食について書かれた小説やエッセイは数々あります。近年ではグルメブームを反映してか、その数はさらに増して読者としてはどれを選んでいいのか迷ってしまうほどです。
ここでは文章の達人として定評のある作家の食べた(読んだ)後にまた食べたいと思えるような作品を取り上げてみました。
「小僧の神様」
「小僧の神様」は小説の神様と呼ばれた志賀直哉の代表的な短編小説。
主人公の仙吉は秤屋の丁稚として奉公しているが給金は少なく懐はいつもさびしい。ある日番頭たちが話している秋の旬である鮪が無性に食べたくなって屋台の鮨屋に行くが値段を聞いて諦めて出ていきます。それを見ていたのがAという男で、後で偶然に買い物に出かけた秤屋で仙吉を見かけ、鮨屋に誘い出す・・・。
この小説では鮨の味についてあれこれは述べてませんが、屋台の鮨屋で握られる「脂で黄がかった鮪の鮨」という描写だけで食べてみたいと思わせる、そんな小説になっています。
「とんかつ」
食べ物の名前がタイトルになっているのが三浦哲郎の「とんかつ」。井伏鱒二に師事し、多くの味わい深い短編を発表した作家です。
北陸の城下町にある宿屋に二人連れの母子が訪れます。みすぼらしい身なりから心中ではないかと宿の女中たちは噂しますが、床屋で剃髪した息子を見て寺へ修行に行くのだと分かります。ならばと女主人は息子の好物だというとんかつに腕を振舞います。
一年後再び母が一人で宿を訪れます。息子が寺の屋根から落ちてケガをし見舞いに来たのだが、息子がこの宿で待っていてくれと指示を出したからです。やって来た息子は一年前と比べて顔からは幼さが消え見違えるような凛とした僧になっていました。調理場から漂ってくる好物の匂いに気づくと目を細め、お辞儀をすると黙って母の待つ二階にゆっくりと昇っていきました。
子供を心配する母心、それに応えようと厳しい修行に励む息子、二人を見守る女主人の心意気・・・ここでのとんかつには様々な思いが込められているようです。
「最後の晩餐」
古今東西の食べ物に関しての知識、ウンチク、実践においてこの作家の右に出る者はいないと言われるのが開高健。開高の著作には食べ物の描写が多く出てきますが、その集大成的な本が「最後の晩餐」という随筆集です。
食や味という抽象的なもの、食を取り巻く文化や文明、歴史上の逸話、自身の経験談を交え、豊富な語彙と多彩なレトリック、畳みかけるような文体で表現しようと挑みます。著者が常々引用する「食いものと女が書ければ一人前」という言葉を実践した一冊となっています。