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【小山田浩子代表作】『穴』『工場』から読むおすすめ本10選

小山田浩子を初めて読むなら、まずは芥川賞受賞作『穴』とデビュー作『工場』から入るのがいい。どちらも、何も起きていないような日常の足元が、気づくと別の場所につながっている感覚を味わえる代表作だ。

この記事では、小説・短編集・エッセイまで、小山田浩子のおすすめ本を読む順が見えるように整理する。静かな本を探している人よりも、「普通の生活がなぜか怖く見える瞬間」を言葉で確かめたい人に届く作家だ。

 

 

読む目的別の入り口

小山田浩子の作品は、どれから読んでも不思議な手触りがある。ただ、最初の一冊を間違えると「何が起きているのかわからない」で止まりやすい。迷うなら、いま自分が読みたい温度から選ぶと入りやすい。

小山田浩子について

小山田浩子は、1983年生まれの小説家だ。広島で育ち、初期作『工場』で新潮新人賞を受賞し、その後『穴』で第150回芥川龍之介賞を受賞した。受賞歴だけを見ると、現代文学の文脈で語られる作家に見える。けれど実際に読むと、もっと身体に近い場所で効いてくる。

小山田作品の怖さは、怪異がはっきり現れる怖さではない。玄関の前、畑の横、工場の敷地、庭の土、昼の食卓。そういう説明しやすい場所が、少しずつ説明しにくい場所へ変わっていく。読者はその変化を、事件としてではなく、空気の温度差として受け取る。

語りは大きく叫ばない。むしろ、必要以上に感情を盛らない。だからこそ、読んでいる側は自分で違和感を拾うことになる。たとえば『穴』では、田舎へ移った主婦の日常が描かれる。義実家との距離、近所の人の目、仕事を持たない時間の長さ。どれも珍しい設定ではない。それなのに、黒い動物を追い、穴へ落ちる場面を境に、現実のほうが少しずつ信用できなくなる。

『工場』では、職場という制度そのものが異界になる。働く人々は自分の仕事をしているだけなのに、その仕事の意味が見えない。敷地は広すぎ、部署は分かれ、動植物は妙に存在感を持ち、組織の中で人が何に使われているのかがだんだん曖昧になる。日々の業務に疲れているときに読むと、少し笑えるのに、笑ったあとで足元が冷える。

小山田浩子を読む意味は、日常を「安心できる場所」としてではなく、「まだ名前のついていないものが潜む場所」として見直すことにある。家も、職場も、家族も、食卓も、庭も、本当は少しだけ知らない顔をしている。彼女の作品は、その知らない顔を無理に解説せず、読者の目の前に置く。

だから、わかりやすい起承転結を求める日に読むと、少しつかみにくいかもしれない。反対に、仕事や家事や人間関係のなかで「何かが変だ」と思いながら、その正体を言葉にできない日に読むと、妙に近い。派手な答えはくれない。けれど、見ないふりをしていた小さな違和感に、そっと輪郭を与えてくれる作家だ。

おすすめ10選

1. 『穴』

第150回芥川龍之介賞を受賞した、小山田浩子の代表作だ。最初に読むなら、やはりこの一冊がいちばん入りやすい。物語の中心にあるのは、夫の転勤を機に仕事を辞め、夫の実家近くへ移り住んだ女性の日々である。義母との距離、見慣れない土地、昼間の時間の余り方。設定だけを取り出せば、どこにでもある生活の変化に見える。

けれど、この小説では「どこにでもある」が少しずつ怪しくなる。主人公はある日、黒っぽい奇妙な動物を追いかけ、穴に落ちる。その出来事は、怪談のように派手に語られない。穴に落ちたことよりも、落ちたあとも世界が何事もなかったように続いていくことのほうが怖い。

『穴』のうまさは、田舎暮らしを単純に不気味なものとして描かないところにある。親切そうな人はいる。日差しもある。畑も道も家もある。だが、その全部が「自分のものではない場所」として主人公を包んでいる。誰かに直接脅かされているわけではないのに、生活の輪郭が少しずつ他人の手に渡っていく。

夫はいるが、そばにいる感じが薄い。義母は親切だが、その親切さがときどき境界線を越えてくる。家にいても自由ではなく、外に出ても逃げ場ではない。読みながら、昼間の明るさがかえって心細くなる。夜の闇よりも、真昼の静けさのほうが怖い小説だ。

ここで描かれる「穴」は、何か一つの意味に固定しないほうがいい。結婚生活の穴、仕事を失った時間の穴、土地との距離の穴、名前をつけられない不安の穴。どれでもあり、どれでもない。読み手がその日抱えている空洞に応じて、違う暗さを見せる。

仕事を辞めた直後、引っ越しのあと、家族との距離に疲れた夜に読むと、かなり近い場所まで来る。説明されないまま残るものに耐えられるなら、小山田浩子の世界はここから開く。代表作という言葉にふさわしいのは、受賞歴があるからだけではない。この作家が何を見ているのかが、短い物語のなかでほとんど全部見えてくるからだ。

2. 『工場』

『工場』は、小山田浩子のデビュー作であり、彼女の小説を語るうえで外せない一冊だ。『穴』が家庭と土地の不気味さを描くなら、『工場』は職場と組織の不気味さを描く。こちらから読むと、小山田作品が「生活の違和感」だけでなく、「制度のなかにいる人間の感覚」をどう捉えているかがよくわかる。

舞台は、巨大な工場である。人々はそれぞれの部署に配置され、仕事をする。だが、その仕事が何につながっているのかは、はっきりしない。働いている本人たちは日々の作業をこなしている。書類を扱い、文字を見て、何かを分類し、何かを処理する。ひとつひとつの仕事は具体的なのに、全体像だけが遠い。

この「具体的なのに意味が遠い」という感覚が、『工場』の核にある。会社員として働いたことがある人なら、妙に身に覚えがあるはずだ。自分の作業は存在している。締切もある。ルールもある。けれど、自分が何の一部なのかはわからない。そのわからなさが、ここでは少しずつ異界の形をとっていく。

工場の敷地には、人間だけでなく動植物の気配もある。大きすぎる場所の中で、人間の仕事と自然の動きが並んでいる。その並び方が奇妙だ。職場小説のように読んでいると、いつの間にか生態系の中に放り込まれている。人間が工場を動かしているのか、工場が人間を飼っているのか、その境目が曖昧になる。

小山田浩子の文章は、ここでも大声を出さない。笑える場面もある。乾いたユーモアもある。だが、笑ったあとに「これは本当に笑っていいのか」と思う瞬間が来る。組織の中で自分が少しずつ薄まっていく感覚を、恐怖ではなく、日報のような温度で書いてしまう。その温度の低さがいい。

読むタイミングとしては、仕事で疲れている夜が合う。ただし、元気をくれる本ではない。むしろ、自分が普段入っている建物やシステムを、少し離れた場所から見せてくれる本だ。『穴』で家庭の足元を見たあとに『工場』へ進むと、小山田浩子が描く「場所に飲み込まれる人間」の幅が一気に広がる。

3. 『庭』

『庭』は、短編で小山田浩子を読みたい人に向いている。長編的な引力で引きずり込む『穴』や、場所そのものの巨大さで飲み込んでくる『工場』とは違い、この本では短い作品ごとに、家・庭・家族・近所・身体の感覚が少しずつずれていく。

庭という場所は、ふつうは「家の外側」だ。室内ほど私的ではなく、道路ほど公共でもない。草木を植え、手入れし、誰かに見られながらも自分のものだと思っている場所である。小山田浩子は、その中途半端な場所を実にうまく使う。庭は守られた場所ではなく、内と外の境界がゆるむ場所として現れる。

収められた作品には、家庭のささやかな場面が多い。誰かと暮らすこと、何かを世話すること、窓の外を見ること、庭に出ること。どれも大きな事件にはならない。だが、一つひとつの場面に、湿った土の匂いや、葉の裏に隠れた虫のような気配がある。見ようとしなければ見えないものが、視界の端でずっと動いている。

短編集としての魅力は、読み終えるたびに少し違う違和感が残るところだ。ある作品では家族の距離が気になり、別の作品では植物の存在感が気になり、また別の作品では人間の言葉の通じなさが残る。同じ「不穏」という言葉でまとめると雑になる。ここにあるのは、不穏の種類の標本のようなものだ。

『庭』は、最初の一冊にしてもいいが、できれば『穴』か『工場』のあとに読むほうが味が出る。小山田浩子の基本の温度に慣れたあとで読むと、短い文章の中にどれだけの圧が入っているかが見えやすい。長い物語を追う気力がない日にも読みやすいが、軽い読書では終わらない。

家のベランダ、玄関先の鉢植え、公園の植え込み。読み終えたあと、そういう場所が少しこちらを見返してくるように感じる。自分の生活圏のすぐ横に、まだ知らない入口がある。『庭』は、その入口を短い物語の形でいくつも開いてみせる一冊だ。

4. 『小島』

『小島』は、小山田浩子の作品に慣れてきた読者に薦めたい。『穴』や『工場』に比べると、入口のわかりやすさよりも、場所の温度、視線の滞り、言葉にならない孤立感が前に出てくる。タイトルにある「小島」は、閉じた場所の比喩としても、実際の風景としても読める。その曖昧さを抱えたまま進む本だ。

島という場所には、逃げ場のなさと、外から切り離された安心感が同居している。そこにいる人々の距離は近く見える。けれど、近いからわかり合えるわけではない。むしろ近すぎる距離のなかで、言えないこと、聞こえないこと、触れられないものが濃くなる。

小山田浩子は、人と人の断絶を大げさな対立として描かない。会話はある。生活もある。景色もある。それなのに、互いの間に薄い膜のようなものが挟まっている。読者はその膜をはっきり見ることはできない。ただ、ページをめくるたびに、手のひらが少し冷えるように感じる。

『小島』の読みどころは、説明よりも感覚のほうが先に来るところだ。何が起きたのか、誰が何を象徴しているのか、と急いで整理しようとすると、かえって遠ざかる。島の空気、沈黙、移動のしにくさ、誰かがそばにいるのに届かない感じ。それらをそのまま受け取るほうが、この本には合っている。

孤独を描く小説は多いが、『小島』の孤独は「一人でいる寂しさ」ではない。人がいる場所で、自分の感覚だけが少しずれているときの孤独だ。職場や家庭で会話はしているのに、自分だけ別の周波数にいるような日がある。そういう日の夜に読むと、物語が急に近くなる。

代表作から入った読者が次に読むと、小山田浩子の作風が単なる「日常の不穏」では終わらないことがわかる。場所が人を作り、人が場所に沈み、そこから抜け出せない感覚が残る。『小島』は、派手ではないが、読み終えたあとに自分の立っている場所の狭さをふっと意識させる一冊だ。

5. 『パイプの中のかえる』

『パイプの中のかえる』は、小説ではなくエッセイとして小山田浩子に触れられる本だ。小説から入った読者には、ここで一度、作家の目の動きそのものを見ておく意味がある。なぜ彼女の小説では、庭や道や家や生き物があれほど妙な存在感を持つのか。その理由が、説明ではなく視線の癖として伝わってくる。

エッセイといっても、気楽な近況文というより、日常の表面をそっとめくる文章に近い。何か大事件があるわけではない。目の前にあるもの、見かけたもの、ふと思い出したことが書かれる。だが、その見方が少しだけずれている。ずれているというより、ふつうなら見過ごす角度で止まっている。

タイトルにある「かえる」も象徴的だ。小山田浩子の文章には、生き物に対する距離の取り方が独特にある。かわいい、怖い、気持ち悪い、懐かしい。そういう分類の前で止まり、ただそこにいるものとして見つめる。すると、人間の側が少し不安定になる。見る側だったはずの自分が、見られる側に回る。

小説では、登場人物の感覚を通して世界がゆがむ。エッセイでは、そのゆがみがもっと直接的に現れる。作家が道端の何かに目を止める。その瞬間、読者も同じ場所で立ち止まらされる。文章は穏やかなのに、読んだあとで自分の周りのものが少し多く見えるようになる。

この本は、最初の一冊にするより、『穴』『工場』『庭』あたりを読んだあとに挟むといい。小説で感じた違和感の出どころが、少しだけ見えてくるからだ。逆に、物語よりも作家の観察眼から入りたい人には、ここからでも十分に楽しめる。

忙しくて小説を読む集中力がない日にも向いている。ただし、軽く流し読むより、一篇ずつ間を空けて読むほうが残る。外を歩いているとき、排水溝や塀の隙間や草むらに目が止まるようになったら、この本はかなり深く入り込んでいる。

6. 『作文』

『作文』という題名は、あまりにも素朴だ。学校で書かされた文章、原稿用紙、決まった行数、先生に読まれること。そういう記憶が先に立つ。けれど、小山田浩子の手にかかると、「作文」はただの文章練習ではなく、自分と世界の間にある距離を測る行為になる。

この本を読むと、書くことは自分の考えを整理するためだけにあるのではないとわかる。むしろ、書いた瞬間に、自分のものだったはずの感覚が少し離れていく。言葉にしたことで確かになるものもあれば、言葉にしたことでよけいに正体がわからなくなるものもある。『作文』は、その後者の手触りを持っている。

小山田浩子の文章は、説明しすぎない。ここでも、読者に親切な解説を並べるのではなく、見たもの、思ったこと、ずれていく感覚をそのまま置く。だから、読む側は文と文の間にある沈黙を自分で受け取ることになる。行間というより、紙の白さそのものが少し気になる。

「書くこと」に興味がある人には、かなり面白い一冊だ。小説家の創作論として読むというより、言葉が現実に触れるときの摩擦を読む本だと思ったほうがいい。言葉は現実をきれいに写す道具ではない。ときに現実をゆがめ、ときに書き手のほうを変えてしまう。

小山田浩子の作品を何冊か読んだあとに『作文』へ進むと、彼女がなぜあれほど「説明しないこと」を選ぶのかが少し見えてくる。説明しないのではなく、説明できないものを説明できないまま残すために、あの文体がある。そう考えると、『穴』や『工場』の沈黙も別の光を帯びる。

自分の言葉に少し疲れているとき、何かを書かなければならないのに、書くほど本当から離れていく気がする日に読むといい。文章を書くことを軽く励ます本ではない。むしろ、言葉の不自由さまで含めて、書くという行為を見つめ直させる本だ。

7. 『ものごころ』

『ものごころ』は、タイトルの響きだけを見ると、幼い頃の記憶をたどる柔らかな本に思える。たしかに、ここには記憶の底に触れるような手触りがある。けれど、それは懐かしさで包んでくれる記憶ではない。むしろ、幼い頃に見てしまったもの、うまく理解できなかったもの、名前をつけないまま身体に残ってしまった感覚に近い。

「物心がつく」とは、自分と世界の区別が少しずつできてくることでもある。だが、その境目は最初からきれいに引かれているわけではない。子どもの頃の記憶には、現実と想像、恐怖と好奇心、家の中と外の世界が混ざっている。『ものごころ』は、その混ざったままの感覚を、無理に大人の言葉で整理しない。

小山田浩子の小説では、よく「よく知っているはずの場所」が知らない顔をする。『ものごころ』では、その根がさらに奥へ伸びているように感じる。大人になってからの違和感は、突然生まれたものではない。もっと小さい頃から、世界はどこか変だった。その変さに気づいていたのに、言葉がなかった。そんな読後感がある。

この本は、物語の筋を追うよりも、自分の記憶が勝手に呼び起こされることを楽しむほうが合っている。古い家の廊下、親戚の集まり、知らない大人の声、夕方の部屋の暗さ。読者によって浮かぶものは違うはずだが、その違いごと引き出してくる力がある。

『穴』や『工場』が外側の場所にひそむ異物感を描くなら、『ものごころ』は内側に残っている異物感へ向かう本だ。わかりやすい不穏さは少ないかもしれない。けれど、子どもの頃の自分がまだどこかに置き去りになっているような日に読むと、妙に近く感じる。

懐かしい本を読みたい人よりも、記憶の曖昧さに触れたい人に向いている。過去を美しくまとめないところがいい。思い出は、きれいな箱に入っているものではなく、湿気を吸って少し形が変わった紙のように残る。その質感を、静かに手渡してくれる一冊だ。

8. 『最近』

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『最近』は、タイトルがいい。大きな時間ではなく、過去でも未来でもなく、ただ「最近」。この言葉には、はっきりした輪郭がない。数日前のことも、数か月前のことも、気分によっては最近になる。小山田浩子の作品にある時間感覚と、とても相性のいい題名だ。

この本では、現在の生活に近い場所から、細かな出来事や感覚が拾われていく。読み心地は軽いようで、軽くはない。近況のように始まった文章が、いつの間にか「いま」という時間の頼りなさへ触れている。日々は流れているのに、自分だけが同じ場所に留まっているような感覚がある。

小山田浩子は、現在をそのまま肯定的には描かない。かといって、わかりやすく絶望的にも描かない。今日の出来事、目に入ったもの、誰かの言葉、身体の反応。それらを見つめるうちに、日常が少し厚みを持つ。何でもない日が何でもなくないものとして残る。

『最近』の面白さは、読者自身の「最近」も同時に動き出すところだ。読みながら、自分は最近何を見ていたか、何を見ないようにしていたかを考えてしまう。ニュースでも大事件でもなく、家の中の小さな変化、道端の光、誰かとの短い会話。そういうものが、思っていたよりも自分に影響していると気づく。

代表作のような強い物語性を求めると、少し肩透かしに感じるかもしれない。だが、小山田浩子の文章と長く付き合いたい人には、この本の距離感が効いてくる。作家がいま何を見ているのか、その視線の現在地に触れられるからだ。

生活が忙しすぎて、日々がただ流れていくように感じるときに読むといい。何かを変えてくれる本ではない。けれど、流れていくものの中に、まだ言葉にできる感覚が残っていると思わせてくれる。小山田浩子の後半の本として、作品世界を現在へつなぎ直す役割を持つ一冊だ。

9. 『小さい午餐』

『小さい午餐』は、食べること、昼の時間、ささやかな集まりの気配を感じさせる題名を持つ。午餐という言葉には、日常の食事よりも少しだけよそゆきの響きがある。けれど「小さい」がつくことで、そのよそゆきはすぐに縮む。立派な宴ではなく、手の届く範囲に置かれた食事。その小ささが、この本の入口になる。

小山田浩子の作品で食卓が出てくるとき、そこは単に何かを食べる場所ではない。人と人が同じものを囲みながら、同じ感覚を共有しているとは限らない場所になる。皿、椅子、テーブル、昼の光、沈黙。そうしたものが、会話よりも強くそこにいる。

食事は、生活の中でかなり具体的な行為だ。食べる、噛む、飲み込む。身体が関わる。だからこそ、小山田浩子の視線が入ると、急に不思議なものになる。何を食べているかよりも、食べている自分がどこにいるのか、誰といるのか、その場に本当に馴染んでいるのかが気になり始める。

『小さい午餐』は、代表作のように強い設定で読ませる本ではない。むしろ、細かな温度差を受け取れる読者に向いている。明るい昼間に読んでいるのに、部屋の中の音が少し遠のくような感じがある。食卓という安心できるはずの場所が、ほんの少しだけ知らない場所になる。

この本を後半に置きたいのは、小山田浩子の世界が「穴」や「工場」のような象徴的な場所だけで成立しているわけではないとわかるからだ。小さな食事、小さな場面、小さな違和感。そういうものにも、彼女の文体はしっかり届く。

一人で昼食をとったあと、あるいは誰かとの食事で言葉が少し余った日の夜に読むと、よく効く。満腹感とは別のものが残る。自分が普段どれほど無意識に食卓をやり過ごしているかに気づく一冊だ。

10. 『かえるはかえる: パイプの中のかえる2』

『かえるはかえる: パイプの中のかえる2』は、『パイプの中のかえる』を読んだあとに進みたい続編的な一冊だ。小説のおすすめ本リストの最後にエッセイを置くのは、冊数合わせではない。小山田浩子の作品を読んだあと、最後に作家の視線へ戻ると、ここまで読んできた小説の景色が少し整理される。

タイトルの「かえるはかえる」は、単純なようで、妙に残る。かえるはかえるでしかない。けれど、そのかえるをどう見るかは、そのときの自分の状態によって変わる。生き物として見るのか、言葉として見るのか、記憶の中の何かとして見るのか。小山田浩子の文章は、その変化の細かさを逃がさない。

前作と同じく、ここでも日常の観察が中心にある。だが、読んでいると、観察とはただ対象を見ることではなく、自分が何を見落としているかを知ることなのだと感じる。かえる、道、家、誰かの言葉、ふとした出来事。それらは文章にされた瞬間、少しだけ元の場所からずれる。

このずれは、小説の読後感にもつながっている。『穴』の穴も、『工場』の敷地も、『庭』の植物も、ただ物語上の装置ではない。作家が日常のものを見つめ続けた結果、そこに別の意味が滲んでしまったものだ。『かえるはかえる』を読むと、その滲み方がよくわかる。

小説だけを追いたい人には、必須の一冊ではないかもしれない。だが、小山田浩子という作家の「ものの見え方」を長く味わいたいなら、読んでおく価値がある。物語を離れたところで、文体の根が見えるからだ。

読み終えたあと、道端の小さな生き物や、排水管の奥や、家の周りの湿った場所に目がいく。そこで何かを発見するわけではない。ただ、見えているものが少し増える。そのささやかな変化こそ、小山田浩子を読む楽しさのひとつだ。

まとめ

小山田浩子を読むなら、最初は『穴』から入るのがわかりやすい。夫の転勤、田舎での暮らし、黒い動物、穴。物語の輪郭が比較的つかみやすく、日常が別のものに変わる感覚を一冊で味わえる。次に『工場』を読むと、家庭や土地だけでなく、職場や制度の中にも同じ異物感があることが見えてくる。

短編で作風の幅を見たいなら『庭』がいい。家や庭や家族という近い場所に、どれだけ多くの裂け目があるかがわかる。そこから『小島』へ進むと、場所に閉じ込められる感覚や、人と人の距離の冷たさがより強く残る。

小説の背後にある視線を知りたくなったら、『パイプの中のかえる』と『かえるはかえる: パイプの中のかえる2』を挟むといい。エッセイを読むことで、小山田浩子が生き物や道や家の周辺をどう見ているのかが近くなる。『作文』は、言葉そのものに関心がある人に向いている。書くことの不自由さや、言葉にした瞬間のずれを味わえる。

読む順を整理すると、迷った人には次の流れが自然だ。

  • まず小山田浩子を知りたいなら:『穴』→『工場』→『庭』
  • 作風の奥へ進みたいなら:『小島』→『ものごころ』→『最近』
  • 作家の視線を知りたいなら:『パイプの中のかえる』→『作文』→『かえるはかえる: パイプの中のかえる2』
  • 生活の細部から入りたいなら:『小さい午餐』や『最近』を途中に挟む

小山田浩子の本は、読んですぐに大きな答えをくれるタイプではない。むしろ、家に帰る道、職場の廊下、昼の食卓、庭の端にあるものを少し違って見せる。何かが変だと思っているのに、その変さをうまく言えないとき、この作家の文章は静かに近くまで来てくれる。

関連グッズ・サービス

小山田浩子の作品は、短い時間に急いで消費するより、音の少ない環境でゆっくり読むほうが合う。関連サービスは最小限に絞っておく。

Kindle Unlimited

Audible

電子書籍で読むなら、短編集やエッセイを少しずつ進めやすい。音声で聴く場合は、移動中よりも夜の散歩や家事のあとなど、周囲の音が落ち着く時間のほうが作品の温度に合う。

FAQ

Q1. 小山田浩子はどの本から読むのがいい?

最初の一冊なら『穴』がいい。芥川賞受賞作として知られているだけでなく、夫の転勤、田舎での生活、黒い動物、穴という流れがあり、小山田浩子の世界へ入りやすい。次に『工場』を読むと、彼女が家庭だけでなく職場や組織の不気味さも描く作家だとわかる。短編から入りたい人は『庭』でもいいが、初読では『穴』のほうがつかみやすい。

Q2. 小山田浩子の作品はホラーなの?

一般的な意味でのホラーではない。怪物が出てきたり、謎がはっきり解決したりする怖さではなく、普通の生活が普通に見えなくなる怖さに近い。『穴』では田舎の昼間が、『工場』では職場の仕組みが、『庭』では家の周辺が少しずつ知らない場所になる。怖がらせるための演出より、読者の感覚をゆっくりずらす文学だ。

Q3. 小山田浩子の文章は難しい?

文そのものが極端に難しいわけではない。ただ、物語の意味を一つに決めようとすると読みにくくなる。何を象徴しているのか、結局どういうことだったのか、と急いで答えを出すより、場面の温度や違和感を受け取るほうが合っている。初めて読むときは、すべてを理解しようとせず、読後に残った景色から考えるくらいでちょうどいい。

Q4. 小山田浩子が好きな人に近い作家は?

日常の中に異物感を置く作家が好きなら、今村夏子や村田沙耶香にも進みやすい。今村夏子は人間関係のずれや語りの不穏さ、村田沙耶香は「普通」という制度の奇妙さが強く出る。小山田浩子はその中でも、場所や生き物や生活の細部がじわじわ人間を変えていく感覚が濃い。近い作家を読むと、彼女の静けさの質がかえってよく見える。

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