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【中田永一おすすめ本】痛くてやさしい青春と恋愛小説を味わう本【代表作まとめ】

恋愛小説は好きだけれど、甘いだけの物語にはもう満足できない。そんなときにまっ先に思い浮かぶのが、中田永一の名前だ。思春期のぎこちない恋心、他人には言えないコンプレックス、言葉にならない「好き」が、静かな文体の底でじわじわと熱を帯びていく。

この記事では、なかでも読みやすくて心に長く残る作品を中心に、「どの一冊から読むか」「どんな読後感なのか」が具体的にイメージできるように紹介していく。

 

 

中田永一とは? ― 乙一が選んだ「恋愛小説」の顔

中田永一は、本名・安達寛高、ペンネーム「乙一」で知られる作家が恋愛小説を書くときに使う名前だ。ホラーやミステリ色の強い「乙一」、怪談寄りの「山白朝子」とあわせて、ひとりの作家が複数の名義を使い分けている。

中田名義の代表作として、五島列島を舞台にした青春小説『くちびるに歌を』、デビュー作にして短編集の形で忘れがたい恋を描いた『百瀬、こっちを向いて。』、吉祥寺を舞台にした『吉祥寺の朝日奈くん』などが挙げられる。『くちびるに歌を』はアンジェラ・アキの名曲「手紙 ~拝啓 十五の君へ~」と、五島列島の中学生たちを追ったNHKのドキュメンタリーをもとにした小説で、小学館児童出版文化賞も受賞している。

共通しているのは、「自意識の痛み」と「優しさ」の同居だ。告白の台詞よりも、誰にも見せないメモ帳や心の独白に重心が置かれている。そこに時おり、少しだけ不思議な設定や、時間・記憶をめぐる仕掛けが差し込まれる。

一冊ずつじっくり読んでいくと、「あの頃うまく言えなかった気持ち」が次々と引き出されていくはずだ。ここからは、入り口にぴったりの代表作と、少しマニアックな作品まで順番に見ていこう。

どの一冊から読む?読み方ガイド

まずは「いまの自分の気分」に近い一冊から手に取るのがおすすめだ。

ここから先は、それぞれの作品をもう少し踏み込んで見ていく。

中田永一名義の代表作おすすめ

1. くちびるに歌を

舞台は長崎県・五島列島のとある中学校。産休に入る音楽教師の代わりに、都会から帰ってきた臨時教員・柏木ユリが合唱部を任されるところから物語が始まる。美人でぶっきらぼうな柏木の登場に、合唱部は一気にざわつき、男子生徒がどっと入部してくる。女子だけの合唱部に男子が入ってくる違和感、上手い下手へのコンプレックス、島という小さな共同体の閉じた空気が、合唱部という狭い箱の中に凝縮していく。

柏木は、NHK全国学校音楽コンクールの課題曲「手紙 ~拝啓 十五の君へ~」にちなんで、「十五年後の自分に宛てた手紙を書いてこい」と宿題を出す。読者は生徒たちの手紙や会話を通じて、いじめ、家族への怒り、恋心、障害のある弟への複雑な思いなど、それぞれが抱えている秘密を少しずつ知ることになる。誰もが「自分の声」を持てないまま歌わされているような閉塞感から、少しずつ本当の声を取り戻していく過程が、合唱の練習と並走する形で描かれる。

とくに印象的なのは、島の風景の描写だ。フェリー、潮の匂い、坂道、放課後の海。歌だけでなく、土地そのものが彼らの背中を押しているように感じられる。映画版では柏木の過去が強調されるが、小説ではどちらかというと生徒側の視点に重心があり、地味な生徒の心の揺れまで丁寧に拾っていく。

この一冊が刺さるのは、きっとこんな読者だと思う。自分の中学生時代を思い出すと、具体的なエピソードは薄れているのに、「うまく笑えなかった感じ」だけが身体に残っている人。誰のために努力しているのか分からなくなったことがある人。読み終えるころには、あの頃の自分に「よくやってたよ」と言いたくなる。

涙腺にくるシーンはいくつもあるが、決して泣かせようと肩をつかむような書き方をしてこないところもいい。静かなトーンのまま、最後のページでふっと心に風が通り抜けるような読後感がある。

2. 百瀬、こっちを向いて。

『百瀬、こっちを向いて。』は、表題作を含む恋愛短編集だ。語り手は「人間レベル2」と自嘲する非モテ男子。教室の隅で空気のように存在している彼に、美少女・百瀬陽がある提案を持ちかける。「先輩との関係をごまかすため、偽の恋人役になってほしい」。最初から不公平な取り引きだと分かっているのに、彼は断れない。

この設定だけでも十分に苦いが、本書のすごさは「わかりやすい報い」や「ご褒美」を与えないところにある。偽装カップルとして過ごした日々はたしかに二人の中に残るのに、関係性の名前は変わらない。その「名付けられない親密さ」のせいで、読者はいつまでもこの話を引きずることになる。

他の短編も、恋の甘さと残酷さが入り混じったものばかりだ。たとえば、誰かを守るふりをしながら実は自分を守っているだけかもしれない、という感覚。恋人として隣にいるはずなのに、同じ景色を見ている自信が持てないもどかしさ。どの話にも、「自分は本当に相手のことを見ていたのか?」という問いがうっすらと流れている。

高校時代にこの本を読んだ人は、自分自身の恋愛と重ねてしまってしばらく立ち直れないかもしれない。社会人になってから読み返すと、「あの頃、自分も誰かにこんなひどいことをしていたのかもしれない」と冷や汗が出る。どちらの読み方をしても、胸の中にくっきりと跡を残す。

ページ数はそれほど多くないのに、読後にカフェでしばらくぼーっとしてしまうタイプの本だ。甘酸っぱいというよりは、少し胃がきりきりする種類の痛みを味わいたい人に勧めたい。

3. 吉祥寺の朝日奈くん

『吉祥寺の朝日奈くん』は、『百瀬、こっちを向いて。』に続く青春小説集として位置づけられている。キャッチコピーには「僕たちは、永遠に残る愛の存在を信じられるのだろうか?」という問いが置かれていて、まさにその一言どおりの本だ。

表題作では、東京・吉祥寺に住む「僕」と、山田真野――上から読んでも下から読んでも「ヤマダマヤ」になる名前を嫌っている彼女――との関係が描かれる。彼は最後まで「山田さん」としか呼ばない。その距離感のまま、でも心だけは少しずつ近づいていく時間が、とてもささやかなエピソードの積み重ねで示される。

青春恋愛小説と聞くと、劇的な告白や大きな事件を想像しがちだが、この本にあるのは「ゆっくり歩く日常」だ。吉祥寺という街の空気、午前中の駅前、曇りの日の井の頭公園。そんな風景のなかで、「いつか終わってしまうかもしれない関係」を抱きしめるようにして生きている人たちがいる。

印象としては、派手な感情の波ではなく、静かな潮の満ち引きを見ている感じに近い。恋愛小説としての甘さは控えめで、むしろ「人と人が一緒にいることの不思議さ」を味わう一冊だと思う。

『百瀬、こっちを向いて。』が刺さった人には、ぜひ続けて読んでほしい。あの痛々しさを少しだけ通り過ぎたところにある、少し大人の恋愛がここにある。

4. 私は存在が空気

『私は存在が空気』は、超能力を持つ若者たちを主人公にした短編集だ。「行ったことのある場所なら国内外問わずジャンプできる少年」「気配を完全に消して空気のような存在になれる少女」「くしゃみで火を起こしてしまう女の子」「懐中電灯の光で縮小してしまう子ども」など、設定だけ聞くとコミカルでライトなSFのように思える。

ところが読んでみると、それぞれの物語の核にあるのは、やっぱり「自分の居場所がわからない」という感覚だ。クラスの中で「天然」とラベリングされてしまった子が、その役割を演じ続けることに疲れてしまう話。顔のコンプレックスゆえに家から出られない少年が、ジャンプ能力をきっかけに世界と接続していく話。特殊な力は、彼らの孤独を倍加させもすれば、救いにもなりうる。

超能力そのものを派手に見せるというより、「普通とは違う自分」をどう受け入れるか、どう誰かとつながるかに焦点が合っている。現実世界の悩みを、そのまま少しだけ拡大・変形させたような読み心地だ。

十代の頃に読んでいたら、「これは自分のことだ」と思ってしまう読者も多いだろう。大人になってから読むと、「あの頃の自分を抱きしめ直す」ような感覚がある。現実から少しだけ距離を取りたいとき、でも完全な現実逃避はしたくないときに、ちょうどいい具合に寄り添ってくれる一冊だ。

5. ダンデライオン

『ダンデライオン』は、時間を越えて恋人を救おうとする青春ミステリー長編だ。1999年、少年野球の試合中に頭にボールを受けた十一歳の下野蓮司は、病院で目を覚ますと二十年後の2019年に来ていることに気づく。そこには、自分の恋人だと名乗る女性・西園小春がいて、どうやら子ども時代と大人時代の一日が入れ替わってしまったらしいことがわかる。

一方、1999年側の世界では、大人の蓮司が周到な準備を整えて待っている。二十年後に起こるある事件から小春を救うために、その一日を何度もシミュレーションしてきたのだ。未来を知っているからこそ感じる恐怖と、過去に戻っても「すべてをうまくやり直せるわけではない」というもどかしさが絡み合う。

物語の中には、スマホやETCに戸惑う少年時代の蓮司、そして東日本大震災など実在の出来事も織り込まれる。時間もののエンタメでありながら、「もし本当に未来を知ってしまったら、自分は何をするのか?」という倫理的な問いが背後でうずく。

ラブストーリーとして読むこともできるし、時間SFとして読み解くこともできる。読んだあと、ふと自分の人生のある一日を思い返して、「あのとき別の選択をしていたら」と考えずにはいられなくなる本だ。

 

関連グッズ・サービス

本を読んだ後の学びや余韻を、生活の中にもう少し長くとどめておきたいときは、ツールやサービスを組み合わせると楽になる。

まず、電子書籍で読み返したいならKindle Unlimitedに登録しておくと、対象作品を気軽に試せる。紙で一度読んだ本を、あとからスマホで名場面だけ読み返す、という使い方も相性がいい。

耳で物語を浴びたいときや、通勤・家事の時間を読書時間に変えたいときは

Audibleのようなオーディオブックサービスが便利だ。青春小説は、声で聴くと登場人物の年齢感がよりリアルに伝わってくる。

それから、中田作品を読みながらふと浮かんだ自分自身の記憶や感情をメモしておく用に、少しだけ良いノートとペンを一冊用意しておくのもおすすめだ。『くちびるに歌を』の「十五年後の自分へ」という宿題のように、今の自分から未来の自分へ短い手紙を書いてみると、読書体験が一段深くなる。

FAQ

Q1. 中田永一を初めて読むなら、どの一冊がおすすめ?

王道はやはり『くちびるに歌を』だと思う。島の中学校という閉じた舞台、合唱部という分かりやすい目標、そして「十五年後の自分への手紙」というモチーフが、一冊の中にきれいにまとまっている。泣きたい気分なら迷わずこれ。より痛い恋愛成分を求めるなら『百瀬、こっちを向いて。』から入るのもありだ。

Q2. 乙一名義との違いは?どんな気分のときに読み分ければいい?

ざっくり言うと、乙一名義はホラーやミステリ寄りで、事件性やどんでん返しの強さが前面に出ることが多い。一方、中田永一名義は、恋愛と青春の感情が核にあり、そこに少しだけ不思議な要素が加わるイメージだ。同じ作家でもかなり読後感が違うので、「人間関係の機微をじっくり味わいたいとき」は中田名義、「頭をひねりたい・ゾクッとしたいとき」は乙一名義、と気分で読み分けると楽しい。

Q3. 映像化作品から入っても楽しめる?それとも小説が先の方がいい?

『くちびるに歌を』や『百瀬、こっちを向いて。』は映画版もよくできているので、どちらから入っても損はない。ただ、小説は登場人物の心の声がかなり細かく書かれているので、できれば「小説→映画→小説もう一度」の順番がおすすめだ。一度映像化された世界を見てからもう一度文字に戻ると、台詞の裏側にあったニュアンスが違って聞こえてくる。

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