多くない。家族やルーツにしんどさを抱えている人、あるいは故郷との距離に悩んでいる人には、痛みと同時に妙な励ましをくれる一冊になるはずだ。

2. 岬

『岬』は、路地に生きる青年・秋幸を主人公とした中篇で、「秋幸三部作」の起点となる作品。複雑な血縁を背負った若者が、母親や親戚たちとのあいだでどうにもならない葛藤を抱える姿が淡々と綴られていく。1976年に芥川賞を受賞し、中上健次の名を一気に世に知らしめた。

物語のスケールは『枯木灘』より小さく、路地の家々や海辺の風景、親族たちの会話など、具体的な生活のディテールが前面に出る。だからこそ、秋幸の鬱屈がじわじわと染みてくる。何か大きな事件が起きるわけではないのに、「この共同体の中では、誰も完全には自由になれない」という手触りだけが残る。

読みながら強く感じるのは、「語り」のリズムの強さだ。曖昧な時間の流れや、土地の伝承、親族の噂話が、ひとつの長い口述のように続いていく。そのリズムに乗れた瞬間、作品の重さはむしろ快感に変わる。短いながらも、中上文学の核心部にダイレクトに触れられる一冊だ。

「いきなり長編はきつそう」と感じる人は、『岬』から入るのがいちばん無理がない。秋幸という人物への理解が深まると、『枯木灘』『地の果て 至上の時』の読後もまったく違ってくる。短編〜中編の文学をじっくり味わいたい人、芥川賞受賞作を押さえておきたい人にも向いている。

3. 地の果て 至上の時

『岬』『枯木灘』に続く「秋幸三部作」の完結篇。秋幸はもはやひとりの青年というより、「路地」と「国家」の狭間で裂かれた世代の象徴として描かれる。熊野の路地の時間と、日本全体の高度経済成長の時間が交錯し、土地の記憶と近代化の波が激しくぶつかり合う。

この作品では、物語のスケールがさらに拡大する。親族同士の感情のもつれだけでなく、土地の再開発、流入する資本、政治や暴力団といった要素が一気に押し寄せてくるのだ。それでも、「地の果て」と呼びたくなる熊野の風景が、最後まで物語の基準点としてあり続ける。

文章はさらに断片的で、時間軸も錯綜するため、読みやすい作品とは言いがたい。それでも、三部作を通して読むと、「秋幸」という存在の輪郭が、ある地点でふっと神話化される瞬間が訪れる。個人史が、土地と血の歴史に溶けていく感覚だ。

『地の果て 至上の時』まで読み切ると、もはや「秋幸の物語」というより、「路地そのものの神話」を読んだような気分になる。中上健次をがっつり掘り下げたい人には、必ずたどり着きたい一冊だ。

4. 千年の愉楽

『千年の愉楽』は、紀州の「路地」と呼ばれる被差別部落を舞台に、「中本の一統」と呼ばれる一族の男たちの生と死を描いた連作短編集だ。物語の語り手は、路地で唯一の産婆として人々の生と死を見届けてきた老婆・オリュウノオバ。彼女の薄れゆく意識の中で、六人の若者たちの短く激しい人生が語られていく。

男たちは皆、美しく、女たちを惹きつける強い生命力を持ちながら、その血ゆえに暴力や破滅を引き寄せる。「高貴にして穢れた血」という表現が象徴的で、祝福と呪いが同居する血筋の物語になっている。生と死、性と暴力、聖と俗が、オリュウの語りの中で渦を巻く。

連作形式のため、一人ひとりの若者の物語は独立して読めるが、読み進めるほどに彼らの運命が一本の血の川のように見えてくる構造が秀逸だ。路地の小さな共同体の中で起きる事件が、次第に「千年」という時間のスケールにまで引き伸ばされていく。

文庫版の解説などでもしばしば指摘されるが、この作品は中上文学のひとつの極点と言っていい。読み心地は決して軽くない。だが、オリュウノオバという語り部の声に身を委ねていると、やがてページの向こうに、誰かの呼吸や体温のようなものが立ち上がってくる。

「日本文学のとんでもない場所まで行ってみたい」と思う読者には、間違いなく刺さる一冊だ。被差別部落というテーマに正面から向き合う覚悟が必要だが、その分だけ、読後に残るものも大きい。

5. 奇蹟

『奇蹟』は、中上健次の最後の長編とされる作品で、暴力団の若衆・タイジの生を軸に物語が展開する。タイジは路地の生まれではあるが、すでに共同体の枠が崩れつつある時代を生きている。かつての熊野の路地は神話的な場所としてのみ立ち上がり、現実としての土地は消えかけている。

タイトルの「奇蹟」は、宗教的な意味だけでなく、暴力と死の只中でなお、かすかな救いを求める人間の執念を指しているようでもある。タイジの生は決して綺麗なものではなく、むしろ「どうしようもなさ」の連続だ。それでも、彼の周囲には信仰や祈り、土地の記憶が、しぶとく残り続けている。

この作品を読むと、初期の『岬』や『枯木灘』のころの、路地の濃密な生の匂いが、少しずつ遠景になっていることに気づく。その距離感が、そのまま戦後からバブル期へ、そして冷戦終結へと向かう日本社会の変化と重なって見えてくる。

中上文学の晩年のモードを知りたい人には、『千年の愉楽』『日輪の翼』と並べて読むと面白い。路地がまだ「ここにある」世界と、「もう失われてしまった」世界、そのあいだに立つ人物たちの揺れが見えてくるからだ。

6. 十九歳の地図

『十九歳の地図』は、主人公「ぼく」が住み込みで新聞配達をしながら予備校に通う、都市小説の代表作。配達先で気にくわない家を見つけると、物理のノートに書いた地図に×印をつけ、×が三つついた家には嫌がらせの電話をかける──そんな行為を繰り返す十九歳の鬱屈した日常が描かれる。

「路地」を舞台にした作品とは違い、こちらは東京の片隅が舞台だ。だが、社会の片隅に押しやられた若者の感情は同じくらい濃い。声だけで他者の生活に介入しようとする「ぼく」の行為は、現代で言えばネット上の匿名の誹謗中傷にも重なる。

連作短編集として構成されており、新聞配達のエピソード以外にも、ヒモのように女の家に転がり込む青年、崩壊寸前の家族など、別の主人公の物語が続く。だが解説を読むと、四編の主人公が同一人物であることが示されており、読後に「あの青年のその後」を辿るような感覚が訪れる。

中上作品=熊野というイメージを覆す意味でも、この一冊は非常に重要だ。都市に生きる読者にとっては、こちらの方が感情移入しやすいかもしれない。受験や就職、将来への不安のなかで、世界とどう繋がればいいのか分からない若者の焦燥が、時代を超えて響いてくる。

7. 鳳仙花

『鳳仙花』は、『枯木灘』の「裏面」とも言われる長編で、秋幸の母にあたるフサの人生を軸に描かれる。息子たちや男たちの視点からは見えてこなかった、路地の女たちの過酷でしなやかな生き方が浮かび上がる作品だ。

フサは、貧困や暴力、男たちの身勝手さに翻弄されながらも、どうにか家族を支え、路地で生きていく。彼女の人生は決して「美しい母性」の物語ではなく、ときに狡猾で、ときに自己保身に走る。それでも、その振る舞いの一つひとつから、共同体の中で生き残るための知恵が見えてくる。

『枯木灘』を読んだあとに『鳳仙花』を開くと、「同じ出来事でも、語り手が変わればまったく別の物語になる」ということがはっきり分かる。男たちが神話化して語る路地とは違う、もっと湿っぽく、生活臭のする路地がここにはある。

家族小説として読みたい人や、「母」の物語に関心がある人には特におすすめだ。秋幸三部作とセットで読むと、路地という世界の奥行きが一気に増す。

8. 日輪の翼

『日輪の翼』は、路地の再開発によって居住地を追われた老婆たちと若者たちが、改造した大型冷凍トレーラーに乗り込み、日本各地の聖地を巡るロードノベルだ。熊野、伊勢、一宮、恐山、そして皇居へ──路地ごと空を飛ぶような旅が続いていく。

トレーラーの荷台には、仏壇や生活道具が詰め込まれ、オバたちは御詠歌を唱えながら祈り続ける。一方、若者たちは途中で出会った売春婦たちと享楽的な夜を過ごす。その聖と俗の入り混じり方が、まるで巨大な祭りのような熱量を生み出す。

物語の背後には、「路地」という具体的な土地が消滅していく現実がある。だからこそ、この移動する共同体=トレーラーは、失われた土地の魂を最後まで抱え込みながら走り続ける、奇妙な船のようにも見える。終着点が皇居であることも含めて、「国家」と「周縁」の関係をじわじわと考えさせられる。

中上作品の中でも特にダイナミックで、笑いとエロスと祈りが一台のトレーラーに詰め込まれたような一冊だ。『千年の愉楽』で路地の神話に触れたあとに読むと、「土地を失った後の物語」として、また別の風景が見えてくる。

9. 破壊せよ、とアイラーは言った

タイトルにある「アイラー」はフリージャズのサックス奏者、アルバート・アイラーのこと。『破壊せよ、とアイラーは言った』は、その名の通りジャズや映画、都市の喧騒を通して現代社会を批評するエッセイ集だ。

中上はここで、小説家としての自分を支える「音」の感覚や、路地を離れた都市での経験を率直に綴っている。ジャズの即興性と文学のリズム、映画のフレームと小説の視点の違いなど、ジャンルを越えた思考が縦横無尽に飛び交う。

路地を素材にした小説を読んだあとでこの本に触れると、「あの文章の背景には、こんなふうにジャズや映画があったのか」と納得できる瞬間が多いはずだ。中上文学の「耳」を理解するうえで、外せない一冊だと言っていい。

評論・エッセイを読むのが好きな人、ジャズや映画が好きな人には特に向いている。作品世界の「裏側」を覗き見たいときに手に取りたい本だ。

10. 軽蔑

『軽蔑』は、歌舞伎町のストリップ劇場で踊る女と、その女に惹かれていく男の破滅的な恋愛を描いた長編だ。熊野の路地ではなく、東京の歓楽街が舞台でありながら、そこに流れる空気はやはり中上健次のものだとすぐ分かる。

二人の関係は、明るい未来を約束するような恋では決してない。むしろ、自分の価値の低さを互いに知り尽くしている者同士の、どこまでも沈んでいきそうな結びつきだ。それでも、そこに確かに「愛」と呼ぶしかない瞬間がある。

路地の男たちの暴力とは違うかたちの暴力が、都市の夜には満ちている。経済的な格差、職業に対する偏見、身体を商品にすることへの嫌悪と誇り。そのすべてが、「軽蔑」という言葉に絡みついてくる。

恋愛小説として読むと救いのない作品に見えるが、「こんな関係も、たしかにこの世界のどこかで続いている」と思うと、妙なリアリティがある。都市の片隅で生きる人々の物語が読みたい人におすすめだ。

11. 紀州 木の国・根の国物語

『紀州 木の国・根の国物語』は、熊野をはじめとする紀州の土地を歩きながら、その歴史や伝承、被差別部落の現実を取材したルポルタージュであり、旅の記録でもある。小説の舞台となった土地の「現実」を、作家自身の目で見つめた貴重な一冊だ。

山や川、社寺の風景が描かれる一方で、土地に刻まれた差別や貧困の歴史が淡々と語られる。中上は、そこにセンチメンタルな感傷を持ち込むのではなく、自分自身がその土地の産物であることを引き受けながら、「木の国」「根の国」という二重のイメージで紀州を捉え直していく。

小説を読むだけでは見えてこない、「現実の紀州」の肌触りに触れられる点が何よりの魅力だ。『千年の愉楽』『枯木灘』などを読んで、「この土地を実際に歩いてみたい」と感じた人には、格好のガイドにもなる。

12. 熊野集

『熊野集』は、その名の通り熊野をめぐる短篇を集めた作品集だ。路地や山、海、神社や祭りなど、熊野の風景と伝承がさまざまな角度から描かれている。

長編のように重厚な物語ではないが、その分、一編一編の中に凝縮されたイメージが強く残る。熊野の山の濃い緑、潮の匂い、夏の光、祭りの太鼓の音。中上の文章に親しんでくると、それらが作品をまたいで響き合っているのが分かってくる。

長編を何冊か読んでから、この短篇集を挟むと、土地の印象が一段とくっきりしてくるはずだ。熊野という場所そのものに興味がある読者には特におすすめしたい。

13. 讃歌

『讃歌』は、性愛と暴力、そして浄化をテーマにした長編で、中上の晩年期の作品に位置づけられる。人を愛することと、傷つけることが、ほとんど切り離せないかたちで絡み合う世界が描かれる。

登場人物たちは、それぞれが自分の欠落や過去の傷を抱えながら、誰かとのつながりを求めざるをえない。だが、そのつながりは必ずどこかで暴力を帯びる。タイトルにある「讃歌」は、そんな矛盾だらけの人間の営みそのものに向けられているのかもしれない。

『千年の愉楽』や『奇蹟』のような神話的なスケールではなく、もっと人間の感情の細部に寄り添った作品として読むこともできる。愛の「不可能性」と「それでも求めずにいられない感じ」を、ぎりぎりまで追い詰めた一冊だ。

14. 異族

『異族』は未完の大作として知られる作品で、右翼の大物の血を引く若者たちの叛乱と彷徨が描かれる。完成していないがゆえに、物語はどこか宙づりのまま終わるが、その断片からも大きな構想が垣間見える。

ここで描かれるのは、路地でも都市でもない、「国家の右側」に位置する人々の物語だ。血筋やイデオロギーという、別種の「宿命」を背負った若者たちが、その枠組みから逃れようとしてもがく。その構図は、秋幸や路地の青年たちとどこか響き合っている。

未完作品に抵抗のない人向けではあるが、「もし中上健次がもう少し長く生きていたら、どんな日本を描こうとしたのか」を想像させてくれる点で、非常に興味深い一冊だ。

15. 水の女

『水の女』は短篇を収めた作品集で、タイトル作「水の女」をはじめ、水や湿り気のイメージが強く立ち上がる作品が並ぶ。現実と幻想の境目が曖昧になり、登場人物たちは、どこか夢の中をさまよっているようにも見える。

路地の土の匂いとは少し違う、都市の湿った空気や、心の底に溜まっていく澱のようなものが、比喩として「水」に姿を変えているような印象がある。短い分、ひとつのイメージがぐっと拡大されて胸に残る。

長編に比べると手に取りやすく、「まずは短い作品で文体に慣れたい」という人にはちょうどいいボリュームだ。『十九歳の地図』と併せて読むと、都市と水のイメージが面白く重なっていく。

16. 蛇淫

『蛇淫』は、実際の事件をモチーフに、性と暴力の深い闇をのぞき込むような短篇集だ。タイトルにある通り、エロティックでありながら、そこには常に不穏さと死の気配がまとわりつく。

中上はここでも、性的な描写を「ただ刺激的なもの」としてではなく、人間の根源的な孤独や、共同体からはみ出した者たちの痛みに結びつけて描いている。読んでいて決して心地よい作品ではないが、「ここまで書いてしまうのか」という驚きは強く残るはずだ。

性や暴力のテーマに敏感な人にはあまり無理に勧めないが、中上文学の暗い側面まで含めて知りたい人には、一度は触れておきたい一冊になる。

17. 重力の都

重力の都

『重力の都』は、高層ビルの建設現場や都市空間を舞台に、人々の関係と権力、欲望の動きを描いた作品だ。谷崎潤一郎『春琴抄』など古典文学への応答も意識されていると言われ、路地文学とはまた違う、中上の実験精神がうかがえる。

高層ビルという、地面から空へと伸びる構造物の中で、人々は重力に引かれながらも、どこか浮遊した存在として描かれる。都市の中での階層意識や、見える/見えない関係性が、「高層」という空間設定によって視覚化されているような印象だ。

熊野を離れた中上健次が、「都市そのもの」を主役に据えようとしたときに何を書いたのかを知りたい人に向いている。建築や都市に関心がある読者には、背景のディテールも含めて楽しめるはずだ。

18. 南回帰船

南回帰船

南回帰船

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『南回帰船』は、沖縄や韓国、フィリピンなどアジアの地域を旅した紀行文集であり、エッセイでもある。中上はここで、熊野からさらに外側の「南」の世界を歩きながら、日本という国の輪郭を逆照射していく。

各地で出会う人々の生活、旅の途中で目にする風景や歴史の痕跡。そしてそれらに、熊野の路地の記憶が重ね合わされていく過程がとても興味深い。日本の周縁としての熊野と、アジアの周縁としての沖縄やフィリピンが、著者の身体の中でつながっていくような感覚がある。

単なる旅行記としてではなく、「日本の南側から世界を見直す」試みとして読むと、より味わいが深くなる。小説だけでなく、作家の旅の視線に興味がある人におすすめだ。

19. 紀州 木の国・根の国物語(再掲)

ルポとしてすでに紹介したが、全体のバランスを考えて最後にもう一度置いておきたい。中上健次の小説世界は、この本に描かれた「現実の紀州」と切り離しては語れない。路地の歴史や、熊野信仰、山の霊性といった要素が、どのように作家の中で消化されていったのかを知ることができる。

作品ガイドとしてだけでなく、「土地について書くとはどういうことか」を考えるうえでも、示唆に富んだ一冊だ。

関連グッズ・サービス

本を読んだ後の学びを生活に根づかせるには、生活に取り入れやすいツールやサービスを組み合わせると効果が高まる。中上健次の世界にどっぷり浸かりたいときに相性のいいアイテムをいくつか挙げておく。

まずは電子書籍派なら、複数作品を行き来しながら読むのに便利なのが

Kindle Unlimited

だ。対応している作品であれば、文庫を何冊も持ち歩かなくても、スマホ一台で「紀州サーガ」を横断できる。

耳で本を味わいたい人には、

Audible

も選択肢になる。中上作品は文章のリズムが独特なので、朗読で体験するとまた違う発見があるはずだ。

紙派でじっくり読みたいなら、寝床やソファで長時間読んでも疲れにくいルームウェアや、保温性の高いマグカップ、好きなコーヒーやハーブティーを一緒に用意しておくといい。熊野の濃い山のイメージに浸りながら、夜の静かな時間にページをめくると、物語への没入感が一段と増す。

まとめ──「路地」を通して世界を見る

中上健次の作品をいくつか続けて読むと、「路地」という一見ローカルな場所が、実は世界の縮図のように思えてくる。血縁、差別、暴力、性愛、信仰、土地から切り離されることの痛み。どれも、日本のどこか、あるいは世界のどこかに今もある問題だ。

読んでいて決して楽な作品ではない。だが、その重さと濃さゆえに、自分自身のルーツや、いま立っている場所について考えずにはいられなくなる。そういう読書体験は、そう頻繁に訪れるものではない。

  • 気分で一冊だけ選ぶなら:『千年の愉楽』
  • じっくり世界に入り込むなら:『岬』『枯木灘』『地の果て 至上の時』の三部作
  • 短時間で雰囲気を掴みたいなら:『十九歳の地図』や『水の女』

どの本から入っても構わない。自分の生活リズムに合いそうな一冊を選んで、まずは数ページだけでも開いてみてほしい。少しずつ文体に慣れてくるころ、ふと気づくと、熊野の山の匂いや、東京の路地裏の湿気が、ゆっくりと身体の中に沁み込んでいるはずだ。

FAQ

Q. 中上健次はどの作品から読むのがいちばん入りやすい?

物語世界の中心から入りたいなら『岬』→『枯木灘』の順が王道だ。ただ、文体の濃さが不安なら、『十九歳の地図』や短篇集『水の女』『熊野集』から試してみるのもあり。都市が舞台の『十九歳の地図』は、現代の若者小説としても読めるので、最初の一冊としてかなりおすすめだ。

Q. 被差別部落の問題に詳しくなくても読める?

作品中でも「路地」という言葉で描かれており、必ずしも事前知識がないと読めないわけではない。ただ、背景をもう少し知りたくなったら、『紀州 木の国・根の国物語』のようなルポを併読すると理解が深まる。小説を先に読んで、後から現実の歴史に触れていく読み方もおすすめだ。

Q. 電子書籍と紙の本、どちらがおすすめ?

文体が濃く、行ったり来たりしながら読み返したくなるタイプの作品が多いので、紙の本でページをパラパラ戻りながら読むと安心感がある。ただ、シリーズをまとめて持ち歩きたい人には、

Kindle Unlimited

で電子版を揃えておくのも便利。生活スタイルに合わせて、紙と電子を併用するのがいちばんストレスが少ないと思う。

Q. 暴力や性描写がきつそうで不安……

たしかに『千年の愉楽』『蛇淫』『軽蔑』など、暴力や性のシーンが強烈な作品も多い。そうした描写は、単なる刺激ではなく、人間の孤独や共同体の闇を描くために不可欠な要素として書かれている。ただ、無理に踏み込む必要はないので、不安な場合は『岬』『十九歳の地図』『熊野集』あたりから様子を見ながら広げていくといい。

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