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【芦沢央おすすめ本14選】日常が音もなく崩れる瞬間を描くミステリー&ホラー・代表作特集

日常の小さな違和感が、ある瞬間を境に一気に崩れていく。その「境界線」を描かせたら、芦沢央ほど容赦がない作家はそう多くない。ホラー、ミステリ、家族小説…どんなジャンルでも、最後に残るのは人間の心のひずみと、その先にあるかもしれない救いだ。ここでは、そんな芦沢作品の中から、今から読み始める人にも、すでに何冊か読んでいる人にも薦められる代表作を厳選して紹介していく。

 

 

芦沢央とは?

1984年東京都生まれ。2012年、『罪の余白』で第3回野性時代フロンティア文学賞を受賞してデビューした作家だ。同作はのちに映画化もされ、「罰せられない罪」をどう裁くのかという重い問いを、心理サスペンスとして読ませる一冊になっている。以降、『火のないところに煙は』で静岡書店大賞を受賞し、本屋大賞や山本周五郎賞、直木賞、吉川英治文学新人賞など、主要な文学賞の候補に名前が挙がり続けている。

特徴的なのは、ジャンルを横断しても一貫して「人が罪を犯してしまう瞬間」や、その周りにいる人たちの感情を描き続けていることだ。怪談風ホラーでも、将棋小説でも、母親たちのドラマでも、最後に胸を刺してくるのは「自分だって同じことをしてしまうかもしれない」というぞっとする共感である。本人も、自著解説の中で短編への強い愛着や、「夢に食い潰されること」への恐怖などを語っていて、その意識が作品の奥行きを支えている。

もうひとつの柱が、「女の友情」「母と子」「仕事の現場」といった生活に密着したテーマだ。小学校や塾、テレビ局、助産院、将棋の奨励会、終活写真館など、具体的な場を掘り下げることで、読者自身の生活と地続きの物語として迫ってくる。だからこそ、どの作品を読んでも「完全な悪人」はほとんど登場しない。少しずつ間違えていく、少しずつ追い詰められていく、そんな人物たちの心の動きが、怖さと同じくらい愛おしくも感じられるはずだ。

なお、似たテーマの警察小説として知られる『罪の轍』は奥田英朗の作品であり、芦沢央の著作ではない。本記事では混同を避けるため、芦沢名義で刊行されている代表作のみを取り上げる。

芦沢央おすすめ本ラインナップ・読み方ガイド

芦沢作品は、どの一冊から読んでも楽しめるが、「どこから入るか」でかなり読後感が変わる作家でもある。ざっくりとした入り口を用意しておく。

ここから先は、作品ごとにネタバレを避けつつ、読みどころと「どんな気持ちで読み進めるとおいしいか」を、できるだけ具体的な読書体験として書いていく。

芦沢央おすすめ本14選

1. 火のないところに煙は

神楽坂を舞台にした六つの怪談が、ゆっくりと一本の線で結ばれていく実話怪談風ミステリだ。作中には「芦沢央」という作家自身が登場し、彼女のもとに持ち込まれた奇妙な体験談が、短編として綴られていく。商店街の掲示板の染み、引っ越し先の部屋に残る気配、SNSに現れた謎のツイート……どれも、少し注意を払えば誰の生活にも紛れ込んでいそうな「小さな怪異」から始まるのが怖い。

読み進めていていちばん驚かされるのは、「どこまでが現実で、どこからが作り話なのか」が最後まで揺さぶられ続けることだろう。実在する出版社サイトやツイートがそのまま作中に組み込まれていて、読者はページを閉じても、ふとスマホを見たときに「あの話、ほんとうにあったのでは」と背筋が冷える。作者自身も、編集者や印刷所の人たちから「この本には関わりたくない」と言われたエピソードを明かしており、書き手も読み手も巻き込んだ一種の実験小説になっている。

ホラーとしての怖さだけでなく、短編それぞれの「人間ドラマ」が予想以上に重いのも印象に残る。誰かの妄想で片づけるにはあまりにも切実な感情、過去の罪悪感や後悔が、怪異の形を借りてにじみ出てくる。自分にとっての「染み」はなんだろう、と考えさせられる瞬間が何度もあった。怖いもの見たさで読み始めたのに、気づけば登場人物の人生の重さを抱えてしまっている。そんな二重の読後感が、この本を特別なものにしていると思う。

ホラーは苦手だけれど、日常から少しだけズレた世界を覗いてみたい人には最適な入口だ。逆に、がっつりスプラッタや怪異そのものの謎解きを期待していると、「静かすぎる」と感じるかもしれない。ページを閉じたあと、夜道や玄関の掲示板を見るときの視線が、少しだけ変わる。それを楽しめる人に、ぜひ手に取ってほしい一冊だ。

2. 悪いものが、来ませんように

助産院を舞台にした長編心理サスペンス。妊娠と出産、そして「母になること」をめぐる切実な願いが、恐ろしいほど拗れていく物語だ。著者自身が「デビュー前から絶対に書きたいと思っていた話」と語るだけあって、二人の女性の感情がとにかく濃く、痛いほど鮮やかに描かれている。

作中で起きる出来事だけを取り出してしまえば、「そんな極端なことある?」と言いたくなるかもしれない。でも、ページをめくるごとに、彼女たちの心の中に蓄積してきた小さな棘の数が、こちらにも伝わってくる。その結果としての「選択」だと思うと、簡単に断罪できない。嫉妬、罪悪感、劣等感、承認欲求…どれも、妊娠・出産の有無に関わらず、誰もが少しは抱えたことのある感情だ。

個人的に一番刺さったのは、「善意」と「呪い」の境界線がほとんど見えなくなる瞬間だ。相手を思ってしたことが、相手の人生を縛ってしまう。自分が「ちゃんとした母親」でありたいと願うほど、他人の母性に厳しくなってしまう。読みながら、自分の中にも似た感情が眠っていると気づいて、何度か本を閉じたくなった。

出産や子育て中の読者には、正直かなりヘビーな内容だと思う。そのぶん、普段は見ないふりをしているモヤモヤを言語化してくれる面もある。重いテーマに真正面から向き合う覚悟があるときに読んでほしいし、読後に誰かと感想を語り合いたくなる本でもある。

3. 夜の道標

夜の道標 (中公文庫)

夜の道標 (中公文庫)

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1998年の横浜の学習塾を舞台にした、作家生活10周年記念の長編ミステリ。元教え子が殺害され、犯人とされる青年と、彼を匿う塾講師の少年時代が交錯しながら、読者は「何が正しいのか」「誰を信じるのか」を何度も問い直される。出版社の特設サイトでも、作家自身が「今どうしても書かずにいられなかった物語」と語っているように、倫理観がアップデートされ続ける現代で「長く残る小説を書く」ことへの怖さそのものを作品に閉じ込めた一冊だ。

この小説のすごさは、塾という閉じた空間に、家庭・学校・メディア・世間の視線が何層にも重なっていく構造にある。先生は生徒を守るべきなのか、それとも社会に差し出すべきなのか。被害者の遺族と加害者の家族、どちらの未来を優先すべきなのか。読み進めるほど、簡単な正解がどこにもないことだけが、はっきりしてくる。

1998年という時代設定も効いている。今なら問題視されるであろう喫煙やいじめの描写、テレビ番組の空気感などが、当時の「普通」として積み重ねられていく。そこに覚える違和感は、そのまま現在の私たち自身への違和感でもある。作者は「その違和感を積み上げることが、この作品には必要だった」と語っているが、読み終えると、その意味がずしりと腑に落ちる。

読後感は決して軽くない。それでも、誰かにとっての「夜の道標」になり得る物語だと思う。教育現場に関わる人はもちろん、「誰かを守る」立場にいる読者には、痛いほど身につまされる一冊になるはずだ。

4. 汚れた手をそこで拭かない

宝くじの高額当選者、仕事のミスを隠そうとする会社員、隣人の死に責任を感じる住人、映画撮影後に主演俳優の薬物使用を知らされる監督、元恋人から脅迫される女性…。五つの日常が、少しずつ「悪い方向」に転がっていく短編集だ。直木賞や吉川英治文学新人賞の候補ともなり、日本推理作家協会賞短編部門にも作品がノミネートされている。

どの話にも共通しているのは、「ちょっとしたズル」「ちょっとした見栄」が致命的な破綻につながってしまう点だ。誰かにバレなければいい、自分だけの問題だから、と軽く考えていた行為が、気づけば自分自身を追い詰めている。そのプロセスがあまりにもリアルで、読んでいるあいだずっと胃がきゅっと縮こまる。

作者は「イヤミスと言われれば否定できないが、自分が怖いと思うものを見つめた結果こうなった」と語っている。お金への執着、自分を肯定したい欲望、「怒られたくない」気持ち…どれも、誰か一人の異常さではなく、普遍的な感情だ。それが少し条件を変えて組み合わさるだけで、ここまで恐ろしい物語になるのかと、何度も背筋が冷たくなった。

短編なので、一話ごとに区切って読むこともできるが、通しで読むと「自分は大丈夫」とはとても言えなくなる。仕事やお金のストレスを抱えているときに読むと、精神的ダメージは大きい。とはいえ、その痛みの中に「ここで踏みとどまらなければ」という小さなブレーキが芽生えるのも事実で、ある意味とても実用的なイヤミス集でもあると思う。

5. 神の悪手

将棋の奨励会と、その周辺に集う人々を描いた連作短編集。26歳までに四段になれなければプロの道が断たれる――そんな過酷なルールに魅せられた著者が、夢と執着と孤独を盤上に投影した作品だ。将棋ペンクラブ大賞文芸部門の優秀賞も受賞している。

将棋の専門知識がなくても読めるように書かれているが、対局の最中に漂う空気や、「一手」をめぐる葛藤の描写は圧巻だ。勝ち負けだけでなく、「負けたあとにどう立ち上がるか」「そもそも、なぜそこまで勝ちにこだわるのか」といった問いが、さまざまな登場人物の口から、行動から、にじみ出てくる。

印象深いのは、将棋そのものよりも、「夢を追い続けることの残酷さ」を真正面から描いている点だ。才能がある人も、ない人も、勝者も敗者も、同じ盤の上に座らされる。その中で、誰かの「悪手」は、別の誰かにとっての「神の一手」になってしまうことがある。人生そのものが盤上のように思えてきて、読み終えたあと、自分のこれまでの選択をつい振り返ってしまった。

将棋ファンはもちろん、夢を追い続けてきた人、あるいは夢を諦めた経験のある人にこそ刺さる一冊だと思う。勝負の世界の話が、いつのまにか自分の仕事や人間関係の話にすり替わっている。そんな読書体験をさせてくれる。

6. 許されようとは思いません

「人が罪を犯してしまう瞬間」をテーマにした独立短編集。表題作を含む六編が収められており、日本推理作家協会賞短編部門や吉川英治文学新人賞の候補にもなった、芦沢央の短編技術がぎゅっと詰まった一冊だ。

面白いのは、どの話も「極悪人」の犯罪ではないことだ。ちょっとした油断、見栄、嫉妬、善意のすれ違い…そのどれかが決定的なきっかけになる。気づいたときにはもう取り返しがつかず、「許されようとは思いません」と言うしかないところまで来てしまっている。犯人側だけでなく、被害者側も完全な被害者とは言い切れないケースもあり、「誰が悪いのか」という問いがじわじわと曖昧になる。

作者は、この短編集を「当時、自分がミステリ短編でやってみたいことをすべて詰め込んだ」と振り返っている。ストーリー構造のひねり方、視点の選び方、読者の先入観を利用するタイミングなど、読み返すたびに「ここにこんな仕掛けがあったのか」と気づかされる。

短編ミステリ好きには間違いなくおすすめだし、「芦沢央ってどんな作家?」という人が作風をつかむ入口としても最適だと思う。一話ごとに読後感が違うので、その日の気分に合わせて少しずつ読み進めてもいいし、一気読みして人間の「罪」のバリエーションに打ちのめされるのも一興だ。

7. カインは言わなかった

バレエ団を舞台に、芸術監督へのパワハラ疑惑や、過去のカルト教団事件などが交錯していく長編サスペンス。著者自身が「書き上げたあともしばらくこの世界から抜け出せなかった」「今も特別な一冊」と語るほど、精神的にしんどい作品だ。

この物語を貫くテーマは、「認められたい」という欲望と、それが人をどこまで狂わせるかだ。才能がある人も、ない人も、「表現者でありたい」という気持ちは同じなのに、その重さのかけ方や方向がほんの少しずれるだけで、互いを傷つけ合う関係になってしまう。成功している側もまた、自分の中の「カイン性」を恐れているのがわかって、どの立場にも感情移入せざるを得ない。

読んでいて苦しいのは、誰もが「大義名分」を持っていることだ。芸術のため、団のため、仲間のため、被害者のため…。そのどれもが完全に間違っているとは言い切れないからこそ、「じゃあ、どこで踏みとどまるべきだったのか」という問いだけが残る。物語自体はフィクションだが、現実のエンタメ業界や職場のニュースを思い出してしまう人も多いだろう。

重いテーマに真正面から向き合う覚悟のあるときに、できれば時間と心の余裕を確保して読みたい一冊だ。読み終えたあと、自分が誰かを傷つけずに表現したり、働いたりするために何ができるのか、静かに考え込んでしまった。

8. 僕の神さま

小学生たちが主人公の連作ミステリ。クラスの「神さま」のような存在の少年と、彼に心酔していく語り手との一年間が、春夏秋冬のエピソードとして描かれる。ホームズとワトソンの関係を下敷きにしたような構図で、最初は微笑ましく読み進めていたのに、だんだんと空気が変わっていくのがこの本の怖さだ。

学校を舞台にしたミステリというと、いじめや事件の真相に焦点が当たりがちだが、この作品では「子どもたちが自分の居場所を選べない」という切実さが、じわじわと効いてくる。神さまのように見える少年も、完全な支配者ではなく、どこか必死に自分の位置を守ろうとしている。その姿が、読者自身の子ども時代の記憶を刺激する。

帯には「第一話で読むのをやめればよかった、と後悔するかもしれない」というコピーがあるが、実際には二話目、三話目と進むごとに、「もう少しだけ見届けたい」という気持ちが勝ってしまう。最後の「春休みの答え合わせ」に至るまでの積み重ねが、静かな絶望と、それでも確かに存在する希望の両方を見せてくれる。

子ども視点の物語が好きな人にはもちろん、「自分の子ども時代を振り返るのはちょっと怖い」と感じる大人にも読んでほしい。小学生向けに見えて、思い切り大人の心をえぐってくる小説だ。

9. 今だけのあの子

五編から成る連作短編集。届かない招待状、帰らない理由、答えない子ども、願わない少女、正しくない言葉…タイトルだけで、すでに胸がざわつく。テーマは「ライフステージの変化とともに形を変える女の友情」。作者は、自著解説の中で「期間限定でも脆くても、その時々でその子がいたからこそ踏ん張れたならそれで充分だと思う」と語っている。

学生時代の友人、ママ友、職場の同僚…女性同士の関係は、親密さと息苦しさが常に紙一重だ。その微妙な空気を、芦沢央は驚くほど正確に掬い取る。表面上はにこやかな会話なのに、心の中では「この距離を保ちたい」「でも嫌われたくない」と、何重もの計算が渦巻いている。読んでいて、思わず自分の過去の人間関係を思い起こしてしまう瞬間が何度もあった。

連作として読むと、登場人物たちの「選ばなかった選択肢」が透けて見えてくるのも面白い。ある話で脇役だった人物が、別の話では主役として描かれ、そこにはまた別の事情や本音がある。人間関係の「見え方」がこんなにも違うのか、と改めて思い知らされる。

芦沢作品の中でも、「これが一番好き」という声が多いというのも頷ける一冊だ。イヤミス成分はありつつも、必ずしも読後感が真っ暗ではない。自分の過去の友情を、少し優しい目で振り返りたくなった。

10. いつかの人質

少女が二度誘拐される――。それだけでも重い設定だが、この長編は単なる誘拐ミステリにとどまらない。「夢に食い潰されること」への恐怖を、執拗なまでに描き切った物語だ。作者は、第一稿800枚、第二稿600枚が全ボツになり、最終的に2000枚ほど書き直したと語っていて、その格闘の痕跡が一行一行に刻まれている。

なぜ少女は再び誘拐されてしまったのか。誰が何のために、彼女を「人質」にしているのか。読み進めるにつれ、「人質」という言葉の意味が変化していくのが、この作品の醍醐味だ。物理的に囚われることだけが人質ではない。夢や期待、家族の愛情、世間のまなざし…それらがいつのまにか鎖になっていくさまが、本当に苦しい。

ページをめくる手が止まらなくなるタイプの物語だが、読後にはどっと疲れが押し寄せる。だがその疲労感は、「自分もどこかで誰かを人質にしていないか」「自分自身が何かの人質になっていないか」と考えるきっかけにもなる。タイトルが誰のことなのか、読み終えてから考え続けてしまう一冊だ。

11. バック・ステージ

ある舞台公演の「同じ日・同じ街」で起こる出来事を描いた連作短編集。息子の親友、始まるまで、あと五分、舞台裏の覚悟、千賀稚子にはかなわない――それぞれの短編は別々の人々の物語として始まるが、単行本化の際に書き下ろされた序幕・幕間・終幕によって、一本の大きな物語として立ち上がる構成になっている。

この本の魅力は、「華やかなステージの裏で、どれだけの人がそれぞれの葛藤を抱えているか」を可視化してくれるところだ。息子の嘘に悩む母親、公演直前に届いた脅迫状に怯えるスタッフ、パワハラ上司に立ち向かう部下…。どの話も単体で十分に読み応えがあるが、「同じ日」という目に見えない糸でゆるやかにつながっていることに気づくと、世界の立体感が増していく。

重いテーマも扱っているのに、読後感は意外なほど悪くない。作者自身も「重い話や暗い話が苦手な方にも安心して読めるはず」と言っているように、人間の弱さやズルさが描かれつつも、最後にはどこか温度のある結末が待っている。

暗いイヤミスはちょっと…という人が、芦沢作品の「人間を見る目」に触れるには、とても良い入口だと思う。舞台や演劇が好きな人には、スタッフワークの描写なども含めて、たまらない一冊になるはずだ。

12. 貘の耳たぶ

新生児の取り違え事件を描いた長篇。ある日、産院で自分の赤ん坊と他人の子が取り違えられていたことに気づきながらも、言い出せずに四年間育て続けてしまった母親と、突然「今日からあなたの子ではない」と告げられる母親。二人の視点から、「母であること」とは何かを徹底的に問い詰める物語だ。第6回新井賞も受賞している。

読みながら何度も、「自分だったらどうするだろう」と考え込んでしまった。産まれたときから育ててきた子は、血のつながりがなくても「自分の子」だと感じてしまう一方で、血を分けた本当の子どもを思うと、黙っていることは裏切りのようにも思える。その板挟みの中で揺れ続ける母親たちが、あまりにもリアルで、安易な答えなどとても出せない。

作品全体を通して描かれるのは、「母親たちを追い詰め、分断するものは何か」という問いだ。経済格差、家庭環境、周囲の目、SNSの評判…さまざまな要素が複雑に絡まり、誰もが「正しい選択」をしたつもりで、どこかで取り返しのつかないことをしてしまう。その過程が丁寧に積み上げられていくので、読者もまた「いつのまにか当事者の一人」になっている感覚を覚える。

母性や家族を扱った物語が好きな人にはもちろん、家族という制度そのものに違和感を持っている人にも刺さる本だと思う。重いテーマだが、読んでよかったと心から感じた。

13. 雨利終活写真館

遺影専門の写真館「雨利終活写真館」を舞台に、そこで撮影を依頼する人々の人生と秘密を描いたお仕事ミステリ。きっかけは「その人らしい遺影を撮るためにカウンセリングをしている写真家」のドキュメンタリーを見たことだったと、著者自身が語っている。

「終活」という言葉が広まった現代で、「自分の最後の一枚」を撮りにくる人たちの物語は、それぞれが小さなミステリになっている。なぜ今このタイミングで遺影を撮るのか。なぜこの服、この表情、この小物なのか。カメラの前では語られない本音が、少しずつ露わになっていく過程に、胸が詰まる。

現在は紙の単行本のみで、電子書籍化もされておらず、手に入りにくい作品だと作者自身が触れている。それだけに、古本屋で見つけたときの喜びはひとしおだった。終活という重いテーマを扱いながらも、最後には不思議と温かい気持ちが残る。「自分の遺影を撮るとしたら、どんな一枚にしたいか」とふと考えてしまう、静かな余韻のある本だ。

14. 魂婚心中

魂婚心中

魂婚心中

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タイトルにある「魂婚(こんこん)」は、亡くなった人とこの世の人を結びつける「冥婚」を指す言葉だ。そんな因習や呪いに囚われた人々を描いたホラー短編集である。地方に伝わる奇妙な風習、家に伝わる禁忌、SNS時代に形を変えて続く呪い…。異なる時代・場所の物語が並びながら、「見えないものに人が支配されてしまう怖さ」という一本の筋でつながっている。

他の芦沢作品と同様、この本でも「真に怖いのは怪異そのものではなく、人間の心だ」という姿勢は一貫している。亡き人への思いを何とか形にしようとして、結果的に生者を苦しめてしまう儀式。家族を守るために選んだはずの行動が、子や孫の人生を縛ってしまう呪いになる。ページをめくるたびに、ぞっとすると同時に、どこか切なさも込み上げてくる。

ホラー色は『火のないところに煙は』よりもやや強めで、ビジュアルに怖いシーンも少なくない。だが、そこにあるのは単なる怪談ではなく、「どうして人は理不尽なルールに縛られ続けてしまうのか」という問いだ。日常の中の小さな迷信や、「なんとなく続いている習慣」を思い出しながら読むと、背筋が冷たくなる。

怪談好きはもちろん、「人間関係そのものが呪いにも祈りにもなり得る」という視点に興味がある人におすすめしたい一冊だ。

関連グッズ・サービス

本を読んだ後の学びを生活に根づかせるには、生活に取り入れやすいツールやサービスを組み合わせると効果が高まる。

Kindle Unlimited

芦沢作品のようにページ数が多い長編や短編集をまとめて読みたいなら、電子書籍の読み放題サービスはかなり相性がいい。夜中に「もう一話だけ」と思ったとき、すぐ次の本に手を伸ばせるのが危険であり、最高だ。

Audible

通勤時間や家事の合間に、ミステリやホラーを耳で楽しむと、日常の風景が少し違って見える。暗めの物語ほど、声優やナレーターの演技が効いてきて、作品の怖さや切なさが増す感覚がある。

Kindle端末

紙で揃えたい気持ちもありつつ、イヤミスやホラーは「読み返したいかどうか」が難しいジャンルでもある。まずは電子で試して、手元に残しておきたい一冊だけ紙で買う、という読み方にもKindle端末は向いている。暗い部屋でバックライトを落として読むと、『火のないところに煙は』の怖さが倍増するのは体験済みだ。

あったかルームウェア・ルームソックス

冬の夜に重いミステリを読むとき、体温が下がるほど物語に入り込んでしまうことがある。厚手のルームソックスや、もこもこのルームウェアを一着決めておくと、「この服を着たら読書モード」というスイッチにもなってくれる。

コーヒー豆・ハーブティー

一気読みしたい長編には、カフェイン入りのコーヒー。『夜の道標』のようなヘビーな作品のあとは、カモミールなどのハーブティーでクールダウン。飲み物を変えるだけでも、読書のリズムがずいぶん整うと感じている。

 

 

 

 

 

 

まとめ

芦沢央の作品をまとめて振り返ると、「人はどこまで他人を理解できるのか」「自分の中のどんな感情が、誰かを傷つけてしまうのか」という問いが、ずっと背中に付きまとってくる。怪談風の一冊を読んでいるつもりが、いつのまにか自分の人生の話を読んでいるような気分になる。その不思議な感覚こそが、芦沢作品の中毒性なのだと思う。

気分で選ぶなら、『火のないところに煙は』の静かな怖さから入るのが楽しい。じっくり読み込みたいなら、『夜の道標』や『いつかの人質』のような長編で、人物たちの人生に深く入り込んでほしい。短時間で鋭い一撃を味わいたい日には、『許されようとは思いません』や『汚れた手をそこで拭かない』がぴったりだ。

  • 気分で選ぶなら:『火のないところに煙は』
  • じっくり浸かりたいなら:『夜の道標』『いつかの人質』
  • 短時間で読みたいなら:『許されようとは思いません』『汚れた手をそこで拭かない』

どの本も、読み終えたあとすぐ次の作品を探したくなるはずだ。少し心に余裕がある夜に、一冊目を開いてみてほしい。そこで見つかる「自分の中の影」は、きっとこれからの読書を少しだけ豊かにしてくれる。

FAQ

Q. 芦沢央を初めて読むなら、どの一冊から入るのがおすすめ?

ホラー寄りの雰囲気が平気なら、『火のないところに煙は』がいちばんバランスがいい。短編集なので一話ごとに区切って読めるし、「怖さ」と「人間ドラマ」の両方を味わえる。一方、長編でがっつり物語に浸かりたいなら、『夜の道標』か『貘の耳たぶ』が、読みごたえとテーマの深さの両方を満たしてくれると思う。

Q. イヤミスが苦手だけど、芦沢作品は楽しめる?

作品によって「痛さ」のレベルがかなり違うので、選び方さえ気をつければ楽しめる。重さを避けたいなら、まず『バック・ステージ』から入るのが安心だ。重いテーマは扱いつつも、読後感は比較的明るい。一方で、『悪いものが、来ませんように』『いつかの人質』『貘の耳たぶ』などは、内容がかなりヘビーなので、気分が落ち込んでいるときには控えたほうがいいかもしれない。

Q. 電子書籍や音声で楽しめる作品はある?

多くの作品は電子書籍版が出ていて、最近はオーディオブック化されているタイトルも増えてきた。紙で揃えるのが難しい場合は、まず電子で読み始めて、特にお気に入りの一冊だけ紙で購入するというスタイルもありだと思う。耳で聴くと、登場人物の息遣いや間の取り方が際立って、紙で読んだときとは違う怖さ・切なさが立ち上がってくる。

Q. 芦沢央の他に、似た雰囲気の作家は?

日常のひずみから崩壊までを描くイヤミスとしては、湊かなえや真梨幸子などがよく挙げられるが、ホラー寄りの静かな怖さという意味では、小野不由美『残穢』や三津田信三の怪談系作品とも相性がいい。とはいえ、芦沢央は「母と子」「女の友情」「仕事現場」といった生活密着のテーマが強いので、そのあたりに惹かれたら、この記事で挙げた他の作品を横断的に読んでみるのがいちばん近道だ。

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