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【大倉崇裕おすすめ本12選】代表作『福家警部補』から、いきもの捜査・問題物件・山岳ミステリーまで

大倉崇裕のミステリーは、事件の派手さより「人が嘘をつく瞬間の手触り」で読ませる。倒叙の快感、いきものの知恵、不動産の闇、山の沈黙。代表作から入口を作り、気分に合う一冊へ迷わず辿り着けるように12冊を並べた。

 

 

大倉崇裕の書き味をつかむ

大倉崇裕は、倒叙ミステリーを現代の読み口で更新しつつ、動物・不動産・山岳・警察組織といった現場のディテールへ軽やかに飛び移る作家だ。犯人の視点から始めても、謎は死なない。むしろ「崩れるのはどこか」という一点に熱が集まる。作品一覧を眺めると、シリーズごとに温度が違うのも楽しい。なお〈福家警部補〉はフジテレビで連続ドラマ化もされ、福家を檀れいが演じた。

大倉崇裕のおすすめ本12選

1. 福家警部補の挨拶(創元推理文庫/文庫)

このシリーズの面白さは、謎の置き場所が最初から少しズレていることだ。犯人は冒頭で、ほとんど勝ちを確信している。読者も「やったな」と思う。けれど福家警部補は、勝ち誇った空気を一枚ずつ剥がしていく。倒叙形式の第一集として、作法と快感がいちばん端正に並ぶ。

福家は派手な名推理をぶつけない。現場を見て、聞いて、同じ質問を角度を変えて繰り返す。相手が「もう終わった話」にしたがるほど、福家の歩幅は揃っていく。読んでいると、捜査の音がする。靴底が床を擦る音、書類をめくる乾いた音、沈黙のなかの呼吸。

収録される事件の肝は、派手なトリックよりも「自分は正しい」と思い込む心の硬さだ。本のために、名誉のために、矜持のために。大義名分はどれも立派で、だからこそ手が滑る。その滑りを、福家は見逃さない。小さな綻びが、いつのまにか逃げ道を塞いでいる。

福家のキャラクターも効いている。強面でも天才でもないのに、視線だけがぶれない。相手に敵意を燃やさず、ただ「確認」を続ける。その無害さが怖い。読者は犯人側に感情移入しやすくなるが、同時に「逃げ切ってほしい」とは思わせない。そこが上手い。

この一冊は、ミステリーに疲れているときほど合う。過剰な残酷さや絶叫がない代わりに、じわじわと胃の奥が冷える。人が言い訳を重ねるほど、物語は静かに締まっていく。その締まり方が、読後に長く残る。

読んでいる途中で、自分の生活の癖まで照らされる。言い切った瞬間に、都合の悪い部分を見ないふりをする癖。正しいはずの選択を守るために、話を小さくまとめようとする癖。福家の質問は、そういうところに触れてくる。

まず一冊で大倉崇裕を試したいなら、やはりここがいちばん素直だ。倒叙の入口としての説明がいらない。最初の数ページで、勝負が始まっている。

読み終えたら、事件そのものより、福家の「間」の取り方が記憶に残るはずだ。問い詰めではなく、確認。断罪ではなく、整合。静かな圧力の気持ちよさを覚えてしまう。

2. 福家警部補の再訪(創元推理文庫/文庫)

第二集になると、倒叙の遊び場が広がる。犯人像の幅が一気に増え、社会的な立場も、うまくやる技術も、事件ごとに違う。けれど共通するのは「自分は筋を通している」という自己評価だ。その自己評価が、福家に会った瞬間、別の角度から測り直される。

福家は、推理の矢を一本だけ刺すのではない。小さな矢を何本も置く。相手がその一本を抜いて安心すると、別の場所が痛み始める。読者としては、犯人の焦りと、福家の無表情の温度差に引きずられる。

この巻の良さは、仕事の匂いが濃いところだ。警備会社、脚本家、芸人、玩具会社。日常の「段取り」や「業界の常識」が、そのまま犯罪の段取りになる。だから捜査も、現場の言語に寄っていく。ミステリーが急に生活の隣に来る感覚がある。

福家が優れているのは、相手を見下さない点だ。犯人は自分の才能や努力に自負がある。福家はそこを否定しない。むしろ認めた上で、「それでもここは変だ」と言う。その言い方が、いちばん効く。

読んでいて気持ちいいのは、真相が派手に開くのではなく、最後に「これ以上は続けられない」という地点へ追い込まれることだ。物語は勝ち負けの形を取るが、実際は体面の崩落だ。体面が崩れる音が、意外と大きい。

もしあなたが、派手なトリックより人物の綾が好きなら、この巻は相性がいい。犯人が何を守ろうとしたか、どこで言い訳に変わったか。そこに焦点がある。読後、誰かの言葉を聞く耳が少し変わる。

シリーズを追うなら、この巻で「福家に追われる怖さ」がはっきり分かる。福家の優しさが、逃げ道にならないことも。穏やかな声で、最短距離を塞いでくる。

次へ進むなら『福家警部補の報告』『福家警部補の追及』『福家警部補の考察』と続くが、この第二集を読み終えると、自然に「次の犯人はどんな顔をするのか」が気になってくる。

3. ペンギンを愛した容疑者(講談社文庫/文庫)

ここから空気ががらりと変わる。警視庁総務部動植物管理係。事件現場に残されたペットや動物の生態が、推理の入口になる。相棒は元捜査一課の刑事と、動物に強い女性警察官。動物の「当たり前」が、人間の嘘を照らす。

このシリーズの魅力は、知識がひけらかしにならないところだ。動物の行動には理由がある。その理由が、事件の矛盾を生む。だから読者は「覚える」より「腑に落ちる」。ペンギンの歩き方ひとつで、話が転ぶ面白さがある。

ただ、軽いだけではない。動物を飼う、預ける、連れ回す。その行為の背後には、寂しさや支配欲や見栄も混ざる。人間の弱さが、動物の無垢さと並ぶと、妙に目立ってしまう。その対比が痛い。

元捜査一課の須藤は、現場の嗅覚で押し切りたくなるタイプだ。薄は、理屈と観察で追い詰める。二人の噛み合わなさが、だんだんと「補い合い」に変わっていく過程が気持ちいい。バディものの体温がある。

読書体験としては、現場の空気が明るい。動物の毛並み、鳴き声、ケージの金属音。そういう感覚が挟まるから、事件の暗さが過剰に沈まない。ミステリーを読みたいけれど、重すぎるのは避けたい夜にちょうどいい。

一方で、動物を道具にする人間の姿は容赦なく描かれる。ここが甘くない。可愛いからこそ、利用される。だからこそ、このシリーズの推理は「弱いものを守る視点」に近づいていく。

読後に残るのは、事件の解決より「当たり前を疑う目」だ。あなたの部屋の中にも、誰かの習性に頼っているものがあるはずだ。人間同士でも、同じことが起きている。

続きが気になったら『アロワナを愛した容疑者』『クジャクを愛した容疑者』などへ進める。シリーズの楽しみは、動物の種類が変わるたびに、推理の入口も変わるところにある。

4. 問題物件(光文社文庫/文庫)

不動産会社のOLが、クレーム対応専門部署へ放り込まれる。そこで出会うのが、探偵を名乗る犬頭光太郎。次々と押しつけられる「ワケアリ物件」を、破天荒にさばいていくユーモアミステリーだ。部屋は嘘をつけない、という感覚が芯にある。

物件の問題は、雨漏りや騒音だけではない。住む人の事情、会社の都合、相続や権力争いが、壁紙の裏に染みている。読むほど「間取りは人生の折り目だ」と思えてくる。誰がどこに居場所を作り、どこを閉めたか。それが謎になる。

犬頭の魅力は、理屈より先に体が動くところだ。常識的な対応で詰むなら、常識を壊して先へ行く。恵美子は戸惑いながらも、現場で学んでいく。読者も同じで、笑いながら「その手があったか」と視野が広がる。

この作品は、ミステリーとしての謎解きと、職場小説としての痛みが同居している。新設部署に放り込まれた人間の孤独。上からの理不尽な指示。責任だけ押しつけられる感じ。心当たりがある人ほど刺さる。

それでも読後が軽いのは、恵美子が折れきらないからだ。小さな勇気が、毎話ちゃんと描かれる。部屋の問題は、時に人生の問題に直結する。だから解決は「スカッと」だけではなく、「やっと息ができる」に近い。

不動産という題材は、読者の生活にも直結する。引っ越し、更新、同居、別居。あなたの過去の部屋が、急に思い出されるかもしれない。鍵の音、廊下の匂い、隣室の気配。そういう感覚が謎解きの背景になる。

このシリーズの入口として、まずここで犬頭と恵美子の関係をつかむのがいい。勢いのある会話に乗れたら、次の巻でさらに大きい舞台へ飛べる。

なお本作はドラマ化もされている。原作のテンポの良さは映像にも向きやすい。

5. 天使の棲む部屋: 問題物件(光文社文庫/文庫)

第二弾はスケールが跳ねる。舞台はアメリカ・アリゾナ州の洋館。「天使の棲む部屋」と呼ばれる一室では、犯罪者ばかりが拳銃自殺を遂げているという。相棒不在の状況で、恵美子は“部屋そのもの”の謎と向き合う。

この巻の怖さは、幽霊より「説明できなさ」にある。人は説明できないものに、勝手に物語を貼り付ける。正義、報い、呪い。部屋は沈黙したままなのに、噂だけが増殖する。ミステリーとしては、その増殖をどこで止めるかが勝負になる。

恵美子が一人で踏ん張る時間が長いぶん、仕事の孤独が濃くなる。誰も助けてくれない場所で、判断を引き受ける。読んでいると、部屋の乾いた空気が喉に残る。異国の熱と、室内の冷たさの落差が想像できる。

犬頭が不在だからこそ、犬頭の破壊力が際立つのも面白い。いないことで、恵美子の「普通の感覚」が前に出る。普通の感覚が、異常な状況に入るときの震えが、この巻の読みどころだ。

事件は“最恐”の言葉に引っ張られがちだが、肝はそこではない。人が追い詰められたとき、何を信じるか。偶然を信じるか、誰かの意図を信じるか。どちらを信じても、責任は自分のほうへ戻ってくる。

読後には、部屋を見る目が変わる。窓の位置、光の入り方、扉の重さ。部屋は人を守るが、人を追い詰めもする。あなたの生活の「安心している場所」ほど、少し立ち止まって見直したくなる。

前作よりも、ミステリーの骨格が濃い。ユーモアは残しつつ、冷たい線が一本通っている。軽さと怖さが同居する作品が好きなら、この巻が刺さる。

そして読み終えるころ、シリーズのタイトルが腑に落ちる。「問題」は、物件ではなく、人のほうにある。

6. 死神さん(幻冬舎文庫/文庫)

無罪判決が出た事件を再び調べるのが職務の警部補・儀藤堅忍。警察の失態を掘り返すため疎まれ、相棒に指名された刑事の出世の道を塞ぐことから「死神」と呼ばれる。だが儀藤は「逃げ得」を許さない。再捜査の泥を、ひとりで踏む警察小説だ。

この作品の冷たさは、犯人の狡さより、制度の隙間から滲む。裁判が終わったあと、世間は次へ行く。けれど当事者は終われない。儀藤はその“終われなさ”を仕事にしている。だから物語の空気が独特だ。正義感というより、後始末の執念に近い。

儀藤の捜査は、派手な突破ではなく、証拠の積み直しだ。誰が何を見落としたのか、なぜ見落としたのか。そこを丹念に洗う。読みながら、メモ帳に線を引くような集中が生まれる。ミステリーの快感が、派手な逆転ではなく“整う”ことに寄っている。

相棒に指名された側の心理も苦い。儀藤と組むことは、組織の空気を敵に回すことでもある。正しいことをするのに、味方が減る。そういう現実が、嫌なほど説得力を持って描かれる。

それでも読み進められるのは、儀藤がただの冷血ではないからだ。失態を責めるためではなく、救うために掘り返す。救われるべきなのは、被害者だけではない。誤った判断をした側も、どこかで壊れている。

読書体験としては、夜向きだと思う。部屋を暗くして、ページをめくる音だけが響く時間。読み終えると、すぐに眠れないかもしれない。その代わり、世界を少し丁寧に見直す気分が残る。

「刑事もの」を読みたいが、銃撃戦や派手な抗争ではなく、真実の回収に惹かれる人に合う。どんな事件にも、置き去りがある。その置き去りを拾う物語だ。

一冊で完結しつつ、シリーズとしても続く。儀藤の生き方に付き合えるかどうか。そこが、読者の分かれ目になる。

読み終えたあと、あなたの中の「終わったこと」にも、少しだけ光が当たる。終わったふりをしていただけのことが、静かに浮かび上がる。

7. 聖域(創元推理文庫/文庫)

マッキンリーを極めたほどの男が、難易度の低い山で滑落死した。事故か、自殺か、それとも。山に背を向けていた主人公が、死の理由を確かめるために再び登る。山は雄弁ではない。沈黙のなかで、人は自分の過去と向き合う。

山岳ミステリーの怖さは、密室の代わりに「誰も見ていない」があることだ。風が証拠を消し、雪が足跡を飲む。だからこそ、些細な違和感が決定打になる。ザックの重さ、ロープの癖、呼吸の乱れ。そういうものが論理に変わっていく。

この作品は、山の描写が“登ったことのない読者”を置いていかない。専門用語を振り回すより、体の感覚で伝える。指先の冷え、汗が冷えていく怖さ、息が白くなる速度。読んでいるだけで肩がすくむ。

同時に、人間関係の温度も低い。友情はあるが、互いに踏み込めない領域がある。尊敬と嫉妬が混ざり、言葉にできないまま年月が過ぎる。その澱が、事故の形を取って噴き出す。

推理は、山のルールに従う。街の常識が通じない場所で、何が不自然かを見極める。だから読者は「山の論理」を学びながら真相へ近づく。学ぶことが推理と直結するので、読む手が止まらない。

刺さるのは、何かから逃げている人だと思う。仕事、家族、過去の失敗。山は逃げ場所のふりをするが、逃げ切らせない。登るほど、自分の心拍が聞こえる。主人公の歩みが、こちらの胸にも響く。

読後に残るのは、事件の答えだけではない。「あのとき、言えばよかった」の感覚だ。言えなかった言葉が、雪の下から見つかるような読後感がある。

派手などんでん返しではなく、静かな決着が好きなら、この一冊は深く刺さる。山という舞台が、感情の逃げ道を塞ぐ。

読み終えたら、冬の空気を吸いたくなる。自分の足で立っていることを確かめたくなる。

8. 生還 山岳捜査官・釜谷亮二(単行本版/単行本)

長野県の山岳遭難救助隊が、不審な点のある遺体を山で発見したときに呼ばれる特別捜査係がいる。山岳捜査官・釜谷亮二。残された微細な証拠と聞き込みから、事故や遭難の「本当の形」を突き止める中短編集だ。山の鑑識、という発想が鮮やかに効く。

連作の良さは、事件の種類が変わっても“見方”が一貫していることだ。山では、ほんの少しの判断ミスが命取りになる。その判断ミスが事故なのか、誘導されたものなのか。釜谷はそこを嗅ぎ分ける。嗅ぎ分け方が、職人のそれだ。

山の事件は、街よりも偶然が多い。天候、疲労、装備、経験。偶然の厚みがあるから、作為が混ざると見えにくい。だから推理が面白い。偶然の中から、わざとらしさを拾い上げる作業になる。

読んでいると、景色が先に立ち上がる。稜線の白さ、吹き上げる風、雪面に刺さる色。そこへ、遺体の位置や装備の状態が情報として乗る。情報が風景に溶けるので、推理が机上にならない。

釜谷の人物像も渋い。熱血ではない。冷笑でもない。山の現実を知っているから、甘い言葉を言わない。その代わり、事実を積み上げて、誰かが言えなかったことを形にする。

刺さる読者は、短編で切れ味を味わいたい人だと思う。長編の濃密さとは別の快感がある。ひとつの違和感が、最後にまっすぐ答えへ繋がる。山の線の引き方が、毎話違う。

また、登山経験がある人ほど怖い。自分にも起こり得る、という怖さ。逆に未経験でも、山の環境がどれだけ容赦ないかが伝わるので、緊張感は十分だ。

読み終えると、装備のチェックリストが頭に浮かぶかもしれない。安全のための“当たり前”が、物語の中では真相の鍵になる。

山の静けさと、捜査の静けさがよく似ている。どちらも、騒いだほうが負ける。

9. 犬は知っている(単行本/単行本)

警察病院の小児病棟で子どもたちを癒やすファシリティドッグ〈ピーボ〉。けれどピーボには裏の任務がある。特別病棟に入院する受刑者と接し、事件の秘密や真犯人の情報を引き出すこと。犬が主役で、人間が助手になる警察ミステリーだ。

まず、設定の時点で胸を掴まれる。癒やしと捜査が、同じ場所に同居している。小児病棟の明るさと、受刑者病棟の影。ピーボはその境目を、何事もない顔で歩く。その姿が切ない。

この作品が上手いのは、犬の可愛さで誤魔化さないところだ。癒やしは武器にもなる。人は優しさに油断して、本音を漏らす。ピーボの存在が、その“漏れ”を引き起こす。読むほど、優しさの倫理を考えさせられる。

相棒の笠門巡査部長もいい。犬を守りたい気持ちと、任務を遂行する現実の間で揺れる。犬を道具として扱うことへの抵抗が、物語の体温になっている。だから読者も、ただ面白がるだけでは済まない。

事件は連作の形で進み、読後感は意外と澄んでいる。残酷さを誇示しないのに、社会の暗部は映る。受刑者の「死を前にした言葉」には、嘘と本音が同時に混ざる。その混ざり方が怖い。

読書体験として印象に残るのは、毛並みの感触だ。病室の消毒の匂いの中で、温かい体温がある。それだけで人は救われる。救われた人が、真実を話し出す。その連鎖が、物語の推進力になる。

犬が好きな人はもちろんだが、むしろ「癒やし系が苦手」な人にも勧めたい。甘さより、問いが残るからだ。優しさは正しいのか。正しい優しさとは何か。そんな問いが残る。

読み終えたあと、誰かに触れるときの手つきが少し変わるかもしれない。優しさは、言葉より先に伝わることがある。

そして、犬は知っている。人が隠していることより、人が震えていることを。

10. 冬華(単行本/単行本)

冬華

冬華

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凄腕の老猟師と元特殊部隊員。極寒の穂高岳で、罠とかけひきとだましあいが続く。山岳アクションの熱量を、ミステリーの緊張で締め上げた一冊だ。寒さが刃物のように描かれ、ページをめくる指先まで冷える。

この作品は、推理の快感というより、生存の読み合いが快感になる。どこで止まれば助かるか。どこで進めば勝てるか。判断が遅れた瞬間に、身体が持っていかれる。山では、正しさより速さが正義になることがある。その怖さがある。

罠は、単なる仕掛けではない。心の罠でもある。相手の思考の癖を読んで、選択肢を狭めていく。だから心理戦としても濃い。相手を理解するほど、殺し合いが近づく。矛盾した緊張が続く。

山の描写が現実的だから、アクションが空想に見えない。雪面の硬さ、アイゼンの音、風が奪う体温。そういう具体が、嘘をつかない舞台を作っている。嘘をつけない場所で、嘘が飛び交う。そこが面白い。

刺さる読者は、ミステリーの「会話」より「局面」が好きな人だと思う。局面の変化で物語が進む。敵味方が、同じ斜面を共有しながら、互いの存在を意識する。視界の端に影がある感じが続く。

一方で、登場人物の過去が哀しい。哀しさが、暴力の理由になる。理由がある暴力は、読者の心を揺らす。正しい復讐などないと分かっていても、手が止まらない。

読後に残るのは、寒さと、息の荒さだ。山の小説を読んだのに、体の内側が熱い。そういう読後感になる。

日常に戻ったとき、暖房のありがたさが沁みるはずだ。そして同時に、人が追い込まれたときの判断の危うさも思い出す。

大倉崇裕の幅を確かめるなら、この一冊は強い証明になる。倒叙や連作の名手である以前に、場を動かす力がある作家だと分かる。

 

11. 一日署長(単行本)

一日署長

警察学校を首席で卒業した五十嵐いずみに回されたのは、資料整理の地味な部署。ところがある日、古いパソコンの光に包まれ、いずみは一九八五年の署長室で“署長の身体”に憑依していると気づく。しかも署では未解決事件の捜査の真っ最中だ。 

タイムスリップものの快感は「知っている者が知らない世界に行く」ことだが、本作はさらにひねる。若い女性警察官が、むくつけき中年署長として現場へ出る。身体の不自由さと、権限の強さが同時に来る。

署長権限でグイグイ動けるのが痛快だ。だが痛快さの裏で、当時の空気の濃さも出る。いまなら当然の配慮がない。言葉が荒い。現場の常識が違う。その摩擦が、ただの無双で終わらせない。

いずみの武器は未来の記録だ。資料で読んだ「その後」を知っている。だからこそ、当時の矛盾や穴が見えてしまう。知っているのに言えない、言えば歴史が変わるかもしれない。その葛藤が、推理に妙な緊張を足す。

一日というタイムリミットが、毎回の物語に締まりを作る。夜になれば戻る。戻ったあと、どれだけ現代が変わっているか分からない。ページをめくる手が自然と速くなる。

読んでいると、資料室の価値が見えてくる。地味な仕事が、未来を救うための燃料になる。整理は、ただの雑務ではない。記録は武器だ。その感覚が、じわっと効く。

軽やかに読めるのに、仕事の話として芯がある。配属に腐ったことがある人ほど、いずみに共感しやすい。腐りながらも、やるしかない。その先で思いがけない扉が開く。

読み終えると「いまの自分の仕事の棚」を少し触りたくなる。積んだままの書類、放置したメモ。そこに、未来へ繋がる糸があるかもしれないからだ。

12. 警官倶楽部(ノン・ノベル)

警察マニアの集まりがある。制服や装備や階級章に異様に詳しく、警察という存在に“憧れ”をこじらせている。その世界で、制服姿の二人組が宗教団体の現金輸送車を襲う。だが彼らは本物の警官ではなかった。 

偽物がいちばん怖いのは、見た目が本物に似ているところだ。制服は人を黙らせ、敬礼は疑いを止める。社会の信頼が、悪意に利用される瞬間が、物語の最初から突き刺さる。

この作品は、犯人当ての快感より「なぜ、警官になりたかったのか」という歪みを追う。憧れが、支配欲に変わる。正義が、演技になる。読者は、気づくと“制服の中身”を見ようとする目になっている。

誘拐が絡むことで、事件は一気に現実味を帯びる。子どもっぽい趣味の延長で済まない。被害者の恐怖は当然として、加害者側にも、引き返せなくなる速度がある。

大倉の筆は、こういう「変な共同体」を描くのがうまい。内輪のルール、外への敵意、仲間内の序列。小さな世界の窒息感が、ページの中で息苦しいほど立つ。

読みながら何度も思うはずだ。本物とは何か。権力とは何か。肩書きは人を守るのか、人を壊すのか。身分証ひとつで態度が変わる社会の脆さが、じわじわ出る。

気分としては、警察小説というよりサスペンスに近い。正義の側が颯爽と救うより、正義そのものが揺らぐ怖さが先に来る。

読後、街で制服を見かけた時の視線が少し変わる。疑うためではなく、信頼がどう作られているかを考えるようになる。その変化が、この作品の後味だ。

 

関連グッズ・サービス

本を読んだ後の学びを生活に根づかせるには、生活に取り入れやすいツールやサービスを組み合わせると効果が高まる。

シリーズものをまとめて追うなら、電子書籍の読み放題をうまく使うと、続きを買う勢いが途切れにくい。

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まとめ

大倉崇裕の面白さは、謎の種類が違っても「現場の手触り」が消えないところにある。倒叙で人間の言い訳を剥がし、いきものの習性で常識を反転し、物件の事情で生活の影を照らし、山で沈黙の証拠を拾う。読み終えるほど、世界の見え方が少し精密になる。

目的別に選ぶなら、こんな順番が合う。

  • 倒叙の快感をまず浴びたい:『福家警部補の挨拶』『福家警部補の再訪』
  • 軽さと切れ味の両方がほしい:『ペンギンを愛した容疑者』『問題物件』
  • じっと重い余韻に浸りたい:『死神さん』『聖域』
  • 舞台の迫力で引っぱられたい:『生還 山岳捜査官・釜谷亮二』『冬華』

気分が合う一冊からでいい。ページをめくる手の速さが、そのまま相性になる作家だ。

FAQ

Q1. 大倉崇裕を最初に読むなら、シリーズから入るべきか

読み慣れていないなら、まずは『福家警部補の挨拶』が入りやすい。倒叙の形が明快で、短編連作なので息継ぎもしやすい。軽めがいいなら『問題物件』でもいい。職場の理不尽や生活の匂いが近く、ミステリーの入口が日常側にある。

Q2. 『福家警部補』はドラマを見てから読んでも楽しめるか

楽しめる。倒叙の核は「犯行を知っている状態で、どう崩すか」にあるので、映像で人物像が入っていても、崩しの手順が読みどころとして残る。連続ドラマは2014年に放送され、福家を檀れいが演じた。

Q3. 重い題材が苦手でも読める作品はあるか

ある。『ペンギンを愛した容疑者』は動物の要素がクッションになり、事件の暗さが過剰に沈みにくい。『問題物件』もユーモアが強く、会話のテンポで読ませる。一方で『死神さん』は制度や冤罪の影が濃いので、心が疲れている時期は無理せず後回しでもいい。

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