高山羽根子の本をどこから読むか迷っている人へ
現実と非現実のあいだを、音もなく行き来するような物語が読みたくなる瞬間がある。派手な事件も、大きなカタルシスもないのに、気づけば自分の視界のピントが少しずれている。高山羽根子の小説は、まさにそんな読書体験をくれる。本棚にそっと差し込んでおくと、ふとした夜に無性に開きたくなるタイプの本だ。
この記事では、芥川賞受賞作『首里の馬』をはじめ、高山羽根子の主要作を「短評より一歩踏み込んだ厚めレビュー」でまとめる。あらすじにとどまらず、作品ごとの手触りや読後の体感まで含めて書いているので、「最初の一冊」を選びたい人も、「もっと読み進めたい」人も、自分に合う入り口を見つけてほしい。
高山羽根子とは?
高山羽根子は、1975年富山県生まれの小説家。多摩美術大学で絵画を学び、その後「うどん キツネつきの」で第1回創元SF短編賞佳作を受賞してデビューした。2016年には「太陽の側の島」で林芙美子文学賞、2020年には「首里の馬」で第163回芥川賞を受賞し、一躍注目を集めることになる。
作品世界の特徴は、日常からじりじりとにじみ出てくる「異物感」にある。舞台は、沖縄の郷土資料館、東京の片隅の住宅街、海沿いの町、監視カメラだらけの都市など、一見するとどこにでもありそうな場所だ。そこで暮らす人物も、前線で脚光を浴びるような人ではなく、どちらかといえば社会の周縁や、目立たない裏方の立場にいる人たちが多い。
その人たちの前に、「記録」「資料」「写真や映像」「モノ」がふと現れ、世界の見え方を少しだけ変えていく。高山作品に登場するテクノロジーや道具は、ガジェットとしての派手さではなく、記憶や歴史と結びついた「媒介」として描かれることが多い。読み終えたあと、物語のディテールよりも、「あのとき見えていた世界の角度」が妙にはっきり残るのが、高山羽根子という作家の個性だと感じる。
ここからは、その世界観を代表する8冊を通して、高山作品のさまざまな入り口を眺めていく。
主要作品リスト8選
前半では、高山羽根子の知名度を押し上げた芥川賞受賞作『首里の馬』と、初期短編集『うどん キツネつきの』、そして多くの小さな記憶が集まって一つの物語を形づくる『カム・ギャザー・ラウンド・ピープル』を取り上げる。どれも「日常のすぐ横に、言葉にしがたい異界がある」という感覚をくっきりと味わえる一冊だ。
読み進めるうちに、登場人物よりもむしろ「場所」や「空気」が印象に残っていく。その不思議な読後感こそ、高山作品の入口にふさわしい手触りだと思う。
1.『首里の馬』
沖縄の古びた郷土資料館で、未名子は中学生の頃から資料整理を手伝っている。大人になった彼女は、そこで働きながら、遠く離れた地で孤独に働く人たちにオンラインでクイズを読み上げる「問読者(トイヨミ)」という仕事を続けている。
宇宙ステーション、極地の深海、紛争地のシェルター。画面の向こうにいるのは、世界の端っこで黙々と作業する人たちだ。彼らと未名子をつなぐのは、ただ淡々と読み上げられる問題と、その答え。台風の夜、資料館の庭に迷い込んだ宮古馬が加わることで、島の歴史と、遠くの誰かの現在とが、奇妙な角度で接続しはじめる。
この作品の魅力は、「記録」と「孤独」が、クイズという一見軽やかな形式を通じて結びついていくところにある。郷土資料館に眠る古い紙片や写真、島の風習や言葉といったローカルなものが、遠くの誰かの生と静かにリンクしていく。その様子を見ていると、知識や記録が、単なる情報ではなく「誰かをつなぎとめるもの」として立ち上がってくる。
読んでいるあいだ、ページの向こうにはつねに湿度を含んだ空気が流れている。台風前後の空模様、資料館のひんやりした匂い、宮古馬の体温。そうした感覚的なディテールが積み重なり、物語のスケールは決して大きくないのに、読後には世界全体が少し広く、静かに感じられる。高山羽根子の代表作にして、最初の一冊にぴったりの入り口だ。
2.『うどん キツネつきの』
日常の隙間に“奇想”がひょいと顔を出す初期短編集。タイトルの可愛らしさから、ほのぼの系の作品を想像して手に取ると、いい意味で裏切られる。そこにあるのは、世界がほんの少しよじれているような感覚と、説明のつかない違和感だ。どの短編も、序盤はごく普通の風景から始まるのに、読み進めるうちに「これはいつもの現実とは別のレイヤーかもしれない」と思わせる。
短編ごとに語り口や設定は異なるが、共通しているのは、「現実世界のすみっこ」で起きている出来事に、しっかりと光を当てていること。声高な超常現象ではなく、気づく人だけが気づく微細なずれ。そのズレに気づいてしまった人物たちの戸惑いや、どこか諦めを含んだ受容の仕方が、妙にリアルで刺さる。
なかでも表題作は、日常の中に唐突に紛れ込んだ“異物”を、恐怖ではなく愛着と違和感が混ざり合う形で描いているのが印象的だ。読み終えてしばらくしてから、なぜか特定のシーンだけがやたらと思い出される。「あれは結局なんだったのか」と考えても、はっきりした答えは出ないのに、記憶だけがしぶとく残る。
初期作らしい荒さや、まだ形を探っているような部分もあるが、それ以上に「高山羽根子の世界の原型」がはっきり見える一冊だ。短編なのでどこから読んでも楽しめるし、通勤時間や寝る前のちょっとした読書にも向いている。「高山作品と、とりあえず一度触れてみたい」という人には、文庫版をかばんに放り込んでおく感覚で持ち歩いてほしい。
3.『カム・ギャザー・ラウンド・ピープル』
おばあちゃんの背中の美しさ、下校中に知らないおじさんに腹をなめられたこと、高校時代にいた話のつまらない男友だち・ニシダの記憶。そんな小さな記憶を積み重ねて大人になった「私」が、東京を記録する映像作家・イズミと出会うところから、表題作は動き出す。イズミの撮った映像の中には、ピンクのワンピースでデモの先頭に立つニシダの姿が映っていて、「私」は過去と現在が思いがけない形でつながってしまったことを知る。
この作品が面白いのは、人生の中で「どうにも整理のつかない記憶」たちが、映像というメディアを通じて再び呼び出され、別の意味を帯びていくところだ。子どものころにはうまく言葉にできなかった理不尽さや違和感が、大人になってからも身体に残り続けている。その残骸のようなものが、カメラに収められた街の風景と交差し、今の東京という都市のあり方を静かに映し出していく。
「謝ってすっきりされるために追いかけられる、こっちの身にもなってみろ」というフレーズに象徴されるように、この本には、加害と被害が簡単に整理されてしまうことへの強い違和感が流れている。悪かったことを認めて謝れば終わる、という単純な物語に抵抗しようとする感情が、淡々とした文体の裏でゆっくりと煮詰まっていく。
収録された四つの短編は、それぞれ雰囲気が異なるのに、「記憶」「街」「誰かに見られる/撮られること」といったテーマで一つの束になっている。読後には、自分の中にある古い記憶や、スマホのカメラロールに無造作に残した動画のことを、少し違う目つきで眺めたくなる。首都圏で暮らしている人ほど、じわじわ効いてくる一冊だ。
中編では、「記憶」と「視ること」に焦点が当たった3作品を取り上げる。過去をどう受け取るか、世界をどう見ているのか――それはどの小説にも潜むテーマだが、高山羽根子はそこに技術、モノ、場所といった具体物を絡めて、独特の深度を生み出している。
自分の人生をふり返るタイミングや、なんとなく過去のことばかり考えてしまう時期に読むと、作品と自分の記憶が静かに共鳴してくるはずだ。
4.『居た場所』
物語の中心にいるのは、「私」と、その妻であるシャオツイ。かつて外国人技能実習生として日本に来て、介護施設で働いていた彼女は、ある海沿いの町に住んでいた。その町が、あるときから地図上で少しずつ輪郭を失い、まるで世界から消えていくように見えはじめる。二人はその「居た場所」をたどるために、かつての町へと向かうことになる。
作品全体を通して、記憶はくっきりと再現されるものではなく、「確かにあったはずなのに、手で触れられない霧のようなもの」として描かれる。妻の過去と、実習生制度という社会的な背景、消えていく町のイメージが重なり合い、読者の側も「ここには何があったのか」を一緒に探る感覚に巻き込まれていく。
高山羽根子らしいのは、制度批判を前面に押し出すのではなく、「居た場所が地図からこぼれ落ちる」という、やや斜めからの描き方を選んでいるところだと思う。過去にいたはずの場所が、いま現在の世界からは確認できない。そのずれが、技能実習生として過ごした時間の不確かさや、そこで働いていた人々の存在の薄さとリンクする。
読み終えたあと、自分にとっての「居た場所」がいくつも頭に浮かんでくる。子どものころ通っていた塾、もう取り壊されたアパート、地図上では別の名前になってしまった町。そうした場所と、この小説の風景が静かに重なり合う。物語としての起伏は穏やかだが、読後の余韻はとても長い一冊だ。
5.『暗闇にレンズ』
数えきれない監視カメラが街角に目を光らせる現代の都市。その片隅を、「私」と親友の「彼女」はスマホのレンズをかざしながら歩いている。二人は、ごく普通の高校生の姿で、けれどどこか祈るような気持ちで世界を撮り続ける。かつて「私」の母、祖母、曾祖母たちも、同じようにカメラや幻灯機のレンズ越しに世界を見つめてきたのだと知るのは、物語がだいぶ進んでからだ。
この長編がユニークなのは、映画や映像の歴史を、教科書的な年表ではなく、「レンズを覗き込んできた人々の系譜」として描き直しているところだ。娯楽や教育のために撮られた映像が、時代によっては戦争や弾圧の道具に転じる。そこには、撮る側と撮られる側、見る側と見られる側の関係が常に揺れ動いている。
「私」と「彼女」の現在の物語と、過去の女性たちの物語が、暗闇に投影された光のように重なったり離れたりする構成も、読んでいて心地よい混乱を呼ぶ。すべてがきれいに一本の線で結ばれるわけではないが、その断片的なつながり方こそが、イメージの歴史の本質に近いのかもしれないと感じさせられる。
読後には、「自分はふだん、何をどのように見ているのか」というシンプルな問いが、じわじわと浮かび上がってくる。写真や動画を撮る行為の軽さと、その背後にある重さ。その両方を一度に感じさせてくれる、静かでスケールの大きい一冊だ。
6.『オブジェクタム』
「モノ」と「記憶」と「時間」をめぐる短篇集。タイトル作「オブジェクタム」をはじめ、さまざまな物体が、人の感情や歴史を映し出すスクリーンのように扱われる。家具や生活道具、戦争と結びついた品々、誰かが手放したガラクタ。どれも口はきかないのに、じっと見ていると、その背後に積み重なった時間の重さが立ちのぼってくる。
高山作品では、モノがただの背景にとどまらない。登場人物の記憶を動かす装置になったり、忘れられた出来事を呼び戻すトリガーになったりする。本書でも、ある物体に触れることで、登場人物が自分の過去と向き合わざるをえなくなる瞬間が何度も訪れる。その描き方が決してドラマチックではなく、「気づいたらもう後戻りできないところまで来ていた」という温度なのが、高山らしいところだ。
一編一編は短く、さっと読める長さだが、読み終えたあとに思い返すと、心に残っているのは人物よりもモノのほうだったりする。そのモノにまつわる時間の堆積を想像してしまい、気づけば自分の部屋をぐるりと見回している。棚の上の置物、引き出しの奥に眠っている古い紙切れ、どことなく捨てられずにいる品々。それらもまた、誰かの小さな物語を抱えているのだと感じさせられる。
大きな事件も、劇的な告白もない。にもかかわらず、ページを閉じてからしばらく、作品世界が静かに続いているように感じられる。ひとの生死の気配や、忘れられていく記憶への柔らかな眼差しが、どの短編にもたしかに流れている。感情を激しく揺さぶる本ではないが、「長くそばに置いておきたい本」として、ゆっくり効いてくる一冊だ。
後編では、「日常のひだ」「社会の隙間」「世界のズレ」をより繊細に描いた2作品、『パレードのシステム』と『如何様』を取り上げる。どちらも大きな事件を起点とするのではなく、起きても起きなくてもよさそうな小さな出来事から、世界の見え方をそっと変えていくタイプの本だ。
仕事や家事に追われているときこそ、こうした“静かな異常事態”に触れることで、自分の生活を少し離れた場所から眺め直せるかもしれない。
7.『パレードのシステム』
ここで描かれるのは、「日常のズレ」や「出来事の輪郭が曖昧になる瞬間」だけではない。美術家として東京で暮らしていた「私」が、祖父の自死をきっかけに故郷へ戻り、そこから台湾へと向かう旅路の中で、自分の血筋と向き合っていく物語でもある。祖父はかつて台湾で暮らし、先住民族の世界と関わりながら生きていた。その痕跡を追ううちに、「私」は自分がどこから来たのかという問いと真正面から向き合うことになる。
「パレードのシステム」というタイトルには、人の人生が、自分ではあまり自覚のないまま、何か大きな流れに組み込まれて進んでいく感覚がこめられているように思う。個人の選択で生きているつもりでも、民族や国家や歴史や経済といったものが、背後でパレードのように行進していて、気づけばその列の中に組み込まれている。
高山羽根子は、その構造を正面から告発するのではなく、旅先の光景や人との出会い、祖父の足跡をたどる細部を通して描き出していく。台湾の町並みや、先住民族の儀礼、海の気配。それらが、祖父の人生だけでなく、現代を生きる「私」の身体感覚と結びつき、「自分の人生もこのパレードの一部なのだ」と気づかせる。
読後には、自分の家族の来歴や、祖父母の世代がどんな土地で何をしていたのかを、ふと知りたくなる。そういう意味で、これは個人的なルーツ探しの物語であると同時に、誰もがいつの間にか巻き込まれている「歴史のパレード」についての小説でもある。静かな筆致なのに、読み終えるころには、足元の地面が少し違って見える一冊だ。
8.『如何様』
『如何様』は、表題作を中心に、現実の“表と裏”が入り混じるように描かれた作品集だ。戦後まもない世田谷のアトリエに暮らす画家や、その周囲の人々が登場し、彼らの会話や仕事、ささやかな暮らしぶりを通して、「芸術で食べていくこと」「生き延びてしまった者が背負うもの」といったテーマが、じわじわと立ち上がってくる。
ここに出てくる人物たちは、多くが社会の中心から少しだけずれた場所に生きている。目立たない仕事、誰にも注目されない役割、名前を覚えられないまま通り過ぎていく人たち。けれど、その視点から世界を見ると、これまで「当たり前」だと思っていた物事の裏面が、じわじわと姿を現す。
「如何様」というタイトルどおり、物語の意味は一つに固定されない。ある出来事も、誰の視点から見るかによって、全く違う色合いを帯びる。作者は、解説めいた答えを提示しないまま、いくつもの視線と可能性をテーブルの上に並べてみせる。そのどれを拾い上げるかは、読み手の生き方や経験にゆだねられている。
ラストまで奇をてらうような大どんでん返しはない。それでも、読み終えた瞬間に、胸のどこかに冷たい空気がふっと入り込んでくるような感覚がある。しずかな文体なのに、刃物のような鋭さを持った一冊だ。日常の「裏側」を覗き込みたいときや、自分が立っている位置を少し疑ってみたくなったときに、手に取りたくなる本だと思う。
9.『おかえり台湾 食べて、見て、知って、感じる 一歩ふみ込む二度目の旅案内』
声優の池澤春菜と、高山羽根子といういささか異色なコンビが案内する、体験型の台湾ガイドブック。観光名所の“チェックリスト”ではなく、「二度目以降の台湾で、もう少し深くこの国を感じたい人」のための一冊だ。食べる、歩く、見る、買う――そのそれぞれの場面に、2人の視点と語りが差し込まれ、旅先での体験が急に立体的になっていく。
印象的なのは、「情報」よりも「感情」のほうが先に立ち上がってくる構成だ。美味しい店の名前や交通手段ももちろん書いてあるのだが、それ以上に、道端で出会った匂い、屋台のざわめき、夜市の光や、少し外れた路地で感じる湿度のようなものが、文章の隙間からにじんでくる。ガイドブックを読んでいるというより、旅の同行者のノートを覗き見している感覚に近い。
高山羽根子のファンとして読むと、「土地と記憶」「旅と物語」の結びつき方がとても興味深い。台湾という具体的な場所を歩きながら、そこに蓄積された歴史や、出会った人たちの人生の断片が、静かに物語化されていく。観光の前に読み込むのもいいし、帰国後に「答え合わせ」のように読み返すのも楽しい。本を片手に、次の台湾行きの航空券を検索したくなる一冊だ。
10.『パンダ・パシフィカ』
春先になると花粉症で鼻が利かなくなるモトコは、副業先の同僚・村崎さんから、自宅で飼っている小動物たちの世話を頼まれる。その後、職場を辞めた村崎さんから届くメールには、パンダと人類をめぐる狩猟、飼育、繁殖の歴史が少しずつ書き込まれていき、彼女がある目的を持って海外を転々としていることが明らかになっていく。モトコの日常と、村崎さんの不在の旅路が、パンダという存在を軸にゆっくりと絡み合っていく長編だ。
物語の背景には、上野動物園のパンダ・リンリンの死や、中国で起きた食品への毒物混入事件、大地震、オリンピックといった現実の出来事が、静かに影を落としている。ニュースとして消費してしまえばあっという間に流れていく出来事が、「命をあずかる」という視点から照らし直されることで、まったく別の重さを持ちはじめる。小さな動物の世話を引き受けるモトコの仕事と、大量の命が簡単に奪われていく世界情勢とのあいだに横たわる、圧倒的な非対称が、じわじわと胸に迫ってくる。
高山作品らしく、物語は決して声高にならない。テロや戦争が常態化しつつある時代を舞台にしながらも、「正義」や「解決」を語らない。その代わり、目の前の小さな命を世話すること、見えない悪意に抗うためにごく限られた範囲でできることを、淡々と積み重ねていく。読んでいると、「世界を救う」などという大きな言葉よりも、今日出会った誰かや何かを守るという、ごく小さく、しかし確かな営みのほうに意識が向かっていく。
パンダの物語、とだけ聞くと可愛らしい動物小説を想像して手に取るかもしれないが、ページを閉じたときに残るのは、やわらかさと同じくらい鋭さを含んだ読後感だ。ケアすることの重さや、「命をあずかる」という言葉の意味を、自分の生活に引き寄せて考えさせられる一冊だと思う。
関連グッズ・サービス
本を読んだ後の学びや余韻を生活に根づかせるには、日々の暮らしの中に「読み続ける仕組み」や、作品世界と相性のいいアイテムを少し足してみるといい。高山羽根子の本と一緒に使うと楽しい、おすすめのグッズやサービスをいくつか挙げておく。
文芸とエッセイ、旅行記を行き来しながら読みたい人には、サブスク型の読み放題サービスが相性がいい。『首里の馬』や関連作家の本、台湾ガイド本など、近い空気感の本をつまみ読みしていくと、高山作品の位置づけが自然と見えてくる。
『暗闇にレンズ』や『カム・ギャザー・ラウンド・ピープル』のように「見る/撮る」「歩く」感覚が大事な作品は、オーディオブックとも相性がいい。通勤や散歩の時間に耳から物語を浴びていると、街の監視カメラやネオン、すれ違う人の背中が、少しだけフィクション寄りに見えてくる。
Kindle端末
高山作品は、行間や余白を味わいたくなるタイプの文章が多いので、紙の本と電子書籍を行き来できると便利だ。特に『おかえり台湾』を片手に現地を歩くなら、軽いKindle端末があると荷物を増やさずにガイドブックを持ち歩ける。ベッドサイドで『パンダ・パシフィカ』をちびちび読み進めるのにも向いている。
台湾茶と茶器のセット
『おかえり台湾』を読んでいると、どうしても台湾茶の香りが恋しくなる。凍頂烏龍茶や高山茶のティーバッグと、小ぶりのガラス急須を用意しておくと、自宅のテーブルが一瞬で台湾の喫茶スペースになる。本を読みながらゆっくりお茶を淹れる時間そのものが、小さな旅になる。
パンダモチーフのマグカップ
『パンダ・パシフィカ』の余韻を残したまま、日常に戻るための「しるし」として、パンダ柄のマグカップのような小物をひとつ置いておくのも悪くない。仕事の合間にふと目に入るたび、命をあずかることや、遠くの出来事についてほんの少しだけ思い出すきっかけになる。
おわりに
高山羽根子の作品には、派手な事件も、大声で叫ぶような台詞もほとんど登場しない。けれど、読み終えたあとに部屋の空気が少し薄くなったように感じたり、自分の中に何かがひっそりと沈殿していく感覚が残る。その微細な揺らぎこそが、高山作品を特別なものにしている。読み返すたびに違う部分が光って見えるのも、大きな魅力だ。
どの作品から読んでも間違いはないが、最初の一冊を選ぶなら、世界観の入口として『首里の馬』、短いスパンでいろいろ試したいなら『うどん キツネつきの』や『オブジェクタム』が読みやすい。時間と気力に余裕があるときには、『暗闇にレンズ』や『パンダ・パシフィカ』のような長編で、じっくりと「見ること」「命をあずかること」の不思議に浸かるのもいい。
心の静かな部分に触れたいとき、日常の「見え方」を少しだけ変えたいとき、あるいは世界の輪郭をもう一度確かめたいとき――高山羽根子の本は、いつでもそっとその役割を引き受けてくれる。
関連記事
- 又吉直樹おすすめ本|芸人と作家のあいだで生まれた痛みと光
- 村田沙耶香おすすめ本|「普通」を揺さぶる圧倒的作家性
- 宇佐見りんおすすめ本|孤独と祈りの物語に触れる
- 今村夏子おすすめ本|静けさと異質さの境界を描く作家
- 西村賢太おすすめ本|私小説の極北へ
- 田中慎弥おすすめ本|孤独の底を見つめる文体の力
- 羽田圭介おすすめ本|観察と違和感の鋭さを読む
- 市川沙央おすすめ本|「声なき声」を拾い上げる文学
- 九段理江おすすめ本|現代の痛点を静かに照射する才能
- 高瀬隼子おすすめ本|身体と関係性の揺らぎを描く
- 平野啓一郎おすすめ本|分人主義と現代小説の交差点
- 柳美里おすすめ本|喪失と再生の物語を読む
- 石原慎太郎おすすめ本|都市と青年のエネルギー
- 柴田翔おすすめ本|戦後の若者像と彷徨の文学
- 黒田夏子おすすめ本|文体実験の到達点
- 本谷有希子おすすめ本|不安とユーモアの同居する世界
- 青山七恵おすすめ本|静けさの奥に潜む心の揺らぎ
- 諏訪哲史おすすめ本|文体の冒険と新しい語り
- 鹿島田真希おすすめ本|不穏で繊細な愛と痛み
- 小山田浩子おすすめ本|日常の異物感を描く鬼才
- 柴崎友香おすすめ本|風景と記憶の小説世界
- 滝口悠生おすすめ本|日常に潜む「ふしぎな気配」
- 山下澄人おすすめ本|“わからなさ”の手触りを読む
- 沼田真佑おすすめ本|地方と虚無を描く強度
- 上田岳弘おすすめ本|テクノロジー×存在の文学
- 町屋良平おすすめ本|身体と言葉が共鳴する小説
- 石井遊佳おすすめ本|越境と再生の物語
- 若竹千佐子おすすめ本|老いと生を温かく見つめる
- 高橋弘希おすすめ本|暴力と自然のうねりを描く筆致
- 古川真人おすすめ本|土地の記憶と生活の手触り
- 遠野遥おすすめ本|静かな狂気と孤独の物語
- 高山羽根子おすすめ本|未来と郷愁が交差する世界
- 石沢麻依おすすめ本|亡霊のような現代の影を読む
- 李琴峰おすすめ本|ことばと越境の文学
- 砂川文次おすすめ本|労働と街の息づかいを描く
- 佐藤厚志おすすめ本|災禍の土地に立ち上がる静かな声
- 井戸川射子おすすめ本|詩と散文が交差する繊細な物語
- 松永K三蔵おすすめ本|日常の“影”をすくい上げる視点
- 朝比奈秋おすすめ本|生活の片すみに光を見つける
- 安堂ホセおすすめ本|都市と若者のリアルを描く
- 鈴木結生おすすめ本|「生」のきわを見つめる新しい声
- 池田満寿夫おすすめ本|アートと文学の交差点
- 唐十郎おすすめ本|アングラと激情の世界
- 三田誠広おすすめ本|青春と哲学の物語を読む











![[Stream] マグカップ パンダ かわいい おしゃれ 食洗器対応 電子レンジ対応 コーヒーカップ コップ 食器 日本製 かわいい ナチュラルパンダ ピンク JNT014-C [Stream] マグカップ パンダ かわいい おしゃれ 食洗器対応 電子レンジ対応 コーヒーカップ コップ 食器 日本製 かわいい ナチュラルパンダ ピンク JNT014-C](https://m.media-amazon.com/images/I/31LIf1dx0tL._SL500_.jpg)

