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【川上未映子おすすめ本】言葉と身体と世界をめぐる15冊ガイド【代表作】

川上未映子の小説を開くとき、人はだいたい少し疲れている。自分の身体のこと、家族のこと、お金のこと、働くこと、女であること、人を傷つけてしまったかもしれない記憶……そういう「うまく言葉にできない重さ」を抱えたまま、ページをめくることが多いはずだ。 その重さを彼女の文体は、まっすぐ見つめ、鋭く切り出し、ときどき笑いに変え、どうにか抱えて生きていくためのかたちにしてくれる。今日はそんな川上未映子の世界に入っていくための、本気のおすすめ本ガイドを書いていく。

 

 

川上未映子とは?

1976年、大阪府生まれ。10代から音楽活動を続け、2000年代前半にはシンガーソングライターとしてアルバムを出していたが、やがて言葉そのものに向き合うようになり、詩と小説の世界へと舵を切る。2007年に中編小説『わたくし率 イン 歯ー、または世界』でデビューし、翌年『乳と卵』で第138回芥川賞を受賞。詩でも中原中也賞、高見順賞を受け、短編集『愛の夢とか』で谷崎潤一郎賞、長編『あこがれ』で渡辺淳一文学賞、『夏物語』で毎日出版文化賞、『黄色い家』で読売文学賞と、ジャンルをまたいで主要文学賞を総なめにしてきた希有な作家だ。

特徴的なのは、徹底して「身体」と「お金」と「言葉」をつなげて語る視点だと思う。貧困、女性の身体、ケアされない人々、いじめ、犯罪、パンデミック……社会の中でこぼれ落ちがちな存在を、決して上からではない眼差しで見つめる。そこに、大阪の街で培われたリズム感のある言葉、ギリギリで笑いを取りにいくテンポ、詩人として鍛えたイメージの鮮烈さが重なって、唯一無二の文体になっている。

『ヘヴン』の英訳が国際ブッカー賞最終候補、『夏物語』が40カ国以上で翻訳、『すべて真夜中の恋人たち』が全米批評家協会賞の最終候補、『春のこわいもの』『黄色い家』が海外でも読まれ始めているように、その言葉はすでに世界規模の読者に届きつつある。けれど読み始めると、不思議なほど身近だ。「あ、これ自分のことかもしれない」と、どこかで身体が反応してしまう。その距離感の近さもまた、川上作品の魅力だと思う。

川上未映子おすすめ本レビュー

1. 『乳と卵』

乳と卵

乳と卵

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川上未映子の名を一気に広めた芥川賞受賞作。大阪から豊胸手術のために上京してきた姉・巻子と、その娘・緑子を迎える「わたし」の三日間が描かれる。母親は身体に執着し、娘は思春期の身体の変化と母への違和感を日記と筆談でぶつける。そのやりとりを横で見つめる「わたし」の視線も含めて、女性の身体・貧困・母娘関係が濃密に絡み合う。

胸を大きくしたいと願う巻子の必死さは、ときに滑稽に見えるけれど、その裏にあるのは「女として価値があるのか」という切実な問いだ。緑子が「自分はこんな身体で生きていかないといけないのか」と震える感じも、笑いではごまかせない重さを帯びている。その重さを、川上は大阪弁と独特のリズムで言語化していく。読んでいると、自分の身体の輪郭がじわじわ浮かび上がってくるような感覚になる。

この作品がすごいのは、「フェミニズム小説」とラベルを貼って済ませてしまえない生々しさだと思う。登場人物たちは誰も「正しさ」のスポークスマンではないし、読者が簡単に共感できるような綺麗事も言わない。けれど、豊胸手術のカウンセリングに向かった巻子が帰ってこない夜、母と娘が卵を投げ合いながら感情をぶつけ合う場面には、ひどく不器用で、ひどく真実味のある愛情が確かにある。

読むたびに、世界の見え方が少し変わる本だと思う。電車の中で広告の女性の身体を目にしたとき、街ですれ違う親子を見たとき、自分の胸や生理痛を意識したとき、『乳と卵』の一節がふっとよみがえる。そういう意味で、これは単なる「文学的名作」ではなく、読者の日常に何度も割り込んでくるタイプの本だ。最初の一冊としても、再読を重ねる一冊としても、やっぱり特別な位置にある。

2. 『ヘヴン』

『ヘヴン』は、いじめを扱った小説だと聞かされると、反射的に身構えてしまう。けれどページを開くと、そこにあるのは「いじめ問題」の正解を提示する物語ではなく、「なぜ人はここまで残酷になれるのか」「抵抗しないことに意味はあるのか」という、答えの出ない問いの連続だ。斜視のためにクラスの標的になっている「僕」と、同じくいじめられている少女・コジマとの秘密の文通が物語を牽引する。

二人の手紙のやりとりは、ときに宗教的で、ときに哲学的だ。コジマは、理不尽な暴力を受け続けることにこそ意味があると信じようとし、「僕」はそこに救いを見出そうとしながらも、どこかで違和感を抱いている。読んでいる側も、彼らと一緒に揺さぶられる。いじめを告発するでもなく、美談にするでもなく、そのさなかにいる人の目線から、ギリギリまで世界を見つめる小説だ。

個人的に忘れがたいのは、「善と悪」という言葉がどんどん信頼できなくなっていく感覚だ。ひどい加害行為をしている側にも、小さな恐れや弱さがあることが見えてしまうし、「耐えること」を選んだ側にも残酷さが潜んでいるかもしれない、という怖さもある。そのあやふやさを、川上は曖昧なまま放り出さない。ラストに向かう展開は、読後しばらく呼吸が落ち着かないほどだ。

いじめの経験がある人には、少し心の準備がいるかもしれない。けれど、自分の中にある「加害者としての可能性」「傍観者としての時間」から目をそらしたくないとき、この本は強烈な鏡のように機能する。読み終えたあと、通勤電車でうつむいている誰かを、もう同じようには見られなくなる。

3. 『すべて真夜中の恋人たち』

「恋愛小説」と聞いてイメージする甘さからは、少しずれたところにある作品だと思う。主人公・入江冬子は、34歳のフリーの校閲者。人付き合いが苦手で、誕生日の楽しみはひとりで真夜中の街を散歩すること。そんな彼女がカルチャーセンターで、58歳の物理教師・三束さんと出会う。二人は同い年で、同じ県の出身。それだけが共通点の、静かな恋愛が始まる。

冬子は、「世界」との接触がとても苦手だ。飲み会も、雑談も、SNSも、自分にはうまく扱えないと感じている。でも、校閲という仕事を通じて、他人の書いた文章とだけは濃厚に関わっている。そこに、三束さんという「生身の他者」がすっと入り込んでくる。恋愛というより、「自分と世界の間に、もうひとりの人間が立ち上がってくる」という出来事として描かれているのが印象的だ。

この本を読むと、自分の孤独の輪郭をやさしく撫でられているような気持ちになる。誰かに話すほどでもない、けれど確かに存在する寂しさや、いつまで経っても治らない不器用さ。それを、「それでも生きていていいし、誰かと出会ってもいい」と言ってもらえる感じがある。真夜中の散歩の場面が多いせいか、読んでいると夜の空気の冷たさまで思い出す。

恋愛小説としても、仕事小説としても読めるし、ただ「ひとりでいることが得意じゃない人の物語」として読んでもいい。川上作品の中では比較的入りやすい一冊なので、「まずは一作」という人におすすめしたい本だ。

4. 『夏物語』

『夏物語』は、『乳と卵』を大きく書き換え、膨張させた長編だ。作家志望の夏子を主人公に、姉・巻子、姪・緑子との三人の日々を描いた第一部と、その数年後、夏子が「精子提供を受けて子どもを持つこと」を真剣に考え始める第二部から成る。女性の身体と貧困を描いた前作から、「生殖技術」「親になることの倫理」へと論点を広げつつ、登場人物たちの生活の手触りはあくまでリアルなままだ。

印象的なのは、いわゆる「正しい答え」を提示しない姿勢だ。「産むか産まないか」「どうやって産むのか」という問いに、登場人物たちはそれぞれの立場から悩み、迷い、時にはぶつかる。フェミニズムの議論の中で語られてきたキーワードがたくさん出てくるのに、どこか「教科書を読んでいる」感じがしないのは、彼女たちの言葉がすべて生活の実感から出てきているからだと思う。

読みながらときどき、自分の人生を勝手に重ねてしまう。将来の家族のかたちを考えたとき、親との距離、パートナーの有無、お金の問題、仕事との両立……どこか一箇所だけを切り取って決められる話ではないということが、夏子たちの議論を通して何度も思い知らされる。本を閉じても、その思考は続いていく。

600ページを超える長さなのに、不思議とだらけない。大阪の下町の笑い、東京のアパートの湿気、海外のシンポジウムの空気、オフ会のざわめき……場面ごとに匂いや温度まで立ち上がってくる。『乳と卵』を読んだことがあるなら、その続きとして必読だし、初読みでいきなり飛び込んでもいい。長い夏休みのように、じっくりつき合いたい一冊だ。

5. 『黄色い家』

黄色い家 (単行本)

最新長編『黄色い家』は、川上未映子が本格的なクライム・サスペンスに挑んだ作品だ。17歳の夏、親元を離れ、「黄色い家」と呼ばれる一軒家で暮らすことになった少女たち。生活のためにカード犯罪の「出し子」というシノギに手を染め、危うい共同生活を続ける。時を経て、主人公・花は惣菜店で働く大人の女性として、かつて共に暮らした黄美子のニュースを目にし、過去を振り返っていく。

貧困や虐待、搾取の構造は、ニュースで見るとき以上にえげつない。頭の回らない大人は簡単に利用され、子どもたちは「家」と引き換えに犯罪に巻き込まれていく。けれど、この小説のすごさは、そこにいる誰もが単純な「悪人」ではないと、読者に実感させてしまうところだ。黄美子の歪んだ優しさも、少女たちのしたたかさも、すべて「今日を生き延びるための選択」として描かれる。

読みながら、ずっと喉の奥がつかえているような感覚があった。なぜかというと、彼女たちと自分との距離が、思っているほど遠くないと気づいてしまうからだと思う。少し違う環境で生まれていたら、自分も「黄色い家」の住人になっていたかもしれない。あるいは、彼女たちを搾取する側に立っていたかもしれない。その不穏な可能性を、川上は容赦なく突きつけてくる。

ラストシーンは、暗闇の中にかすかな光が差し込むような、美しくも苦い場面だ。読み終えたあと、「思いやり」とは何か、「家」とは何かをぐるぐる考えさせられる。重いテーマに向き合う覚悟があるときに、ぜひ手に取ってほしい。

6. 『愛の夢とか』

『愛の夢とか』は、日常のほんの少しのズレや違和感から、いつの間にか取り返しのつかない場所まで連れていかれる短編集だ。特に有名なのは、後に『ウィステリアと三人の女たち』にも繋がる「マリーの愛の証明」など、愛や関係性の歪みを描いた作品群。日常のささやかな場面から始まり、気づけば世界の見え方そのものが変わっているような感覚にさせる。谷崎潤一郎賞を受賞したのも納得の、濃度の高い一冊だ。

短編という形式の中で、川上の文体実験と人物造形が一気に堪能できるのも楽しい。会話のリズム、喩えの飛距離、言葉の選び方が一本一本違っていて、読み進めるたびに「この人は本当に言葉に遊ばせてもらっているな」と思う。と同時に、どの作品にも「他者を傷つけてしまうかもしれない怖さ」や「言葉では説明できない愛の形」が潜んでいて、読後にじわじわ効いてくる。

長編を読む前に、「川上未映子の世界観が自分に合うかどうか」を試したい人にもおすすめだ。一本読んで疲れたら閉じてもいいし、気に入った作品だけ何度も読み返してもいい。短編だから軽い、というタイプの本では全くないが、そのぶん、時間をかけて付き合える一冊だと思う。

7. 『あこがれ』

『あこがれ』は、小学生の麦彦とヘガティーという男女それぞれの視点から、「あこがれ」の正体を描き出す長編だ。サンドイッチ売り場にいる奇妙な女性、まだ見ぬ家族、大人たちの世界……さまざまな対象に向けられる「あこがれ」のまなざしは、いつも少し不安定で、危うい。子どもたちにとって世界はまだ「遠くにきらきら見えるもの」だけれど、その内側に何があるかは知らないままだ。

この小説が心に残るのは、「子どもらしさ」を美化していないところだと思う。麦彦もヘガティーも、善良なだけの子どもではない。嫉妬もするし、嘘もつくし、誰かを傷つけることもある。その揺らぎを、川上は愛おしむように、しかし容赦なく描いていく。大人の読者は、読んでいて何度も自分の子ども時代を思い出させられるだろう。

また、「あこがれ」という感情が必ずしも人を幸せにするとは限らない、という視点も印象的だ。遠くにあるものを見つめ続けるあまり、目の前にあるものを見失ってしまう危険。手に入れた瞬間に、あこがれが色褪せてしまう虚しさ。それでもなお、人は何かに憧れずにはいられない。そのどうしようもなさを、柔らかいけれど鋭い文体で掬い取っている。

8. 『きみは赤ちゃん』

『きみは赤ちゃん』は、川上未映子自身の妊娠・出産・育児体験を綴ったエッセイだ。35歳で初めて妊娠し、つわりや検診、出産、産後のメンタルや夫婦の関係まで、笑えるところも含めてかなり赤裸々に書いている。産科医療の現場の空気や、出産準備の現実的な話も多く、「妊娠・出産のリアル」を知りたい人にはものすごく具体的な本でもある。

エッセイとして面白いのは、「母になる感動物語」だけで終わらないところだ。嬉しさや感動と同じくらい、しんどさ、怖さ、苛立ち、パートナーへのモヤモヤも率直に書かれている。だからこそ、同じ経験をした人にも、これからする人にも、「自分だけがおかしいわけじゃないんだ」と思わせてくれる。妊娠・出産の経験がない読者にも、ケアされる側・ケアする側のしんどさを考えるきっかけになる。

夜中の授乳や、病院の待合室での不安な時間に少しずつ読み進めると、ページの向こう側から「そうそう、わかる」と笑ってくれる友人がいるような心強さがある本だと思う。小説とはまた違う距離感で、川上未映子という書き手の素顔に触れたい人にもおすすめだ。

9. 『わたくし率 イン 歯ー、または世界』

タイトルからしてただ事ではない『わたくし率 イン 歯ー、または世界』は、川上未映子のデビュー作にして、すでに世界観が完成している中編だ。「人は身体のどこで考えているのか。それは脳ではなく歯である」と信じる「わたし」を主人公に、歯科助手として働く日々と恋人・青木との関係が描かれる。歯の健康状態と自己の本質を結びつけるという、かなり奇妙な設定なのに、読み進めると妙に納得させられてしまう。

ここにはすでに、「身体と言葉を切り離さない」という川上の一貫したテーマがある。歯は、食べ物を噛み砕き、言葉を発するとき口の中で働き、痛みを通じて全身のコンディションを知らせる器官だ。そこに「わたし」を見出す主人公の感覚は、奇妙だけれど、どこかリアルだ。自分の身体の中に、ひそかに「自分そのものだと思っている部位」がある人には、刺さるものがあると思う。

また、この作品では文体の実験も顕著だ。行が長く伸び、話し言葉と書き言葉が混ざり、比喩が次々と連鎖していく。読むテンポをつかむまで少し時間がかかるかもしれないが、一度ハマると中毒性がある。川上未映子という作家の原点を知りたい人には、絶対に押さえておきたい一冊だ。

10. 『ウィステリアと三人の女たち』

『ウィステリアと三人の女たち』は、さまざまな境遇に置かれた四人の女性を描く連作短編集だ。同窓会で出会う同級生との記憶のズレ、デパートでの不穏な出来事、女子寮に満ちる閉塞感、廃墟のような屋敷で過去に向き合う時間……それぞれの場面に、死の気配や虚構の匂いが濃く立ち上がる。そこに、かすかな「救済」の瞬間が差し込む構成になっている。

怖いと言えば怖いし、美しいと言えば美しい。現実と記憶と想像が混じり合い、自分がどこにいるのか分からなくなる感覚。そのぐらつきの中で、「それでも何かを信じていたい」という登場人物たちの祈りのような気持ちが、じわじわ伝わってくる。川上作品の中でも、幻想性が強い側の一冊だと思う。

短編ごとに世界観ががらりと変わるので、少しずつ読み進めていくのが楽しい。読み終わったあと、ふとした瞬間に、デパートの照明や電車の窓ガラスの反射が違って見えてしまう。日常の風景の裏側に、別の物語が潜んでいるように感じさせる本だ。

11. 『春のこわいもの』

『春のこわいもの』は、パンデミック下の世界――「あの春」を舞台にした六つの短編から成る作品集だ。憧れのインスタグラマーの家で行われるギャラ飲み面接、匿名の悪意が膨らんでいくネット空間、持てる者と持たざる者の残酷な境界、死を前にしてこぼれる秘密……コロナ禍の不安と苛立ちが、さまざまな形で浮かび上がる。

ただ、その「時事性」に閉じた本ではまったくない。むしろ、極端な状況の中で露わになる、人間関係のヒエラルキーや、見たくない自分の本性が描かれている。マスクやワクチンの是非を巡る対立だけでなく、「誰が安全な場所にいて、誰が危険な場所に押し出されるのか」という構造そのものが問われている。

読んでいて苦しい場面も多いが、「あの春」を経験した読者にとっては、どこか救われる部分もあると思う。自分があのとき感じていた言葉にならない不安や怒りを、作品が代わりに引き受けてくれるからだ。あの期間をうまく振り返れずにいる人に、あえておすすめしたい短編集だ。

12. 『水瓶』

『水瓶』は、長編詩「水瓶」を中心とした第二詩集で、高見順賞を受賞している。鎖骨のくぼみに溜まる水瓶を捨てにいく少女のイメージから始まり、身体と世界との境界がどんどん揺らいでいく。意味を追おうとするとすぐに取りこぼしてしまうのに、言葉のリズムとイメージの連鎖がやたらと身体に残る、不思議な読書体験になる。

川上未映子の小説が好きな人なら、「この人の文体の源泉はここにあるのかもしれない」と感じるはずだ。比喩の飛び方、身体感覚の扱い方、文章の音楽性。詩だからこそ、意味よりも先にリズムや音が立ち上がってくる。小説で味わっていたあの独特の「うねり」が、よりむき出しになっている印象だ。

詩集に慣れていないと、正直、最初は「よく分からない」と感じるかもしれない。でも、意味を完全に理解しようとせず、気になる一行だけをメモしてみたり、声に出して読んでみたりすると、少しずつ「好きな場所」が見つかってくる。本棚に一冊置いておいて、疲れた夜に数ページだけ開く、という付き合い方が似合う本だ。

13. 『深く、しっかり息をして』

『深く、しっかり息をして』は、雑誌「Hanako」で12年間続いた連載エッセイ「りぼんにお願い」をまとめた一冊だ。メイクやファッションのこと、季節の移ろい、仕事や育児の悩み、社会の中で変化していく女性たちの姿……そのときどきの気分や出来事が、柔らかく、けれど芯のある言葉で綴られている。

面白いのは、ここで描かれる時間が、川上の小説の変遷ときれいに重なっているところだ。『すべて真夜中の恋人たち』『夏物語』『黄色い家』を世に送り出しながら、同時に日常の細かな出来事に目を向け続けてきたことが分かる。華やかなイベントも、地味な家事も、どちらも同じ重さで書かれているのが、読んでいてとても心地いい。

一編一編が短いので、寝る前に一つだけ読む、という読み方がしやすい本でもある。ページを閉じたとき、深く息を吸い込んで、少しだけ肩の力を抜けるような感覚になる。小説の重さに少し疲れたとき、ここに戻ってきたくなる読者も多いと思う。

14. 『発光地帯』

『発光地帯』は、川上未映子の人気エッセイシリーズ第一弾。食べ物のこと、夢のこと、別れのこと、記憶のこと……何気ない日常が、彼女の言葉を通すと全く違う手触りを帯びてくる。エッセイでありながら、ときどき詩のように読めてしまう、不思議な文体の本だ。

タイトルそのものが象徴的で、日々の暮らしの中でふと「ここが発光地帯だ」と言いたくなるような瞬間がある。誰かと食卓を囲んでいる時間かもしれないし、ひとりで歩いている帰り道かもしれない。その光を、彼女は過剰にロマンチックにも、過度に冷笑的にもならず、ちょうどいい温度で掬い上げている。

川上未映子の文章そのものを味わいたい人には、とてもいい入り口だと思う。小説ほど構えて読まなくていいし、それでいて、短いエッセイの中にかなり深い洞察が潜んでいる。日常を少しだけ違う角度から見てみたいときに、手に取りたくなる本だ。

15. 『おめかしの引力』

『おめかしの引力』は、タイトル通り「おめかし」、つまり装うことについてのエッセイ集だ。ワンピースと納豆、4万円の下着、カラータイツ、絶壁矯正……服やメイクにまつわるさまざまなエピソードが、ユーモアを交えつつ語られていく。文庫版では、ファッションに定評のある文芸評論家とのインタビューも収録されていて、読み応えがある。

ここで見えてくるのは、「おしゃれ」よりもずっと手前にある、「自分の身体とどう付き合うか」という問題だ。体型のコンプレックス、年齢による変化、流行との距離感。そういうものと格闘しながら、それでも「今日はちょっとだけきれいでいたい」と願う気持ち。その揺れを、川上は笑い飛ばしつつも、決して軽んじていない。

服やコスメが好きな人はもちろん、「おしゃれは苦手だ」と思っている人にも刺さる本だと思う。自分のクローゼットを開けたとき、そこに並ぶ服たちの見え方が少し変わる。朝、鏡の前に立つときの気持ちも、ほんの少しだけ柔らかくなる。そういう意味で、とても実用的な文学エッセイだ。

 

川上未映子の本は、どれも決して軽くはない。けれど、その重さは「自分の重さと交換できる」種類のものだと思う。生きるのがしんどいとき、自分の身体や過去が嫌いになりそうなとき、世界のニュースに押しつぶされそうなとき。そのどのタイミングで読んでも、必ずどこか一行が、こちら側に手を伸ばしてくる。 今日の気分や状態に合わせて、一冊選んでみてほしい。読み終えたとき、自分の内側に「言葉にしてもいい場所」が少しだけ増えているはずだ。

関連グッズ・サービス

本を読んだ後の学びを生活に根づかせるには、生活に取り入れやすいツールやサービスを組み合わせると効果が高まる。 川上未映子の本のように、言葉のリズムや身体感覚がじわじわ効いてくる作品は、とくに「どんな環境で読むか」が読書体験を左右する。ここでは相性のいい定番サービスとアイテムをいくつか挙げておく。

Audibleで耳から川上未映子を味わう

活字で読むときと違うのは、「文体のリズム」がよりダイレクトに身体に入ってくることだ。とくに『ヘヴン』や『黄色い家』のような重いテーマの作品は、イヤホン越しに声で受け取ると、物語の残酷さと同時に、言葉の温度も実感しやすい。家事や通勤の時間がそのまま読書の時間に変わるので、まとまった読書時間が取りにくい人とも相性がいい。

個人的には、夜に部屋の灯りを落として、スマホ画面もできるだけ見ないようにして聴くのが好きだ。言葉が「画面の文字」から解放されて、耳と皮膚に直接ふれてくる感じがある。

Kindle Unlimitedでエッセイと小説を行き来する

川上未映子は、小説だけでなくエッセイや詩集も含めて読むと、世界の見え方が一段深くなるタイプの書き手だ。サブスク型の読み放題サービスを使えば、『発光地帯』や『深く、しっかり息をして』のようなエッセイと、長編小説を行き来しながら、そのときの気分に合わせて読み進められる。

休日の午後に、ソファでエッセイをぱらぱら読みながら、「今日はここから『すべて真夜中の恋人たち』を少しだけ進めよう」と気分で本を選べるのはかなり贅沢だ。

Kindle端末で「重い本」を身軽に持ち歩く

『夏物語』のような長編や、詩集・短編集を何冊も同時並行で読みたいとき、紙の本だとどうしても荷物が重くなる。専用のKindle端末が一台あるだけで、通勤バッグにも旅行バッグにも、川上未映子の作品を丸ごと詰め込んでおける。バックライトを弱めに設定しておけば、夜のベッドサイドでも目がつかれにくい。

電車で立ったまま『ヘヴン』を読み進めていて、「ここで止めたくない」というところで駅に着いてしまっても、端末一つならそのままホームのベンチで続きを読める。読み逃したくない一行を追いかけるには、やはり軽さが正義だと感じる瞬間がある。

ゆったりしたルームウェアとブランケット

川上未映子の文章は、早足で読むよりも、少し足を止めて味わう方が向いている。身体を締めつけないルームウェアと、ひざにかけられるブランケットを用意しておくだけで、「今日はちゃんと読むぞ」というモードに切り替わりやすい。とくに『黄色い家』や『春のこわいもの』のような重めの作品は、読み進めるうちに精神的にも体力を使うので、服だけでもリラックスさせておきたい。

夜に部屋着に着替えて、ブランケットをかけてから本を開くと、「ここから先は自分の時間だ」と身体が覚えてくれる。そういう小さな儀式をつくっておくと、読書習慣も続きやすい。

ハーブティーやカフェイン控えめの飲み物

読む本によって、飲み物も変えたくなる。『すべて真夜中の恋人たち』やエッセイを読む夜は、カモミールやルイボスのようなハーブティーがよく合うし、『ヘヴン』や『黄色い家』の緊張感ある場面を読むときは、深煎りコーヒーで意識をはっきりさせておきたくなる。どちらにしても、カップを手にしているだけで、ページをめくるリズムが少しゆっくりになり、言葉が深いところまで届きやすくなる。

お気に入りのマグカップをひとつ決めておいて、「川上未映子を読むときはこれ」と自分の中でルールを作るのも楽しい。カップを持ったときの手触りまで含めて、読書体験になっていく感じがあるからだ。

まとめ

ここまで見てきたように、川上未映子の作品はどれも「生きることのしんどさ」と「それでも世界を信じたい気持ち」が、ぎりぎりのバランスで同居している。身体の重さ、お金の問題、家族のきしみ、社会の暴力。そうしたものから目をそらさずに見つめながらも、最後の一行で「世界はまだ終わっていない」と小さく告げてくる。読み終えたとき、胸の奥に残るのは、単なる絶望ではなく、「もう少しだけやってみるか」という静かな感触だ。

もちろん、読む順番に正解はない。ただ、目的別に選ぶなら、こんな組み合わせがしっくりくると思う。

  • 気分で選ぶなら:『すべて真夜中の恋人たち』『愛の夢とか』
  • じっくり自分の生き方と向き合いたいなら:『乳と卵』『夏物語』『ヘヴン』
  • 物語として一気読みしたいなら:『黄色い家』『あこがれ』『春のこわいもの』
  • 日常の呼吸を整えたいなら:『深く、しっかり息をして』『発光地帯』『おめかしの引力』
  • 文体の源泉にふれてみたいなら:『水瓶』『わたくし率 イン 歯ー、または世界』

ページを閉じたあと、「いま自分はどんな場所に立っているのか」「この身体でどうやって生きていくのか」という問いが、前よりも少しだけ自分の言葉で言い表せるようになる。その変化こそが、川上未映子を読むことのいちばんの贈り物だと思う。 どれか一冊でも気になる本があれば、今日の夜、スマホを少しだけ遠ざけて、静かなところでページを開いてみてほしい。あなたの中の言葉の地図が、きっと少し書き換わるはずだ。

FAQ

Q1. 川上未映子を初めて読むなら、どの一冊から入るのがいい?

ストレートに「代表作」からいくなら『乳と卵』が王道だが、読みやすさで言えば『すべて真夜中の恋人たち』がおすすめだ。恋愛小説としても、仕事や孤独の物語としても読めて、文体のクセもほどよく、分量もそこまで重くない。もっと軽めに様子を見たいなら、エッセイ『発光地帯』や『深く、しっかり息をして』から入る手もある。どちらも一篇ごとに完結しているので、相性を確かめながら少しずつ読み進められる。 重いテーマに真正面から向き合う覚悟があるときには、『ヘヴン』や『黄色い家』を選ぶといい。読むタイミングと精神状態によっても感じ方が大きく変わる作家なので、自分のコンディションに合わせてスタート地点を決めるのがいちばんだ。

Q2. テーマが重そうで不安。メンタル的にしんどくなったりしない?

確かに、『ヘヴン』や『黄色い家』『春のこわいもの』のように、いじめや貧困、犯罪、パンデミックといった現実の暴力に深く踏み込む作品は多い。読み進めるうちに胸が苦しくなる場面もある。ただ、その重さは「ただ読者を傷つけるためのもの」ではなく、誰かが経験してきた現実を正面から受け止めるための重さだと感じる。しんどくなったら、遠慮なく一度本を閉じて、エッセイや詩に避難してかまわない。 日によっては『きみは赤ちゃん』や『おめかしの引力』の軽やかな章だけ読む、という読み方も十分アリだ。作品全体を一気に制覇しようとするのではなく、そのときの自分が受け止められる分だけ少しずつ触れていく。そのくらいの距離感で付き合う方が、むしろ長く読者でいられると思う。

Q3. 子育て中・仕事が忙しいなど、まとまった読書時間が取れない場合は?

川上未映子の本は、一気読みももちろん楽しいが、細切れの時間で少しずつ進める読み方とも相性がいい。エッセイや短編集は一篇が短いので、通勤の往復や寝かしつけ後の数十分だけ読む、というスタイルでも十分楽しめる。長編を読むときも、一章ごとに「今日はここまで」と区切ってしまっていい。 耳から楽しむのも一つの手だ。AudibleのようなAudibleサービスを使えば、家事や散歩、ベビーカーを押している時間がそのまま読書時間に変わる。紙の本・電子書籍・オーディオブックを生活リズムに合わせて組み合わせると、「忙しいから読めない」という感覚がかなり薄まるはずだ。

Q4. フェミニズムや社会問題の知識がなくても楽しめる?

『乳と卵』や『夏物語』は、フェミニズムや生殖技術の文脈で語られることが多いが、専門用語を知らなくても十分に読めるつくりになっている。むしろ、登場人物たちが自分たちの生活の中から言葉を探り当てていく過程を追いかけることで、「そうか、こういうときにこういう言葉が必要になるのか」と体感的に分かってくるはずだ。 もし背景知識を補いたくなったときは、あとから入門書や解説書を読む方が理解が深まりやすい。最初から「正しい答え」を知ろうとするよりも、まずは物語の中で揺れてみる。そのほうが川上未映子の作品とは相性がいいと感じる。

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