どこかざらついた日常の感触に、ふと笑ってしまう瞬間が混じる。そんな「本谷有希子の世界」に魅せられる読者は多い。鬱屈、承認欲求、夫婦の歪み、家族の奇妙な密室感──誰もが持つ心のノイズを、彼女は驚くほど正確に、そしてユーモラスにすくい上げる。
初めて読む人にとっても、何冊か読んでいる人にとっても、その不穏さと可笑しさは新しい顔を見せてくる。この記事では、本谷作品の核心に触れつつ、読む順番にも迷わないように一冊ずつ厚めのレビューで案内していく。
- 本谷有希子について
- おすすめ14選
- 1. 『異類婚姻譚』 (講談社文庫)
- 2. 『生きてるだけで、愛。』 (新潮文庫)
- 3. 『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』 (講談社文庫)
- 4. 『ぬるい毒』 (新潮文庫)
- 5. 『自分を好きになる方法』 (講談社文庫)
- 6. 『嵐のピクニック』 (講談社)
- 7. 『幸せ最高ありがとうマジで!』 (講談社)
- 8. 『遭難、』 (講談社)
- 9. 『静かに、ねぇ、静かに』 (講談社文庫)
- 10. 『あの子の考えることは変』 (講談社文庫)
- 11. 『乱暴と待機』 (講談社文庫)
- 12. 『来来来来来』 (新潮文庫)
- 13. 『あなたにオススメの』 (講談社文庫)
- 14. 『セルフィの死』 (単行本/講談社)
- 関連グッズ・サービス
- まとめ
- FAQ
- 関連記事
本谷有希子について
1979年、石川県生まれ。劇団主宰として戯曲を執筆しながら、並行して小説家としても頭角を現した稀有な作家だ。初期は強烈な自意識と破れかぶれな人間関係を描いた戯曲で注目を集め、やがて小説でも野間文芸新人賞、三島賞、芥川賞、大江賞と主要文学賞を次々と獲得した。
本谷作品の特徴は「不気味さ」と「笑い」が紙一重で共存していることだ。登場人物は平凡な日常を生きているのに、自分でも気づかない心の奥に沈んだ「恥」「嫉妬」「狂気」がふと顔を出す。その瞬間、本谷の物語は一気に動き出す。しかも恐ろしいのにどこか可笑しい。
SNS社会、承認欲求、夫婦関係、家庭という密室──現代を生きる私たちが避けて通れないテーマを、本谷は特別な装置なしに、ただそこにある空気の歪みとして描き出す。だから読むと「自分の中にも似た影があった」と胃の奥がざわつくのに、なぜか癖になる。
小説と戯曲の両方を自在に横断するため、物語には演劇的な緊張やテンポが宿る。それが本谷の世界を、静かさと爆発を同時に含んだ唯一無二の文学へと押し上げている。
おすすめ14選
1. 『異類婚姻譚』 (講談社文庫)
読みはじめてすぐ、胸の奥にざらりとした違和感が触れる。主人公の「私」が、ふと自分の顔が夫に似てきていると気づく冒頭。この“些細すぎる気づき”から物語は少しずつ軋み始める。夫婦という制度の不気味さ、同化していくことの奇妙さ、そして自分が自分ではなくなる恐怖。それらが静かに、しかし確実に読者に迫ってくる。
本書が芥川賞を受賞したのは、その不安が単なるホラー的恐怖ではなく、「日常の中で普通に起こり得る揺らぎ」として成立しているからだと思う。台所の匂い、夕食の献立、夫との会話。なんでもない生活の手触りが丁寧に積み重ねられているのに、その背後に“もうひとつの世界”がぬっと顔を出す。そのコントラストが見事すぎる。
読んでいると、夫婦という制度そのものが気味悪い生き物のように感じられてくる。愛の物語ではなく、共同生活の異様な同調圧力に光を当てた作品だ。それでいて、くすっと笑ってしまう軽やかな瞬間もある。この混ざり方が本谷独特だ。
文章は鋭く、余計な装飾を持たない。だが、その切れ味のよさが主人公の不安をより強く浮き上がらせる。読み終えたあと、自分の顔を鏡で確かめたくなる。そんな余韻が残る。
夫婦関係に違和感を抱いたことがある人、同棲で “同じ空気を吸いすぎた” ことの窮屈さを知っている人には、特に刺さる。夜、静かな部屋で読むと、ページをめくる指がゆっくりになる。怖いのに先を読みたい。その感覚がクセになる。
2. 『生きてるだけで、愛。』 (新潮文庫)
鬱による過眠症を抱える寧子と、その彼女を支える恋人・津奈木。この2人の“不器用さ”があまりにも痛くて、あまりにも真実味がある。恋愛小説というより、人間の限界と弱さ、その隙間に生まれる「どうしようもなさ」を描いた作品だ。
寧子の眠りは「逃げ」でもあるし「癖」でもあるし「症状」でもある。彼女自身もそれを説明できない。その曖昧さを、本谷は驚くほどリアルに描く。眠りと覚醒の境界、日常の緩やかな崩壊、焦燥感の渦。読者は寧子の内部にずるりと落ちていく。
対する津奈木も完璧ではない。寧子を愛しているのに、愛し方を間違え続ける。すれ違い、苛立ち、期待、失望。その感情の変化が、丁寧に、しかし残酷なほど正確に描かれていく。愛情があるのに支えきれない苦しさを知っている人には、胸がひりつく。
映画化によって作品の世界観がより多くの読者に届いたが、原作の文字の強度はやはり格別だ。特に寧子の独白には、「言葉にできない感情を必死に言葉に押し戻そうとする」圧がある。息が詰まりそうになる瞬間すらある。
夜に静かに読みたい一冊だ。読みながら何度も立ち止まり、自分の内側を覗き込んでしまう。愛とは、支えることとは、共に暮らすとは何か。そんな根源的な問いが、読後にじんわりと残る。
電子版(Kindle Unlimited にも一部対応)で読むと、心情描写の細かさがより濃密に染みてくる。
3. 『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』 (講談社文庫)
本谷作品の中でも「笑い」の鋭さが突出している戯曲。自意識の塊のような姉・澄子と、彼女に翻弄され続ける妹。家庭という密室に渦巻く歪みが、痛々しくも可笑しく描かれる。
姉の暴走、自分語り、圧倒的な自己中心性。その滑稽さが笑えるのに、笑った瞬間「自分にも似た部分があるのでは?」と背後に冷たい影が差す。本谷のブラックユーモアの真骨頂だ。
この作品の魅力は、舞台脚本特有の“余白”にある。登場人物のセリフはぎこちなく、どこか回りくどい。だが、その不器用さこそがリアルで、多くの家庭に潜む葛藤を照らしてしまう。特に澄子の自己顕示欲の狂い方は、SNS時代の私たちの姿とも重なる。
映画版も有名だが、原作のテンポと毒気の強さは別次元だ。読み進めるほど、姉妹の関係が少しずつ壊れていく音がする。ページの間から澱のような感情が漏れてくる。読者の心に刺さる。
本谷初期の代表作としてまず読むべき一冊。演劇の臨場感を活字で味わう楽しさがある。
4. 『ぬるい毒』 (新潮文庫)
本谷有希子の中編として、もっとも“読者をねじる”作品の一つだと思う。物語の中心にいるのは、嘘をつくことが日常と化した男と、その男に執着し続ける女。その関係性がとにかく歪で、理解不能で、けれど妙にリアルだ。
男は自分のために嘘をつくというより、「嘘をついてしまうこと」をやめられない。本人にとっては癖のようなもので、悪意があるわけでもない。その“無自覚さ”がむしろ恐ろしく感じる。本谷はこの「悪意の不在こそが不気味」という質感を、静かに、きれいに描く。
女の側もまた、彼の嘘に怒りながら、どこかでそれを必要としている。その依存の構造が、胸をざわつかせる。愛でもなく、支配でもなく、ただ相手に絡みつくような関係。“毒”という言葉がこれほど似合う物語はない。
展開はミステリのような緊張感を持ち、ページをめくるたびに小さな違和感が積み重なる。終盤にかけて、その違和感の糸がするすると解け始める瞬間は、どこか背筋が冷える。けれど読み終えると妙に腑に落ちるのが本谷らしい。
短く、鋭く、後を引く。寝る前に読むと、心のどこかがざらついたまま朝を迎えるタイプの一冊だ。電子版(Kindle版)で読むと、その刺さり方がさらに増す。
5. 『自分を好きになる方法』 (講談社文庫)
三島由紀夫賞を受賞した本作は、本谷の“自意識文学”の真骨頂だ。短編集でありながら、どの物語にも共通して漂うのは、自己愛の暴走と、世界とのかみ合わなさ。読んでいて心が痛くなるのに、同時に笑ってしまう。人間の滑稽さを容赦なく描く。
登場人物たちは皆、「自分を好きになりたい」という願望を抱えている。だが、その願望が強すぎて、自分を縛り、相手を傷つけ、自滅的な方向へ転がっていく。SNS時代の私たちが抱える“承認欲求の膨張”と驚くほど重なる。
なかでも印象的なのは、「わかってほしい」という衝動の扱い方だ。本谷はその感情を特別視しない。むしろ、世の中に満ちている“普通すぎる感情”として描く。だからこそ怖い。私たちの中にも、いつの間にか芽生えているからだ。
文章は軽妙だが、切れ味が強い。心の内側の柔らかいところを、うっかり針で突かれたような感じがする。読みながら笑うのに、読み終えると胸の奥が静かに痛む。そんな感覚を何度も味わった。
短編ゆえ、どこから読んでもいい。だが、一冊通して読むと、自己愛というテーマが立体的に浮かび上がってくる。電車の中で読みながら、「こんな人いるな」ではなく「自分にもあるな」と思えてしまうのが、この作品の魅力だ。
6. 『嵐のピクニック』 (講談社)
大江健三郎賞を受賞し、「小説家・本谷有希子」を決定づけた作品集。どの短編にも共通するのは、日常の中にふいに現れる“異物感”だ。不安でも恐怖でもないのに、妙に心に引っかかる。その引っかかりが物語を読む原動力になる。
本谷は劇作家として培った“空気の歪ませ方”を、小説でも存分に使っている。言葉の間合い、沈黙の長さ、視線のズレ。そのどれもが微細だからこそ、読者に「何かが変だ」という感覚を確実に植え付ける。
本作は短編だけで構成されているが、それぞれの世界観が驚くほど強く、読み終えるたびに少し休みたくなる。読者の心の奥が軽くひねられるようで、ページを閉じたあとも違和感が残る。その“残り方”が本谷作品の中でも特に鮮明だ。
日常に疲れた夜、静かな部屋で読むと、登場人物の息遣いまで聞こえてきそうな密度がある。ひとつの短編を読み終えるたびに「自分の世界もちょっと曲がったかもしれない」と思える。良い意味で世界が曇って見える作品だ。
スマホより紙の方が向いているタイプの本だが、電子版(Kindle)でもページの余白がしっかり効く。活字が静かに潜り込んでくる感覚が強い。
7. 『幸せ最高ありがとうマジで!』 (講談社)
岸田國士戯曲賞を受賞した、最強レベルの“空気の歪み”戯曲。タイトルの軽さとは裏腹に、内容は鋭く、重く、そして笑える。主婦が「幸福」を演じようとするほど崩れていく様子が、読んでいてヒリヒリするほどリアルだ。
主人公の主婦は、周囲の言葉をそのまま吸い込み、「自分もそうあらねば」と思い込み続ける。だが、その“幸福の演技”があまりにも不器用で、見ていられないほど痛々しい。その痛々しさが笑いを生む。笑ってしまう自分にまたぞっとする。この構造が本谷の真骨頂だ。
舞台脚本のため、会話のテンポが速く、空白も多い。だがその空白が恐ろしく効いている。読者はその沈黙の時間に、主人公の焦りと孤独をひしひしと感じる。幸福を求めるほど不幸になる、その地獄のループが見事に描かれている。
読み進めていくと、「幸福とは何か?」ではなく「幸福を欲しがりすぎるとどうなるか?」という問いが立ち上がってくる。現代のSNS社会で“幸せアピール”に疲れている人なら、この作品の痛さが深く刺さるはずだ。
短い戯曲なのに、読後の余韻は重い。日中に読むより、夜の静けさの中で読むのがいい。ことばの隙間に潜む感情の揺れが、より濃く感じられる。
8. 『遭難、』 (講談社)
最初のページから、空気がざわついている。学校という閉じた空間で、中学校教師たちが抱える欺瞞と悪意が、ほんの小さなほころびから露出していく。その“じわじわと迫る不穏さ”が本作の最大の魅力だ。
教師という職業は表向き「正しさ」を求められる。だが本谷は、その裏側にある人間の弱さ、嫉妬、見栄、劣等感の連鎖に目を凝らす。誰もが自分を守るために、ほんの少し嘘をつき、ほんの少し誰かを傷つける。悪意と善意が混ざりきらない濁った空気が、舞台脚本ならではの圧として紙面からにじみ出る。
特に会話のテンポが素晴らしい。何気ないやり取りのはずなのに、どこか噛み合わなくて、少し怖い。この“音のズレ”に気づいた瞬間、この物語の中で起きていることがただの人間関係の問題ではないとわかる。
読んでいて、自分の学校時代の記憶まで呼び起こされる。“大人の世界”の中にも、こんな密やかな闘争があったのかもしれない、と胸が少しざらつく。
電子版(Kindle 版)で読むと、会話の間の“沈黙の形”に気づきやすく、脚本の空白がより濃密に迫る。
9. 『静かに、ねぇ、静かに』 (講談社文庫)
SNS時代の本質を、本谷有希子ほど鋭く切り取った作品はあまりない。承認欲求、虚無、つながりへの渇望。どの短編にも、スクロールする指先の向こう側にひしめく“満たされなさ”が息づいている。
本谷はSNSそのものを批判しない。むしろ、そこに流れ込む人間の感情の量に着目する。誰かに見てほしい。誰にも見てほしくない。自分を好きになりたい。自分を演じたい。そうした矛盾を抱えた心の動きを、透明な語りで拾い上げる。
特に印象的なのは、登場人物たちの「距離の取り方」が極端に下手なところだ。近づきすぎて傷つき、離れすぎて不安になる。この絶妙な距離感の失敗が、現代を生きる私たちと重なりすぎて、読んでいて胸がざわついた。
文章はあいかわらず静かで優しいのに、その裏側に鋭い棘が隠れている。短編ごとの余韻がとにかく長い。1作読むたびにスマホを置いて、自分が誰に、何を求めていたのか少し考えてしまう。
Audible(Audible)で聴くと、言葉の“間”の怖さがより浮き上がる。文字以上に刺さる作品だ。
10. 『あの子の考えることは変』 (講談社文庫)
本谷の初期の小説作品集。2篇のみというシンプルな構成だが、どちらの物語も“初期ならではの暴れ方”があり、作者の原点を知るうえで欠かせない一冊だ。
本作に登場する人物たちは、総じて不器用で、痛ましくて、どこか幼い。だがその幼さが、残酷なかたちで他者にぶつかる。弱さと攻撃性が同居した感情の揺れが、とてもリアルだ。
本谷は初期からすでに、感情の“言語化されない部分”を拾い上げる力に長けていたことがわかる。セリフの裏に潜む沈黙、視線の泳ぎ、言葉の選び方のぎこちなさ。そのどれもが、人物たちの生々しい内面を浮かび上がらせる。
特に、「誰かにわかってほしい」という欲望の扱い方が初期から一貫している。この欲望が満たされないときの痛み、満たされすぎたときの違和感。その“揺れ”が描かれ方に容赦がない。
頁数は少ないが、読後の沈黙が長い。短い作品こそ、本谷の“濃度の高さ”がよくわかる。
11. 『乱暴と待機』 (講談社文庫)
浅野忠信主演で映画化され、一躍知名度が広がった代表戯曲。本谷作品の中でも、「覗き見」と「復讐」と「同居」が奇妙に絡み合う、最も“歪んだ四角関係”といえる。
舞台は、とあるマンションの一室。そこで共同生活を送る男女4人は、誰もが他者に執着し、誰もが自滅に向かって転がっていく。彼らは声を荒げるわけでもなく、劇的な事件が起きるわけでもない。それなのに、ページを読むだけで息苦しさが募る。
その理由は、本谷が「噛み合わない会話」を描く名手だからだ。登場人物同士が話しているように見えて、実際には誰も誰のことも理解していない。このズレが、笑えるのに痛々しい。そしてその痛々しさが、奇妙にクセになる。
物語後半、互いの執着が裏返り、四人の関係がじわりと破綻に向かう瞬間の緊張感は圧巻だ。静かな戯曲なのに爆発力がある。舞台演劇の「沈黙」がこんなにも怖いものだと、この作品が教えてくれる。
映画版も良いが、原作のセリフの冷たさと粘度の高さは別格だ。登場人物の心理が“言葉の隙間”にあらわになり、読者の心に染み込んでくる。
12. 『来来来来来』 (新潮文庫)
劇団「本谷有希子」時代の初期戯曲であり、作者の“原点の熱”がもっともストレートに表れた作品だ。夏合宿に集まった家族の、崩壊とも再生ともつかない奇妙なドラマが描かれる。
家族という単位は、愛情よりも“逃れにくさ”のほうが問題になることが多い。本谷はその逃れにくさを、笑えてしまうほど露骨に描く。会話は噛み合わず、過去のわだかまりは解消されず、誰もが誰かを責めながら、同時に依存し続ける。
本作は完成度というより“熱量の塊”だ。荒々しく、むき出しで、未完成で、それが逆に本谷の演劇的才能を強烈に照らす。登場人物のセリフの背後に、作者自身の叫びが透けて見えるような瞬間すらある。
読み進めるほど、読者の心の奥で何かがざわざわしはじめる。家族が持つ“どうしようもなさ”を描き切った初期傑作だ。
13. 『あなたにオススメの』 (講談社文庫)
タイトルからして軽やかな印象を受けるが、読み進めるほど「オススメ」という言葉の裏にある冷たい圧力がじわじわと立ち上がる。本谷有希子が描く“選択の不自由さ”の物語だ。
ストーリーは、日常的に目にする「オススメ」──SNSのアルゴリズム、ECサイトのレコメンド、友人の善意のアドバイス──が、主人公の生活に徐々に入り込み、思考や感情を侵食していく、というある種の現代ホラーに近い。特別な事件は起きない。だが、周囲の“親切めいた提案”が積み重なるほど、主人公の輪郭が曖昧になっていく。
この作品が怖いのは、「誰かの勧め」に従うことが、便利であるだけでなく“楽”でもあるという点を本谷が容赦なく描くからだ。自分で選ぶことは労力で、責任で、ときに痛みを伴う。だから誰かの好意を借りる。その小さな習慣が、登場人物をじわじわと絡め取っていく。
本谷作品らしく、語り口は淡々としている。だが静けさの裏側に、不気味な笑いが潜んでいる。読者は主人公の焦りに共感しつつ、いつの間にか自分自身も似た“オススメの海”の中で生きていることに気づかされる。
読み終えると、「これは誰の選択だったのか?」という問いが胸に残る。SNS疲れ、人間関係のしんどさ、自己決定への迷い──そうした現代病に敏感な読者ほど深く刺さるはずだ。
短く読めるが、読後の余韻は長い。本谷有希子の“現代の不安を射抜く筆致”を最も端的に示す一冊だ。
14. 『セルフィの死』 (単行本/講談社)
本谷有希子がデビュー以来追い続けてきた「他者との距離」「承認欲求」「架空の自己像」が、最も複雑な形で結晶化した作品。タイトルにある“セルフィ”はセルフ(Self)をもじったもので、現代的な「自撮り文化」や「SNSの自己演出」への痛烈な批評が物語の奥に流れている。
主人公は、自分自身の像を維持するために膨大なエネルギーを注ぎ続けている人物だ。周囲の期待を読み、求められる役割を演じ、微妙なニュアンスを調整しながら生きている。だがその“演じ続ける生活”が、徐々に軋み始める。誰かのまなざしがなくなると不安になり、注目されすぎると苦しくなる。その矛盾が、胸の奥で蠢く。
物語が進むにつれ、「セルフィ」が象徴するのは、ただの写真やSNS投稿ではなく、“外部の目線によって成り立つ自分”そのものだとわかる。読者は、主人公が自分自身を見失う過程を追いながら、同時に現代人が抱える「観察され続ける苦しさ」を強制的に見せられる。
本谷の筆は鋭いが、決して冷笑的ではない。むしろ主人公の弱さに寄り添いながら、その弱さが世界とどうぶつかるかを慎重に描く。特に終盤の静かな崩壊の描写は圧巻で、派手な展開がないのに息が詰まりそうな緊張感が続く。
作品全体を通して、「あなたは誰のための自分なのか?」という問いが突きつけられる。SNS時代を生きる人なら、避けて通れないテーマだ。
読後、スマホのカメラを開く手がふと止まる。そんな作品である。
関連グッズ・サービス
本を読んだ後の学びを生活に根づかせるには、生活に取り入れやすいツールやサービスを組み合わせると効果が高まる。
- Kindle Unlimited ─ 本谷作品のような“短編+濃密”タイプの小説は、夜のスキマ時間に読みやすい。Unlimited があると、気になった本をすぐ拾える。
- Audible ─ 会話劇中心の戯曲は、耳で聞くと違う表情を見せる。本谷作品は“沈黙の間”が重要なので、オーディオブックの相性が驚くほど良い。
- Kindle端末 ─ 寝る前に読んでもまぶしくない。短編集と戯曲の読書体験がより快適になる。
- ノート・ジェルペン ─ 本谷作品は心にざらつきが残るので、読後にメモを書きたくなる。
- アロマディフューザー ─ 不穏な物語を読むとき、部屋の空気を整えるだけで作品に没入しやすい。
まとめ
本谷有希子の作品を一気にたどると、人の心の「影」と「可笑しさ」が何度も入れ替わる。その揺れが、読者の中にも同じ波を作る。読書後に少し息苦しくなる瞬間もあるが、それこそが本谷作品を読む醍醐味だ。
- 気分で選ぶなら:『ぬるい毒』
- じっくり読みたいなら:『乱暴と待機』
- 短時間で読みたいなら:『静かに、ねぇ、もっと』
どの作品にも“日常の歪み”が静かに息づいている。あなたの生活のどこかに潜む影が、ふと立ち上がるかもしれない。そんな読書体験を、ぜひ味わってほしい。
FAQ
Q1. 本谷有希子はどの作品から読むのがいい?
初めてなら『異類婚姻譚』が最適。短く、濃く、彼女の作風の入口として完璧だ。少し重さに耐性があるなら『生きてるだけで、愛。』。戯曲の臨場感を味わいたい人は『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』から始めても良い。
Q2. 戯曲を読んだことがないけど大丈夫?
本谷の戯曲は“読みやすい脚本”の代表格だ。会話のテンポがよく、心理描写がセリフの隙間から自然に伝わるので、小説よりもスラスラ読める人も多い。Audibleと併用すれば臨場感がさらに増す。
Q3. 一冊読むと心がざらつくけど…これ普通?
本谷作品は“心の影”を正面から描く。それは決して悪い反応ではなく、自分の感情の奥を見つめられた証拠。重いと感じたら短編集から読み進めたり、Kindle Unlimited でライトな読み返しを挟むと良い。
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