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【井伏鱒二おすすめ本18選】代表作から読む、広島の影と庶民の笑い

ひとつの作家を集中的に読むと、その人の「世界の見え方」が少しずつ自分の目に移ってくる。井伏鱒二を追いかけて読むと、戦争も原爆も、貧乏暮らしも釣りの失敗も、どれも同じ地平にある「人のくらし」として見えてくる瞬間がある。暗く重いテーマを扱いながらも、どこか飄々としていて、読後に残るのは重さだけでなく、妙な明るさや諦観のようなものだ。

この記事では、原爆文学の金字塔『黒い雨』から、山椒魚や雁や釣り人たちが登場するユーモア作品まで、井伏鱒二の代表作を18冊まとめて紹介する。どこから入ってもいいが、自分の生活や気分に一番近い場所から、そっと扉を開けてみてほしい。

 

 

井伏鱒二とは?──原爆と庶民を同じ筆で描いた作家

井伏鱒二(いぶせ・ますじ/1898–1993)は、広島県安那郡加茂村(現在の福山市)に生まれた小説家だ。早稲田大学で学び、1920年代に文壇に登場して以来、戦前・戦中・戦後をまたいで作品を書き続けた長命の作家でもある。1937年の『ジョン万次郎漂流記』で直木賞、1950年に『本日休診』などで読売文学賞、1966年『黒い雨』で野間文芸賞と文化勲章を受けている。

文学史的には「新興芸術派」の周辺に位置づけられることが多いが、難しい主義やイズムよりも、徹底して「庶民の視線」を貫いた作家、という言い方の方がしっくりくる。炭坑町や片田舎の駐在所、荻窪の下宿街、駅前の安旅館、水辺の村──そうした場所で暮らす人々を、やさしいようでいて容赦のない目つきで見つめている。

代表作『黒い雨』では、広島への原爆投下を、被爆者の家族が書き残した日記をもとに再構成し、「黒い雨」を浴びた人々の日常を淡々と描いた。そこには、戦争の是非を声高に叫ぶ姿勢はあまりない。そのかわり、体に残った火傷や病、失われた縁談や仕事、ささやかな暮らしがじわじわと蝕まれていく様子が、冷静な筆致で綴られる。だからこそ、逆に恐ろしい。

一方で、駐在巡査の日記をもとに海辺の村を描いた『多甚古村』や、駅前旅館の番頭たちが騒ぎまくる『駅前旅館』のような作品では、戦後日本のユーモア小説の先駆けのような軽みも見せる。釣りのエッセイや、漢詩の名訳を集めた『厄除け詩集』など、ジャンルを越境する自在さも特徴だ。釣り好きとしての筆名「好釣」まで持っていたほどで、川や海の描写には、実地の手触りがにじむ。

戦争の惨禍と、庶民の日常、釣りの愉しみ、骨董の世界、文士たちが集った荻窪の町の空気。どの作品にも通底しているのは、「人間はどうしようもなく可笑しく、そして哀しい」という感覚だと感じる。その感覚が、自分の暮らしの細部とぴたり重なる瞬間があるからこそ、今読んでも古びないのだと思う。

井伏鱒二おすすめ作品リスト(18冊)

1. 黒い雨

まず避けて通れないのが、原爆文学の代表作『黒い雨』だ。物語の中心にいるのは、広島で被爆した姪・矢須子と、その縁談をまとめようとする伯父夫婦。矢須子がかつて書きつけていた日記や、広島で暮らしていた人々の記録をもとに、「あの日」からの数日間と、その後に続く年月が描かれていく。題名にもなっている「黒い雨」とは、原爆投下後に放射性物質を含んで降った雨のこと。その雨を浴びた人々の身体と生活が、静かな文体の中で、どうしようもない重さを持ちはじめる。

印象的なのは、決して大げさな戦争批判に走らないところだ。井伏は、被爆の瞬間を派手に描くより、家の片付けや食べ物のやりくり、縁談話の行方など、生活のディテールを淡々と積み重ねていく。その細部の中に、「取り返しのつかなさ」がじわじわ滲んでくる。読んでいると、気付かないうちに背筋が冷たくなっているのに、文章自体はどこまでも平静だ。このギャップが、長く読み継がれてきた理由なのだろう。

また、この作品には「原爆の直接被害」だけでなく、その後の差別や婚姻問題も描かれる。矢須子が「被爆者であること」を理由に縁談で不利になっていく場面は、戦後長く続いた社会的偏見を象徴している。資料性の高い小説でありながら、ひとつのラブストーリーとしても機能しているのが、井伏のうまさだと感じた。

読み手としては、決して軽い読書にはならない。それでも不思議と、途中で本を閉じたくなる感情より、最後まで見届けたいという思いが勝つ。淡々とした筆致の中に、登場人物への深い愛情がにじんでいるからだろう。大げさな感動ではなく、ふとした拍子に胸の奥でじわっと来るような読後感が、数日尾を引く。

原爆文学や戦争文学に正面から向き合ってみたい人にはもちろん、これまでニュースでしか「ヒロシマ」を知らなかった人にも、一度は手に取ってほしい一本だ。電子でじっくり読むなら、サンプルも試しやすいKindle Unlimitedで探してみるのも手だと思う。

2. 山椒魚・遥拝隊長

『山椒魚・遥拝隊長』は、教科書にも載ることの多い短編「山椒魚」と、戦争の狂気をユーモアで包んだ「遥拝隊長」を中心にした短編集だ。岩屋の水溜まりに棲む山椒魚が、体が大きくなりすぎて外へ出られなくなってしまう「山椒魚」は、ナンセンスな寓話のようでいて、人間の不自由さや閉塞感をうっすら映し出す。最初はコミカルに読んでいたのに、読み終えるころには自分の生活のどこかにも同じような「狭い水溜まり」があるのではないかと、妙な気持ちになった。

「遥拝隊長」は、戦時下における「遥拝(はるかに拝む)」の行事に異様な熱を入れる隊長の姿を、どこかとぼけた調子で描いた作品だ。天皇遥拝というイデオロギー上は崇高とされる行為が、現場の兵士や村人たちの日常に降りてくると、途端に滑稽さを帯びてしまう。そのギャップを突くことで、井伏は戦争体制の滑稽さと危うさを浮かび上がらせる。

この短編集には他にも、山里や港町を舞台にした短編が収められていて、どの作品にも独特のリズムがある。文章は決して難解ではないのだが、音として読むと妙に気持ちいい。短編ごとに舞台やモチーフが変わるので、通勤時間や寝る前の10分読書にも向いている。

個人的には、「山椒魚」を読んだのは学生時代の国語の授業だったが、大人になってから読み直すと印象がまったく違った。若い頃はただの不条理な話に見えていたのが、仕事や家庭で「どうにも動けない」感覚を味わったあとに読むと、山椒魚の狼狽や見栄がやけにリアルに感じられる。年齢を重ねて読むほど味が変わる短編集だと思う。

 

3. ジョン万次郎漂流記

『ジョン万次郎漂流記』は、土佐の漁師の少年・万次郎が嵐に遭って漂流し、アメリカ船に救助されて渡米し、やがて日本に帰ってきて通訳・航海者として活躍するまでの波瀾万丈の生涯を描いた伝記小説だ。井伏は、木村毅らが集めた資料をもとに、史実に忠実でありながら、庶民的なユーモアや温かみを加えて万次郎像を再構成している。

漂流、救助、異国での生活、日本への帰国と、エピソードそのものは劇的だが、井伏の筆はあくまで平易で、万次郎の視線に寄り添っている。見たこともない食べ物や服装、宗教儀式に戸惑いながらも、一つひとつを好奇心をもって受け入れていく万次郎の姿には、読みながら自分も一緒に異文化を体験しているような感覚がある。

この作品の魅力は、「偉人伝」的な持ち上げ方をしていないことだと思う。万次郎は決してスーパー英雄ではなく、恐れたり悩んだり間違ったりする普通の青年として描かれている。その普通さの中に、結果的に歴史を動かしてしまうような「時代との巡り合わせ」がある。そういう描き方が、かえって読者に希望を与えるのではないかと感じた。

歴史小説として読むのはもちろん、「異文化の中でどう生きるか」というテーマで読んでも面白い。留学や移住を考えている人が読んだら、万次郎のたくましさに勇気づけられる部分がきっとあるはずだ。中高生にも手渡しやすい1冊なので、親子で共通の話題にしたいときにもいい。

4. 荻窪風土記

『荻窪風土記』は、井伏が長年暮らした東京・荻窪という町の半生記的な随筆だ。関東大震災前後の様子から、戦前戦後の文士たちの暮らしぶりまで、時代とともに変わっていく荻窪の町の風景が、静かながらも生き生きと描かれている。筆致は自伝的でありながら、決して自分語りに溺れない。町の横顔を描きながら、その中にひっそりと自分自身の影を混ぜるような書きぶりだ。

特に印象に残るのは、文士たちがまだ売れない時代に下宿で肩を寄せ合っていた頃の空気感だ。安アパートの薄い壁越しに聞こえるタイプの音や、簡素な食事、原稿料が払われるかどうかの不安──そうした貧乏くさいディテールが、妙に楽しそうでもある。荻窪という場所が、単なるベッドタウンではなく、文学者たちの生活の「母艦」のような役割を果たしていたことが伝わってくる。

個人的には、東京で暮らしはじめたばかりの頃にこの本を読んで、「いま自分が立っている駅前にも、何十年前には同じように貧乏作家や労働者がいたのかもしれない」と想像したくなった。ふだん見慣れた街の風景が、急に時間の層を持ちはじめる感覚がある。

散歩が好きな人、東京の郊外文化に興味がある人には、かなり刺さると思う。紙の本でゆっくりページをめくってもいいし、電子で通勤のお供にするのも相性がいい作品だ。ちょっとずつ読みたい人はKindle Unlimitedで他の随筆と一緒に持ち歩いてもいいかもしれない。

5. 本日休診

『本日休診』は、庶民的な開業医と、そこに集まる患者たちの姿を描いたユーモア小説で、読売文学賞も受賞している。町の小さな医院にやってくるのは、単純な風邪ひきから、妙に理屈っぽい患者、家族を背負い込んだ人など、どこかで見たことがあるような人々ばかりだ。医師である主人公は万能のヒーローではなく、時に面倒くさがったり、患者に振り回されたりしながら診察をこなしていく。

医療ドラマ的な派手な手術シーンは出てこない。代わりにあるのは、診察室の些細な会話や、待合室の空気、診療時間外の医院の表情だ。そこに、日本の戦後社会の不安や貧しさが、じわりとにじむ。笑い話のようでいて、患者の背後にある生活の苦しさがふと垣間見える瞬間があり、胸がちくりとする。

いま読むと、医療現場の描写そのものはもちろん古い。しかし、「人はそう簡単に健康を維持できない」「医者も万能ではない」という前提はまったく変わっていない。現代の私たちが抱える「医療不信」や「病院嫌い」の原型のようなものも見えてくる。

医療に関わる仕事をしている人が読めば、時代は違っても共感する部分が多いはずだし、医者に苦手意識がある人が読めば、「医者も人間なんだ」と少し気が楽になるかもしれない。重さと軽さのバランスが絶妙な小説だと思う。

6. 厄除け詩集

「サヨナラだけが人生だ」という一節で知られる漢詩訳を含む『厄除け詩集』は、井伏鱒二の詩精神を凝縮した一冊だ。自作の自由詩に加え、漢詩の名訳が収められており、散文作家としての顔とは少し違う井伏が顔を出す。本人いわく、散文が書きたくなくなったときに「厄除けのつもりで」書いた詩を集めたものだとされており、その言葉どおり、どの詩にもささやかな祈りのようなものが流れている。

有名な一節だけを切り取って知っている人も多いと思うが、通して読むと印象がだいぶ変わる。人生の無常や孤独をテーマにしつつも、言葉の選び方は決して過剰ではない。少し肩の力の抜けた、飄々とした言葉が多く、読んだあとに静かな笑いが残る詩も多い。

漢詩訳の部分も、原詩の格調高さというより、どこか江戸っ子のような軽妙さを感じさせる。翻訳というより「同時代の友人への手紙」のような距離感で書かれているせいかもしれない。漢詩に馴染みがない人でも、すっと入っていけると思う。

長編小説の合間の「口直し」として、1日1篇ずつ読むのもいいし、落ち込んだ日に好きな詩だけを繰り返し読むのもいい。詩集というと構えてしまう人にこそ勧めたい一冊だ。

7. 多甚古村

『多甚古村』は、甲州ではなく四国の海辺をモデルにしたとされる小さな村を舞台に、駐在巡査・甲田の視点で日々の出来事が綴られる長編だ。甲田巡査の駐在日記という体裁で、喧嘩、醜聞、泥棒、祭りの騒ぎなど、村の日常の細かな出来事が並べられていく。そこに、苦労人で平和を愛する甲田の人柄がにじみ出て、読んでいるうちに「村全体がひとつの登場人物」のように感じられてくる。

ストーリーとしては派手な山場があるわけではない。それでもページをめくる手が止まらないのは、ひとつひとつの出来事の背後に、村人たちの感情や損得勘定、人間関係の微妙なバランスが見え隠れするからだ。甲田は決して完璧なヒーローではないが、どんな小さなトラブルにも真面目に向き合う姿勢があり、その誠実さが読者にも伝わってくる。

この作品を読んでいると、不思議と自分の暮らす町の交番の前を通りかかるだけで、甲田巡査の姿を探してしまう。地方の小さなコミュニティに興味がある人や、のんびりした村の時間の流れを味わいたい人におすすめだ。

8. 集金旅行

『集金旅行』は、タイトルの通り「集金」を目的にした旅に出る作家の姿を描いたロードノベル的作品だ。とあるアパートの主人が亡くなり、小学校一年生の男の子だけが取り残される。生前の主人と親しくしていた「私」は、部屋代を踏み倒して逃げた人たちからお金を集めるために、あちこちをまわることになる。

「集金」というと殺伐としたイメージだが、井伏の筆にかかると、そこに庶民的なユーモアと哀しみが混ざり合う。訪ね歩く先々で出会う人々は、どこかしら言い訳上手で、ずるさと善良さを同時に持っている。主人公もまた、少しお人好しで、きっぱり取り立てるというより、相手の事情に耳を傾けすぎてしまう。

旅小説としての面白さもあり、行く先々の風景描写がいい。地方都市の駅前や古びた商店街、安宿の匂いなどが、細部まで立ち上がってくる。その描写を読んでいるだけで、自分もどこかへ「集金旅行」に出たくなる。

お金の話は、いつの時代も重いテーマだが、この作品ではそれをあえてユーモラスに描き、読者に「人と人とのお金の関係」を考えさせる。フリーランスや自営業で「請求書を出すのが苦手」という人には、妙に刺さるかもしれない。

9. 珍品堂主人

『珍品堂主人』は、骨董に憑かれた男を主人公にした長編で、骨董品鑑定士・青山二郎をモデルにしていることでも知られる。骨董商「珍品堂」を営む主人と、その周囲に集まる人々の人間模様を通して、美と金、趣味と欲望が交錯する世界が描かれる。

骨董の世界というと敷居が高そうだが、井伏はそこにも庶民的な笑いを持ち込む。真作か贋作かを巡る駆け引き、値段交渉の攻防、コレクター同士の見栄の張り合い──どれも現代のオークションやフリマアプリの世界にも通じるような心理劇だ。主人公は決して善人ではなく、かなりクセの強い人物だが、その「性格の悪さ」がまた魅力でもある。

読み進めるうちに、「ものを集める」という行為の根っこにある執着心や孤独のようなものが、じわりと浮かび上がってくる。趣味の世界にどっぷり浸かっている人なら、どこか身につまされるはずだ。

骨董や美術が好きな人はもちろん、「推しグッズ」やフィギュアを集めがちな現代のオタクにとっても、他人事とは思えない物語だと思う。コレクションと人生の折り合いをどうつけるか、というテーマで読み直しても面白い。

10. 駅前旅館

『駅前旅館』は、昭和30年代初頭の上野駅前にある旅館を舞台に、番頭たちの奇妙な生態と、団体客が巻き起こす騒動を描いたユーモア小説だ。おしゃべりで口八丁の番頭、クセの強い従業員、素性の知れない宿泊客たち。駅前旅館という、さまざまな人が一時的に交差する場所を舞台に、人間の欲や虚栄、ささやかな善意が入り交じる。

この作品は、森繁久彌主演で映画化され、大ヒットしたことでも有名だが、原作小説のテンポの良さは映画に勝るとも劣らない。会話のリズムが軽妙で、ページをめくっているうちに、頭の中で自然と俳優たちが動き出す。井伏のユーモア小説の中でも、とくに敷居が低く、笑いながら読める一本だと思う。

ただのドタバタ喜劇に終わらないのは、駅前旅館が「戦後の日本社会の縮図」になっているからだ。地方から仕事を求めて出てきた若者、観光客、ビジネスマン、商売に疲れた中年たち──それぞれが、旅館という場で一瞬だけ交差して、すぐまた散っていく。そこには、戦後の高度成長前夜の、不安と期待が同居する空気がある。

旅が好きな人や、昭和の大衆文化に興味がある人にはたまらない一冊だ。出張の行き帰りに読むと、ホテルのロビーを見る目が少し変わるかもしれない。

10. さざなみ軍記

『さざなみ軍記』は、平家一門の衰亡を敗者の視点から描いた歴史小説「さざなみ軍記」と、庶民の生活を描いた短編「掛持ち」などを収めた一冊だ。「さざなみ軍記」は、都を落ちのび瀬戸内海を転戦する若き公達の日記という形式で書かれている。戦の華々しさよりも、敗走する側の疲労や諦念、ささやかな喜びが淡々と綴られており、日本史の教科書で習う「平家物語」とは違った、しみじみとした敗者像が立ち上がる。

歴史小説というと難しいイメージがあるが、語り口はあくまで平易で、日記形式のおかげで心理描写も直接的だ。戦国・平安ものが好きな人はもちろん、「勝者の歴史」に疲れてしまった人にこそ読んでほしい視点の作品だと思う。

11. 屋根の上のサワン

『屋根の上のサワン』は、病気療養中の語り手と、一羽の雁(サワン)との交流を描いた動物文学的な作品だ。ある日傷ついた雁を見つけた「私」は、それを家に連れ帰り、「サワン」と名付けて世話をする。やがてサワンは屋根の上まで歩けるようになり、夜になると屋根の上に立って月を見上げる。その姿を眺める「私」と家族の心の動きが、静かで美しい文章で描かれる。

この作品のすごさは、動物ものにありがちな感傷に落ちないところだ。サワンはあくまで「鳥」として描かれ、擬人化されすぎない。その分、距離感のある優しさが感じられる。サワンがやがてどこかへ飛び去っていく(あるいは失われてしまう)予感が、最初からうっすらと漂っており、読者はその予感とともに物語を読み進めることになる。

ペットを飼ったことがある人なら、別れの予感とともに日々を過ごした経験があるはずだ。その感覚を思い出させる一編だと思う。短い作品なので、静かな夜に一気に読んで、余韻を味わってほしい。

12. かきつばた

『かきつばた』は、終戦時の混乱を背景にした短編を中心とする作品集で、表題作「かきつばた」は、水面に浮かぶ女の死体から始まる衝撃的な一篇だ。終戦直後の混沌とした社会状況の中で、人間の欲や残酷さ、無責任さがむき出しになっていく様子が、鬼気迫る筆致で描かれる。

また、この作品集には、自身の学生時代の貧乏暮らしをモチーフにした「無心状」なども収められている。田舎の兄に送るつもりだった無心状(仕送りを頼む手紙)を、うっかりレポートとして提出してしまうという、笑っていいのか泣いていいのかわからないエピソードが印象的だ。

戦争と貧困という重いテーマを扱いながらも、ところどころにユーモラスな描写が挟まれ、井伏らしい「感情の振れ幅」を味わえる一冊だと思う。戦後文学に踏み込みたい人の入り口としてもおすすめだ。

13. 鞆ノ津茶会記

『鞆ノ津茶会記』は、備後の港町・鞆(とも)を舞台にした歴史小説で、小早川隆景の庇護を受ける武将や僧侶たちが茶会に集い、噂話に花を咲かせる姿が描かれる。戦国末期の世相や日常が、茶会という一見優雅な場を通して、生々しく立ち上がる構成になっている。

戦国武将たちの派手な合戦ではなく、「合戦の合間の時間」に光を当てた作品であり、茶会の席で交わされる何気ない会話の中に、時代の空気が凝縮されている。誰が誰をどう評価しているのか、どの噂が真実でどれが誇張なのか──そうした「人間の口の軽さ」がユーモラスに描かれつつ、その背後にある権力構造もちらりと見える。

歴史ものが苦手な人でも、茶会という閉じられた空間劇として楽しめると思うし、逆に戦国ものが好きな人にとっては、いつもと違う角度から時代を見直すきっかけになるはずだ。

14. 釣師・釣場

『釣師・釣場』は、釣りにまつわるエッセイや随筆を集めた一冊で、釣り好きとしての井伏鱒二が全開になる。海釣りあり、川釣りあり、ハタやアユ、フナ、ヤマメなど、さまざまな魚を相手に試行錯誤する様子が、独特のユーモアと詩情をもって語られている。

釣りの経験がなくても、失敗談の面白さだけで十分楽しめる。「ここで踏みとどまればよかったのに」というポイントをわざわざ踏み越えてしまうあたりに、人間らしさがある。釣果よりも、その場の空気や風景の描写に力が入っているので、いわば「何も釣れない時間」の豊かさを味わう本でもある。

アウトドアが好きな人や、自然の中でぼんやりしたい人にとっては、理想の「机上の釣行記」になるだろう。移動中の耳読みにも向いているので、釣り場への道すがらAudibleで似た系統の作品と合わせて楽しむのもよさそうだ。

15. 井伏鱒二ベスト・エッセイ(ちくま文庫い-51-5)

『井伏鱒二ベスト・エッセイ』は、その名の通り、井伏の長い作家人生から精選されたエッセイを一冊にまとめた新しいアンソロジーだ。釣りや酒、温泉といった「趣味」の話から、太宰治や牧野信一、青柳瑞穂といった同時代の作家仲間への人物評まで、トーンの違う文章がぎゅっと詰め込まれている。日本語としてのリズムの良さ、肩肘の張らない語り口を、まとまった分量で味わえるのが嬉しい。

ここで読める井伏は、いわゆる「大作家」然とした姿ではない。将棋や酒の失敗談、旅先での小さなハプニング、友人のちょっと意地悪な観察など、どれも少し斜に構えたユーモアと、妙な温かさが同居している。情緒的になりすぎることを嫌い、どれほどしんみりしたテーマでも、どこかで必ずオチや逆転を入れてくるのが井伏らしい。

個人的に楽しいのは、作家仲間について語る文章だ。太宰治の話ひとつ取っても、師弟という美談に持っていかず、「ちょっと手のかかる後輩」として淡々と扱っている。その距離感から、かえって本当の親しさや、時代の空気が滲み出てくる。

長編や原爆文学から入った読者が、この本で「日常の井伏」に触れると、作品全体の印象が少し丸くなると思う。仕事や家事の合間に1本ずつつまみ食いする読み方が似合う一冊だ。初めて井伏を読む人にとっても、「とりあえずこの1冊」で作家のキャラがつかめる便利な入口になる。

 

16. 井伏鱒二全詩集(岩波文庫)

『井伏鱒二全詩集』は、単行本『厄除け詩集』に収められた詩と、その後に見つかった拾遺をまとめた決定版の詩集だ。つまり、先に紹介した『厄除け詩集』を芯に据えつつ、「詩人・井伏鱒二」をほぼ丸ごと味わえる一冊になっている。

有名な「サヨナラだけが人生だ」の一行に惹かれて手に取る人も多いと思うが、通して読んでみると、むしろ地味で素朴な詩の方が印象に残る。どうにもならない日々を、少し引いた目線で見つめながら、それでも完全なニヒリズムには沈まない。そんなバランス感覚が、散文とも共通している。

散文では語りきれなかった感情の「端っこ」が、詩のかたちでこぼれているようにも感じる。季節の移ろいを詠んだ作品や、友人・知人を悼む詩などは、読むタイミングによって刺さり方が変わるだろう。何度も人生のいろいろな局面で開き直せるような本棚の一冊にしておくと、ふとしたときに救われるかもしれない。

大部な長編よりも、「一行一行をゆっくり味わいたい」という気分の日には、この全詩集がいちばんしっくり来る。コーヒー一杯ぶんの時間だけ開いて、二、三篇読んで閉じる──そのくらいの距離感で付き合うのが似合う本だと思う。

17. 広島風土記(中公文庫 い38-6)

『広島風土記』は、広島生まれの井伏が、郷里とその周辺について書いた回想・紀行文を中心に、小説「因ノ島」「かきつばた」、半生記まで収めた文庫オリジナルの一冊だ。慣れ親しんだ鞆ノ津の釣り場、尾道で訪ねた志賀直哉の仮寓、疎開生活の記録、平和の鐘の音、「黒い雨」執筆当時のこと、母への思い──まさに「広島の井伏」を一冊でたどれる構成になっている。

面白いのは、原爆や戦争を直接正面から語るのではなく、「釣り」「旅」「家族」といった一見ささやかなテーマを通して、広島という土地の時間の層を重ねていくスタイルだ。海や川の描写、在所ことばのリズム、人々の気質──どれも具体的なのに、読み終えると「広島」という言葉の手触りそのものが、少し変わっている。

小説『黒い雨』で描かれた「ヒロシマ」は、どうしても悲劇の象徴としての側面が強いが、この『広島風土記』を併せて読むと、その前後を含めた「土地の生活史」が見えてくる。戦争の前から、ずっと続いていた普通の暮らし、そのあとも続いていく日々。その両方を抱え込んだまま、「広島」という場所がそこにあることが、じわじわと伝わってくる。

地方出身者が自分のふるさとを思い返すときにも、かなり響く本だと思う。自分の育った町にも、「広島風土記」のような本を書ける作家がいるだろうか、と考えながら読むと、景色の見え方が変わる。広島を旅する前後に読む「旅の案内」としても、静かな効き目のある一冊だ。

18. ドリトル先生アフリカゆき: ドリトル先生物語1(岩波少年文庫)

『ドリトル先生アフリカゆき』は、もちろん原作はヒュー・ロフティングだが、日本語訳を担当しているのが井伏鱒二だという点で、彼の仕事を語るうえで外せない一冊だ。動物と話ができるドリトル先生が、アフリカの猿たちを助けに船出する、シリーズ第1作。少年少女向けの冒険物語でありながら、自然への敬意や、弱いものへのやさしさが物語全体に行きわたっている。

井伏訳の魅力は、まず何より「口あたりの良さ」だと思う。難しい漢語や気取った文体を避けつつ、子どもっぽくしすぎない。ちょっと古風で、ところどころに江戸っ子のような軽さが混じる日本語は、声に出して読むといちばんよくわかる。動物たちの台詞まわしにも、それぞれ微妙に違うキャラクターが出ていて、訳者の耳の良さを感じる。

あとがきや背景を知ると、この訳が戦中・戦後の揺れた時期をくぐり抜けて世に出たこともわかる。破壊や憎悪ではなく、「言葉が通じない相手と、どうやって分かり合うか」という物語を、その時期に子どもたちに手渡そうとしたこと自体、井伏なりのささやかな抵抗だったのではないか、と想像したくなる。

児童文学だからと敬遠せず、大人こそ読み直してみるといい。ドリトル先生の不器用な優しさや、「善き生き方」へのこだわりに、井伏自身の人生観がうっすら重なって見えてくる。子どもに読み聞かせつつ、「じつは一緒に訳文を味わっている」という楽しみ方もできる一冊だ。

関連グッズ・サービス

本を読んだ後の学びを生活に根づかせるには、生活に取り入れやすいツールやサービスを組み合わせると効果が高まる。

たとえば、長編の『黒い雨』や『駅前旅館』をじっくり読みたいなら、紙の文庫に加えて電子版も持っておくと、通勤電車や待ち時間にも読み進めやすい。読みかけのページをスマホと端末で共有しておけば、「ちょっとしたスキマ時間」が全部読書タイムに変わっていく。

耳で聞く読書が好きなら、朗読作品やオーディオブックで、釣りエッセイや随筆系をゆるく流しておくのも悪くない。台所で家事をしながら、荻窪や多甚古村の話を聞いていると、自分の生活と作品世界がふわっと重なってくる瞬間がある。

紙派・電子派・耳派、それぞれのスタイルに合わせて、こんな組み合わせを試してみてほしい。

  • 電子で井伏作品をいろいろ試したい人向け:Kindle Unlimited
  • 朗読で随筆やエッセイを流し聞きしたい人向け:Audible
  • 長時間読書にうれしい専用端末:フロントライト付きのKindle端末があると、夜のベッドサイド読書がぐっと楽になる。
  • 釣りエッセイを読んだあとに:小さなフィッシング用具一式(ルアーや折り畳み竿)。実際に川辺や海辺に出て、『釣師・釣場』の世界と自分の体験を重ねると、文章の味が変わってくる。

 

 

まとめ──暗さも可笑しさも、ぜんぶ引き受ける読書体験

井伏鱒二の作品を並べてみると、テーマの幅広さにあらためて驚かされる。原爆や戦争の惨禍を描いた『黒い雨』、敗者の歴史を綴る『さざなみ軍記』、庶民的なユーモア小説の『駅前旅館』や『本日休診』、動物との交流を描いた『屋根の上のサワン』、釣りの喜びと失敗が詰まった『釣師・釣場』──どれをとってもトーンが違うのに、どこか共通する「人間へのまなざし」がある。

読み進めるほど、戦争も貧困も笑い話も、すべてが「生きる」という一続きのラインの上に乗っているように感じられてくる。暗さだけを強調することも、安易な希望を振りかざすこともせず、ただ淡々と「こんな人たちが、こうやって生きていた」と記録していく。その姿勢に、今の時代に必要な静かな力を感じる。

読書の目的別に選ぶなら、こんな感じになりそうだ。

  • まず一冊読んで世界観をつかみたいなら:『黒い雨』
  • 軽やかなユーモアから入りたいなら:『駅前旅館』『集金旅行』
  • 短編でリズムを味わいたいなら:『山椒魚・遥拝隊長』『かきつばた』
  • 生活感のある随筆が好きなら:『荻窪風土記』『釣師・釣場』
  • 歴史もの・敗者の物語に惹かれるなら:『ジョン万次郎漂流記』『さざなみ軍記・掛持ち』『鞆ノ津茶会記』

どの本から入っても、読み終わるころには、少しだけ世界の見え方が変わっていると思う。ニュースや年表からはこぼれ落ちてしまう、名もなき人たちの暮らしに耳を澄ませてみたいとき、井伏鱒二の本棚をそっと開けてみてほしい。

FAQ──井伏鱒二をこれから読む人のための小さな質問箱

Q1. 井伏鱒二はどの順番で読むのがいい?

厳密な「正解の順番」はないが、読みやすさとテーマの重さで考えると、まずは短編集『山椒魚・遥拝隊長』か、ユーモア色の強い『駅前旅館』『集金旅行』あたりから入るのがおすすめだ。そのあと、少し腰を据えて『ジョン万次郎漂流記』や『多甚古村』などの長編を読み、最後に『黒い雨』のような重い原爆文学に挑むと、作家としての幅広さが綺麗に見えてくる。

Q2. 『黒い雨』は重そうで怖い。読んだ方がいいのだろうか?

たしかに気軽に手に取るタイプの本ではないし、読むとそれなりのダメージは残る。ただ、『黒い雨』は「悲惨さを突きつけるための本」ではなく、「悲惨さの中にも日常は続いていく」という事実を静かに見せる本でもある。もし怖さが先に立つなら、まずは他の作品を何冊か読んで、井伏の文体に慣れてから挑んでみるといい。読み終えたとき、自分の中の「戦争」のイメージが、ニュース映像とは違った質感を持ちはじめるはずだ。

Q3. 現代の若い読者が読んでも面白い? 古臭くない?

言葉遣いや生活のディテールは、もちろん古い。電話のかけ方ひとつ取っても、いまの感覚とは違う。でも、その古さを越えて伝わってくる「人のちっぽけさ」「ずるさ」「おかしさ」「しぶとさ」は、むしろ現代の方が身にしみる部分もある。SNSもスマホもない時代の人たちが、いまの私たちと同じようなことで悩んだり笑ったりしているのを見ると、少し気が楽になる。古典というより、「ちょっと年上の友だちの失敗談」を聞くつもりで読んでみてほしい。

Q4. エッセイや詩だけ拾い読みしても大丈夫?

もちろん大丈夫だ。『荻窪風土記』や『釣師・釣場』、『厄除け詩集』のような本は、むしろ通し読みより拾い読みが楽しいタイプでもある。気になるタイトルの章や詩だけ読んで、その日の気分に合わなければ閉じてしまってもいい。井伏の文章は、一篇ごとにちゃんと完結しているので、「すべて読まなければ」と気負う必要はない。

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