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【村田喜代子おすすめ本20選】代表作『鍋の中』『蕨野行』から老いと土地と幻想の物語をたどる【芥川賞作家】

村田喜代子の小説を読むと、ふと耳の奥で古い風の音がする。日常の隙間に潜む気配や、人間の身体に刻まれた記憶が、ゆっくりと立ち上がってくる瞬間がある。老い、土地、夢、民俗。そのどれもが静かに、しかし強く読者の心を揺らす。まずは彼女の軌跡と世界観を確かめてから作品へ入っていこう。

 

 

村田喜代子について

村田喜代子(むらた・きよこ)は福岡県生まれ。1980年代以降、地方で暮らす人々の身体感覚や、民俗・土地の記憶を強く意識した独自の文学世界を築いてきた作家だ。 芥川賞受賞作『鍋の中』を皮切りに、老いた女性たちや小さな共同体を描く作品が多く、いずれも“現実と幻想の境界がゆらぐ瞬間”を巧みにとらえているのが特徴だ。

彼女の小説に頻繁に登場するのは、老婆、海女、孤島、山の民、骨董、夢、そして“見えない世界”。しかしそれらは決して怪奇ではなく、むしろ生活に根づいた息遣いを持って描かれる。読んでいると、古い木造家屋の匂いや、海辺の湿った風、夏の台所の熱気がふっと立ち上がってくるような、身体的な読書体験が残る。

また、村田の作品は“弱者”や“高齢者”を哀れみの視点で描かない。むしろ彼らの持つしたたかさや、土地とともに蓄積してきた知恵、奇妙なユーモアを、淡い光の中に浮かび上がらせる。 老いは終わりではなく、むしろ別の世界を垣間見るための入口――そんな価値観が物語の奥に静かに流れている。

幻想文学的要素と生活の実感が見事に重なり、現代では失われつつある“土地の物語”を掬い上げる作家。それが村田喜代子だ。 この後の作品紹介では、この独特な世界を象徴する代表作を順に追っていく。

おすすめ本20選

1. 『鍋の中』

夏休みに祖母の家へやってきた子どもたちの視点から、老いと家族の記憶がじわじわと浮かび上がる一冊だ。最初は、どこか懐かしい「田舎の夏」の風景が続くだけに見えるのに、読み進めるほど台所の湿気や、鍋の中で何かが静かに煮えている気配が不穏さを帯びてくる。何も説明されないまま、祖母の沈黙と家の古さが、家族の歴史そのもののように感じられてくるところがうまい。

子どもたちの目線は無邪気だが、その背後で読者は「大人たちが直視したくない何か」を察してしまう。黒澤明の映画『八月の狂詩曲』の原作として知られているものの、小説の方がずっと密やかで湿度が高い。自分の子ども時代の記憶とつながる人も多いはずで、読み終える頃には、自分の家の台所にも言葉にならない気配が棲んでいたことを思い出してしまう。村田喜代子の世界への最初の入口として、いちばん素直におすすめできる作品だと思う。

2. 『蕨野行』

「六十歳になったら山へ捨てられる」という伝承を正面から受けとめ、老婆たちの視点から描き直した長編だ。設定だけ聞くと救いのない話に思えるが、実際にページを開くと、そこにいるのはただの“可哀想な老人”ではない。山の気配を読み、薬草を知り、火を起こし、どうにか生き延びようとするしたたかな身体だ。読んでいるあいだ、土の匂いや湿った空気がこちらの皮膚にまで張りついてくる。

山に置き去りにされた老婆たちが交わす会話には、絶望だけでなく、皮肉や笑いも混じっている。そのユーモアが、むしろ彼女たちの誇りや生きる意志の強さを照らし出す。読み終えたとき、「棄老」の物語を読んだというより、人が環境とともに生きるとはどういうことかを突きつけられた感覚が残る。老いを弱さではなく、別種の力として描き切った、村田作品のなかでも核に近い一冊だ。

3. 『飛族』

日本海の離島で暮らす九十代の海女二人を主人公にした、海の小説だ。波に揉まれながら海に潜り続ける老婆たちの身体は、もはや人間と海との境界そのもののようで、読んでいると潮のにおいが鼻の奥に残る。高波や時化の描写は容赦がないが、そこに怯えながらも潜りつづける彼女たちの姿には、どこか明るさすら感じてしまう。

過疎の島で、若い者たちはもう海に潜らない。そんななかでも、自分たちのやり方で海とつながり続ける老婆たちの姿には、静かな誇りと孤独が同時に宿っている。老いを「終わり」ではなく、「なお飛び続ける段階」として描いたタイトルのセンスも含めて、村田喜代子の海・老い・土地へのまなざしが凝縮された作品。海辺の場面が好きな人には、真っ先にすすめたくなる一冊だ。

4. 『屋根屋』

屋根屋

屋根屋

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夢を操ることができるという屋根屋の男と、彼に導かれて奇妙な夢の旅へ出る主婦の物語。現実と夢の境界が少しずつほぐれていく感覚が、この小説の大きな魅力だ。昼間はごく普通の生活を送っているはずなのに、夜になると別の世界に足を踏み入れてしまう。その行き来のリズムが、読者の体内時計までゆっくり狂わせてくる。

印象的なのは、夢の世界が決して派手なファンタジーではなく、「現実からほんの半歩ずれた場所」として描かれていることだ。見覚えのある街角や家の中が、すこし色味を変えて現れ、その違和感がじわじわ増幅していく。読みながら、自分が前に見た奇妙な夢の断片を思い出す人も多いだろう。日常にうっすら疲れを感じているときほど、静かに効いてくる一冊だと思う。

5. 『ゆうじょこう』

明治期の遊廓を舞台に、過酷な環境で働かされている少女たちが、やがてストライキと連帯へ向かっていくまでを描いた長編だ。最初は、窓のない部屋や道具として扱われる身体の描写が重くのしかかるが、読み進めるうちに、少女たちのあいだで育っていく小さな友情や反抗の芽がはっきり見えてくる。

彼女たちは被害者であると同時に、自分の感情や欲望を持った一人の人間として描かれる。ささやかな冗談や内緒話、時には互いを羨んだり、憎んだりもする。その揺れを含んだ姿が、ストライキの場面で一気に結晶する。読者は「かわいそうな遊女」ではなく、「自分たちの生を取り戻そうとする少女たち」の物語として受け取ることになるだろう。歴史ものが苦手な人にも、人物の息遣いから入っていける力のある作品だ。

6. 『白い山』

白い山

白い山

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『白い山』に出てくる老婆たちは、ただ年老いて弱っていく存在ではなく、山そのものの気配をまとった“生きた地形”のように見える。奇妙な行動をとったり、唐突に昔話を始めたり、笑っているのか怒っているのか分からない表情を浮かべたりする彼女たちが、読み手にはどこか懐かしく映るのが不思議だ。物語の舞台となる土地は、特別な観光地でも霊場でもないはずなのに、老婆たちが歩き回ることで「白い山」というひとつの人格を持ちはじめる。

この作品の魅力は、怖さと可笑しさが常に同居しているところにある。日常のすぐ隣に、ことばにできない“異物”がある。その異物を、村田喜代子は老婆たちの存在を通してそっと可視化してみせる。読んでいると、自分の身の回りにもこうした“山の気配を連れているような年寄り”がいたことを思い出し、胸の奥が少しざわつく。老いをただの終着点ではなく、何か別の世界へ通じる入口として描いた、村田文学のエッセンスが詰まった一冊だと思う。

7. 『新古事記』

『新古事記』は、原爆開発の拠点となったロスアラモスを舞台にしながら、日本の古い神話と現代史を大胆に重ね合わせた意欲作だ。核開発という冷たい事実の背景に、科学者たちとその家族の日常があり、その生活のひだには、名もなき神々や精霊のような気配がたえず揺れている。史実をそのままなぞるのではなく、そこに古事記の神々の語りがにじみ出てくるような構成が、読んでいてとても不思議な読後感を残す。

印象的なのは、「人間はとっくに神話から離れたつもりでいても、実は別の形の神話の中に生きているのではないか」という感覚が、静かに追いかけてくるところだ。科学の最前線にいる人々の家で交わされる、ごく普通の会話や家族の気遣い。その足元に、世界を揺るがす“物語”がじわじわと立ち上がっている。重たいテーマにもかかわらず、どこか淡く抒情的な語り口で進んでいくので、歴史小説が苦手な人でも、この作品からなら近づけるかもしれない。村田喜代子のなかでは少し異色だが、確実に後期代表作の一本に数えたくなる小説だ。

8. 『焼野まで』

『焼野まで』は、作者自身のガン治療体験を土台にした長編で、放射線治療の場面や病院の空気が、驚くほど生々しく描かれる。だが、そこで描かれるのは単なる闘病記ではない。治療中に見える幻覚や、身体が少しずつ変わっていく感覚を通して、「生と死のあわい」が幻想的なかたちで立ち上がってくる。患者仲間との会話や、医師・看護師とのやりとりにはユーモアもあり、読者はいつの間にか病棟の廊下を一緒に歩いているような気分になる。

特に印象に残るのは、痛みや不安が“別世界への通路”として描かれている点だ。苦しみそのものが異界のイメージを生み、それが現実の病室と重なって、独特の光景を作り出す。読後には、身体の中にある説明しようのない違和感や、言葉にならない恐怖もまた、一種の物語になりうるのだと感じさせられる。重いテーマなのに息が詰まるような読みにくさはなく、むしろ「自分だったらどうだろう」と静かに考えさせる余白が多い。村田喜代子の幻想性と私小説的な要素が、もっとも近くで結びついた作品と言っていいかもしれない。

9. 『姉の島』

姉の島 (朝日文庫)

孤島で暮らす高齢の海女と、その孫の物語として始まる『姉の島』は、海洋文学としても、家族小説としても読める奥行きのある一冊だ。島の周囲には複雑な海底地形や沈没船があり、海の底の風景が、登場人物たちの記憶や感情と重なり合うように描かれていく。海女の祖母は、単純な“優しいおばあちゃん”ではなく、海とともに生きてきた者だけが持つ冷徹さや勘の鋭さをにじませていて、そこがたまらなく魅力的だ。

孫の視点を通して見る島の暮らしには、都会から離れた世界ならではの孤独も、自由さもある。海へ潜る場面では水温や光のゆらぎまで伝わってくるようで、読者も一緒に息を止めてしまう。泉鏡花文学賞受賞作という肩書きが示す通り、現実と幻想の境界が静かにほどけるような描写が随所に出てくるが、それらは決して難解ではなく、むしろ波のリズムのように自然に身体へ入ってくる。祖母と孫、それぞれの“島からの出方”を見届けたとき、海の青さが少し違って見えてくるはずだ。

10. 『龍秘御天歌』

『龍秘御天歌』は、九州の伝統芸能・神楽を軸に、人々の情念や土地に根づいた信仰を描き出した作品だ。舞台となる村には、古くからの儀礼や歌が息づいていて、夜の社で神楽が始まると、人間と神の境界がふっと揺らぐ。その時間帯の空気の変化が、ページ越しにも伝わってくるようで、読んでいると自分もどこかの山里の祭りに紛れ込んでしまったような感覚になる。

登場人物たちは、生活の苦しさや世代間の軋轢を抱えながらも、神楽だけはやめない。むしろ、それを続けることでしか自分たちの存在を保てないようにも見える。伝統芸能を「文化財」としてではなく、血の通った営みとして描いている点が、この作品の大きな強みだと思う。芸術選奨文部大臣賞を受けたのも納得の密度で、祭りの夜の熱気や、終わったあとのさびしい冷気まできちんと残してくれる。土地に根ざした物語が好きな人や、神話・民俗学の雰囲気が好きな人には、特に刺さる一冊だ。

11. 『真夜中の自転車』

入院患者たちと看護師の人間模様を描いた連作短編集。病院という閉じられた空間が舞台なのに、タイトルどおり「真夜中の自転車」のイメージがどこか開けた遠さを連れてくるのが面白い。夜の病棟を自転車が走るわけではないのに、不眠の患者や見回りの看護師の視点を通して、じわじわと“病院の外”の風景がにじみ出てくる。動けない身体と、どこへでも行けるはずの想像力。その対比が静かに効いてくる一冊だ。

奔放な患者や、少し疲れた看護師たちの言動には、シリアスな状況にもかかわらずユーモアが滲む。ときに面倒くさい人たちでもあり、しかし、読んでいるうちに彼らのささやかな誇りや、意地のようなものが見えてくる。病院を舞台にした物語にありがちな暗さや劇的な感動よりも、「こういう夜が本当に続いているかもしれない」という生々しい実感が残る。重たいテーマを避けたいときにも、するりと読めるのに、読み終えると不思議と胸が温かくなる短編集だと思う。

12. 『人が見たら蛙になれ』

幻の骨董品を求めて九州、ロンドン、フィレンツェへと旅する男女の物語で、骨董というモチーフを通して「人がものを見る目」そのものが試されていく。タイトルの「蛙になれ」には、他人の視線に晒されたとき、人や物がまったく違う姿に見えてしまうという皮肉が込められているように感じる。骨董に惹かれる人々の癖のある性格や、古物が持つ時間の厚みが、軽妙な筆致で描かれるのが心地よい。

旅の描写が細かく、街角や店内の空気、骨董屋特有のにおいまで伝わってくる。登場人物たちは時に滑稽で、時に危うく、決して「善人」としては描かれないが、そこがまた魅力だ。彼らが探しているのは、本当は骨董ではなく、自分の生き方を映す何かではないかと思わされる瞬間がある。旅と骨董、ピカレスク的な要素が好きな人には、物語の軽やかさと裏に潜む毒気のバランスがたまらない一冊だ。

13. 『蟹女』

蟹女

蟹女

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蟹の養殖場で働く女性たちを描いた表題作を中心に、生命力とエロスが濃密に立ち上がる短編集。蟹の甲羅や脚の感触、ゆで上がるときの湯気、工場の生臭さと湿気――そうした環境が、そこで働く女たちの身体と、ほとんど差がないものとして描かれている。彼女たちは過酷な労働に従事しながらも、笑い、怒り、欲望し、自分の身体を武器にも盾にもして生き延びようとする。

読んでいると、「働く身体」の生々しさに圧倒される一方で、そのたくましさにどこか救われる気持ちも湧いてくる。蟹というモチーフが、単なる職場の風景を超えて、女たちの硬い甲羅や、内側に秘めた柔らかさを象徴するようにも見えてくる構成がうまい。紫式部文学賞受賞作を含むだけあり、女性の身体と労働、欲望をここまで露骨かつユーモラスに描ける作家はそう多くない、と改めて感じさせてくれる一冊だ。

14. 『望潮』

望潮

望潮

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川端康成文学賞を受賞した表題作「望潮」を中心に、海辺の町を舞台とした短編集。塩気を含んだ風や、干潟に残る水たまり、砂の上に残った足跡――そうした細部の描写から、登場人物たちの心の揺れが静かに立ち上がってくる。海は時に優しく、時に残酷な背景として横たわり、人々の記憶や後悔、ささやかな望みを映し出す鏡のような役割を果たしている。

「望潮」という言葉そのものが、美しくも切ない。満ち引きする潮を待ちながら、過去の出来事を反芻する人物たちの姿には、自分自身の人生の一場面を重ねてしまう読者も多いだろう。大きな事件は起きないが、その分、心の奥で長く響き続けるタイプの物語が揃っている。派手なドラマよりも、心の静かな波紋を味わいたいときに、そっと開きたくなる本だ。

15. 『鯉浄土』

鯉浄土

『鯉浄土』は、ユーモアと毒気を含んだ現代の怪談・奇談集と言っていい一冊だ。鯉というモチーフが、ただの観賞魚や料理の材料としてではなく、人間の欲望や業を映し出す不思議な存在として登場する。池の水面に揺れる影や、ぬるりとした手触り、口をぱくぱくさせる姿――そうした具体的なイメージが、物語の中でじわじわと異様な意味を帯びていく。

怪談といっても、読者をただ怖がらせることが目的ではない。むしろ、日常のすぐとなりに「浄土」と呼ぶにはあまりに俗っぽい、しかしどこか救いのある世界が並走していることを示してくれる。登場人物たちは、ささいなきっかけでその世界に足を突っ込み、戻れなくなったり、あるいは妙に居心地よく感じたりする。その揺れが可笑しくもあり、少し寂しくもある。日常と怪異の境界線を、笑いを交えながら歩きたい人に向いた一冊だ。

16. 『偏愛ムラタ美術館』

『偏愛ムラタ美術館』は、村田喜代子が絵画や芸術作品について語ったエッセイ集で、小説とは少し違う角度から彼女の感性に触れられる一冊だ。美術館の展示室で作品と向き合うときのまなざしや、画家の人生に寄せる想像が、どれも「ひとつの物語」として立ち上がってくる。タイトルどおり「偏愛」ゆえの偏りや執着が見え隠れし、その偏りがむしろ読んでいてとても心地よい。

絵を前にしたときの、言葉にならない感覚を、村田は無理に整理せず、すこし揺れたまま差し出してくる。そこが小説と似ている部分でもあり、彼女がものを見るとき、常に「物語になる余地」を探していることが伝わる。美術そのものに詳しくなくても、作品に対する著者の反応を追うだけで、じゅうぶん楽しめる構成だ。村田文学の源泉のひとつを知りたい人には、隠れた必読書だと思う。

17. 『美土里倶楽部』

『美土里倶楽部』は、村田喜代子らしい「ちょっと古びた場所」に、奇妙に濃い人間模様がぎゅっと詰め込まれた一冊だ。タイトルから受ける印象どおり、物語の中心には“倶楽部”と呼ぶにはささやかな、しかしそこに集う人々にとっては世界の中心のような場所がある。地元の人たちが持ち寄る噂話や嫉妬、ささいな親切と悪意が、ゆるやかに絡み合いながら物語を進めていく。その空間の古びた質感――剥がれかけたポスターや少し曇ったガラス、座り慣れた椅子の軋み――が、読者の身体感覚にまで入り込んでくるのが心地よい。

登場人物たちは、ぱっと見にはどこにでもいるような人たちだが、それぞれの胸の内には、言葉にしそびれてきた不満や夢が溜まっている。村田はそれを真正面から暴き出すのではなく、会話の端々や沈黙の長さを通してじわじわと浮かび上がらせる。読んでいると、「ああ、こういう人、近所にもいたな」と思い当たる瞬間が何度もあるはずだ。華やかな事件は起きないのに、読み終える頃には、ひとつの小さな共同体の時間を丸ごと体験したような充足感が残る。村田作品の中でも、“人の集まる場所”をテーマにした小説が好きな人には特に響く一冊だと思う。

18. 『村田喜代子傑作短篇集 八つの小鍋』

『村田喜代子傑作短篇集 八つの小鍋』は、そのタイトルどおり、小さな鍋をひとつずつ火にかけるように、八つの物語がそれぞれ違う匂いと温度で煮立っていく短編集だ。『鍋の中』に象徴されるように、村田の作品世界には台所や鍋、食べ物がよく登場するが、それらは単なる生活の風景ではなく、家族の記憶や土地の時間をすくい上げる器として描かれる。この一冊では、そうした“鍋のモチーフ”が、作品ごとに微妙に形を変えながら現れ、読者の記憶の中にもそれぞれの小鍋がひとつずつ残っていく。

傑作短篇集の名にふさわしく、収録作のどれもが「村田喜代子らしさ」を違う角度から見せてくれる。老いをテーマにしたもの、海や山といった土地の気配が濃いもの、家庭の中の言えない感情がふっと顔を出すもの――読み進めるうちに、「この作家の世界はひとつの大きな鍋であり、その中に無数の具材がぐつぐつと共存しているのだ」と感じてくる。長編に挑む前に世界観を掴みたい人にも、すでに代表作を一通り読んでいて「もう一歩奥へ入りたい」読者にも、どちらにも勧めやすい一冊だ。

19. 『名文を書かない文章講座』

『名文を書かない文章講座』は、作家・村田喜代子が「文章を書くこと」について語った、実用とエッセイのあいだにあるような本だ。タイトルにわざわざ「名文を書かない」と掲げているところに、この本のスタンスがよく表れている。つまり、飾り立てた名文を目指すのではなく、自分の実感や視線に忠実な文章をどうやって紡いでいくか、ということに徹底してこだわっているのだ。

作家としての技術論だけでなく、「どんなふうに物を見るか」「どんな言葉を使うか」といった、もう少し手前の感覚の話が多いのがうれしい。比喩の作り方やリズムの整え方よりも、「変だと思ったことを、その変さのまま書いてみる」「かっこよく見せようとする癖を手放してみる」といった、書き手の心構えに踏み込んだアドバイスが中心になっている。小説家志望の人はもちろん、ブログや感想文、日記など、自分のことばで何かを書いてみたいと思っている人にとっても、窮屈さをほどいてくれるような一冊だ。村田の小説が好きな人なら、「あの文体はこういう視点から生まれているのか」と裏側を覗き見る楽しみもある。

20. 『村田喜代子の 本よみ講座』

『村田喜代子の 本よみ講座』は、作家が「本をどう読むか」について語った、読書案内兼エッセイ集だ。いわゆる書評本とも違い、名作を体系的に紹介していくのではなく、村田自身が出会ってきた本や印象に残った場面を手がかりに、「読む」という行為そのものの楽しさと難しさをほぐしていく。どの章にも、書き手としての視点と、一読者としての素朴な驚きが同居していて、そのゆれ具合がとても人間くさい。

印象的なのは、「正しく理解しようとしすぎないほうが、かえって本と長く付き合える」というような語りだ。分からない部分を抱えたまま読み進めたり、しばらく本から離れてまた戻ってきたり、そうした回り道こそが“本よみ”の醍醐味だと静かに教えてくれる。村田作品の読者として読むと、「この人はこんなふうに他人の本を読み、自分の作品を育ててきたのか」と、創作の源泉に触れたような気持ちにもなる。読書が好きだけれど、最近なんとなくページが進まない、と感じているときに開くと、本との距離をもう一度やわらかく結び直してくれる一冊だ。

関連グッズ・サービス

本を読んだ後の学びを生活に根づかせるには、生活に取り入れやすいツールやサービスを組み合わせると効果が高まる。

村田喜代子作品をゆっくり読み返すためのツール

『鍋の中』や『蕨野行』のような作品は、一度読んで終わりというより、季節や心境が変わるたびに読み返したくなるタイプの本だ。紙の本が好きでも、移動中やスキマ時間には電子や音声を併用したほうが、どうしても読書量が増える。ここでは、そんなときに相性のいいサービスをいくつか挙げておく。

Kindle Unlimited

村田作品と同じ系統の日本文学や、民話・幻想系の本を一気に追いかけたいときは、読み放題サービスがあると気が楽だ。紙で手元に置きたい一冊を決めるまで、まずは電子でざっと試し読みしていく、という使い方もできる。夜中にふと気になった本をその場で開ける感覚は、一度慣れるとなかなか手放せない。

Audible

老いの気配や土地の空気感が強い物語は、声で聞くとまた違う表情を見せる。通勤時間や家事のあいだに、朗読で日本文学を流しておくと、生活そのものに物語のリズムが染み込んでくる感じがある。海や山が出てくる場面を目を閉じて聴いていると、自分の記憶と重なって、不意に胸が締めつけられる瞬間もある。

Kindle端末と、読書用の「ぬくもりグッズ」

村田喜代子のような、ゆっくり味わいたいタイプの文学は、寝る前の暗い部屋で読むことが多くなる。そういうとき、目に優しい専用のKindle端末が一台あると、スマホで読むよりずっと集中しやすい。紙の本と併用して、「気に入った作品だけ紙で残し、それ以外は端末に入れておく」という使い方も現実的だ。

あとは、膝掛けや厚手のソックス、ハーブティーなど、自分なりの“読書の相棒”をひとつ用意しておくといい。山や海、病院の夜といった重めの風景を読んだあとでも、身体が少しあたたまっていると、物語の余韻を安心して受け止めやすい。村田作品はどれも静かな熱を持っているので、その熱をゆっくり冷ますための小さな儀式として。

まとめ

村田喜代子の作品を並べて眺めてみると、どの本にも「老い」「土地」「身体」「見えない世界」といったキーワードが、少しずつ形を変えて顔を出していることに気づく。夏の台所、山の闇、海に潜る海女たち、病院の夜、骨董の眠る倉庫。どれも現実の一部でありながら、ほんのわずかに異界へ傾いている。その傾きの角度が、作品ごとに違う。

読み進めるうちに、読者は「かわいそうな老人」や「特別な土地」の物語を読んでいるのではなく、自分自身の暮らしの中にもこうした気配があったのではないか、と振り返るようになる。祖父母の家の匂い、病室の窓から見た風景、夜更けに急に怖くなった台所。村田喜代子の小説は、忘れていたそれらの断片を、静かに呼び戻してくる。

どこから読んでもいいが、いくつかの軸で選ぶと、それぞれ違う風景が立ち上がる。気分に合わせて、少し贅沢に選び分けてみてほしい。

  • まず一冊だけ読むなら:『鍋の中』
  • 老いと生命力のまぶしさを味わうなら:『蕨野行』『飛族』
  • 幻想寄りの濃い世界に浸りたいなら:『白い山』『八百万』
  • 病や都市の気配も含めて幅広く知りたいなら:『焼野まで』『火星の虫』
  • 全体をざっくり掴みたいなら:『第一芸人文庫 村田喜代子』

どの一冊から入っても、読み終わったあとに残るのは、「人間はこんなふうに生きてしまう生き物なのだ」という、少し苦くて、でもどこか誇らしい感触だと思う。心と時間に少し余裕のある夜に、一冊だけテーブルの上に伏せて置いておく。そのくらいの距離感で、長くつきあっていきたい作家だ。

FAQ

Q1. 村田喜代子を初めて読むなら、どの順番がおすすめ?

いちばん入りやすいのは『鍋の中』だと思う。家族や夏休みという身近なモチーフから始まり、徐々に“見えない何か”が顔を出してくる流れがつかみやすい。そのあと、老いと土地のテーマを強く感じたいなら『蕨野行』や『飛族』に進み、さらに幻想寄りの世界を深掘りしたければ『白い山』『八百万』を選ぶといい。全体像を先に掴みたいなら、『第一芸人文庫 村田喜代子』で短編をいくつか摘んでから長編へ向かう、という順番も悪くない。

Q2. 怖そうで手が出にくいのだけど、ホラーが苦手でも読める?

たしかに「棄老」や「怪談」「異界」といった言葉が並ぶと身構えてしまうが、村田喜代子の怖さは、どちらかというと静かな「ぞわり」に近い。血が飛び散るようなホラーではなく、日常の風景が少しだけずれていく怖さだ。しかも、その怖さの中に必ずユーモアや温かさが混じっている。ホラーが苦手なら、まず『鍋の中』『真夜中の自転車』『偏愛ムラタ美術館』あたりから入って、慣れてきたら『蕨野行』『蟹女』のような濃い作品に広げていくと読みやすい。

Q3. 歴史や民俗の知識がないと難しい?

伝統芸能や民話、地方の風習が多く出てくるので不安になるかもしれないが、予備知識がなくても読めるように書かれている。たとえば『龍秘御天歌』の神楽や、『八百万』の神々・妖怪は、説明というより「その場にいる誰か」の視点で描かれるので、読んでいるうちに自然と雰囲気が分かってくる。細かい用語の意味よりも、土地の空気や人々の息遣いに身を任せて読んでいったほうが、この作家の場合は楽しめると思う。気になったら、読み終わったあとで少し調べるくらいで十分だ。

Q4. 一冊読むのにけっこう体力が要りそうで不安……

たしかに、どの作品も手触りが濃いので、一気に何冊も読むと少し疲れるかもしれない。おすすめなのは、短編集と長編を交互に読むことだ。たとえば『鍋の中』や『白い山』など短編系で世界観に慣れつつ、ときどき『蕨野行』『八百万』のような長編に腰を据えて向き合う。数ページ読んで、しばらく閉じて考え込むような読み方が似合う作家なので、仕事や家事の合間に少しずつ読み進めるスタイルでも十分に味わえる。

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