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【阿津川辰海おすすめ本15選】代表作の〈館〉・仕掛けで頭が冴える小説まとめ【読んでほしい作品一覧】

阿津川辰海のミステリーは、手がかりの置き方が端正なのに、舞台や設定がひと癖ある。代表作の〈館〉ものから短編集まで、作品一覧を辿ると「次の一手」を試したくなる本が多い。いま読むなら外しにくい15冊を、読書の手触りでまとめた。

 

 

阿津川辰海とは

阿津川辰海の強みは、「本格」の骨格を崩さずに、現代の読者が引っかかる題材へ接続していくところにある。クローズド・サークルや密室、裁判、誘拐、未来視のような特殊設定。入口は派手でも、最後に残るのは、手がかりが論理へ変換されていく静かな快感だ。ページをめくる速度が上がる場面ほど、文章は落ち着いている。その落差が、読み終えたあとに少しだけ体温を下げてくれる。考える楽しさを取り戻したい夜に似合う作家だ。

おすすめ本15選

1. 紅蓮館の殺人(講談社タイガ アI 1)

燃え広がる山火事が、館を外界ごと切り離していく。限られた時間、逃げ場の少ない建物、焦りの匂い。その「場」の圧が、推理の手つきを鋭くする。紅蓮館は、ただの舞台装置ではない。廊下の曲がり方や部屋の配置、視線の抜けが、犯行の可能性を増やしたり減らしたりする。建築が論理の一部になっている。

中心にいるのは、強すぎる直感を持つような探偵役と、彼を見上げながら同じ景色を見ようとする語り手側の人物だ。天才の推理を「すごい」と眺めるだけで終わらない。置かれた情報をどう拾い、どう捨てるか、その選別の癖が会話の端々に出る。読者は自然に、推理の速度を調整させられる。

この作品の気持ちよさは、緊急事態が論理を乱さないところにある。火の粉が近づいても、感情の叫びより先に「いま可能な行動」が並ぶ。もしあなたが、派手な惨劇よりも、危機の中で整然と組み上がる推理が好きなら、相性がいい。

とはいえ冷たい話ではない。外が赤く染まる気配の中で、人が人を疑わざるを得ない、その息苦しさもきちんと描く。疑いは関係を壊すが、推理のためには避けられない。だからこそ、言葉の選び方が重要になる。ひとつの質問が、誰かの心を押しつぶすこともある。

読み進めるほど、館の「仕掛け」が気になってくる。建物は嘘をつかないが、人は嘘をつく。では、建物の構造を利用した嘘はどう見抜くのか。そこで必要なのは、派手なひらめきではなく、目の前の不自然さを数える忍耐だ。

読後に残るのは、火の明るさより、紙の上の静けさだ。手がかりが揃っていく感触が、指先に残る。ミステリーを読む理由を、あらためて思い出させる一冊になる。

電子書籍の読み放題で入口を試すのも向く。

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2. 蒼海館の殺人(講談社タイガ アI 2)

雨が止まない。風が強い。外へ出るほど危険が増していく。蒼海館は、水の圧力で閉じていくクローズド・サークルだ。孤立した場所で起こる連続殺人という古典的な枠組みを、天候の物理で更新している。濡れた服の重さ、足元の悪さ、窓の向こうの暗さ。そういう感覚が、そのまま恐怖に繋がる。

訪問者は、学校に来なくなった「名探偵」に会いに来る。探偵の不在、あるいは不調が、物語に独特の陰影を落とす。推理役が万能でないとき、周囲はどう動くのか。語り手の視点は、憧れと苛立ちの間を揺れる。名探偵を信じたいのに、信じ切れない。そこが人間的で、読者の息にも近い。

館に集う人々も、いかにも「事情」を抱えている。名士の家の空気、礼儀の奥の緊張、家族の顔色。丁寧に磨かれた応接間ほど、言葉が滑ると怖い。あなたが社交の場で、笑いながら心が冷える瞬間を知っているなら、この館の会話は刺さる。

事件は、派手に始まって、さらに加速する。けれど焦点は「誰がやったか」だけに寄らない。なぜここで、なぜこの状況で、という条件の積み上げが緻密だ。水が増えるほど、可能な行動が減っていく。減っていくから、嘘が浮く。

推理はフェアだ。読み返すと、「ここで気づけたはずだ」と悔しくなる配置がある。悔しさは、作者に騙された痛みではなく、自分の視線の甘さへの反省になる。ミステリーで最も嬉しい種類の負け方だ。

終盤は、館ものの醍醐味をきっちり回収する。建物、天候、人間関係がひとつの束になって、最後にほどける。雨音が止まったあとの静けさが、読後の部屋にも落ちてくる。

3. 黄土館の殺人(講談社タイガ ア-I 03)

黄土館は、「名探偵がそこにいない」状態から始まる。その不在が、作品全体の企みになっている。いつもなら真ん中に立つはずの推理役が欠けたとき、謎はどう転がるのか。犯人は、どこまで大胆になれるのか。読者は、普段より少し不安定な足場で推理をすることになる。

地震と土砂崩れが、館を孤立させる。自然災害は、閉鎖空間を作るだけでなく、時間感覚を歪める。いつ救助が来るか分からない。電話が通じないかもしれない。焦りが共有されると、疑いも共有されやすい。ここで起こる殺人は、恐怖と合理が同時に増幅される。

この作品が面白いのは、「犯行を企む側」の視点が入り込むところだ。読者は一瞬、犯罪小説のような手触りを得る。だが、そのまま気持ちよく犯人側に寄り切れない。なぜなら、館ものとしてのルールが、どこかで必ず跳ね返してくるからだ。もしあなたが、犯人の計画と探偵の推理を同じ熱量で眺めたい人なら、ここはたまらない。

中盤以降、館の内部では連続殺人が進む。閉じた空間の中で、誰を信じて、どの順番で確認し、何を後回しにするか。推理というより、生存の手続きに近い。だから会話が切実になる。言葉が短くなる。視線が合わなくなる。そういうところに、恐さが立つ。

そして最後に用意されるのは、偶然と必然の境目を揺らす仕掛けだ。ミステリーは、偶然を嫌う。だが現実は偶然だらけだ。その矛盾を、作者は逃げずに握りしめ、物語の中で折りたたむ。読後は「運」と「意志」の関係を考え直したくなる。

三作目にして、〈館〉シリーズのリズムが変わる。変わるのに、芯はぶれない。シリーズを追う人にも、単体で強い刺激が欲しい人にも、両方に効く一冊だ。

4. 名探偵は嘘をつかない(光文社文庫)

名探偵という存在を、いったん法廷に座らせてみる。これが本書の面白さだ。推理は正しいのか。証拠は本当に正当なのか。名探偵が「勝つ」ために、何をしたのか。疑惑が持ち上がり、探偵自身が弾劾裁判の被告の位置に置かれる。

裁判劇の形式は、証言という断片を積み上げる。つまり、ミステリーそのものだ。ただし、通常の捜査よりも、言葉が鋭い。発言は記録される。矛盾は突かれる。感情の逃げ場が少ない。あなたが、犯人当てよりも「論証」の緊張が好きなら、これ以上ない入口になる。

名探偵の人物像も強烈だ。傲慢で冷酷で、妥協しない。けれど、その極端さがあるから、裁判の場で揺らいだときに目が離せなくなる。探偵が誠実であることは、必ずしも「優しい」ことと同義ではない。真相へ一直線に突っ込む姿は、時に人を壊す。

本書が問いかけるのは、推理の倫理だ。読者は普段、名探偵に気持ちよく事件を解かせ、カタルシスを受け取る。では、そのカタルシスの材料は何でできているのか。嘘、誇張、誘導、無理な推論。もしそれが混ざっていたら、私たちは同じように拍手するだろうか。

構成の遊び心もある。法廷でのやり取りが、推理の手順を可視化する。だから読みながら、自分の頭の中に「検察側」「弁護側」「陪審」の声が生まれる。読む人の立場が変わり続けるので、飽きない。

読後は、名探偵という職業の眩しさが少しだけ色を変える。眩しいままだが、影がある。その影を見たうえで、なお推理が好きだと言える人に、深く残る。

5. 録音された誘拐(光文社文庫 あ 65-5)

誘拐ものの面白さは、時間と情報の奪い合いにある。誰が主導権を握り、誰が焦り、誰が冷静に呼吸をするか。本書は、その駆け引きを「音」の感覚で磨いていく。探偵事務所の所長が誘拐され、助手が手がかりを拾う。視線ではなく聴覚が武器になるのが新鮮だ。

録音というモチーフは、真実を保存するようでいて、簡単に編集できる。切り貼りできるものは、嘘を増やせる。だから、音を信じるほど危うい。けれど、耳のいい人物は、その危うさを前提に「違和感」を聞く。大きな音ではなく、微妙な隙間。呼吸の乱れ。沈黙の長さ。そういうものが推理になる。

誘拐劇には「犯人の論理」がある。要求の形、連絡の頻度、脅しの言葉。そこに、犯人の趣味や見栄が滲む。阿津川辰海は、その滲みを丁寧に描く。悪党の語り口が、どこか滑稽で、どこか怖い。あなたが、犯人の自意識が露呈する瞬間にゾクリとする人なら、この誘拐は効く。

一方で、捜す側の動きも現実的だ。過剰な暴力や天才的なハッキングではなく、足で探し、耳で確かめ、可能性を潰していく。地味な作業が、じわじわと緊張を増やす。ミステリーは派手さだけでは持たない、と静かに証明している。

読み終えると、日常の音が少し違って聞こえる。エレベーターの閉まる音、コンビニの入店チャイム、遠くの車の走行音。事件は本の中で終わるのに、感覚だけが現実に残る。

耳で読む形式が合う人なら、移動中に追いかけるのも悪くない。

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6. 星詠師の記憶(光文社文庫)

未来が記録される。そんな設定は、普通ならミステリーの敵だ。だが本書は、未来視を「推理を難しくする障害」として使う。つまり、答えが先にあるのに、そこへ辿り着けない。視界が明るすぎて、かえって足元が見えない。そういう種類の不安が立つ。

舞台は、未来視を研究する集団の周辺。閉じたコミュニティの中で事件が起きると、情報が歪む。隠すための嘘と、守るための嘘が混ざる。未来の映像があるからこそ、人は「運命」の言葉で責任を逃がしやすい。読んでいて、嫌なほど現実的だ。

捜査に関わる人物は、完全無欠の探偵ではない。傷があり、疑いがあり、他人に対して角が立つ。それでも真相に近づこうとする。その姿勢が、特殊設定の派手さを支える背骨になる。あなたが、超常の設定よりも、そこで生きる人間の心理のほうに興味があるなら、この作品は読みやすい。

推理のポイントは、「記録される未来」と「起きた現実」のズレだ。ズレは、真相へ繋がる裂け目になる。裂け目を見つけるのは、ひらめきより観察だ。何が記録され、何が記録されないのか。そのルールを理解するほど、犯人の行動が絞られていく。

読後は、未来を知りたい気持ちが少しだけ怖くなる。知ることで安心するのか、知ることで身動きが取れなくなるのか。ミステリーの形を借りた、現代の不安の物語でもある。

7. 入れ子細工の夜(光文社文庫 あ 65-4)

短編が強い作家は、論理の輪郭がはっきりしている。本書は、その強さを濃縮して詰めた短編集だ。古書の街に現れる探偵の秘密、禁断の「犯人当て入試」、虚実が反転する二人劇、本人確認が困難になる状況下の推理。どの話も、問いの立て方が鮮やかで、読み始めの数ページで心を掴む。

特に面白いのは、「推理のルール」を物語の題材にしている点だ。犯人当てはゲームになる。試験になる。演劇になる。推理は、現実の事件を扱うだけでなく、読者の読み方そのものを揺らす道具にもなる。もしあなたが、ミステリーの作法を知っているほど楽しいタイプなら、ニヤリとする場面が多い。

一方で、仕掛けだけで突っ走らない。登場人物の距離感がきちんと描かれる。短編は、人物の奥行きが薄くなりがちだが、阿津川辰海は「この人はこういう呼吸をする」という一行を入れてくる。その一行が、推理の説得力にもなる。

読み味は軽快だが、読後の残り香は案外深い。虚実が入れ子になる話ほど、「信じたいもの」を問われる。正しさより、安心を選びたくなる瞬間。そこを見つめる冷静さがある。

短編から入りたい人、長編を読む体力がない週に一冊だけ欲しい人にも向く。四編それぞれが、別の扉になっている。

8. 透明人間は密室に潜む(光文社文庫)

「透明人間病」が存在する世界で起こる密室、裁判員裁判とアイドル文化が絡む事件、録音された犯行現場の違和感、クルーズ船での拉致監禁。四編とも、設定だけ聞くと奇抜だ。だが読んでいると、奇抜さがすぐに日常へ降りてくる。制度、世間、コミュニティ。人が生きる仕組みの上に、きちんと事件が置かれている。

透明であることは、自由ではない。見えない体は、恐怖にもなるし、管理の対象にもなる。密室は「閉じた部屋」だけではなく、「社会の囲い」でもある。そういう二重の意味が、物語を厚くしている。あなたが、トリックだけでなく背景の世界観も味わいたいなら、この短編集は満足度が高い。

法廷を扱う話では、「言葉が証拠になる怖さ」が立つ。ファンの熱狂の話では、「信じることの暴力性」が滲む。録音の話では、耳が拾う微細な差が推理になる。クルーズ船の話では、閉鎖空間の華やかさがそのまま罠になる。題材が散らばっているようで、芯は同じだ。見えないもの、聞こえないもの、空気に紛れる嘘を掴みに行く。

ミステリーの魅力は、最後に「理由」が出てくるところにある。本書は、その理由が論理だけで終わらない。社会の構造や、感情の癖にまで触れる。読後に残るのは、解決の爽快さと同時に、世界が少し怖く見える感覚だ。

短編集でありながら、読後の充足感が長編級なのは、各編の密度が高いからだ。読むほどに、作家の射程の広さが分かる。

9. 最後のあいさつ(単行本 ソフトカバー)

刑事ドラマの「最後の回」を目前に、主演俳優が妻殺しで逮捕される。日本中が熱狂と嫌悪の入り混じった視線を向ける中、当人は記者会見で“推理”を披露する。ここまでで、すでに胸がざわつくはずだ。虚構の名探偵が現実に侵入し、現実の罪が虚構の文法で語られていく。

本書は、ミステリーの外側にある「世間」を描く。名推理は快楽だ。だから人は、誰かの名推理を見たがる。だが、その快楽が誰かを追い詰めることもある。記者会見という舞台は、真相究明の場ではなく、物語消費の場にもなる。その二重性が怖い。

物語の面白さは、単なるメタでは終わらないところにある。刑事ドラマ、芸能、メディア、捜査。いくつものレイヤーが重なり、どこまでが演技でどこからが本音なのか分からなくなる。タイトルの「最後のあいさつ」は、別れの言葉であると同時に、舞台から降りる人間の背中でもある。

読者は、真相が気になるのと同じくらい、「人が見世物になる速度」に目を奪われる。もしあなたが、事件そのものよりも、事件が社会に投げ込まれたあとの波紋に関心があるなら、この一冊は強い。

読み終えると、テレビのワイドショー的な喧噪が遠くなる。その代わり、静かな問いが残る。私たちは、何を面白がってきたのか。推理は、人を救うのか、それとも消費するのか。答えは簡単に出ない。だからこそ読み応えがある。

10. ルーカスのいうとおり(単行本)

母の形見のぬいぐるみが、事件を呼ぶ。児童書『どろぼうルーカス』のぬいぐるみを持ち帰ってから、周囲で不穏な出来事が続く。隣人の転落、教師の殺害、現場にいたと主張される「ルーカス」。人形ホラーの匂いがするのに、読み味はきちんと本格ミステリーだ。

主人公は小学生で、心の傷を抱えている。ホラーの怖さは、暗闇や血の量ではなく、「信じたいものが揺らぐ」瞬間に生まれる。ぬいぐるみは、慰めでもあり、不気味な影でもある。だから事件を追うことは、自分の心を覗くことにもなる。

面白いのは、恐怖を煽りすぎない点だ。怖がらせるために説明を省くのではなく、疑うために情報を整える。ぬいぐるみが犯人なのか、犯人に利用されているのか。子どもの視点で、世界が狭いぶん、推理は切実になる。あなたが、怖さより「確かめたい」という気持ちが勝つタイプなら、このホラーは最後まで読める。

同級生との関係も効いている。子ども同士の会話は、残酷にも優しくもなる。大人が理解しない速度で、子どもは真相に近づいてしまう。そこに緊張がある。読者は、守りたい気持ちと、見届けたい気持ちの間で揺れる。

そして最後に、本格らしい問いが残る。フーダニット。誰がやったのか。怪異の顔をした現象に、論理で触れられるのか。読み終えたとき、ぬいぐるみを見る目が少し変わる。柔らかいものほど、物語を吸い込む。

11. あなたへの挑戦状(単行本、阿津川辰海・斜線堂有紀)

この本は「二人の作家が、同じ題名で勝負する」という枠組みそのものが仕掛けになっている。阿津川辰海のパートは、奇怪な城と密室殺人という、館もの好きの脳をまっすぐ刺激する入口から始まる。石や鉄の冷たさ、廊下の音の反響、誰かの足音が遠ざかる感覚。舞台の硬さが、そのまま論理の硬さに変換されていく。

面白いのは、読者の目が「いつもの読者」ではいられないところだ。挑戦状という言葉があるだけで、こちらは勝手に構える。ページをめくるたびに、自分の読み方が疑わしくなる。推理小説の読み手は、普段から推測をしているつもりでも、実は「見たいものだけ見ている」ことがある。その癖を、やわらかく刺してくる。

斜線堂有紀のパートは、空気の質感が変わる。より心理に近づき、関係のねじれが事件に影を落とす。二つの物語が並ぶことで、推理の快感が「解けること」だけではないと分かる。読み終えたあと、どちらが勝ったかを決めるより、「自分の負け方」を確かめたくなる。

加えて、競作の過程が見えるテキストが入る。舞台裏は本来、魔法を解いてしまう危険があるのに、ここでは逆に魔法が増える。作家がどこで迷い、どこで確信したかを知ると、トリックが“技術”として手のひらに残る。ミステリーを読んでいて、ふと「自分でも書けるだろうか」と思うタイプの人に特に効く一冊だ。

12. 午後のチャイムが鳴るまでは

昼休みの学校は、妙に世界が狭い。廊下の混雑、購買の行列、グラウンドの土の匂い、弁当箱の蓋が開く音。そんな「いつもの65分」に、やけに精密な謎が入り込む。放課後でも試験でもなく、昼休み。だから登場人物の息が近い。焦りの種類も大げさにならない。なのに、推理の駆動力は強い。

この本の気持ちよさは、トリックが青春の手触りと噛み合っている点にある。大人の犯罪の陰惨さではなく、くだらないほど本気の計画、取り返しのつかなさの一歩手前、仲間内の見栄。そういうものが謎の材料になる。読んでいるうちに、論理の線が学校の地図に重なっていく。

学園ものは、ときどき感情の方が先に走って謎が薄くなることがある。けれどこれは逆だ。感情が暴れそうになる瞬間ほど、状況確認が丁寧に入る。誰がどこにいたか、何分に何が起きたか。時間割のような厳密さが、物語の熱量と矛盾しない。

館ものの閉鎖空間が好きな人にも、これは別の意味で刺さる。学校は小宇宙だ。教師の目、校則、同級生の噂。壁は物理だけではなく、空気としても存在する。その壁の中で、どうやって“完全犯罪”みたいなことをやるのか。読み終えたあと、昼休みが少しだけ眩しく見える。

13. バーニング・ダンサー

阿津川辰海の面白さは「本格の筋肉」を、どんな題材にも移植できるところだが、この作品はその方向性がいちばん派手に出る。警察ミステリーの外枠に、特殊な能力を扱う部署が載る。異様な死体、理解しづらい現象、派手な設定。いかにも理屈が崩れそうなのに、崩れない。

鍵になるのは、能力の扱い方だ。能力は万能の解決装置ではなく、制約と誤解の源になる。ある能力があるせいで見落とすものがある。逆に能力があるからこそ、見えてしまう“違和感”もある。推理が成立するのは、その能力のルールが「犯人にも、捜査側にも」同じ重みでのしかかるからだ。

警察小説としての読み味も濃い。組織の都合、捜査の手続き、現場の苛立ち。能力者の集まりが、必ずしもチームとして機能しないところが現実的で、そこが緊張を生む。勝ちたい人、正しいことをしたい人、ただ生き延びたい人。その混線の中で、事件だけが前へ進んでいく。

そして阿津川辰海らしいのは、最後に「やっぱり論理で殴ってくる」ところだ。火のイメージが強い作品なのに、読後に残るのは燃え上がりではなく、整理された線だ。派手な題材のミステリーを敬遠してきた人ほど、ここで見方が変わるかもしれない。

14. 阿津川辰海 読書日記 ~かくしてミステリー作家は語る<新鋭奮闘編>

小説ではなく、ミステリー読書の巨大なガイドだ。阿津川辰海の作品を読んで「この人、どこでこんな発想を鍛えたんだろう」と思ったら、その答えが山ほど詰まっている。読者としての視線が、作家としての視線と直結している本で、好きな作品を語る熱量がそのまま“読み方の技術”になっている。

この本の良さは、権威の目線ではなく、偏愛の速度で語ってくるところにある。面白かったから薦める。悔しかったから紹介する。読書体験が身体の言葉で残されているので、読んでいる側も「次に何を読もう」が具体的になる。

さらに大きいのは、阿津川辰海の創作の癖が透けて見える点だ。密室の気持ちよさ、フェアであることへの執着、視点の切り替えの巧さ。小説で感じた特徴が、「読書の蓄積」として説明される。ファンブックとしても機能するし、ミステリー沼に入るための地図にもなる。

小説の10選だけだと物足りなくなったとき、この一冊は次の扉を量産してくれる。読み終えて本棚を眺めると、並び方を変えたくなるはずだ。

15. シリアルキラーアンソロジー 人殺し日和 (双葉文庫)

アンソロジーは、作家の「得意技」だけでなく「その日の顔」も見える。本書で阿津川辰海が書くのは、殺し屋とシリアルキラーが交差するタイプの話で、短い尺の中で駆け引きの筋肉を見せる。長編のように舞台を育てる余裕がないぶん、最初の数ページで状況を決め、すぐに疑いの構図を立ち上げる。その手際が鮮やかだ。

シリアルキラー題材は、刺激だけが先に立つと薄くなりやすい。だが阿津川辰海は、暴力を“見せ物”として盛るより、関係のルールとして冷たく置く。だから読後の嫌悪感が、ただの気持ち悪さで終わらない。「この人はなぜこう動くのか」という、ミステリーとしての問いが残る。

他作家の短編と並ぶことで、阿津川辰海の文章の硬質さ、論理の組み方が際立つのも面白い。短編でもきちんと“推理の手触り”を残してくる作家だと、あらためて分かる。

 

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本を読んだ後の学びを生活に根づかせるには、生活に取り入れやすいツールやサービスを組み合わせると効果が高まる。

読み放題で気になる一冊を試し読みし、合う作家だと分かったら一気に追う。そんな読み方がしやすい。

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耳で追うと、誘拐ものや法廷ものの会話の速度がそのまま緊張になる。移動時間が、そのまま推理の時間に変わる。

Audible

付箋と細いペン。手がかりの出方がフェアな作品ほど、気になった一文に印をつけたくなる。読み返したときの悔しさが、そのまま快楽に変わる。

まとめ

阿津川辰海のミステリーは、派手な設定や強い舞台を使いながら、最後は論理の手触りに着地する。〈館〉シリーズで空間の圧に酔い、短編集で発想の跳躍を浴び、法廷や誘拐で言葉の怖さに触れる。読み終えるたびに、世界の「違和感」を拾う感度が少し上がる。

  • 館ものの王道と更新を味わいたいなら:『紅蓮館の殺人』→『蒼海館の殺人』→『黄土館の殺人』
  • アイデアと密度で一気に満たされたいなら:『透明人間は密室に潜む』
  • 論理の殴り合いが好きなら:『名探偵は嘘をつかない』
  • 怖さと推理を両方ほしいなら:『ルーカスのいうとおり』

まず一冊、いちばん惹かれた舞台から入るといい。阿津川辰海の世界は、入口の形がいくつも用意されている。

FAQ

阿津川辰海を最初に読むなら、どれが無難か

迷ったら『紅蓮館の殺人』が合いやすい。閉じた館、迫る危機、論理の積み上げが一本の線でつながっていて、作家の持ち味がまとまっている。短い時間で好みを確かめたいなら『透明人間は密室に潜む』でもいい。

〈館〉シリーズは順番どおりに読むべきか

順番どおりが気持ちいい。探偵役や周囲の人物の変化が、事件の重さと一緒に積み重なるからだ。ただ、三作目の『黄土館の殺人』は不在の趣向が強いので、先に一作目と二作目を通しておくと、違いがはっきり見えて面白い。

特殊設定ミステリーが苦手でも読めるか

読める。設定は派手でも、推理の着地は論理に寄る作品が多い。超常の説明で押し切るより、「そのルールならこうなる」という検証で進む。苦手な人ほど、設定を怖がらず「制約」として眺めると入りやすい。

怖い話が苦手だけど『ルーカスのいうとおり』は大丈夫か

恐怖演出はあるが、読み味は必要以上にグロテスクではない。怖さの中心は、ぬいぐるみの不気味さと、疑いが日常を侵食する感覚にある。ホラーよりも「誰がやったか」を追う気持ちが勝つ人なら、最後まで読める可能性が高い。

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