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【高瀬隼子おすすめ本】まず読むべき代表作7選|芥川賞作家の“違和感の文学”を味わう完全ガイド

現実のどこにも“事件”なんて起きていないのに、ページをめくるほど胸の奥がざわざわしてくる。高瀬隼子の小説には、そんな奇妙な体験がある。日常からほんの数ミリずれただけの出来事が、人の輪郭を変えてしまう。そのズレや歪みを、彼女は丁寧な観察と、ときに残酷なほどの正確さで拾い上げていく。

 

高瀬隼子とは?

高瀬隼子の小説を読むと、胸の奥で小さな泡が弾けるような感覚が残る。生活のどこかに引っかかっていた違和感が、物語の中でふいに形を得てしまう。それが痛みなのか、救いなのか、自分でもわからなくなる瞬間がある。彼女の作品にはそんな“静かな揺れ”がつねに潜んでいる。

1988年生まれ。デビュー以前から、日常のズレや人間関係の湿度をじっと見つめるような文体が注目され、『犬のかたちをしているもの』で文学賞を受賞。そこからの歩みは速く、しかし焦りのないものだった。 『水たまりで息をする』で芥川賞候補に上がり、『いい子のあくび』でさらに評価を深め、そして『おいしいごはんが食べられなくなって』で第167回芥川賞。読者の生活にも静かに忍び込むような作品で、確固たる存在感を示した。

彼女の小説を語るときに欠かせないのは、“説明しない勇気”だと思う。登場人物の感情を過度に言葉にせず、ただ目の前に差し出すだけ。それなのに、読む側は言語化されていない部分にこそ深く揺さぶられる。高瀬隼子の描く世界は、声を荒げることなく、静かに人の輪郭を変えていく。

もうひとつの特徴は「身体の物語」を書くことだ。違和感や不調が、精神だけでなく身体の反応として描かれることが多い。食べられない、眠れない、髪を抜く、呼吸が浅くなる。小さな変化が生活をゆっくり侵食し、その背景にある心の揺れを照らす。身体と感情が切り離せないことを、彼女の筆はよく知っている。

また、現代的な“生きづらさ”を扱いながらも、彼女の文章は決して絶望を強調しない。痛みの中にも、薄明かりのような優しさが差し込む瞬間がある。その温度の変化が、読者を物語の深いところまで連れていく。

静かで、鋭くて、どこか湿った空気のある作家。 高瀬隼子は、大声で語りかけてくるタイプではない。 ただそっと寄り添い、気づけばこちらの心の底に沈んでいたものを引き上げてくれる。

彼女の作品を読むことは、日常をもう一度見つめ直すことに近い。 ありふれた場所に潜むひずみを、どう扱うか。 他者とどの距離で生きるか。 どんな自分を許せるのか。

こうした問いと向き合う覚悟がある人には、間違いなく深い読書体験をもたらしてくれる作家だ。

 

おすすめ7選

1. おいしいごはんが食べられなくなって

読み始めた瞬間から、不穏な空気がじわじわと皮膚に触れてくる。 テーマは〈仕事×食べる×人間関係〉と極めて日常的なのに、ページをめくるほど“静かなホラー”のように感じる。その感触こそ、本作が芥川賞を獲得し、30万部を超えるベストセラーになった理由だと思う。

物語の中心にいるのは、三人の同僚――押尾、芦川、二谷。 押尾はまじめで損をするタイプの女性。 芦川は、か弱く見え、周囲から過剰に守られる“庇護される側”の象徴のような存在。 二谷は“食べること”に無関心で、芦川の手作り菓子を無理やり口にねじ込まれても、ただ淡々と受け流す男だ。

この三角形の関係が不気味なほど絶妙で、読者は気づかぬうちに巻き込まれていく。 押尾が二谷に向かって言う、「芦川さんに、いじわるしませんか?」という一言は、単なる悪意ではない。 誰かを嫌うことでしか自分を保てない瞬間の、あの黒い欲望のかたまりに近い。 「正しくあろう」とする抑圧と、「本当はこうしたい」という衝動の交差点で、人はこんなふうに揺れるのだと痛感させられる。

そして本作が特異なのは、“食べる”という行為が感情の揺らぎと密接に結びついている点だ。 芦川の差し出す手作りのお菓子を、二谷が嫌々ながら口に押し込む場面。 職場のコミュニケーションとして当然のように流されていく“お裾分け文化”が、いつの間にか他者への支配の形になっていく。 自分が受け取るのは義務なのか、善意なのか、あるいは攻撃なのか。 食べ物の匂いと職場の空気が混ざり合い、読者の胃の奥に重たい影が落ちる。

「サイコホラーなのか?」「ミステリーか?」「恋愛小説の皮を被った何か?」 書店員のコメントにもあるように、ジャンルはどこにも定まらない。 だがその“定まらなさ”自体が、この作品の不安定な魅力だ。 人の優しさ、人の嫌悪、仕事のルール、恋愛の影、食べることの意味―― これらが全部、ゆっくり混ざっていく。

Amazonのあらすじに「共感が止まらない」「職場ホラーNo.1」とあるが、まさにその通り。 読者自身が過去に経験した“職場の気まずさ”が、ふと蘇る。 気にしないふりをして飲み込んだ感情や、自分が嫌いな同僚への微かな悪意。 そうした記憶が呼び起こされるたび、胸がひりつく。

文章は平熱で淡々としているのに、読後は喉の奥に何かが詰まったような感覚が残る。 作品自体が、登場人物たちの「言えない気持ち」をそのまま読者に手渡してくるからだ。

この本は、紙で一気に読むよりも、 電子でハイライトを入れながら何度も読み返したいタイプでもある。 場面ごとの“空気の変化”に気づくたび、物語が違う顔を見せる。 Kindle Unlimited を使って細部を追うと、初読では拾えなかった微妙な湿度が感じられるはずだ。

他者の善意が怖いと思ったことのある人、 誰かの手作りのお菓子を断れなかった経験がある人、 仕事終わりに胸の奥がざわついた日がある人―― そんな読者には、確実に刺さる。

 

2. いい子のあくび

「いい子でいたいのに、いい子でいたくない」。 誰しも抱えがちなこの矛盾を、ここまで丁寧に、そして怖いほどリアルに描いた作品は少ない。読んでいるうちに、自分の背中のどこかに貼りついている“正しさの圧力”がじりじりと浮かび上がる。

この作品は、大きなドラマや激しい出来事で読者を揺さぶらない。代わりに、平穏な日常に潜む「正しさの呪い」を、じわじわと解きほぐすようにして見せてくれる。作中の人物はみな、まじめで優しい。誰もが自分の枠を守ろうとし、周囲に迷惑をかけまいとする。だが、その“良識的であること”が、ぎりぎりのところで他者を追い詰めてしまう。

善意の圧力に息が詰まりそうになる場面がたびたび訪れる。その描写は派手ではないが、胸の奥をつままれるように痛い。自分を守るための善意が、いつの間にか他者を縛る鎖になっていく。読者はそんな構造に気づき、「ああ、自分も無意識に誰かを縛ったことがあるかもしれない」とふと立ち止まる。

また、高瀬の文章が持つ独特の“冷たさ”が、物語全体の緊張感を保ち続けている。語りは過度に感情的ではなく、どちらかと言えば抑制されている。しかしその抑制こそが、人物たちの息苦しさを逆に際立たせる。高瀬隼子が得意とする「言語化しない感情」の扱い方が、この作品では特に精密だ。

読み終えると、静かな喪失感のようなものが胸に残る。そして少し遅れて、自分の生活にも似たような場面があったことを思い出す。それがこの作品の持つ力だ。「正しい人」であろうとする重さに覚えがある人なら、必ず刺さる。

音声で聴くと、また違う“圧”が感じられる。 Audible の朗読で聞くと、登場人物の息づかいがより近くなる。

3. 水たまりで息をする

「風呂に入らなくなる」。 ただそれだけの出来事が、どうしてここまで生活の輪郭を変えてしまうのか。その問いを真正面から描いたのがこの作品だ。変化は小さく、騒ぎ立てるほどのことではない。けれど、その小ささが逆に恐ろしい。

夫婦のあいだに流れる空気が、少しずつ濁っていく。「なぜ?」と問えば壊れそうで、かといって何も言わずにいれば、さらに深い溝が生まれる。生活を支えているはずの日常が、少しのズレから崩れていく様が、まるで自分の視界の端で起きているように生々しい。

この作品で特筆すべきは、“異常”が大きな音を立てて現れないことだ。読者は、妻の視点を通して、部屋の空気や時間の流れ方の違和感を追体験する。風呂に入らないという行動が、夫の精神のどこから生まれているのかは説明されない。だが、説明がないからこそ、読む側は自分の生活に置き換え始める。「もし自分のパートナーがこうなったら?」という想像が、読者を強烈に巻き込む。

高瀬隼子は“沈黙の物語”を書くのが驚異的にうまい。表向きの言葉では何も語れないとき、沈黙が逆に強い意味を持つ。本作は、その沈黙が積み重なって日常がひずむ瞬間を、恐ろしいほど丁寧に描いている。

読後はしばらく静まり返ったような気持ちになる。誰の心にも、説明できない違和感を抱えた日があるからだ。本作はその部分にそっと触れてくる。高瀬作品の中でも最も“静かな恐怖”に満ちた1冊と言える。

4. 犬のかたちをしているもの

デビュー作品集とは思えないほど、後の高瀬文学につながる筋肉がすでに備わっている。 読み終わると、胸の奥に小さな棘のような感覚が残る。それは痛みというより、何かが引っかかったまま抜けない感じだ。その“抜けなさ”が、この本を忘れにくくしている。

収録作のひとつひとつに、社会との摩擦が静かに埋め込まれている。登場人物たちは、誰も声を荒げたりしないし、生活をひっくり返すような大事件も起こらない。それでも、彼らの行動や沈黙には、説明できない重さがついてまわる。その重さこそが、本作の核だ。

特に印象的なのは、身体の感覚が物語の中で“言葉の代わり”として扱われていることだ。 人前に立つと呼吸が浅くなる、ある出来事のあとに体の一部がうまく動かない、眠りが変質する。そういう微細な変化が、心の揺れと直結している。高瀬はその結びつきを、過剰に説明しない。だからこそ、生々しい。

読者は作品を読み進めるうちに、「自分にも似た瞬間があった」とふいに思い当たる。社会に適応しようとするほど、内側のどこかでひっかかりができる。そのひっかかりの正体がわからないまま、ただ抱え続ける。そうした経験のある人なら、強烈に共鳴するはずだ。

文体は硬質でありながら、どこか湿度を帯びている。感情を煽らず、冷静な視線を保ったまま、人物たちの裂け目をそっと見せる。それが読者にとっては逆に怖い。静かな調子で語られるほど、怖さは増すのだと思う。

この作品集は“高瀬隼子の入口”としても、“作家の原石をじっくり見る”という意味でも非常に価値がある。短編集のため、隙間時間でも読み進めやすい。電子書籍で読むと、気になった箇所にハイライトを入れながら、繰り返し味わえる。Kindle Unlimited のような読み放題のリズムにも合うタイプだ。

5. うるさいこの音の全部

芥川賞受賞後の初長編にして、作家としての「次の段階」に入ったことがはっきりわかる。 舞台はゲームセンター。人が行き交い、機械音が絶えず鳴り続ける場所。本来なら喧騒の象徴のような空間だが、主人公はその騒音を“生活の一部”として受け入れている。その感覚そのものが興味深い。

主人公は作家であり、同時にそこで働く労働者でもある。 「書くこと」と「働くこと」が二つの大きな軸として存在し、そのどちらも一筋縄ではいかない。 仕事は淡々と続くが、書くことは常に自分の内側と向き合わなければならない行為だ。 自分の中に流れる「音」と、周囲から浴びせられる「音」がぶつかり合い、混ざり合い、ときに相殺し合う。 そうした“音の衝突”が、この小説の隠れたテーマだと思う。

読んでいると、ゲームセンターの音が自分の部屋にも入り込んでくるような錯覚がある。 主人公の日常は騒がしいが、それを煩わしいとは思っていない。 むしろその騒音の中で、彼女は自分の輪郭を保とうとしている。 その姿が、奇妙に静かで、切ない。

作中には、執筆にまつわる迷い、焦り、自己嫌悪の描写が多い。 だがそれは単なる“作家の愚痴”ではなく、現代の労働と創作の矛盾そのものだ。 働かないと生活が成立しない。しかし、創作には時間と心の余白が必要。 その両立を試みる人物の揺れが、読者に刺さる。

この小説の魅力は、フィクションと現実がぎゅっと近い距離で呼吸していることだ。 物語の中で語られる「書く」という行為が、そのまま高瀬自身の葛藤のようにも思える。 読者はそこに妙なリアリティを感じ、物語と作者の境界線を探し続ける。

長編でありながら、一行ずつの密度が高い。 静けさの中に音があり、音の中に静けさがある。 そんなふしぎな読書体験を求めている人には、たまらない一冊だ。

この作品は、耳で聞いても集中しやすいタイプの文体で、 移動中の読書には Audible と相性がいい。 機械音がテーマの作品を、あえて静かな音声で味わうギャップが気持ちいい。

6. め生える

この作品は、身体的な癖――特に“髪を抜く”という行為――が強烈な主題として扱われる。 抜く瞬間の安堵、罪悪感、そして止めたいのに止められない執着。 どれも人間の弱さの一部であり、誰もが何かしらの形で抱えている癖や衝動と地続きだ。

髪を抜く行為は、単なる自傷ではなく、心のざらつきを鎮めるための儀式のようでもある。 主人公たちは、自分の中にある“説明できない痛み”を抱え、その痛みを共有することで奇妙な連帯を築いていく。 連帯といっても、健全な友情のように温かいわけではない。 むしろ、不安や欠落に触れ合うことで近づき、同時に離れたくもなるという複雑な関係だ。

読んでいると、身体と心が切り離せないものだということを思い知らされる。 抜毛症は医学的には分類できても、当事者の感覚は分類だけでは掬いきれない。 高瀬隼子は、その掬えない部分を物語として形にしている。

文章は、表面上は淡々としている。 しかしその淡々とした書き方が、逆に人物の内側の波を強く浮き上がらせる。 静かなのに、読者の心のどこかがざわざわして落ち着かない。 読書というより“体験”に近い感触がある。

特に印象的なのは、登場人物たちのうち誰一人として“救われた”と明言されない点だ。 物語が終わっても、彼らの癖や苦しみは消えない。 しかし、それを抱えたままでも生きていくことはできる。 高瀬の小説はその“抱えたままの生”を肯定してくれる。

日常に潜む強迫観念や、不安に飲まれそうな夜を経験したことがある読者には、 この作品が驚くほど深く刺さるはずだ。

7. 新しい恋愛

アルコール依存症の自助グループに集まった男女が、“恋愛”という関係性をいったんゼロに戻し、そこから別の形を模索していく物語。 ここで描かれるのは、「好きか嫌いか」といった単純な話ではない。 もっと奥深く、もっと複雑で、もっと曖昧な「関係の再定義」だ。

依存症という問題を抱える人々の集まりには、共感も理解もある。だがそれはときに、他者に強く依存してしまう危うさも含む。 “助ける”ことが“支配”に近づいてしまったり、 “頼る”ことが“束縛”に変わったり、 善意も欲望も全部、線がかすれて混ざり合う。

高瀬隼子の筆は、その混沌を過度に説明しない。 説明しないことで、読者の中にある似た湿り気を照らし出す。 恋愛を“やり直し”しようとする人たちの姿は痛々しいが、 「こんな形の関係もあるのかもしれない」と、読者に静かな余白を残す。

特に印象的なのは、“救い”が簡単に提示されないことだ。 依存症というテーマは救済の物語と相性が良いが、この作品ではそのような結論は安易に用意されない。 むしろ「壊れたままで生きていくこと」「関係というものが常に変動し続けること」が赤裸々に描かれる。

読後、心の深いところにじっとりとした感情が残る。 それは悲しみでもなく、希望でもなく、どちらともつかない“濁りを含んだ透明”のような感覚。 高瀬隼子の作品の中でも、もっとも“人間をあらわにする1冊”だと思う。

恋愛小説というより、関係性の物語。 だから、読み返すたびに違う箇所が痛くなる。 電子でしるしをつけながら読める Kindle Unlimited とは相性が抜群だ。

 

関連グッズ・サービス

本を読んだ後、物語の余韻をゆっくり深めたいとき、読書環境を少し整えるだけで体験が変わる。高瀬隼子の作品は「静けさ」「内省」「息遣い」を味わうタイプなので、以下のアイテムが特に相性がいい。

 

● Kindle Unlimited

気になった箇所にハイライトを入れながら読み返せる。高瀬作品の“微細な違和感”を拾いやすい。

Audible

心の動きを“声”で味わうと、登場人物の息遣いがぐっと近くなる。移動中の読書にも最適。

● 静音タイプの間接照明

静かな光で、作品の陰影を壊さず読書に没入できる。夜に読む高瀬作品と特に相性がいい。

 

● デカフェのハーブティー・カモミール

深夜に読むと、作品の“湿度のある空気”と自然に馴染む。体験としての読書が一段深くなる。

 

 

まとめ

高瀬隼子の小説を読み進めると、心のどこかがいつの間にかしんと静まる。 決して派手な物語ではないのに、読後の早朝みたいな空気が残る。 自分の中の“言葉にならない揺れ”と向き合った気がするからだ。

  • 気分で選ぶなら:『水たまりで息をする』
  • より深く浸りたいなら:『新しい恋愛』
  • 最初に読むなら:『おいしいごはんが食べられますように』

静かで繊細な物語ほど、人の心の深いところに届く。 そのことを確かめたい夜に、ぜひ高瀬隼子を手に取ってほしい。

FAQ

Q1. 高瀬隼子を読むときに、どの順番がいい?

最初は『おいしいごはんが食べられますように』または『犬のかたちをしているもの』が入りやすい。テーマの深度や文体の癖が自然に理解でき、そのまま中期・後期作へ進める。

Q2. 重たい内容が多い印象だけど、読んで疲れない?

重いというより「静かに刺さる」作品が中心。派手な起伏はないので、夜の落ち着いた時間に読むとちょうどいい。音声で聴くならAudibleも合う。

Q3. 読後にもう少し世界に浸りたい。どうしたら?

Kindleハイライトや読書ノートが相性抜群。特に微細な感情の揺れを書き留めると、本作のテーマがより深く理解できる。 Kindle Unlimited で複数作を並行して読むのもおすすめ。

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