恋愛と仕事、自由と孤独。どれも簡単に選べないからこそ、女性の人生はときに眩しく、ときに心の奥がヒリつくように痛む。唯川恵の物語は、その揺れをありのまま拾いあげてくれる。読み終えたあと、世界の輪郭が少しだけ柔らかくなる。そんな瞬間を探す人に向けて、代表作から濃密な長編まで、いま読むべき20冊をまとめた。
- 唯川恵とは?──恋と孤独の“揺れ”を描き続ける作家
- おすすめ20選
- 1. 肩ごしの恋人 (集英社文庫)
- 2. セシルのもくろみ (光文社文庫)
- 4. 燃えつきるまで (幻冬舎文庫)
- 3. 男と女―恋愛の落とし前―(新潮新書)
- 5. 淳子のてっぺん (幻冬舎文庫)
- 6. 啼かない鳥は空に溺れる (幻冬舎文庫)
- 7. 雨心中 (集英社文庫)
- 8. テティスの逆鱗 (文春文庫)
- 9. ベター・ハーフ (集英社文庫)
- 10. 100万回の言い訳 (新潮文庫)
- 11. 病む月 (集英社文庫)
- 12. とける、とろける (新潮文庫)
- 13. 瑠璃でもなく、玻璃でもなく (集英社文庫)
- 14. ため息の時間 (新潮文庫)
- 15. 一瞬でいい (集英社文庫)
- 16. 夜明け前に会いたい (文春文庫)
- 17. 愛には少し足りない (集英社文庫)
- 18. ただそれだけの片想い 始まらない恋・終わらない恋 (集英社文庫)
- 19. 永遠の途中 (光文社文庫)
- 20. シングル・ブルー (集英社文庫)
- まとめ
- 関連グッズ・サービス
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唯川恵とは?──恋と孤独の“揺れ”を描き続ける作家
唯川恵の作品を読むと、恋愛というテーマが決して甘いだけの世界ではないとすぐにわかる。人の内側にある弱さや迷い、その揺れを丁寧にすくい上げる書き手だ。1961年生まれ。広告代理店勤務を経て執筆に入り、キャリア初期から女性読者の圧倒的な支持を集めてきた。
直木賞を受賞した『肩ごしの恋人』を読めば、彼女の視線がどこまでも等身大であることに気づく。華やかさよりも「女同士の友情のほころび」や「誰にも言えない孤独」を静かに描き、読者がずっと抱えていた気持ちをそっと言語化してくれる。過剰なドラマを避け、日常の小さな揺れに物語の核を置く。それが唯川恵という作家の真骨頂だ。
一方で、心理サスペンスの濃い暗部にも迷いなく踏み込む。『啼かない鳥は空に溺れる』や『雨心中』のような作品では、支配・依存・自罰性といった、触れるのが怖いテーマを静かな光で照らす。彼女が描く“闇”には、読者を突き放す冷たさがない。どこか人肌の温度が残っていて、読み手はその温度に救われる。
そして年齢を経てからの作品では、“第二の人生”が静かに立ち上がってくる。『今夜、巣鴨で』のように、新しい居場所を自分の手でつくり直す物語は、読者の背中にそっと手を添えるようだ。過去を引きずりながらも、未来に光を見つけようとする人に、彼女の小説は寄り添い続ける。
恋と孤独、再生と迷い。どれも特別ではなく、誰の中にもある感情だ。だからこそ、唯川恵を読むと、「自分だけじゃない」と思える。彼女の物語は、読者の生き方にそっと呼吸を合わせる。そんな作家だと思う。
おすすめ20選
1. 肩ごしの恋人 (集英社文庫)
27歳。大きいようで、小さすぎるようで、その年齢にしかない焦りがある。結婚に向かう瑠璃子と、自由に恋を追う実花。二人の女性が肩ごしに見せる世界は、似ているようで、決して重ならない。この物語を読み返すたび、若い頃の匂いがふっとよみがえる瞬間がある。何を選んでも正解がないように思えた、あの頃の息苦しさと軽やかさだ。
ページを追っていくと、友情が恋に比べて軽いものではないことが、じわじわと体に沁みてくる。誰かと並んで歩くとはどういうことなのか。唯川恵の筆は、説明しすぎることがなく、ただ二人の距離がゆっくり変わっていくさまを見せてくる。そんな静かな描写が、かえって胸を打つ。
読んでいる途中で、「これは自分の話かもしれない」とふと思う場面があった。恋人に合わせて無理をしていたこと。仕事を理由に逃げたこと。友人の成功を祝えなかった夜。それらの細かな欠片が、瑠璃子と実花の姿に重なる。そのとき、ページの白さが少し痛い。
そして読後、静かな余熱が残る。「自分が本当に大切にしたいものは何か」。単純な問いほど、人はなかなか答えを出せない。この物語は、答えを示すのではなく、考えるための光だけを手渡してくれる。だから長く読み継がれてきたのだろう。
この本は、友人関係に行き詰まりを感じている人、あるいは恋と仕事の両方に疲れてしまった人にそっと寄り添う。読み終える頃、肩ごしに誰かの存在を感じられるようになるはずだ。
2. セシルのもくろみ (光文社文庫)
主婦だった女が、読者モデルとして脚光を浴びる。そこにはきらびやかな成功ではなく、嫉妬と虚栄心と、言葉にならない孤独が渦巻いている。唯川恵が描く“女の戦場”は誇張がなく、むしろ現実よりも生々しい。ページをめくるたび、ひんやりとした鏡の前に立たされているような感覚に襲われる。
心の動きが細やかに描かれ、登場人物たちがまるで身近な人間のように感じられる。誰かが褒められると胸の奥がざわつき、誰かがつまずくと安心してしまう。そんな醜さを、読者自身の中にも見つけてしまうのだ。読みながら思わず苦笑してしまった。綺麗事では覆えない感情こそが人間なのだと、作者は静かに突きつけてくる。
物語の中盤、主人公が少しずつ“変わっていく”様子が印象深い。他人の視線を気にし続けていた彼女が、ふと自分の声を聞き取る瞬間がある。その小さな気づきが、読者の胸にも柔らかく落ちる。人は何度でもやり直せるのだという希望がそこにはある。
読後感は意外なほど澄んでいる。虚栄が渦巻く世界を描きながら、最後には静けさが訪れる。この落差がクセになる。そして何より、この物語は「自分の価値を外側ではなく内側に置くこと」をそっと促してくれる。
自分を変えたいと思っている人、SNS や周囲の視線に疲れた人にほど響く。頁を閉じた瞬間、真っ白な鏡に映る自分とようやく穏やかに向き合えるようになる。
4. 燃えつきるまで (幻冬舎文庫)
婚約破棄から始まる物語は、暗いのに妙に明るい。希望と絶望が同じ場所に立っているような、独特の空気が漂っている。主人公は、傷つきながらも前に進もうとする。間違いを繰り返しながら、それでも誰かを求め続ける。その姿が苦しく、同時に深く愛おしい。
唯川恵の筆は、女性の弱さを肯定しながら、決して脆くは描かない。涙を流すシーンが続くのに、どこか強く見えるのはそのためだ。失ったものの大きさを抱えながらも、生きることを諦めない姿勢に、いつの間にか勇気をもらっている。
この作品の真骨頂は、感情の“揺れ”だ。立ち直りかけたかと思えば、突然沈む。誰かを好きになったと思えば、急に冷める。その不安定さが、逆にリアルで、読み手の心を離さない。
読後は、走ったあとに残る呼吸のような余韻がある。もうだめだと思った夜に灯る小さな光。人は失っても、また別のものを見つけていけるのだと思わせてくれる。
恋に疲れた人、人生の節目で立ち止まっている人に寄り添う一冊。読み終えたとき、胸の奥がほんの少し温かくなる。
3. 男と女―恋愛の落とし前―(新潮新書)
これは唯川恵の「恋愛観」がもっとも生々しく、もっとも率直に語られる一冊だ。小説ではなくエッセイに近く、男女の恋のズレ、期待、身勝手さ、諦めを、驚くほど冷静に、そして優しく切り取っていく。まさに“大人の恋愛の本質”に踏み込んだ良書だと思う。
面白いのは、恋愛の分析がどれも理屈っぽくないことだ。心理学風でもないし、恋愛ノウハウ本でもない。むしろ、著者の人生経験や小説家としての観察力が、自然な語り口で流れ込んでくる。だから読みやすいし、刺さる言葉が多い。
とくに心を掴まれたのは、「恋愛に落とし前をつけるのは、いつだって自分」という一節だ。誰かに決着をつけてもらうことはできない。相手がどう思っているかではなく、自分がどこまで受け入れるのか。その境界線を見つけるのが恋の“終わり方”なのだと、静かに突きつけてくる。
また、男女のすれ違いの描写が容赦ない。男の鈍さや、女の察しすぎるところ。それらを笑い飛ばすでもなく、悲劇にするでもなく、そのまま置いてくる。読者はそこに自分の過去の恋を見つけて、少し笑って、少し痛む。
恋愛がしんどくなったとき、あるいは恋のステージをそろそろ変えたいとき、この本はよい道しるべになる。恋愛小説を読んできた人ほど刺さる、唯川恵の「思想」の部分がよく見える一冊だ。
5. 淳子のてっぺん (幻冬舎文庫)
田部井淳子という実在の登山家をモデルにした伝記小説。山頂に立つまでの苦しさと喜びが、ひとつひとつ丁寧に描かれている。本を開いた瞬間から、冷たい風が頬をかすめるような臨場感がある。
山に挑む姿勢は、どこか人生の縮図のようでもある。失敗したり、諦めかけたりしながら、それでも前に進む。その姿が胸に迫る。読みながら何度も息を呑んだ。特に、周囲から理解を得られず孤独に耐える場面は、胸がひりつくほど痛かった。
だがこの物語は、苦しいだけではない。頂への一歩一歩が、読者の心にも不思議な力を与えてくれる。自分の人生にも「登らなければ見えない景色」があるのだと気づかされる。
努力や挑戦が空回りしがちな人、夢の手前で立ち尽くしている人に読んでほしい。本を閉じる頃には、小さな勇気が指先に宿っている。
6. 啼かない鳥は空に溺れる (幻冬舎文庫)
夫の支配、逃れられない過去。重さのある題材なのに、唯川恵はその闇を静かに描く。過剰な演出がなく、淡々としているからこそ、読者の心に深く刺さる。ページをめくる手がいつのまにか遅くなる。暗闇に目が慣れていくような、奇妙な没入感がある。
主人公の恐怖と、そこから逃れようとする小さな抵抗。その一つひとつが痛いほどリアルだ。読みながら胸が締めつけられ、息を潜めてしまう瞬間が何度かあった。だが恐怖だけで終わらせないのが唯川恵の魅力だ。弱さの奥に潜む強さが、物語の底で微かに光っている。
ラストに近づくにつれ、読者は静かな祈りのような気持ちになる。この人がどうか救われてほしい、と。それはいつの間にか自分自身への祈りにも重なっていく。人は誰しも、逃れられない過去を抱えて生きているからだ。
人間関係に息苦しさを覚える人、誰かの言葉に傷つき続けてきた人に、この物語は深く寄り添ってくれる。暗いのに温かい、不思議な読後感がある。
7. 雨心中 (集英社文庫)
タイトルの「雨心中」という言葉がまず、胸にひっかかる。濡れそぼった街角、にじむネオン、傘越しに見上げる空。そうした映像が、ページを開く前から頭の中にあふれてくる。実際に読み始めると、そのイメージはあながち外れていない。物語全体が、どこか湿った空気のなかで進んでいく。
施設で育った男女の、共依存に近い関係性。普通の恋愛小説なら避けて通りそうなテーマを、唯川恵は真正面から描く。ふたりの関係はきれいごとでは説明できない。互いに傷つけ合い、ときに支え合い、離れようとしても離れられない。その危うさが、読んでいて怖いのに目を離せない。
個人的にぐっときたのは、「幸せになる権利」を自分に与えられない登場人物たちの姿だ。過去の境遇が、心に深い刻印を残している。その刻印が、目の前に差し出された幸せを怖がらせる。手を伸ばせば届きそうなのに、自分からひっこめてしまう。そんな瞬間が何度も出てきて、そのたびに胸がざわつく。
雨の描写も印象的だ。物語の節目には、決まって雨が降る。その雨が祝福なのか、呪いなのか、読み手によって感じ方が変わりそうだ。自分の中にある「濡れた記憶」を呼び起こされるようで、読みながらいつの間にか昔の恋を思い出していた。
この作品は、まっとうな恋愛に疲れたときに読むと危険なくらい心に刺さる。けれど一度刺さったら、たぶん忘れられない。綺麗なラブストーリーに飽きてしまった夜に、そっと開きたくなる一冊だ。
8. テティスの逆鱗 (文春文庫)
美容整形をテーマにした小説、と聞くと少し構えてしまうかもしれない。だが読み始めると、これは単に「整形の是非」を語る物語ではないとすぐにわかる。もっと根の深い、人間の「見られ方」への執着が、じわじわと浮き彫りになっていく。
鏡の前に立ったとき、ふっとよぎる「ここがもう少しこうだったら」。誰もが心のどこかに持っているささやかな願望。それが環境や人間関係によって増幅され、いつの間にか引き返せないところまで連れていかれてしまう。テティスの逆鱗とは、触れてはならない他人のコンプレックスであり、自分自身の痛点でもあるのだと思う。
唯川恵は、「美しさ」を単なるステータスとしては扱わない。美しくなることで手に入るものと同時に、失われていくものも描く。整形して理想に近づいたはずなのに、心の中の空洞は以前より深くなっている……そんな矛盾した感覚が、とてもリアルだ。
印象的だったのは、美容整形に否定的な人物も、実は別の形で見た目に囚われていること。誰もが自分だけは「外見にこだわらない」と思いたがるが、本当はそうではない。読んでいるうちに、自分自身の視線の冷たさや、無自覚な差別心に気づかされる。
きれいになりたい、と願ったことのあるすべての人に刺さる物語だと思う。読後、鏡を見るときのまなざしが、ほんの少しだけ優しくなるかもしれない。
9. ベター・ハーフ (集英社文庫)
「ベター・ハーフ」というタイトルが象徴的だ。「ベスト」ではなく「ベター」。夫婦という関係そのものに、ささやかな妥協と現実感覚が最初から織り込まれているようで、読んでいて苦笑したくなる。理想の相手なんて本当はいない。ただ、自分にとって「ましなほう」を選び続けていくしかない、という冷めた諦観と、そこに宿る小さな希望。
この作品は、不倫や離婚といったドラマティックな出来事を、過剰に煽ることなく描いていく。その分、一行一行が妙に身に迫る。登場人物たちは特別な“悪者”ではない。どこにでもいそうな夫であり妻であり恋人だ。だからこそ、ふとしたセリフが心に残る。
読んでいて印象に残ったのは、「誰かと生きることは、どこかで自分をあきらめることでもある」という感覚だ。そのあきらめを「我慢」と捉えるか、「分け合い」と捉えるかで、同じ結婚生活でも見える景色は変わる。物語のなかで揺れ動く登場人物たちは、まさにその狭間でもがいている。
夫婦のことを書くとき、作者の視線がどちらか一方に肩入れしすぎないのもいい。夫の愚かさも妻の身勝手さも、そのまま並べて置かれる。読者はそのあいだを行き来しながら、自分ならどうするかを考えさせられる。
結婚生活がなんとなく停滞していると感じるとき、この作品を読むと心がざわざわするかもしれない。でも、そのざわめきは悪いものではない。見ないふりをしていた本音に、そっと触れるきっかけになるからだ。
10. 100万回の言い訳 (新潮文庫)
タイトルからして、もう言い訳だらけの物語だとわかる。夫の浮気、妻の不満。表面上はどこにでもありそうな夫婦の危機だが、唯川恵はそこに至るまでの「小さなほころび」を丁寧に拾い上げていく。大事件の裏には、数え切れないほどの小さな見落としがある。その積み重ねが怖い。
読みながら、夫の側にも妻の側にも「わかる」と思う場面がいくつもあった。仕事の疲れを言い訳にコミュニケーションを放棄する夫。察してほしいと願いながら何も言わない妻。どちらも悪いし、どちらも完全には責められない。そのリアルさが、この本をただの不倫小説に終わらせない。
特に響いたのは、「言い訳」が実は自分を守るための最後の砦であるという描写だ。相手を責めているようでいて、本当は自分の弱さを直視したくないだけ。そんな場面がいくつも出てきて、読んでいて何度か目をそらしたくなった。
終盤に近づくと、「許す」「許さない」という二択の外側にある選択肢が見えてくる。完全な和解も完全な決裂もない、グレーなところでの折り合いのつけ方。現実の夫婦が選びがちなラインを、物語として見せてくれる。
パートナーとの関係にモヤモヤを抱えている人ほど、この本は痛い。でも、その痛みの向こうに、少しだけ広い視野が開ける。自分の言い訳と、そろそろ向き合ってみようかと思わせてくれる一冊だ。
11. 病む月 (集英社文庫)
タイトルに「病む」という言葉が入っている時点で、気軽な恋愛小説ではないとわかる。読んでみると、これは心の深いところに沈んだ「言えないこと」をめぐる物語だと感じた。女性たちが抱えているのは、単なるストレスや不満ではない。もっと名前をつけにくい、じくじくとした痛みだ。
月の描写が、この作品を不思議なトーンで包んでいる。満ち欠けしながら夜空に浮かぶ月は、彼女たちの心そのもののようだ。見上げる角度によって、その表情は違って見える。読む側の心持ちによっても、印象が変わる作品だと思う。
物語に出てくる女性たちは、強くもないし、特別に弱いわけでもない。仕事をして、家族と付き合い、恋をする。ごく普通の生活のなかで、じわじわと心を蝕まれていく。読んでいると、「自分もどこかでこうなっていたかもしれない」と冷たい汗がにじむ瞬間がある。
印象的なのは、「誰にも言えない」という孤立がいちばん人を追い詰めるという描写だ。相談できる相手がいるかどうか。その差が、物語の行き先を大きく変えていく。月の光は誰の上にも平等に降るのに、届いたあとでそれをどう受け止めるかはそれぞれなのだ。
精神的に少し疲れているときに読むのはおすすめしない。けれど、自分の心の状態をあらためて見つめ直したいときには、とてもいい鏡になる。夜更けにひとりで読みたい、静かな一冊だ。
12. とける、とろける (新潮文庫)
タイトルからして官能的だが、単なるエロティックな短編集ではない。女性の身体と心、そのあいだにある微妙な境界線を、唯川恵がじっと見つめている。理屈では説明できない衝動や、抗えない欲望。その瞬間の「とける」「とろける」感覚を、言葉でここまで掬いあげられるのかと驚いた。
いくつもの短編が収められていて、どれも「性愛」という共通のテーマを持ちながら、まったく違う読後感を残す。幸福感に包まれる話もあれば、背筋が少し寒くなるような結末を迎える話もある。欲望の行き着く先は、いつも快楽だけとは限らないという現実を、さりげなく突きつけてくる。
心に残ったのは、「これが正しい恋愛」「これが正しい sex」といった規範を、物語がまったく提示してこないところだ。登場人物たちはそれぞれ、自分の匂いと体温を抱えたまま、不格好な選択をしていく。その不格好さこそ、人間の魅力なのかもしれない。
自分自身の「欲望」にきちんと名前をつけられる人は、案外少ない。なんとなく恥ずかしくて、あるいは怖くて、目をそらしてしまう。この短編集を読むと、その目線を少しだけ戻される感覚がある。あなたは本当は何を望んでいるのか、と問われているようで、ドキッとする。
大人になってからこそ読みたい一冊だと思う。若い頃には気づけなかったニュアンスが、年齢を重ねるごとに見えてくる。読み返すたび、自分の変化も一緒に浮かび上がるタイプの本だ。
13. 瑠璃でもなく、玻璃でもなく (集英社文庫)
30代後半。若さを武器にできる年齢は過ぎたけれど、「老い」と呼ぶにはまだ早い。そんな宙ぶらりんな時期に立つ女性たちを描いた物語だ。瑠璃でもないし、玻璃でもない。どちらにもなりきれない、中間の質感。そのニュアンスがタイトルにきっちり収まっていて、まずそこにうなずいてしまう。
独身でいることを選ぶ人、家庭を持ちながらも満たされない人。誰かといるのに孤独な人。さまざまな女性たちの姿が描かれるが、共通しているのは「どの選択をしても、完全には満たされない」という感覚だ。読みながら、自分の周りの友人たちの顔が何人も浮かんだ。
唯川恵は、彼女たちを可哀想な存在としては描かない。むしろ、その中途半端さを生きる力として肯定しているように見える。完璧ではないからこそ、模索し続ける。模索し続けるからこそ、人生には厚みが出てくる。そんなメッセージが、物語の行間から静かに滲み出てくる。
個人的に好きだったのは、ふとした瞬間の描写だ。コンビニ帰りに夜風を吸い込む場面や、仕事帰りにスマホの画面を何度も確認する場面。大きな事件ではなく、そうした断片に「生きている感触」が宿っている。それがこの作品の魅力だと思う。
30代後半〜40代で、「このままでいいのか」と立ち止まりがちな人には、とても刺さるはずだ。逆に、20代のうちに読んでおくのもいい。未来の自分の姿を、少しだけ覗き見るような読書体験になる。
14. ため息の時間 (新潮文庫)
この短編集は珍しく「男性視点」。男性が主人公であるだけで、同じ恋愛の出来事でもトーンが全く違う。ページを読み進めるうちに、男たちの身勝手さ、弱さ、そして意外なほどの脆さが、少しずつ露わになっていく。表面的には余裕を見せているのに、心の奥では誰よりも迷っている。そんな瞬間が思いがけず愛おしい。
印象に残ったのは、「本音を言えない男たちの不器用さ」だ。好きなのに言えない。嫌いなのに離れられない。あるいは、なんとなく現状を変えたくない。女性側から見ればイライラするような態度でも、男性の内面では小さな葛藤が波打っている。この揺れが、どの短編にも共通していた。
唯川恵は男性を断罪しない。甘やかすわけでもない。ただ、弱さを弱さとして描く。その落ち着いた視線に、読みながら不意に胸が温かくなる瞬間があった。人間とは案外単純で、案外複雑なものだ。その両方を肯定しているような短編集だと思う。
恋愛に正解を求めてしまう人には、この本は少し肩の力を抜かせてくれる。相手はこういうふうに迷い、こういうふうに傷ついていたのかもしれない。そんな「想像力」が静かに育つ一冊だ。
15. 一瞬でいい (集英社文庫)
タイトルに込められた「ほんの一瞬でも救われたい」という切実さが、読んでいるあいだずっと胸にひっかかっていた。現代を生きる女性たちの、細やかな痛みや希望が静かに積み重なっていく。派手な事件は起きない。けれど、心に刻まれる瞬間が確かに存在している。
登場人物たちは、完璧ではない。むしろ不完全で、揺れていて、どこか弱さを抱えている。仕事がうまくいかないときの焦り、家族とうまくいかない苛立ち、恋愛の温度差に戸惑う夜。そのどれもが「よくわかる」と思うほど等身大だ。
この作品で感じたのは、「人は一瞬で変われるわけではない」という当たり前の事実だった。けれど、一瞬で救われることはある。誰かの言葉、街角で見た夕暮れ、ふと届いたメッセージ。そんな小さな出来事が、沈んでいた心をそっと浮かび上がらせる。
いまの生活が少し重たいと感じている人には、読むだけで呼吸が整うような一冊だ。静かで、優しい余韻が長く残る。
16. 夜明け前に会いたい (文春文庫)
許されない恋や、隠さなければならない関係。その「夜明け前」という時間帯が象徴しているのは、曖昧で、決着のつかない感情そのものだと思う。薄明るい空の色のように、はっきりしないのに心に残る恋の気配を、唯川恵は実に繊細に描いている。
印象的なのは、恋の幸福よりも「揺れ」のほうに重点が置かれているところだ。会いたいのに会えない。終わらせなければいけないのに終われない。その葛藤は、読者の心にまっすぐ刺さる。自分の過去の恋を思い出してしまう人も多いだろう。
登場人物たちは、決して大胆に動かない。むしろ、小さく揺れ続けている。その慎ましさが、この物語の美しさを生んでいる。恋は派手に燃え上がるだけではなく、静かにゆっくり燃え続けることもある。そう思わせてくれる一冊だ。
恋に白黒つけられない人、終わりと始まりの境目で立ち尽くしている人には、とても沁みるはずだ。夜更けに読むと、胸の奥で小さな灯りがともる。
17. 愛には少し足りない (集英社文庫)
「足りない」という言葉が静かに胸を締めつける。人が誰かに向ける愛情は、いつだって少し足りなくて、少し過剰だ。そのバランスがうまくいかないから、恋は苦しく、美しくなる。そんなテーマを丁寧に描いた作品だ。
この物語に登場する女性たちは、強そうに見えて本当は傷つきやすい。弱そうに見えて、本当は芯がある。どちらか一方ではなく、「どちらも持っている」という現実が、とてもリアルだった。人はときどき、自分の弱さを隠すために強がるし、強さを見せるために弱さを晒す。その混沌こそが“恋をする人間”なのだろう。
左胸の奥にある、小さな欠けた部分。その欠けがあるから、人は誰かを求める。完全じゃないから、恋をする。この作品を読み終える頃には、その不完全さがむしろ愛おしく思える。
満たされない気持ちを抱えている人には、とても優しい。読み終えたあと、「足りないままでいいのかもしれない」とふっと思える一冊だ。
18. ただそれだけの片想い 始まらない恋・終わらない恋 (集英社文庫)
片想いの切なさをここまで丁寧に扱ったエッセイは珍しい。小説のような語り口なのに、どこかリアルで、読んでいると「自分にもこんな夜があった」と静かに思い出す。始まらないまま終わった恋。告白できなかった片想い。名前すら思い出せない相手に抱いた感情。そのどれもが、この本のなかでやわらかく息をしている。
恋が成就しなくても、その時間は本物だった。そう言い切れるほど、大人は強くない。けれど、片想いの痛みを抱えたまま歩く女性たちの姿は、なぜか美しい。唯川恵の視線が、決してその痛みを否定しないからだ。
読みながら、ふと胸が熱くなった瞬間があった。片想いとは、相手のためだけに生まれた感情ではない。自分自身を知るための感情でもあるのだと気づかされたからだ。誰かを好きになるとき、人は自分の弱さや、思いがけない一面に出会う。片想いはその過程そのものだ。
恋に疲れてしまった夜、あるいは、どうしても忘れられない人がいるとき、この本を開くと静かに寄り添ってくれる。涙が落ちるまえの静けさのような、透明な一冊だ。
19. 永遠の途中 (光文社文庫)
タイトルにある「永遠の途中」という言葉が、この物語の核心をそのまま突いている。恋は永遠かもしれないし、永遠じゃないかもしれない。そのどちらにも決着をつけずに、“途中”のまま投げ出される瞬間が、人の胸をもっともざわつかせる。この作品は、まさにその“揺れの瞬間”を丁寧に描いた物語だ。
主人公は、過去の恋を上手に終わらせられないまま、次の恋に踏み込んでしまう。大人になっても、終わり方だけはうまくならない。心のどこかに残った「まだ終わっていない感情」が、どれほど長く人を縛るのか。読み進めるほど、それが痛いほどわかってくる。恋の「未練」というものは、ときに愛よりも強い。
唯川恵の筆は、そんな半端な感情を一切笑わない。むしろ、その不完全さこそ人生だと肯定する。誰かを忘れたふりをしても、心は勝手に覚えている。ただ、覚えたまま前に進んでいくこともできる。作中の静かなシーンの数々が、そのメッセージをそっと支えている。
個人的に胸に残ったのは、別れた相手を思い出すタイミングだ。雨の日、仕事で疲れた夜、何もない休日の午後。ふいに蘇る記憶は、いつだって突然で、いつだってやさしい。そのやさしさがまた痛い。まさに「永遠の途中」の感覚そのものだ。
過去の恋がまだ心のどこかに沈んでいる人には、この作品はよく効く。静かに心を撫でながら、「それでも生きておいていい」と言ってくれる大人の恋愛小説だ。
20. シングル・ブルー (集英社文庫)
「シングル・ブルー」というタイトルの青さが、この作品全体の雰囲気を端的に表している。恋愛小説を読みたいけれど、純粋なラブストーリーには入り込めないような夜。そんな気分にぴったり寄り添う一冊だ。
主人公はシングルであることに、誇りと不安の両方を抱えている。自由と孤独は表裏一体。誰にも縛られないことが嬉しいはずなのに、ふとした瞬間に胸がひんやりする。唯川恵はその感情の温度差を、淡々とした筆致で描いていく。この“温度の揺れ”こそが、作品の美しさだと思う。
読んでいて何度かハッとしたのは、「恋をしていない自分」をどう扱うかというテーマだった。恋をしていないと、どこか人生が停滞しているような気がしてしまう。でも本当は、恋が人生のすべてじゃない。この本の主人公は、それを痛いほど知っている。だからこそ、一歩踏み出すときの重さがリアルだ。
印象的な場面の多くは、誰かとの会話ではなく、主人公がひとりで過ごす時間だ。夜の部屋の静けさ、外に漏れる街灯の光、コーヒーの湯気。そうした小さな瞬間に、人生の輪郭がそっと浮かび上がる。恋愛小説なのに、恋そのものより“孤独との付き合い方”が深く描かれている。
いまの自分を肯定したい人、恋愛から少し距離を置きたい人には特にしみる。ブルーの色味がいつのまにか心地よくなる一冊だ。
まとめ
20冊を読み終える頃、唯川恵という作家の魅力が「恋愛小説家」という言葉だけでは括れないことに気づくはずだ。痛みと優しさ、孤独と再生、諦めと希望。そのどれもが、等身大の言葉で描かれていた。特別なドラマではなく、誰の中にもある小さなひび割れや、それでも続いていく日々の力強さ。唯川恵は、それらにそっと光を当ててくれる作家だ。
気分や状態に合わせて選ぶなら、このあたりが良いと思う。
- 恋に疲れた夜に:『恋に疲れて』『ただそれだけの片想い』
- 等身大の悩みに寄り添ってほしいとき:『燃えつきるまで』『一瞬でいい』
- 人生を新しく始めたいとき:『今夜、巣鴨で』『淳子のてっぺん』
- 濃い物語に浸りたいとき:『雨心中』『啼かない鳥は空に溺れる』
どれも読み終えると、肩の力が少し抜けて、世界の輪郭がやわらかく見えてくる。そんな静かな読書時間を、この21冊の中から見つけてもらえたらうれしい。
関連グッズ・サービス
唯川恵の物語は、夜更けにひとりで読みたくなる空気がある。静かな部屋で、ページをめくる音だけが響く時間。その贅沢をさらに深く味わうために、読書の習慣を広げてくれるサービスを紹介しておきたい。
● Kindle端末 × 文庫読書の相性は抜群
恋愛小説は、読み返したくなる一文が突然現れる。Kindleなら、その瞬間を逃さずにハイライトできる。紙の文庫と比べても軽く、夜のベッドで読むにはちょうどいい。忙しい日々でも、通勤やすき間時間に読み進められるのがありがたい。 Kindle Unlimited に登録しておくと、関連作品や同ジャンルが自然に広がるのも魅力だ。
● Audibleで“声”として聞く
恋の痛みや、心の揺れは、声で聞くとまた違う深さを帯びる。Audibleは散歩や家事の時間に相性がよく、画面を見なくても物語の温度が伝わるのが嬉しい。抑えた語り口の作品ほど、耳でじわじわ沁みる。 Audible の無料体験で雰囲気をつかむのがおすすめだ。
● 夜読書に欠かせない“低色温度ライト”
唯川作品は夜が似合う。温かい色のライトをひとつ置くだけで、部屋の空気が静まり、集中してページに没入できる。真っ白な照明だと気持ちがそわそわしてしまうが、アンバー系のライトは心を落ち着かせてくれる。物語の余韻が長く残るのは、こうした小さな工夫のおかげかもしれない。
夜に読む唯川恵は、とくに沁みる。読書場所を整えるだけで、物語の深さが一段変わるので、ぜひ試してほしい。
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