河野多恵子を読むと、静かな文体の底で「欲望」や「恐れ」が、まだ温度のあるまま脈を打っているのがわかる。人間のきれいごとが外れた瞬間だけが残り、読み終えたあと現実の輪郭まで少し変わって見える。ここでは入門にも再読にも効く9冊を、物語の手触りが伝わるように紹介する。
河野多恵子とは
河野多恵子の小説は、派手な事件で読ませるタイプではない。むしろ、日常の「当たり前」の中に、なぜこんなものが潜んでいるのか、と読者の手を止めさせる。結婚や夫婦、母性、不妊、老いといった生活の語彙を借りながら、そこに絡みつくマゾヒズムや支配、嫉妬、幻想を、異様なほど冷静な言葉で書く作家だ。初期から晩年まで一貫して、人間の奥にある「説明できない衝動」を、説明抜きで差し出してくる強さがある。作品の来歴を追うだけでも、戦後文学のひとつの暗い水脈が見えてくる。
河野多恵子のおすすめ本9選
1. 幼児狩り・蟹(短篇集)
この一冊は、河野多恵子の入口として、強烈にわかりやすい。「蟹」は外房海岸で甥と蟹を探す中年女性の屈折を描き、芥川賞受賞作として知られる。
ただ怖いのは、事件そのものより、語り手の心が「何を当然としているか」だ。甥の手を引く場面の、海風の匂いのような描写がふいに冷える。読んでいる側だけが体温を落とされる。
表題作「幼児狩り」も、子どものいない女性が、道端で遊ぶ子どもに異様な関心を示す話として紹介される。 それが「異様」だとわかっているのに、次の段落ではもう、読者の視線まで彼女に寄ってしまう。
河野の短篇の妙は、倫理の話にしてしまわないことだ。善悪に回収せず、心の癖だけが残る。だから読後、現実のニュースや近所の会話が、少し違う声に聞こえる。
刺さるのは、家族や子どもをめぐる感情を「うまく言えないまま」抱えている人だと思う。言い換えれば、優しい話に救われなくなった時期の読者だ。
初読は薄暗さに圧倒されるが、再読すると、文章が驚くほど整っているのにも気づく。感情が荒れていない。荒れていないからこそ、怖い。
2. みいら採り猟奇譚(長編)
「快楽死」という言葉が、作品紹介の中心に置かれる長編だ。グロテスクな現実と日常生活の濃密さの中に、その極端な欲望を描く、と新潮社の紹介文が言う。
読みどころは、倒錯の説明ではない。夫婦という制度の内側で、相手の欲望を育て、矯正し、支配し、支配される、その手順の細かさだ。愛の言葉より、生活の段取りのほうが残酷に働く。
この小説は、読み手の「常識」を疲れさせる。いや、常識があるほど疲れる。だが疲れた先に、夫婦とは何か、欲望の責任とは何か、という問いが、きれいに立ち上がる。
受賞歴として野間文芸賞を掲げる作品でもある。賞の箔というより、ここまで踏み込んだ「純文学の体力」を、まず信じていいという印になる。
向いているのは、恋愛小説に「共感」だけを求めなくなった人だ。共感できないのに、目が離せない。その状態を味わいたい読者に向く。
読み終えてしばらく、台所の蛍光灯や、寝室のドアの音がやけに生々しくなる。生活の物音が、小説の続きを連れてくる。
3. 不意の声(短篇集)
父の死後に結婚した女が、父の霊に励まされるようにして「陰惨な殺人」を重ねていく。講談社の紹介文だけでも、もう逃げ場がない。
それでも河野は、ホラーの語り口に寄らない。怖がらせるために暗くするのではなく、暗いものを暗いまま机上に置く。その平熱が、背中にくる。
夫婦生活の愛憎が背景にある、と説明されるが、実際に読んで残るのは「家庭」という密室の粘度だ。逃げても追ってくるのは、相手ではなく、自分の思考の癖だとわかってしまう。
読売文学賞受賞作としても言及される名篇で、河野の代表作の一本に数えられることが多い。
刺さる読者像は、家族をテーマにした小説で、泣ける話より「言えない感情」を読みたい人だと思う。きれいな親子関係に救われない夜がある人に。
読み終えたあと、電話の着信音や郵便受けの音が、妙に嫌な「前触れ」に聞こえる。けれどそれは、作品の外に出た証拠でもある。
4. 秘事(連作短篇集)
周囲も羨む睦まじい夫婦に、ある「事故」が介在している。新潮社(版元情報)の紹介は、幸福な結婚の裏に隠された秘密、という言い方で始まる。
面白いのは、秘密が暴かれる瞬間のスリルではない。秘密を抱えたまま、夫婦が社会的に「正しく」振る舞い続ける、その不気味な上手さだ。礼儀が、罪の隠れ家になる。
河野の文章は、いちいち感情を名づけない。だから読者は、自分の中の言葉のない部分を使って読むことになる。読書が、軽い自己検査みたいになる。
この本が刺さるのは、結婚小説を「理想」や「破綻」のどちらかで読みたくない人だ。理想でも破綻でもない、うまく回っている地獄を見たい人に向く。
読みながら、登場人物を裁きたくなる瞬間がある。でも裁いた瞬間に、こちらの負けだと思う。河野は、裁きの気持ちすら物語の一部にしてしまう。
5. 半所有者(短篇集)
『秘事』と併録されることも多い「半所有者」は、亡くなった妻への夫の究極の愛を描き、川端康成文学賞受賞作
ここで描かれる「愛」は、優しさの別名ではない。むしろ、愛が持ちうる残酷さ、所有欲の形が、短い頁数の中で研ぎ澄まされる。
読んでいて苦しくなるのに、読み返してしまうのは、言葉が過剰に飾られていないからだ。説明の湿気がない。乾いた文が、感情の水分を逆に増やす。
向いているのは、恋愛の美談を信じたい人ではなく、信じられなくなった人だと思う。信じられなくなったあとに残る「それでも愛と呼ぶしかないもの」を見たい人に。
短篇だからこそ、余韻が日常に貼り付く。夜、ふと部屋を片づける時に、手が止まる。誰のものでもないはずの空間が、少し他人のものに感じる。
6. 骨の肉(短篇集)
講談社文芸文庫の一冊は、「骨の肉」ほか「最後の時」「砂の檻」など複数篇を収録し、子どものいない女・妻と男・夫の関係を抉り出す。
河野の中期短篇は、感情の描写が濃いのに、文章の表面は静かだ。そのギャップで読者は揺さぶられる。泣ける場面を泣かせにこない。だから泣き場が遅れてくる。
特に「骨の肉」は、タイトルだけで身体感覚を呼び起こす。読む前から嫌な予感がするのに、読み進めると、その嫌な予感の質が変わっていく。怖さが、だんだん「理解」に近づく。
この本が刺さるのは、家族や夫婦を「温かいもの」としてだけ扱う小説に、物足りなさを感じる人だ。温かさの裏側にある冷えを知っている読者に向く。
読み終えると、夫婦という関係が、ふいに「制度」に見える瞬間がある。制度に見えた瞬間、愛情は消えないのに、形だけが怖くなる。河野はその瞬間を、逃さない。
7. 後日の話(長編)
十七世紀イタリアの小都市。思わぬことで殺人犯となった夫の「最後の行為」が、新妻の生涯を支配する――。
河野多恵子の晩年作品には、欲望の熱だけでなく、時間の重みが乗ってくる。この作品も、事件の衝撃より、その後の人生がどう歪んでいくかのほうが痛い。
舞台が異国であっても、河野が見ているのは「関係の中の人間」だ。夫婦、社会、宗教、噂。どれも主人公の身体に触れないのに、確実に支配する。
読みどころは、綺譚としての面白さと、現実のような冷たさが同居するところだ。物語としての手触りを回復させる、と紹介されるが、読後に残るのは、むしろ現実のざらつきだ。
向いているのは、河野の初期の「刺すような短篇」を通ってきた読者だと思う。年を重ねた河野の、別の刃の入れ方が見える。
8. 砂の檻(短篇集)
「骨の肉」などと同じ文庫に「砂の檻」も収録されることがあり、夫婦や子どものいない妻の関係を描きつつ、生の深奥を抉る。
題名の「檻」が示すのは、外からの監禁ではなく、内側からの閉塞だ。逃げれば逃げるほど、檻が自分の形に馴染んでいく。その嫌な感触がうまい。
河野の短篇を読んでいると、感情の「理由」が薄くなる。理由が薄いまま、感情だけが濃い。現実の心も、だいたいそうだと思い当たってしまう。
刺さるのは、言葉で関係を整えるのが得意な人だ。得意な人ほど、整えた言葉の隙間に、どろりとしたものが残る。その残り方を、河野は見逃さない。
読後、何も解決していないのに、なぜか「見た」気がする。見てしまったから、戻れない。その感じが、河野の短篇の快感だ。
9. 回転扉(長編)
『回転扉』は、夫婦関係の揺らぎや、現実と非現実の境目を扱う作品として語られることが多い。研究の対象にもなり、河野の長編世界を考える上で避けにくい一冊だ。
回転扉というモチーフは、入ったつもりで出られない、出たつもりで入っている、という感覚に近い。関係の中で立場が反転し、主導権が入れ替わり、いつの間にか自分の言葉が自分を追い詰めている。
河野の長編は、短篇よりも「逃げ場のなさ」が増す。読者は同じ部屋に長く座らされる。しかもその部屋は、きちんと片づいている。片づいているから、狂気が目立つ。
刺さるのは、短篇の刺激に慣れたあと、もっと長い呼吸で河野を浴びたい人だ。理解できなくてもいい。理解できないまま、生活の見え方だけが変わる。
読み終える頃、回転扉はモチーフではなくなる。自分の中にも、同じ扉がある、と嫌でも気づく。
関連グッズ・サービス
本を読んだ後の学びを生活に根づかせるには、生活に取り入れやすいツールやサービスを組み合わせると効果が高まる。
Audible:河野多恵子は一文の温度差が怖い作家なので、声で聴くと「平熱の異物感」が強調される日がある。夜の洗い物をしながら聴くと、台所が少し広く感じる。
Kindle Unlimited:短篇集をつまむように読みたい時、試し読みの導線があるだけで「今日はこの一篇だけ」が成立しやすい。まとまった時間が取れない日に効く。
紙の付箋:河野の小説は、後から戻って刺さり直す行が多い。付箋を立てておくと、再読が「復讐」みたいに気持ちよくなる。
まとめ
河野多恵子は、読後に胸が軽くなるタイプの作家ではない。むしろ、胸の奥に沈んでいたものが浮き上がり、言葉を得る。怖いのに、どこか清潔だ。その清潔さが、いちばん信用できる。
- まず代表作の衝撃を受けるなら:幼児狩り・蟹
- 関係性の極北を長編で浴びるなら:みいら採り猟奇譚
- 短い一撃を重ねたいなら:不意の声
読みやすさより、読み終えたあとの「現実の見え方」を変えたい時、河野多恵子はちゃんと効く。
FAQ
Q1. 河野多恵子は難しい作家なのか
文章そのものは意外と平明だ。ただ、説明しない部分が多いので、読者の側が「自分の感情で読む」必要がある。筋を追うより、気味の悪さがどこで生まれたかに注目すると入りやすい。
Q2. まず一冊だけならどれがいいのか
最初の一冊なら『幼児狩り・蟹』が無難だ。短篇で河野の核が見え、しかも「蟹」は受賞作として作品の強度が保証されている。
Q3. 読んでしんどくなった時の読み方はあるか
しんどさを消そうとせず、短篇を一篇ずつ区切るのがいい。河野の作品は「余韻」が本編みたいなところがあるので、読後に少し散歩するだけで印象が整う日がある。
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