逸木裕の小説は、事件そのものより「人が崩れる瞬間」を丁寧に追いかける。作品一覧を眺めるだけでも、青春の不安から社会の闇、終末の孤独まで、触れたくない場所に手が届く幅がある。読後に残るのは謎の答えだけではなく、明日を生きるときの視線の角度だ。
逸木裕の小説が刺さる理由
逸木裕は2016年『虹を待つ彼女』で横溝正史ミステリ大賞を受賞してデビューし、その後も短編「スケーターズ・ワルツ」で日本推理作家協会賞〈短編部門〉、さらに『彼女が探偵でなければ』で本格ミステリ大賞を受賞している。賞歴だけを見ると華やかだが、作品の核はむしろ地味なところにある。心の奥に沈む「言葉にできない違和感」を、物語の推進力に変える手つきだ。
デビュー以降、一貫して「自我のゆらぎ」や「自死の気配」を見つめてきたという自己認識も示されている。だから逸木裕のミステリーは、犯人当ての快感だけで終わらない。なぜそうするしかなかったのか、なぜ戻れなかったのか、その問いが喉の奥に残る。
もう一つの軸が、私立探偵・森田みどりを中心にした連作の系譜だ。若い頃から「本性」を暴く衝動を抱え、家庭や仕事の重みを背負ってもなお謎に吸い寄せられていく。その姿は、探偵役というより、生き方そのものがミステリーになっている。
おすすめ本13選
1. 虹を待つ彼女(角川文庫)
始まりは未来の研究室だ。死者を人工知能として再現する計画に参加した研究者が、ひとりのゲームクリエイターの死と向き合う。相手はもういないはずなのに、声が戻り、癖が再現され、記憶の輪郭だけが鮮やかに立ち上がってくる。
この物語の怖さは、幽霊や怪異ではなく、制度と技術が「喪失」を手触りに変えてしまうところにある。冷たいはずの研究が、いつのまにか恋の熱を帯び、執着の温度になっていく。読んでいる側も、理屈の背中を押されて、感情の穴に近づかされる。
“再現”という言葉は便利だ。だが、便利さはときに残酷になる。本人の死を受け入れる前に、本人のような何かが目の前で笑ってしまうからだ。あなたが同じ立場なら、どこで引き返せるだろうか。
逸木裕はここで、SF的な設定を派手に振り回さない。ゲームの中の暴力や、現実の脅迫の影が、生活の延長に置かれている。コンビニの光、夜更けの端末の冷えた反射、そういう小さな現実が、異常を支える土台になる。
読みどころは、謎の組み立てよりも、主人公の気持ちが少しずつ壊れていく速度だ。共鳴は救いにもなるが、同じくらい危険だ。誰かの痛みを理解したいという欲望が、相手の人生を奪い返す欲望にすり替わる瞬間がある。
そして最後に残るのは、恋愛の甘さではなく、喪失の硬い感触だ。愛は証明できない。だからこそ、人は証明に似たものへ手を伸ばす。読後、窓の外の雨の音が少し違って聞こえるかもしれない。
派手に驚かせるより、静かに刺すタイプのデビュー作だ。ミステリーを読みたい人にも、恋愛小説を読みたい人にも、同じ場所で痛みが立ち上がる。ここから逸木裕の体温を掴める。
ページを閉じたあと、画面を消して、部屋の暗さを確かめたくなる。そんな読書体験が欲しい夜に向く。
2. 少女は夜を綴らない(角川文庫)
「人を傷つけてしまうのではないか」という強迫観念に囚われた中学生の理子が、夜の日記に“計画”を書きつけるところから物語が動き出す。そこへ、秘密を握った少年が現れ、父親を殺す計画を手伝えと迫る。青春の顔をした脅迫だ。
この小説は、暴力の派手さよりも、心の中の小さな毒の濃度を描く。教室の空気、部室の湿り、誰もが無言で線を引く距離感。そのなかで「私は危ない」という思い込みだけが膨らんでいく。
読みながら何度も、理子に腹が立つ瞬間があるかもしれない。鈍い、卑屈、逃げ腰。だが、その腹立ちは鏡に近い。怖いのは世界ではなく、自分の手がいつか誰かを壊すのではという想像だ。あなたにも、根拠のない罪悪感に支配された夜がなかっただろうか。
少年との関係は単純な共犯にならない。脅しと保護が絡み合い、嫌悪と親密が同じ椅子に座る。中学生が持てる力は小さい。小さい力で大きいことをしようとするほど、歪みが出る。その歪みが物語の推進力になる。
そして、謎の答えは「意外」だが、意外であること自体が狙いではない。意外さの先に、理子の心がどこへ着地するかが重要になる。終盤、息の仕方が変わる瞬間がある。喉に詰まっていたものが、少しだけ流れる。
逸木裕はここでも「なぜ殺すのか」より「なぜそう思い込むのか」を見つめる。だから怖い。誰かを傷つける前に、自分を壊してしまうタイプの痛みが、丁寧に言語化されていく。
もし今、あなたが自分の心を信用できていないなら、この本は優しいとは言い切れない。だが、優しさは痛みを避けることではない、とも教えてくれる。読後、夜の日記のページの白さが、少しだけ違って見える。
青春ミステリーとして読める一方で、心の病理を“事件”として扱う強度がある。軽くはない。軽くないのに、ページが進む。その矛盾が、逸木裕の怖さだ。
3. 星空の16進数(角川文庫)
17歳でウェブデザイナーとして働く藍葉のもとに、私立探偵の森田みどりが現れ、「ある依頼で百万円を渡したい」と告げる。藍葉は幼少期に誘拐された過去を持ち、その金の送り主を誘拐犯だと疑い、会わせてほしいと頼む。
百万円という重量感が、青春の空気を一気に変える。封筒の厚み、紙幣の匂い。現金は現実を持ち込む道具だ。ここでの謎は、事件の派手さよりも、記憶の色の鮮やかさにある。藍葉が忘れられないのは、誘拐の恐怖だけではなく、そのとき見た「色とりどりの不思議な部屋」だ。
みどりの探偵としての顔は冷静だが、どこか人間臭い。依頼をこなすために動いているのに、藍葉の感情の粗さに巻き込まれていく。探偵と依頼人の関係が、互いの欠けた部分を照らしてしまう。
この物語が上手いのは、“色”という抽象を、謎の中心に据えたことだ。色は曖昧で、個人的で、言葉にしにくい。だからこそ、真相に近づくほど、藍葉の内面も剥がれていく。あなたにも、説明できないのに忘れられない景色があるだろうか。
青春の痛みが、仕事の現実と接続されている点もいい。藍葉は「学生」ではなく「働いている17歳」だ。社会に出ているのに、過去の影に足を取られる。大人の世界に片足を突っ込んだまま、子どものころの恐怖を抱えている。
終盤、誘拐事件の真相が現れたとき、派手な悪意より、もっと嫌なものが残る。善意の顔をした歪み、正しさの衣を着た搾取。そういう現実が、星空よりも暗い。
それでも読後感は沈み切らない。みどりの視線が、藍葉の人生を“事件”としてではなく“生活”として扱うからだ。謎は解ける。だが、解けたあとも生きるのは藍葉だ。その当たり前が、静かに置かれる。
ミステリーの形をして、記憶と自己像を修復する小説になっている。夜に読むと、窓の外の光が少し青く見える。
4. 五つの季節に探偵は(角川文庫)
私立探偵・森田みどりが、いくつもの出来事と対峙していく連作短編集だ。「人の本性を暴かずにはいられない」衝動が、季節の移ろいとともに積み重なっていく。
連作の良さは、探偵の“成長”が、事件の数だけでは測れないところにある。みどりは賢くなるというより、癖が濃くなる。正しさに寄りかかれない場面で、なお真実を見に行ってしまう。その姿は格好いいというより、少し怖い。
短編だからこそ、出来事の輪郭が鋭い。会話の一言、たった一枚の写真、誰かの手癖。そういう小さな手がかりに、人間の全体が滲む。あなたは、他人の“本性”を知りたい側だろうか。それとも知らずにいたい側だろうか。
収録作「スケーターズ・ワルツ」で日本推理作家協会賞〈短編部門〉を受賞しているのも、この本の厚みを裏づける。短い尺の中で、感情と論理が同時に走る。
みどりの背景には、探偵の父という影もある。親の仕事を継ぐという話に見えて、実際は「癖の継承」に近い。人を疑う癖、真実を引きずり出す癖、そして引きずり出したあとに責任を取れない癖。その全部が、家族から滲んでくる。
連作は読みやすい反面、軽くなりがちだが、この本はむしろ重さが増していく。季節が進むほど、みどりの内部に沈殿が溜まる。読み終えたとき、短編集なのに長編を読み切ったような息の深さが残る。
事件の派手さより、後味の苦さが魅力だ。苦いのに、もう一編だけ、と手が伸びる。冷蔵庫の明かりみたいな、夜の光の読書になる。
みどりシリーズの入口としてもいいし、短編が好きな人の「この作家の地力を確かめたい」にも応える。小さな謎が、人間の底まで届く。
5. 彼女が探偵でなければ(単行本)
森田みどりは、高校時代に探偵の真似事をして以来、人の〈本性〉を暴くことに執着して生きてきた。二児の母になり、探偵社では部下を育てる立場になっても、その衝動は消えない。子どもたちをめぐる謎にのめり込みながら、自分自身の探偵人生と向き合っていく全5編だ。
この本が怖いのは、みどりが「家庭人として成熟した」から安心、にならないところだ。むしろ逆だ。守るものが増えた分だけ、真実に触れることの代償が増える。部下の視線、家族の生活、子どもの体温。その全部を抱えながら、なお謎へ行く。
探偵という職業は、正義の味方ではない。依頼を受け、調べ、暴く。それだけだ。だが人間は、暴かれたくないものを抱えている。この本は、暴く側の痛みも暴かれる側の痛みも、同じ手で触ってくる。あなたが誰かの秘密を知ったとき、優しくできるだろうか。
短編集なのに、一本筋が通っている。子どもたちの謎は、弱さや嘘の形をしている。そしてみどり自身もまた、真実を求めることで誰かを傷つけてきた。だから、謎解きは快感ではなく、反省に近い熱を持つ。
2025年に本格ミステリ大賞〈小説部門〉受賞作であることも納得がいく。ロジックの精緻さと、情の痛切さが同居している。
読後、みどりに対して「やめておけばいいのに」と思う場面があるだろう。だが、やめられないのが癖で、癖が人生を作る。この作家は、癖の怖さを知っている。
みどりシリーズの集大成というより、折り返し地点のようにも感じる。成熟と負債が同時に増える年代の探偵を描けるのは強い。生活のリアルが、推理の緊張を支えている。
子どもの謎を読むとき、読者の側の過去も刺激される。昔、誰にも言えなかったこと。言えなかったからこそ、形を変えて残ったこと。その残り香が、ページの隅で揺れる。
派手さより深さが欲しいときに薦めたい一冊だ。ミステリーの形で、自分の生き方の癖を覗き込む読書になる。
6. 電気じかけのクジラは歌う(講談社文庫)
人工知能の作曲アプリによって作曲家が絶滅した近未来。元作曲家の岡部のもとに、自殺した天才・名塚から“指をかたどったオブジェ”と未完の傑作曲が届き、そこから不可思議な出来事の真相を追い始める。音楽とAIが絡み合う長編ミステリーだ。
設定だけ聞けば派手だが、読んでいると現実がじわじわ追いついてくる。創作が自動化される世界で、作ることは誰のものになるのか。岡部の悔しさは、仕事を失った人のそれで、同時に“表現を奪われた”人のそれでもある。
この小説のいいところは、AIを単純な悪役にしない点だ。便利さは確かに救いになる。だが救いは、誰かの席を奪って成立することもある。あなたは、便利さの代償をどこまで払えるだろうか。
音楽小説としても手触りが濃い。音の描写がうるさくないのに、耳が開く感じがある。未完の曲、残された指、送られてくるメッセージ。その一つひとつが、死者の不在を逆に強調する。
ミステリーとしては、陰謀の気配が広がっていくタイプだ。個人的な死が、社会的な構造へ接続される。音楽業界の未来図が、そのまま労働の未来図にも見えてくる。
岡部の情けなさも、読ませる要素になっている。立派な主人公ではない。未練があり、怯えがあり、嫉妬がある。だがその弱さが、真相へ近づく動機になる。人間は、きれいな動機だけでは動けない。
終盤、音楽が“誰のものか”という問いが、ミステリーの答えと重なる。答え合わせの快感よりも、胸の奥が熱くなるタイプの決着だ。読み終えたあと、無音の時間が少し怖い。
AI時代の物語として読むのもいいし、喪失と創作の物語として読むのもいい。どちらにせよ、歌っているのはクジラではなく、人間の側だと思わされる。
音楽が好きな人ほど刺さるが、仕事や居場所を奪われた経験がある人にも届く。ページを閉じたあと、何か一つ、手で作りたくなる。
7. 銀色の国(創元推理文庫)
自殺対策NPOで奔走する田宮晃佑のもとに、立ち直ったはずの元相談者が自死したという報せが届く。亡くなる直前、彼はVRにのめり込んでいたという。一方、死をほのめかす投稿を繰り返す浪人生のくるみは、ネット上の自助グループ〈銀色の国〉に誘われる。仮想と現実が繋がった先で、悪意が形になる。
題材が重いぶん、読む側も覚悟がいる。だがこの本は、重さを煽らない。淡々と、あり得る速度で、人が追い詰められていく。だから怖い。悲鳴ではなく、通知音のほうが似合う種類の恐怖だ。
晃佑の視点は、正しさの側にある。誰も死なせたくない。だが“救う”という言葉は、現場では簡単に裏返る。救われたいときに救えないことがある。救われたくないときに救おうとしてしまうこともある。あなたは、誰かの命を「守る」と言えるだろうか。
くるみの側には、孤独の生々しさがある。SNSのタイムラインは明るいのに、自分の部屋は暗い。画面の中の優しさは、触れられない。そこで差し出される「居場所」は甘い。甘いからこそ危うい。
ミステリーとしての推進力は、悪意の正体を追うことだが、同時に「居場所の作り方」を問う物語でもある。現実はしんどい。だから仮想へ逃げる。だが仮想は、逃げ場にも牢屋にもなる。
読後に残るのは、犯人像の鮮烈さというより、社会の歪みの冷たさだ。救済の制度が足りないのではなく、救済の制度だけでは追いつかない。そこに付け入る人間がいる。その構造が、嫌なほど現実的だ。
それでも、完全な絶望にはしない。晃佑の仕事には、遅くても届く言葉がある。時間がかかる救いを、時間がかかるまま描く。そういう誠実さがある。
読むタイミングは選びたい。疲れているときは無理をしないほうがいい。だが、現代の闇を“遠い事件”のままにしたくない人には、確実に残る一冊になる。
読み終えて、スマホを置いた手が少し重くなる。その重さを、自分の生活へ戻すための本でもある。
8. 風を彩る怪物(単行本)
音楽大学受験に失敗した名波陽菜が、自然豊かな土地でオルガン制作者の親子と出会い、同い年の朋子とパイプオルガン作りに関わっていく。フルートを続けるべきか迷い、衝突を重ね、やがて朋子には思いもよらぬ困難が押し寄せる。森の奥の〈怪物〉という言葉が、不穏な影を落とす。
ミステリー枠で挙げたくなるのは、この本が「謎」を外側ではなく内側に作るからだ。才能とは何か。努力とは何か。諦めは敗北なのか。音楽小説の問いは古いのに、ここでは新しい痛みを伴って迫ってくる。
オルガンという楽器が選ばれているのも効いている。ひとりで完結しない。木と金属と空気、工房の埃、工具の油、森の湿り気。音が生まれるまでに時間がかかる。時間がかかるものに関わると、人は自分の焦りを誤魔化せない。
陽菜の揺れは、読者の生活にも近い。やりたいことがあるのに、うまくできない。好きなのに、続けるのが怖い。あなたにも「好き」が怖くなる瞬間があっただろうか。
朋子の苛立ちは痛いほどまっすぐだ。中途半端が許せないのは、本人が中途半端を一番恐れているからだ。二人の衝突は、友情というより鏡の割れ方に似ている。割れた破片が、それぞれの弱さを映す。
そして〈怪物〉は、単なる外敵ではなく、才能の影でもある。誰かの圧倒的な才能に触れたとき、人は自分の輪郭が消える。その消え方が、怪物の正体に近い。森の暗さは、心の暗さと繋がっている。
物語の後半、音楽の場面が増えるほど、息が整っていく不思議がある。音は、勝ち負けの外側にある。作る過程も、演奏も、誰かの評価より先に“自分の体”に戻ってくる。
読後感は爽快というより、澄んだ疲労だ。頑張れ、と背中を叩かれるのではなく、頑張れない自分の手をそっと握られる感じがある。
音楽に詳しくなくても問題ない。むしろ、何かを続けることに迷っている人ほど響く。静かな森の匂いと、金属の冷たさが、ページの間から立ち上がる。
9. 祝祭の子(単行本)
宗教団体〈褻〉で「祝祭」と呼ばれた大量殺人事件から14年。かつて洗脳され、殺人に関与しながら生き残った子どもたちは〈生存者〉と呼ばれ、加害者であり被害者として議論の的になり続ける。そんな中、団体トップの石黒望の遺体発見が告げられ、彼らの周囲で暴力が再燃する。
この小説の冷たさは、暴力よりも“視線”にある。生存者たちは、事件後も社会の視線に晒され続ける。哀れみ、嫌悪、好奇心、正義。どれも当人の生活を壊す。世間は、過去の事件を「終わった話」にできるが、当事者は終わらない。
物語は、過去の解明だけでなく、現在の襲撃の謎を追っていく。その二重構造が効いている。過去が原因で現在が壊れるのではない。過去が原因で、現在が何度でも壊される。あなたが彼らの立場なら、どこに居場所を作るだろうか。
洗脳の描写は扇情的になりやすいが、この本はそこを抑える。抑えることで、むしろ「日常に紛れ込む支配」が見えてくる。優しさの顔をした命令、共同体の温度を利用した束縛。そういうものが、人を加害者にしてしまう。
生存者たちのキャラクターは、単純に“可哀想”ではない。怒りもあるし、逃げもあるし、卑怯もある。生き残るための形が、それぞれに歪む。歪みを抱えたまま大人になった人間を、逸木裕は甘く扱わない。
終盤、真相に近づくほど、読み手の感情も分裂する。救われたいと思う一方で、救われてほしくない気もする。許したいと思う一方で、許したくない気もする。その矛盾を抱えたまま読ませる力がある。
そして「祝祭」という言葉の皮膚感覚が、最後にひっくり返る。祝うとは何か。祝われるべき命とは何か。問いが残る。残るから、簡単に消えない。
社会派サスペンスとして読めるが、核心は人間の尊厳だ。生き残った人に、未来は許されるのか。読後、軽くため息が出る。そのため息は、誰かの人生に触れた証拠でもある。
重い題材だが、読む価値はある。読むことで、正義の言葉を少しだけ慎重に使えるようになる。
10. 世界の終わりのためのミステリ(星海社FICTIONS)
人類が消失した終末世界を、記憶を移植されたヒューマノイドたちが旅する。目覚めたとき世界には誰もおらず、孤独の時間が続くなかで、彼らは出会い、謎に触れ、日常のように推理を積み重ねる。終末なのに、そこに生活がある。
終末ものの派手さは薄い。廃墟の風、空き家の匂い、錆びた金属の温度。そういう静かなディテールが、世界の終わりを現実にする。読んでいると、景色が白く乾いていく感じがある。
ミステリーとしての骨格は「最果ての日常の謎」だ。なぜここにこれがあるのか、なぜこうなったのか。その問いが、彼らの生きる理由になっていく。生きる理由がない世界で、謎が理由になる。あなたは、理由がなくても生きられるだろうか。
ヒューマノイドという存在が、自己の輪郭を揺らす。記憶があるのに、身体が違う。感情があるのに、寿命が違う。自殺できない仕組みがあるという設定も、自由と生存を考えさせる。
推理の快感はある。だがそれ以上に、彼らが謎を解くたびに少しずつ“人間らしさ”を取り戻していくのが美しい。人間がいないのに、人間性が濃くなる。逆説が心に残る。
終末の旅は孤独だが、孤独は必ずしも暗いだけではない。誰もいないからこそ、他者に合わせずに考えられる。誰もいないからこそ、言葉が自分の内部から生まれる。その静けさが、この本の光だ。
最後まで読むと、世界が終わった理由より「それでも続くもの」のほうが重要になる。終わりは結論ではない。終わりのあとに、どう歩くかが物語になる。
ミステリー好きにもSF好きにも開かれているが、いちばん刺さるのは「意味」を探している人だと思う。生きる意味が分からないとき、謎は小さな灯りになる。
読後、夜道を歩くとき、街灯の下の影が少し長く見える。終末の物語なのに、生活へ戻ってくる力がある。
11. 四重奏(単行本)
音楽が好きな人ほど、最初の数章で身体が固くなる。チェリストの黛由佳が放火事件に巻き込まれて死んだ。彼女の演奏に魅了され、思いを秘めていた坂下英紀は、その死に不審を覚える。そして「火神」の異名を持つ孤高のチェリスト鵜崎顕に近づくため、鵜崎四重奏団のオーディションを受ける。ここまでが、謎の入口だ。
この本の面白さは、事件の真相を追う線と、演奏家たちの関係がきしむ線が、同じ速度で絡まっていくところにある。四重奏は、誰か一人が強ければ成立する形ではない。音の隙間に人格が滲む。音程の揺れに嫉妬が滲む。呼吸の遅れに支配が滲む。
英紀は、探偵役として有能というより、危うい。由佳への未練と、演奏家としての自信のなさが、推理の動機に混ざり込む。だから読みやすい。読者も同じように、論理より感情で引っ張られる瞬間がある。
鵜崎顕はカリスマだが、カリスマは常に無害ではない。尊敬が依存に変わる距離の短さ、上達という名の暴力、才能という言葉の刃。音楽の世界で起きやすい痛みが、ミステリーの緊張と相性よく増幅される。
そして、逸木裕らしいのは「解釈」という言葉の扱いだ。同じ譜面でも、演奏は変わる。同じ出来事でも、物語は変わる。誰かの死をどう語るかで、死者の輪郭が変わってしまう。その危うさが、真相に近づくほど濃くなる。
読みどころは派手なトリックより、人間の温度が変化していく瞬間だ。誰かの一言で空気が冷える。誰かの沈黙で部屋が狭くなる。音が鳴っていない場面ほど、耳が痛い。
終盤、事件の線が結び目を見せ始めると、音楽の場面が別の意味を帯びる。演奏は美しいのに、胸はざらつく。美しさが救いにならない瞬間を、きちんと描いてしまう。
音楽ものとしても、ミステリーとしても成立している。才能や評価に疲れた人、あるいは「好き」を続けることで誰かを傷つけてしまいそうな人に、刺さり方が深い。
12. 森栄莞爾と十二人の父を知らない子供たち(単行本)
まず設定が冷たい。大手ホテルチェーン創業者の森栄莞爾は、生前に精子提供を行い、百人以上の子どもを作っていた。その死後、関係者によって十二人の子どもたちが邸宅に集められる。そこで始まるのは、「父」をめぐる心理戦だ。
この物語は密室のように閉じているのに、扱うテーマは社会へ開いている。血縁とは何か。親子とは何か。提供という行為を「善意」と「自己満足」のどちらで受け取るか。どちらでも割り切れない。割り切れなさが、謎の燃料になる。
集められた十二人は、同じ「遺伝子の半分」を共有しているかもしれない。だが、共有しているのは血だけで、育ちも価値観もまるで違う。似ているはずのものが似ていない。このズレが、会話の端々で火花になる。
ここでの恐怖は、殺人の瞬間ではなく、「名乗り」の瞬間にある。あなたは誰の子なのか。あなたは誰の子であることで、何を得るのか。相続の話に見えて、その実、自己証明の話になる。自分の存在を肯定するために、誰かを父にしたくなる人がいる。
逸木裕は、正論を置いて終わりにしない。家族を知らない痛みも、家族を知っている痛みも、同じぐらいの重さで並べてくる。だから読者も立ち位置が揺れる。「そんなの父じゃない」と言いたくなるのに、「父が欲しい」気持ちも分かってしまう。
ミステリーとしては、邸宅に集められた目的や、森栄莞爾の残したものが何を意味するのか、その解釈が二転三転していく。いちばん疑わしいのは人間で、いちばん信用できないのも人間だ。
読みながら何度も、息が浅くなると思う。会話が丁寧なのに、丁寧さが刃物になる。礼儀が、相手の逃げ道を塞ぐ。そういう怖さがある。
題材が題材なので、軽い気分で読むと疲れるかもしれない。だが、この疲れは無駄ではない。家族という言葉を、少しだけ慎重に扱えるようになる。本格ミステリーの形で、現代の倫理の地雷原を歩く一冊だ。
13. 空想クラブ(単行本)
空想好きな中学生・吉見駿は、祖父から受け継いだ「見たい風景を見る」能力を持っている。発現は不安定で、便利な説明書もない。そんな彼が、不慮の死を遂げた同級生の少女と、死者として再会してしまう。そこから、仲間たちと死因を追いはじめる。
この本はミステリーの骨格を持ちながら、読感はジュブナイルの透明さに寄っている。誰かの死を扱うのに、必要以上に湿らない。代わりに、子どもが子どものまま抱えられない重さを、想像力で持ち上げようとする。
能力があるのに万能ではない、という設定が効いている。見えることは救いにならない。見えるせいで、余計に苦しくなる。見えないふりができない。あなたにも、見えないふりをしてきたものがあるだろうか。
仲間たちが集まっていく過程もいい。学校は狭い。噂は早い。けれど、狭さの中でしか生まれない連帯もある。誰かのために動くことで、自分の居場所が少しだけ固まる。そういう青春の基本動作が、事件の推進力になる。
死者との距離感が、妙に生々しい。霊的な怖さではなく、言えなかった言葉の後悔が怖い。あのとき何を言えばよかったのか。言わなかったことで、どれだけ世界が変わってしまったのか。答えが出ても、後悔は消えない。
それでも、この本には光がある。空想は逃避ではなく、現実を生き抜く技術として描かれる。世界を違う角度から見ることで、痛みの形が変わる。痛みが消えなくても、持ち方が変わる。
終盤に向かって、いくつもの感情が同時に走り出す。謎が解けていくのに、胸が軽くならない瞬間がある。けれど最後には、重さを抱えたまま歩き出せる温度に着地する。
重いものを扱う逸木裕の別の顔が見える一冊だ。心をえぐられる作品が続いたあとに読むと、同じ作家なのに呼吸が変わる。夜より、夕方の光が似合うミステリーでもある。
関連グッズ・サービス
本を読んだ後の学びを生活に根づかせるには、生活に取り入れやすいツールやサービスを組み合わせると効果が高まる。
紙の本が重く感じる時期は、読み放題の仕組みがあるだけで「今日は数ページだけ」が成立しやすい。気力の波がある人ほど相性がいい。
物語の湿度が高い日は、目で追うより耳で受け止めたほうが入ることがある。散歩や家事の時間に、ミステリーの余韻が生活の中へ溶ける。
もう一つ、机の上に小さなノートを置いておくといい。謎の答えではなく「ひっかかった一文」だけを書き留める。あとで読み返すと、そのときの自分の体調や価値観が浮き上がる。
まとめ
逸木裕のミステリーは、謎を解く快感の奥に、心の痛みの輪郭を残す。デビュー作『虹を待つ彼女』の技術と喪失、青春の亀裂を覗く『少女は夜を綴らない』『星空の16進数』、探偵・森田みどりの時間が積層する『五つの季節に探偵は』『彼女が探偵でなければ』。社会の暗がりに踏み込む『銀色の国』、音の世界で自分を探す『風を彩る怪物』、過去が終わらない『祝祭の子』、終末の静けさで意味を問う『世界の終わりのためのミステリ』。読後、世界は少しだけ冷えて、少しだけ優しくなる。
目的別に選ぶなら、次の感触が近い。
- まず一冊で作家の芯を掴みたい:虹を待つ彼女
- 青春の不安と謎を一気読みしたい:少女は夜を綴らない/星空の16進数
- 探偵ものとして継続して読みたい:五つの季節に探偵は/彼女が探偵でなければ
- 現代の闇と向き合いたい:銀色の国/祝祭の子
- 静かな終末で心を整えたい:世界の終わりのためのミステリ
なお今回10冊に絞ったが、音楽と謎の長編『四重奏』、視点の変化が楽しい『空想クラブ』など、寄り道できる作品も多い。次の夜、手が伸びる一冊がきっとある。
FAQ
Q1. 逸木裕はどれから読むのがいいか
最初の一冊なら『虹を待つ彼女』が掴みやすい。設定の新しさと感情の痛みが同時に立ち上がり、逸木裕が何を書きたい作家なのかがはっきり出る。探偵ものに入りたいなら『五つの季節に探偵は』からでも迷いにくい。
Q2. みどりシリーズだけ追っても楽しめるか
楽しめる。『星空の16進数』『五つの季節に探偵は』『彼女が探偵でなければ』は、森田みどりという探偵の時間が積み重なるほど味が出る。一方で各作は単体でも成立しているので、気になる題材から入って問題ない。
Q3. 重い題材が多いが、読んでしんどくならないか
しんどくなる可能性はある。特に『銀色の国』『祝祭の子』は現実の痛みと近い。ただ、逸木裕は痛みを煽るより、痛みの仕組みを見せる方向で書く。疲れているときは無理をせず、短編集や青春寄りから入ると受け止めやすい。
Q4. ミステリーとしての“謎解き”を期待してもいいか
いい。ただし、答えの鮮やかさだけではなく「答えが出たあとに何が残るか」を重視するタイプだ。論理の快感はあるが、同時に心の余韻が残る。謎を解いて終わりではなく、生活へ持ち帰る読書になる。












