ほんのむし

本と知をつなぐ、静かな読書メディア。

【井上ひさし代表作・おすすめ本】ことばと笑いで世界をひっくり返す本16選

社会の不条理にモヤモヤしているとき、ニュースの言葉がどこか空回りして聞こえるとき、井上ひさしの本を開くと、世界の見え方が少しだけひっくり返る。笑っているうちに、いつの間にか政治も歴史も言葉の仕掛けも、自分の身体感覚として入ってくるから不思議だ。戯曲、小説、エッセイ、どこから入ってもいいが、入口を間違えると「難しそう」と敬遠してしまう人もいると思う。この記事では、そんな不安をほどきつつ、今から読んでもまったく古びない10冊をじっくり選んで紹介していく。

 

 

井上ひさしとは?──笑いとことばで時代を描き続けた作家

井上ひさしは1934年、山形県川西町に生まれた。上智大学在学中から浅草フランス座で台本を書き始め、卒業後は放送作家として活躍する。NHKの人形劇『ひょっこりひょうたん島』の脚本を共同執筆し、一気に名前が知られるようになったのは有名な話だ。

その後は小説家・劇作家として本格的に活動し、『手鎖心中』で直木賞、『吉里吉里人』で読売文学賞と日本SF大賞、『シャンハイムーン』で谷崎潤一郎賞など、主要な文学賞をほとんど総なめにしている。 同時に、自らの劇団「こまつ座」を旗揚げし、『頭痛肩こり樋口一葉』『父と暮せば』などの戯曲を次々に書き下ろし、戦争と平和、歴史の歪み、ことばの力を舞台の上で問い続けた。

井上作品の特徴は、まず圧倒的な「おしゃべり」の力だ。登場人物たちはよくしゃべり、言葉でじゃれ合い、からかい合い、だんだんと本音や歴史の影がにじみ出てくる。笑いながら読んでいるうちに、気づけば「国家とは何か」「戦争責任とは何か」「日本語はどうできているのか」といった、かなり重いテーマのど真ん中に立たされている。読者は論文ではなく物語としてそれを引き受けることになる。

もう一つ大きいのが、地方と弱者への視線だ。東北の寒村が独立を宣言する『吉里吉里人』、測量に人生を賭けた伊能忠敬を描く『四千万歩の男』、被爆地広島の父娘の対話劇『父と暮せば』など、どの作品にも「中心からこぼれ落ちた人たち」がいる。彼らを笑い飛ばすのではなく、笑いを武器にして社会の構造を描き出すところが井上ひさしの凄みだと言っていい。

さらに晩年には、遅筆堂文庫の設立や『井上ひさしの子どもにつたえる日本国憲法』の執筆など、教育・言論の側にも深くコミットした。

「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく」という有名な標語どおり、難解な政治や法律を、庶民のことばに引き寄せる仕事を続けた作家でもある。

読み方ガイド──どの本から入るか、どう味わうか

戯曲、小説、エッセイとジャンルが広いので、「どれから読めばいいのか」と迷う人も多いと思う。ざっくり言えば、物語として一気に楽しみたいなら小説の『吉里吉里人』や『青葉繁れる』、戦争と向き合う覚悟があるなら『父と暮せば』、ことばや憲法に興味があるなら『私家版 日本語文法』や『井上ひさしの子どもにつたえる日本国憲法』から入るといい。

この記事では、次の10冊を取り上げる。

重たいテーマも多いので、一冊ずつじっくり味わうのがおすすめだ。通勤電車でちょっとずつ読むよりも、休日に時間を決めて「今日はこの一冊」と決めて向き合うほうが、心に残る読書体験になると思う。

井上ひさしおすすめ本16選

1. 吉里吉里人(上・中・下)

東北の寒村「吉里吉里」が、ある日突然「吉里吉里国」として日本からの独立を宣言する──そんな奇想天外な設定から始まる長編小説が『吉里吉里人』だ。人口2000人足らずの寒村が、独自通貨を発行し、税関を設け、外交までやり始める。新聞や役所が大騒ぎする様子は、純粋にコメディとして読んでも腹を抱えて笑えるし、同時に「国家とは何か」「主権とは誰のものか」という、かなり本質的な問いも突きつけてくる。読売文学賞と日本SF大賞を受賞し、井上ひさしを代表するベストセラーとなった一冊だ。

読みどころは、とにかく情報量の多さと、方言を含めた言葉の洪水だ。東北弁、法律用語、役所言葉、新聞調、どのレジスターも自在に操りながら、一つの村の独立騒動を、新聞記事や公文書、村人の会話など、さまざまな文体で描いていく。SF的なアイデアと、村人たちの生活感ある描写が同居していて、読み進めるうちに「もし自分の町が独立を宣言したら?」とつい妄想してしまう。

個人的に印象に残っているのは、吉里吉里国の人々が「国を作る」という大事業を、案外ちゃらんぽらんに、しかし妙に筋が通ったやり方で進めていくところだ。彼らは壮大な理想を掲げながら、同時に米の値段や酒税、道路整備といった生活のディテールにもこだわる。読者は笑いながら、行政や政治がどれだけ生活と結びついているかを、自然と考えさせられる。

この本は、政治や憲法の本を読む前の「準備運動」としても優れている。政治の話になると途端に身構えてしまう人でも、「村が勝手に独立する話」と思えば構えずに読めるはずだ。読み終えたころにはニュースの「地方自治」「主権」「税制」といった言葉の響きが、少し違って聞こえてくると思う。

おすすめしたい人は、まず地方出身者だ。自分の故郷が、中央からどう見られているか、そして自分は故郷とどう付き合いたいのか、心の中で対話が始まるかもしれない。また、「この国のかたち」を笑いながら考えたいすべての読者にも、間違いなく刺さる一冊だ。

2. 手鎖心中

『手鎖心中』は、江戸の戯作者志望の青年が、本物の心中事件を「題材」にして一人前の作家になろうと画策する物語だ。遊里に通い、貧乏にあえぎながらも、どうにかして名を残したいと焦る青年の姿は、今のクリエイターやフリーランスにもそのまま重ねられる。作品は第67回直木賞を受賞し、井上ひさしの小説家としての地位を決定づけた。

この小説の面白さは、江戸の戯作者たちの世界を、徹底して「職業」として描いているところにある。恋愛の美談としての心中ではなく、「売れるネタ」としての心中をどう料理するかをめぐって、主人公や周囲の人間が計算高く動き回る。もちろん、そこには血の通った感情もあるのだが、その感情さえも商売と切り離せないところに、時代を超えた切なさと滑稽さがある。

読みながら何度も感じるのは、「物語を食い物にする」ということの重さだ。他人の不幸をネタにして生きるのは、現代のメディアやSNSにも通じる問題だろう。ニュースの「悲劇」がどこか消費されていくような感覚に、胸がざらついた経験があるなら、この作品の後味はきっと忘れがたいものになる。

一方で、江戸の言葉遊びや風俗描写は、ひたすらに楽しい。寄席のようなテンポで次々と小噺が差し込まれ、粋な会話が飛び交う。井上ひさしの「笑い」の源流がここにある、と感じさせる場面も多い。軽快な会話に笑っているうちに、ふとした一文で胸を刺されるような感覚がやってくる。

この本をとくに手に取ってほしいのは、「書くこと」を仕事にしたい人たちだ。小説家志望に限らず、ライター、編集者、脚本家、ブロガー……。他人の人生を素材にして書くことの危うさと、それでもなお書かずにはいられない衝動の両方が、この物語には濃縮されている。読後、キーボードに向かう指先の重さが、少しだけ変わると思う。

3. 父と暮せば

『父と暮せば』は、原爆投下後の広島を舞台にした戯曲だ。息子を戦争で失った父ではなく、原爆で家族や恋人を失い、自分だけが生き残ってしまった娘と、幽霊になって娘のもとに通う父との対話が中心になる。二人の会話は、時に漫才のように軽やかで、ときに息が詰まるほど痛切だ。「生き残ってしまった者の罪悪感」という重いテーマを、たった二人の掛け合いで描き切る。

戯曲なので、行間には舞台の気配が濃く漂う。父がちゃぶ台の向こうからひょっこり現れる姿、広島の夏の湿気、遠くで鳴る電車の音。紙の上に書かれたト書きと台詞だけなのに、読みながら頭の中では自然と舞台が立ち上がってくる。もし観劇の機会があるなら、台本を読んでから劇場に行くと、身体への入り方がまるで違ってくる。

何度読んでも胸を締めつけられるのは、娘が口にする「自分だけ生きていていいのか」という問いだ。戦争に限らず、大きな災害や事故のニュースのあと、似たような問いを抱えた人は今もいるはずだ。父は、それに真正面から答えるわけではないが、冗談や回り道をしながら、少しずつ娘の肩の荷を軽くしようとする。その姿が、読者にとっての救いにもなっていく。

正直に言えば、読むのには少し覚悟がいる一冊だ。しかし、戦争や原爆について「知識」としてしか触れてこなかった人にこそ、いつかは手に取ってほしい。教科書で学んだ地名が、突然「そこで暮らしていた親子の部屋」として現れたとき、歴史との距離が変わる。そうした変化を、たった一晩の父娘の会話で起こしてしまうのが、この戯曲の力だと思う。

4. 十二人の手紙

『十二人の手紙』は、すべて手紙形式で綴られた十二の短編から成る連作集だ。ラブレター、借金の督促状、クレーム、謝罪文、遺言状……手紙の種類も書き手の立場もバラバラだが、どの一通にも、その人の「生活」と「性格」が濃密に滲んでいる。技巧的な構成と驚きの結末が光る、ミステリー要素の強い作品としても知られている。

面白いのは、手紙という形式が持つ「片側だけの情報」という制約を、徹底的に遊び倒しているところだ。読者は、送る側の事情はわかっても、相手がどう受け取ったかはわからない。だからこそ、文の行間や言い回しから、見えていない相手の反応や、背後にある事件の全体像を想像することになる。最後の一文で「あ、そういうことか」と世界が反転するような快感が何度も味わえる。

一通一通は短いので、忙しい日々の合間にも読みやすい。それでいて、読み終わるころには妙な疲れが残る。手紙というのは、やはり「人間をむき出しにする道具」なのだと感じさせられるからだと思う。言い訳がましい一句、やたらと多い敬語、突然ため口に変わる瞬間。そうした小さな揺れに、書き手の弱さやズルさ、時には誠実さが顔を出す。

メールやチャットが当たり前の世代にも、この本はかなり刺さると思う。LINEで既読スルーされたときのモヤモヤや、長文メールを送ったあとに押し寄せる自己嫌悪など、コミュニケーションの不安は時代を超えて変わらない。自分だったらこの手紙にどう返事を書くか、想像しながら読むと、より一層楽しめるはずだ。

5. モッキンポット師の後始末

『モッキンポット師の後始末』は、戦後間もない東京のカトリック系学生寮を舞台にした青春コメディだ。食べるために奇想天外なアルバイトを思いついては大騒ぎを起こす“不良”学生三人組と、その後始末に奔走するフランス人神父モッキンポット師との共同生活が描かれる。作者自身の学生時代の経験がベースになっていると言われており、空気感の生々しさは格別だ。

何より楽しいのは、学生たちの悪ふざけのスケール感だ。ちょっとした小遣い稼ぎのつもりが、いつの間にか新聞沙汰になったり、街全体を巻き込む騒動になったりする。貧乏で、無責任で、しかしどこか愛さずにはいられない彼らの姿に、読んでいるこちらも妙な爽快感を覚えてしまう。

一方で、モッキンポット師の存在が物語に不思議な重さを与えている。彼は決して説教臭くなく、ときには学生たちと一緒になってバカをやるのだが、その奥には「戦後の日本社会をどう導くか」という静かな問いが潜んでいる。異文化の視点から見た日本の矛盾や、若者たちの可能性が、さりげなく浮かび上がってくる。

戦後すぐの東京というと、どうしても暗く重いイメージで語られがちだが、この作品には「貧しくても笑い飛ばして生きる」エネルギーが満ちている。読みながら、今の自分たちはどこかでその力をなくしてしまったのではないか、と思わされる瞬間もある。

大学生活に少し疲れている学生や、「青春小説」をもう一度読み直したい大人にぜひ手に取ってほしい。キャンパスの匂いと安酒の味、友人たちとのどうでもいい会話。その全部をもう一度味わい直すような読書体験になるはずだ。

6. 四千万歩の男(全5巻)

『四千万歩の男』は、日本地図を実測で作り上げた伊能忠敬の一生を描く歴史長編だ。下総の貧しい家に生まれ、婿養子に入った先の家業を繁盛させ、五十歳で隠居してから天文学を学び、そこから日本全国の測量の旅に出る。タイトルの「四千万歩」は、忠敬が16年にわたる測量の旅で歩いた歩数を指している。

この作品の魅力は、「人生の後半戦」を真正面から描いているところだ。一般的な歴史小説なら、若き日の苦労と成功で物語が終わりそうなところを、井上ひさしはそこから先、忠敬が「第二の人生」で何を選び、どれだけ歩いたのかに焦点を当てる。定年後に新しい学問を学び直し、体力の限界と戦いながらも、ひたすら歩き続ける姿には、読んでいて胸が熱くなる。

測量隊の旅は、決して英雄的なものではない。雨に打たれ、宿を探して右往左往し、地元の有力者に頭を下げ、時には嫌がらせにも遭う。そうした雑事の一つひとつが丁寧に描かれているからこそ、最終的に日本地図が完成したときの感慨が、読者の身体にもじんわりと染み込んでくる。

長編で巻数も多いので、読むには一定の時間がいる。ただ、毎日少しずつ読み進めていくと、忠敬と一緒に日本列島を歩いているような感覚になってくる。地図を片手に、「いまはこのあたりを歩いているのか」と想像しながら読むのも楽しい。

四十代以降の読者には、とくに刺さる本だと思う。仕事の節目に立って「ここから先、何をしたいのか」と考えている人にとって、忠敬の歩みは大きな励ましになる。もちろん歴史好きにもたまらない一冊だが、「人生の時間の使い方」を考え始めたすべての人に、じっくり味わってほしい。

7. ブンとフン

『ブンとフン』は、売れない小説家フン先生のもとに、自分が彼の小説の主人公・大泥棒ブンだと名乗る男が現れ、現実世界で好き放題に暴れ始める──という設定の長編小説だ。小説の登場人物が、あまりに万能すぎる設定ゆえに作品世界から抜け出してしまった、というメタフィクション的な仕掛けが光っている。井上ひさしにとっての「活字の処女作」とも言われる、記念碑的な一冊だ。

この作品の醍醐味は、現実とフィクションの境界線がどんどん曖昧になっていく過程にある。ブンは変装の達人であり、時間も空間も自由に行き来できる大泥棒として描かれているが、彼の行動がどこまで「本当に」起きているのか、読者にはわからない。フン先生自身も、いつしか自分が書いた物語に飲み込まれていき、作者であるはずの自分と、作品世界の登場人物との境界を見失っていく。

読んでいると、現代のコンテンツ消費とも不思議に重なってくる。キャラクターが現実世界に「出張」してくるコラボ企画や、作品と現実が混ざり合うイベントなどに慣れた今の読者にとって、『ブンとフン』は先駆けのようにも見える。物語の力を信じることと、物語に呑み込まれてしまうこと。その境目を、笑いと諷刺で描き出した小説だと言える。

文章はとにかくテンポがよく、ナンセンスギャグも満載で、純粋にエンタメとして楽しめる。夜中に読み始めて、そのまま一気に最後まで行ってしまうタイプの本だと思う。ただ、読み終えたあとに残るのは、単なる爽快感ではない。現実を変えるのは「言葉」なのか、それとも「行動」なのか。そんな問いが、ふっと胸に残る。

小説を書きたいと思っている人には、必読と言っていいかもしれない。自分が生み出したキャラクターとどう付き合うのか、そのキャラクターにどこまで責任を持つのか。『ブンとフン』は、そのあたりの感覚を揺さぶってくる一冊だ。

8. 青葉繁れる

『青葉繁れる』は、東北・仙台の名門男子校を舞台にした青春小説だ。主人公は、トップ校・仙台一高の三年六組に所属する「落ちこぼれ」グループの一人、田島稔。とはいえ、ここでいう落ちこぼれは、東大合格者を何人も出す学校の中での話で、世間一般から見れば十分にエリートだ。その彼らが、芸妓の多香子に憧れ、酒を飲んではくだを巻き、将来への不安と性への好奇心に揺れながら日々を過ごす。

この作品の魅力は、「真面目な青春小説」と「どうしようもないバカ話」のバランス感覚にある。受験戦争のプレッシャーや、親との軋轢、地方都市ならではの閉塞感といったテーマを扱いながら、会話は徹底してくだらなく、笑いに満ちている。だが、その笑いは決して軽くない。むしろ、笑いに乗っているからこそ、彼らの孤独や焦燥がストレートに伝わってくる。

読んでいると、自分の高校時代の「どうしようもなさ」が次々と呼び起こされる。テストの点数、進路相談、部活、恋愛未満のあの感じ。どれひとつ、今の人生に直接つながっていないようでいて、あの時期の空気を抜きにして今の自分を語ることはできない、という感覚だ。『青葉繁れる』は、その「どうしようもない時間」を、非常に愛情深く描き出している。

地方の進学校出身者には、とくにグサッとくると思う。都会へのコンプレックスと誇り、地元の狭さ、親の期待。ページをめくる手が止まらなくなり、ふと顔を上げたとき、窓の外の風景が少し違って見えるかもしれない。もちろん、今まさに高校生活の渦中にいる読者にもおすすめだ。勉強の合間に読むにはやや長いが、「大人になったらこの小説を思い出すだろうな」と思える一冊になるはずだ。

9. 私家版 日本語文法

『私家版 日本語文法』は、タイトルこそ「文法書」だが、中身は爆笑と驚愕に満ちた日本語エッセイ集だ。「文部省も国語の先生も真っ青」とコピーされるように、教科書的な文法観に異議を唱え、日本語の現実の姿を豊富な実例とユーモアで描き出す。「が」と「は」の違い、句読点、敬語や外来語、歌謡曲の歌詞から恋文、法律文書まで、あらゆる文章を素材にして、日本語という言語のクセと魅力を掘り下げていく。

この本のすごさは、「専門書」でも「入門書」でもないところにある。著者は国語学者ではないし、学界の定説を整理してくれるわけでもない。その代わりに、作家としての感覚と偏見をフル稼働させ、「ここがヘンだよ日本語」「ここがたまらなくチャーミングだよ日本語」と、好き放題に語っていく。にもかかわらず、読者は気がつけば「たしかにその通りだ」と膝を打っている。

たとえば、句読点の打ち方ひとつでも、そこに書き手の性格や政治性がにじみ出る。敬語の使い分けには、上下関係や距離感が如実に表れる。そうした当たり前の事実を、豊富な引用とともに見せられると、普段なにげなく書いているメール一通にも、急に緊張感が出てくる。

日本語を書く仕事をしている人だけでなく、SNSやメールで日々文章を発信しているすべての人に読んでほしい一冊だ。難しい専門用語はほとんど出てこないので、国語が苦手だった人でも大丈夫。むしろ「国語嫌いだった自分」に向けて、もう一度日本語と付き合い直すきっかけとして読むといい。

読み終わるころには、誰かの文章を読んだときに、「この人の句読点、ちょっとおもしろいな」と感じるようになっているはずだ。それは、世界の見え方が少し変わったということでもある。

10. 井上ひさしの子どもにつたえる日本国憲法

『井上ひさしの子どもにつたえる日本国憲法』は、日本国憲法の前文と第九条を、子どもにも読めるやさしい言葉に「翻訳」し、その意味を語りかける本だ。いわさきちひろの絵とともに、憲法の根っこにある考え方や、重要な条文の内容を「心で感じる」ための一冊として作られている。

憲法というと、どうしても難しい法律用語や条文番号が頭をよぎるが、この本ではそうした壁を徹底的に取り払っている。「憲法ってなんだろう」「どうして『きまり』がいるんだろう」といった素朴な問いから始め、戦争の放棄や基本的人権といったテーマを、物語を聞くような感覚で読み進められるようになっている。

印象的なのは、「子どものため」と言いつつ、実は大人にこそ刺さるフレーズがたくさんあるところだ。ニュースで憲法が話題になるたびに、賛成か反対かの二択で語られがちな現状に、どこか息苦しさを感じている人は多いと思う。この本は、その前に立ち返って、「そもそも憲法は何のためにあるのか」「国と国民の約束とは何か」を、やわらかい言葉で考え直させてくれる。

子どもと一緒に読むのもいいし、大人が一人でこっそり読むのもいい。声に出して読むと、言葉が身体に入ってくる感じが強くなるので、できれば朗読する時間を取ってほしい。読みながら、ふと自分自身の生活や仕事と憲法の条文がつながる瞬間があるはずだ。

政治や憲法の議論に触れるたびに、「なんだか難しくて、自分ごとに感じられない」と思ってしまう人には、とくに強くおすすめしたい。難しいことをやさしく、やさしいことをふかく──井上ひさしが掲げた標語を、もっともストレートな形で体現している本の一つだと思う。

11.ふかいことをおもしろく(PHP文庫)

『ふかいことをおもしろく』は、NHK BSの番組「100年インタビュー」でのロングインタビューをもとに構成された、自分自身を語る一冊だ。父のこと、戦争体験、児童養護施設での青春、釜石での挫折、文学との出会い……と、人生の節目を章立てしながら、ゆっくりと振り返っていく。いわば「語りおろし自伝」なのだけれど、本人の語り口そのままなので、どこか居間のちゃぶ台で昔話を聞いているような親密さがある。

おもしろいのは、悲惨な体験や行き詰まりでさえ、井上ひさしが話し始めると、つい笑ってしまうエピソードに変わっていくところだ。父の死、家族の離散、戦争の記憶という重たい素材が、ひょうひょうとしたユーモアと一緒に語られると、読者の側も「つらい」と「おかしい」のあいだを行ったり来たりする。その揺れ自体が、彼の作品世界そのものでもある。

また、「本とのつき合い方」「人生の時刻表作り」といった章では、いわゆる自己啓発とはまったく違う、生活に根ざした知恵がぽろぽろ出てくる。将来の計画を立てるというより、「どうやって目の前の生活を食いつなぎながら、少し先の夢に向かうか」というリアルな話だ。作家志望でなくても、働き方や生き方に迷っている人には、妙に刺さる言葉が多い。

井上ひさし入門としても、長年のファンの「総まとめ」としても読めるのが、この本の強みだと思う。作品からは見えにくかった裏側や、人としての弱さ・ずるさもきちんと出てくるので、「作者の人生と作品世界がどうつながっているのか」を感じたい人に、とても向いている。夜、少しずつ読み進めて、何度も途中で本を閉じては自分の人生を振り返りたくなるような一冊だ。

12.井上ひさしと141人の仲間たちの作文教室(新潮文庫)

この本は、上智大学公開講座「作文教室」で行われた三日間の集中講義と、そこに参加した141人の受講生の作文をまとめたものだ。テーマは「自分が今いちばん悩んでいること」、指定は「四百字ぴったり」。原稿用紙の使い方、題の付け方、そして「自分の一番言いたいことを、具体的に書くこと」という、文章のいちばん大事なところを、井上ひさしが実践的に教えていく。

講義部分では、「イイカラカゲンな文章」を徹底的に嫌う姿勢が、辛口ながらもどこかユーモラスに伝わってくる。抽象的な言い回しを嫌い、「そのとき、あなたはどこで何をしていたのか」をしつこいくらい問い返し、受講生に具体的な場面を書かせようとする。読む側からすると、そのやりとりがすでに一つの物語になっていて、思わず声を出して笑ってしまう。

後半に収められている141人分の400字作文は、どれも拙さと誠実さが入り混じっていて、妙に胸を打つ。家族のこと、仕事のこと、老いの不安、恋愛のぐちゃぐちゃ。上手い下手を超えて、「悩み」をなんとか言葉にしようともがいた跡が、そのまま残っている。作文添削の本として読むこともできるが、むしろ「人の心の断片集」として眺めるのもおもしろい。

文章のテクニック本をいくつも読んで、かえって手が動かなくなってしまった人には、とくにおすすめしたい。ここで語られるのは、「こう書けばバズる」ではなく、「イイカラカゲンに書くな」「具体的に書け」という、ごくシンプルな原則だけだ。読み終えたとき、頭に積もったノウハウが少し掃除されて、「とりあえず400字書いてみるか」という気持ちになっているはずだ。

13.新装版 四十一番の少年(文春文庫)

『四十一番の少年』は、井上ひさしの少年時代を下敷きにした、自伝色の濃い連作小説だ。父との死別、一家離散ののち、仙台のカトリック系養護施設で過ごした日々を、少年の目線から描いていく。タイトルの「四十一番」は、施設で付けられた番号であり、名前よりも先に「番号」で呼ばれる世界の象徴でもある。

貧しさやいじめ、孤児という立場のつらさは、決して薄められていない。食卓に並ぶまずい料理、粗末な寝床、理不尽なルール。読んでいて胸が痛くなる場面は多い。それでも物語全体から滲み出てくるのは、絶望ではなく、どうしようもない状況の中で発揮されるしたたかなユーモアと、生き延びようとする知恵だ。

印象的なのは、「かわいそうな少年の話」に落ち着かせない書きぶりだ。孤児院の大人たちにも子どもたちにも、善悪の二元論では割り切れないグレーな部分がしっかり描かれていて、「誰が悪いのか」という問いに答えを出さない。そのため、読者のほうが勝手に、戦争や貧困の構造、子どもの権利などを考え始めてしまう。

ページ数はそれほど多くないが、読後感は重層的で、何度も読み返したくなるタイプの本だと思う。児童文学のような読みやすさと、社会小説としての鋭さが、ぎゅっと同居している。戦後日本の暗部を知りたい人にも、孤児院小説としてのリアルを味わいたい人にも、とてもおすすめできる一冊だ。

14.この人から受け継ぐもの(岩波現代文庫 文芸 305)

『この人から受け継ぐもの』は、井上ひさしが「この人からは何かを受け取らずにいられない」と感じた先人たちについて語った講演・評論を集めた本だ。吉野作造の憲法観、宮沢賢治の生き方、石川啄木や志賀直哉の文学、戦後の知識人たち……。一人ひとりの人物像とその仕事をたどりながら、「自分はこの人から何を受け継ごうとしているのか」を正面から考える。

面白いのは、どの文章もただの人物紹介に終わっていないことだ。吉野作造を語るときには、彼のリベラルな憲法観が現代の政治状況とどうつながるかが語られ、宮沢賢治を語るときには、宗教観や貧しさとの向き合い方が、自分自身の体験と重ねられていく。他人の伝記の陰に、自分自身の「反省ノート」が見え隠れしている感じがする。

読み手としては、「日本近現代の教養人物案内」としても十分役に立つ。名前は知っているけれど何をした人かよく知らない、という人たちの輪郭が、本人の息遣いとともに伝わってくる。教科書的な解説ではなく、尊敬と違和感の両方を含んだ、ちょっと偏った視点で紹介されるからこそ、人物が立体的になる。

自分の「精神的な系譜」を考えたいときに、ぴったりくる本だと思う。自分は誰からどんな言葉や態度を受け継いで生きているのか、意識的に考えたことがない人は多いはずだ。この本を読み進めるうちに、「自分にとっての『受け継ぐべき人』は誰だろう」と、自然と考え始めてしまう。静かな夜に、ゆっくり時間をかけて読みたい一冊だ。

15.新釈遠野物語(新潮文庫)

『新釈遠野物語』は、柳田國男の名著『遠野物語』に真正面から“悪ふざけ”で挑んだような一冊だ。遠野の山中に住む犬伏老人が、腹の皮がよじれるほど奇妙なホラ話を次々と語って聞かせる、という体裁で、九つの怪異譚が展開していく。鍋の中、川上の家、雉子娘、冷し馬……と、目次からしてどこかおかしくて、ページを開いた瞬間から「これはただの怪談じゃない」とわかる。

本家『遠野物語』の、ひんやりとした怖さと民俗学的な重さに対して、こちらはとことん「語りの愉快さ」に振り切っている。犬伏老人の語り口は、方言と洒脱な言い回しが入り混じり、嘘か本当かわからない話を、いかにもありそうな顔をして続ける。その調子に乗せられているうちに、読者の側の現実感覚がだんだんずれていく。

ただのパロディで終わらないのは、笑いの底に、土地に染みついた怨念や貧しさ、差別の気配がちゃんと残っているからだ。怪異の原因として語られるのは、人間の欲や嫉妬や不安であり、それは現代の私たちともまったく無縁ではない。だからこそ、「おかしいのにどこか怖い」という、中毒性のある読書体験になる。

東北の民話や妖怪譚が好きな人はもちろん、「本家の『遠野物語』はちょっと敷居が高い」と感じている人の入口としてもおすすめしたい。まずこの本で井上流の“遠野ワールド”を味わってから、柳田國男の原典に戻ると、同じエピソードがまったく違う顔を見せてくれる。民俗学×ユーモア小説という、ありそうでなかった組み合わせが光る一冊だ。

16.日本語教室(新潮新書 410)

『日本語教室』は、母校・上智大学で行われた連続講義をもとにした、日本語についての“最後の授業”の記録だ。母語と脳の関係、カタカナ語の弊害、東北弁標準語説、やまとことばの強み、駄洒落の快感など、テーマは多岐にわたるが、どの回も「やさしく、ふかく、おもしろく」の三拍子が見事にそろっている。

新書というと堅そうなイメージがあるが、この本は徹頭徹尾「しゃべり言葉」だ。講義録なので、学生にツッコミを入れながら話が脱線したり、例え話が妙に長くなったりする。その雑談の中に、いつの間にか重要なポイントが紛れ込んでいて、読み終えたときには、日本語という言語に対する感覚が少し更新されている。

とくにおもしろいのは、「東北弁標準語説」のくだりだ。自分の出身地の言葉を卑下するのではなく、「ここにこそ日本語のコアなリズムがある」と逆転させて語っていく姿勢は、多くの地方出身者の胸をすっと軽くしてくれると思う。外来語やカタカナ表記の問題も、「排除すべきもの」としてではなく、「どう付き合うか」をめぐる実践的な問いとして提示される。

日本語についてあれこれ語る本は多いが、「日本語とは精神そのもの。一人一人の日本語を磨くことでしか、未来は開かれない」という結論に、これほど説得力を持たせた本はあまりない。 文章を書く人だけでなく、毎日日本語で話し、日本語で考えているすべての人に向けられた授業だと感じる。

国語が苦手だった人にも、専門書を読み込んできた言語オタクにも、それぞれ違った角度で響く本だと思う。「正しい日本語」を押しつけるのではなく、「おもしろがりながら、自分なりに磨いていこう」という方向に誘ってくれる。手元に置いて、ときどき好きな章だけ読み返したくなる一冊だ。

関連グッズ・サービス

本を読んだ後の学びを生活に根づかせるには、生活に取り入れやすいツールやサービスを組み合わせると効果が高まる。井上ひさしの作品は、じっくり腰を据えて読むほど味が出るので、「読む環境」を整えておくと読書体験がぐっと豊かになる。

まずは電子書籍と相性の良いサービスとして、

Kindle Unlimited

を挙げたい。長編の『吉里吉里人』や『四千万歩の男』など、巻数の多い作品をまとめて読みたいとき、端末一つで持ち歩けるのは単純に便利だ。寝室や通勤電車、カフェでもすぐに続きを開けるので、「読書の腰が折れない」という意味でも頼もしい。

耳で物語を味わいたい人には、

Audible

のようなオーディオブックサービスも相性がいい。戯曲『父と暮せば』や『天保十二年のシェイクスピア』などは、文字で読むだけでなく「声」で聞くと、セリフのテンポや間合いが立ち上がってきて、まるで小劇場にいるような感覚になる。

ハードウェアとしては、シンプルなKindle端末が一台あると心強い。紙の本と違ってバックライト付きで、寝室の明かりを落としてからも目に負担をかけずに読めるし、分厚い文庫を何冊も持ち歩く必要もなくなる。とくに『四千万歩の男』のような長編を旅先で読み進めるとき、荷物の軽さがそのまま自由度につながる。

もう少し生活寄りのアイテムとしては、着心地のいいルームウェアや、大きめのマグカップもおすすめだ。夜の時間を「井上ひさしタイム」と決めて、部屋着に着替え、温かいお茶やコーヒーを淹れ、ゆっくりページをめくる。それだけで、日常のなかに小さな劇場ができあがる。

まとめ

井上ひさしの本を続けて読んでいると、頭だけでなく身体のどこかがじんわりと温かくなってくる。「笑っていいのか」「泣くべきなのか」判断がつかない感情が胸のあたりに滞留して、読み終えたあともしばらく本を閉じられない。そんな時間こそが、彼の作品がもたらすいちばんの贈り物だと思う。

国家や憲法のような大きなテーマから、高校生たちのくだらない会話、日本語の句読点の位置まで、扱う題材はバラバラに見える。しかし、そのどれにも共通しているのは、「人間の弱さとおかしみを、最後まで見捨てない視線」だ。どれだけ社会が変わっても、その視線の温度は、これからも読み継がれていくはずだ。

最後に、読書目的別にざっくりとおすすめを整理しておく。

  • 気分で選ぶなら:『青葉繁れる』『モッキンポット師の後始末』
  • じっくり読みたいなら:『吉里吉里人(上・中・下)』『四千万歩の男(全5巻)』
  • 短時間で読みたいなら:『十二人の手紙』『父と暮せば』
  • ことばを深く味わいたいなら:『私家版 日本語文法』『井上ひさしの子どもにつたえる日本国憲法』

どの一冊から入っても、きっとどこかで「自分の言葉」の手触りが変わる瞬間がくる。その変化を楽しむつもりで、まずは気になった一冊を手に取ってみてほしい。

FAQ

Q1. 井上ひさし初心者は、どの一冊から読むのがいい?

物語としての読みやすさで言えば、『青葉繁れる』か『十二人の手紙』を推したい。どちらもページをめくる手が止まらないタイプの小説で、笑いや驚きが多く、「井上ひさしってこういう作家なのか」という感覚をつかみやすい。テーマ的な重さを恐れないなら、『父と暮せば』を最初に読むのも強い体験になるが、その場合は読後に少し散歩する時間を用意しておくといい。

Q2. 戯曲は、舞台を観たことがないと楽しめない?

戯曲はたしかに「舞台を前提としたテキスト」だが、井上ひさしの作品はセリフだけで十分に物語として機能する。『父と暮せば』のように登場人物が少ない作品は、頭の中で情景を思い浮かべながら読むと、短編小説のような読み心地になる。むしろ台詞だけで情報が提示されるぶん、読者の想像力が強く刺激される。可能なら、あとから映像作品や舞台の記録も観てみると、「同じテキストがこうも変わるのか」と二重に楽しめる。

Q3. 政治や憲法に苦手意識があるが、『吉里吉里人』や憲法の本は楽しめる?

『吉里吉里人』は政治小説というより、「村が勝手に独立してしまう超弩級のコメディ」として読むのが正解だと思う。国会中継や条文の細部がわからなくても、村人たちの言動だけで十分笑えるし、その笑いの奥に、いつの間にか政治や行政の仕組みのイメージが育っていく。『井上ひさしの子どもにつたえる日本国憲法』も同じで、まずは物語として「憲法って、つまりこういうこと」という感覚を受け取ればいい。理解を完璧にする必要はまったくない。

Q4. 日本語や文章力を鍛えたい人に、一番おすすめの一冊は?

迷いなく『私家版 日本語文法』を挙げたい。いわゆるハウツー本のように「こう書け」と教えてくれるわけではないが、日本語の細部をこれほど面白がっている本はなかなかない。読んでいるうちに、自分が書く文章の「くせ」や「思い込み」に自然と気づくようになる。仕事で文章を書く人はもちろん、SNSで発信するときに少しでも言葉選びを大事にしたいと思っている人にも、大きなヒントを与えてくれるはずだ。

 

関連記事リンク

Copyright © ほんのむし All Rights Reserved.

Privacy Policy