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【町田そのこおすすめ本】代表作『52ヘルツのクジラたち』『宙ごはん』『うつくしが丘の不幸の家』から読む、心ふるえる物語たち

誰にも届かないと思っていた心の声が、ふいに誰かに拾われる。その瞬間を描くのがうまい作家がいる。町田そのこの小説には、家族にも社会にも見放されたつもりでいた人たちが、別の孤独と出会うことで、かすかな光を見つける物語が多い。極端な悪人も、完全な聖人も出てこない。ただ、少し傷ついて不器用な人間たちが、それでも生きていこうとする。その息づかいが、ページの向こうからじわじわと伝わってくる。

ここでは、本屋大賞受賞作『52ヘルツのクジラたち』を入口にしつつ、短編集から連作、ちょっと不穏なファンタジーまで、町田そのこの世界を味わえる本をまとめて紹介する。どれも、読後に自分の生活を少しだけ優しく扱いたくなる一冊だ。

 

 

町田そのこについて

町田そのこは1980年生まれ、福岡県在住の小説家だ。2016年、「女による女のためのR-18文学賞」で大賞を受賞した「カメルーンの青い魚」でデビューし、その後同作を含む短編集『夜空に泳ぐチョコレートグラミー』を刊行した。

デビュー間もない頃から、選考委員の三浦しをん・辻村深月にその仕掛けや人物造形を高く評価され、読者の間でも「痛みを抱えた人を描くのがうまい作家」として注目されてきた。2021年には初の長編『52ヘルツのクジラたち』で本屋大賞を受賞し、一気に名前が広がる。

作品世界の中心にあるのは、家庭の中の暴力やネグレクト、貧困、介護、孤独死といった、どこかで現代日本と地続きの痛みだ。ただし、そこで描かれるのは「悲惨な現実」そのものではない。そこに差し出される小さな手、うまくいかないけれど続いていく生活、思いがけない再会や食卓のぬくもり。暗闇の中にあるごく弱い光を、決して見落とさない視線がある。

『ぎょらん』『コンビニ兄弟』シリーズ、『あなたはここにいなくとも』『蛍たちの祈り』『彼女たちは楽園で遊ぶ』など、受賞作以外にも読者に長く愛されているタイトルが多いのも特徴だ。

どの本から読む?ざっくり読み方ガイド

作品数が多くて迷うなら、先に読み方の目安を持っておくと選びやすい。ざっくりとした入り口はこんな感じになる。

ここからは一冊ずつ、物語の背景と読みどころを、なるべく読後の手触りも含めて紹介していく。


おすすめ本リスト

1. 52ヘルツのクジラたち

『52ヘルツのクジラたち』は、町田そのこの名を一気に広めた本屋大賞受賞作であり、孤独を抱えて生きてきた人への祈りのような長編だ。タイトルにある52ヘルツのクジラとは、ほかのクジラには届かない周波数で鳴くため、「世界でいちばん孤独なクジラ」と呼ばれる実在のクジラに由来する。

物語の中心にいるのは、家族に搾取され続けてきた女性・貴瑚と、母親から虐待され「ムシ」と呼ばれていた少年。ふたりとも、誰かに助けを求めることすら諦めてしまった人間だ。そんな彼らがひょんなきっかけで出会い、「自分は世界にいていいのか」という問いを一緒に抱き直していく。

印象的なのは、暴力やトラウマの描写が決して直接的なグロテスクさに寄らないことだ。むしろ静かで淡々としている。その静けさの中で、貴瑚が少年のために小さな行動を積み重ねていく様子、近所の人々との関わり、過去に彼女を救おうとした人の記憶などが交錯し、読み進めるほど胸の奥をじわじわ締めつけてくる。

読んでいるあいだ、何度も「こんな言葉をかけられたら救われるだろうな」と思う瞬間があった。許しや和解といった大きな出来事ではなく、「あなたをちゃんと見ているよ」という視線のあり方の話として描かれているのが、この作品の強さだと思う。

物語としての起伏も十分で、過去と現在が行き来しながら、貴瑚が自分の人生を取り戻していくプロセスが丁寧に追われる。ラストに向かって少しずつ世界が広がっていく感覚は、閉塞した日々を送っている読者ほど強く響くはずだ。

家族に消耗させられてきた人、自分の声が誰にも届かないと感じている人には、かなり刺さる一冊だと思う。読後、簡単には言葉にできない重さが残るが、それ以上に「それでも生きていきたい」という静かな意志が心のどこかに灯るような読書体験になる。

2. 宙ごはん

『宙ごはん』は、本屋大賞にもノミネートされた長編で、「ごはん」を軸に少女の成長と親子の関係を描いた物語だ。主人公・宙には、育ててくれる「ママ」と産んでくれた「お母さん」の二人の母がいる。前者は厳しいところもあるが、日々の生活を支えてくれる養母・風海。後者はイラストレーターとして自由に生き、大人らしさに欠けるが魅力的な実母・花野。

宙が小学校に上がるタイミングで、風海の海外赴任が決まり、彼女は花野と暮らすことになる。しかし待っていたのは、まともにごはんも作らず、子どもの世話を後回しにする母親との生活だった。そこで宙を支えるのが、商店街のビストロで働く佐伯。彼は宙にごはんを食べさせ、パンケーキのレシピを教え、レシピノートを一緒に育てていく。

この「レシピノート」がとても象徴的だ。宙はそのノートに、佐伯から教わった料理を一つひとつ書き留め、やがてそれが彼女の人生そのものの記録になっていく。つらい日も、少しうれしい日も、ページの向こうには必ず誰かと囲んだ食卓の記憶がある。

読んでいて胸が痛いのは、花野が一面的な「毒親」として描かれていないところだ。ダメなところはごまかしようがない。しかし、その背景にある過去の傷や不器用さも少しずつ浮かび上がってくる。宙の側から見れば「許せない大人」でありながら、読み手はなんとか彼女のことも理解しようとしてしまう。その揺れが、物語に厚みを与えている。

宙自身も、ただ被害者として描かれない。料理を覚え、人と関わり、自分の足で人生を選び取っていこうとする強さを備えていく。その過程で、彼女が「ごはん」を通じて得ていく人とのつながりが、本当に温かい。夜中に読み進めていると、自分の生活でも、いつもの夕食をもう少し丁寧に作ろうかなという気持ちになってくる。

家族との関係にモヤモヤを抱えている人、食べることに救われた経験がある人には、特に響くだろう。優しいだけでなく、ちゃんと痛い。だからこそ、最後に残る希望の光がまぶしい一冊だ。

3. 夜空に泳ぐチョコレートグラミー

『夜空に泳ぐチョコレートグラミー』は、R-18文学賞大賞受賞作「カメルーンの青い魚」を含むデビュー短編集で、町田そのこの原点が詰まった一冊だ。表題作では、すり鉢状の小さな街で生きる少年少女の成長が描かれ、どんな場所でも「生きる」と決めた人々の姿が連作形式で浮かび上がる。

「カメルーンの青い魚」は、一生に一度の恋が思いがけないきっかけでよみがえり、ともに生きられなかった相手の存在と向き合う物語だと紹介されることが多い。だが、実際に読んでみると、恋愛に限らず、人が他者を欲しながらうまく手を伸ばせないもどかしさが、そこかしこに滲んでいる。

短編の良さは、世界の一部だけを切り取ることで、かえってその外側の広がりが感じられるところにある。この本でも、語られていない部分の重さがすごく大きい。例えば、登場人物の一言や何気ない仕草から、その人が背負ってきた年月や痛みがふっと透けて見える瞬間があり、そのたびに心の中で小さな沈黙が生まれる。

全体を通して印象的なのは、「弱さ」を持った人物が、決して哀れな存在としては扱われていない点だ。彼らは傷ついているが、自分なりの倫理や美意識をちゃんと持っている。その部分が丁寧にすくい取られているので、読者は彼らを「かわいそう」と上から目線で眺めるのではなく、隣に座って一緒に夜空を見上げるような距離感で寄り添える。

長編に入る前に、「この作家がどんなところに心を惹かれるのか」を知りたい人には最適の一冊だ。短編ならではの余白を楽しめる人、少しビターで、それでも優しさの残る物語が好きな人には、特におすすめしたい。

4. 星を掬う

『星を掬う』は、『52ヘルツのクジラたち』の次に刊行された長編で、母に捨てられた過去を持つ千鶴と、その母・聖子との関係を軸にした物語だ。本屋大賞にもノミネートされ、すれ違ったままの母娘が、過去の記憶をめぐって再び向き合う姿が描かれる。

物語は、千鶴がラジオの懸賞目当てに、幼い頃に母と旅をした夏の思い出を投稿するところから始まる。その放送をきっかけに、「自分はあなたの母の娘だ」と名乗る女性・恵真が現れ、千鶴は自分を捨てた母が別の家庭を持っていることを知る。

千鶴の視点から見れば、聖子は間違いなく「自分を捨てた母」であり、その怒りや悲しみは正当だ。しかし、物語が進むにつれて、聖子側の事情や、当時の社会状況、周囲の人々との関係が少しずつ浮き彫りになっていく。読者の中にも、千鶴の気持ちに寄り添いながら、同時に聖子のことも完全には責めきれなくなる感情が芽生えてくる。

タイトルの「星を掬う」は、過去の些細な記憶を一つひとつ掬い上げる行為にも重なっている。忘れたはずの匂いや手触り、会話の断片。千鶴と恵真、そして聖子が共有していた時間のかけらが、物語の進行とともに静かに光を増していく。誰かの記憶の中に、自分がどう刻まれているかを考えるときの、あの妙な怖さと愛おしさの両方がそこにはある。

読んでいると、自分自身の親子関係や、過去にうまく言葉にできなかった感情を思い出してしまうかもしれない。和解や赦しが簡単に起きないところも含めて、とても現実的な物語だ。それでも、星を掬うように過去をすくいなおすことで、今を少し違う角度から見られるようになる。その感覚が、読後にそっと残る。

5. うつくしが丘の不幸の家

『うつくしが丘の不幸の家』は、「不幸の家」と呼ばれる一軒家に住むことになった人々の連作短編集だ。うつくしが丘という、どこか新興住宅地らしい地名とのギャップがすでに不穏で、読者は「なぜこの家はそんなふうに呼ばれているのか」という疑問と共に読み進めることになる。

各編には、さまざまな事情を抱えた家族や個人がこの家にやってくる。仕事がうまくいかずに引っ越してきた家族、介護に疲れた娘、子育てや結婚生活に行き詰まった夫婦……。誰もが、どこかで人生の「行き止まり」に立たされている。

面白いのは、この家が必ずしも「不幸を呼ぶ家」として描かれていないことだ。むしろ、そこで暮らす時間を通じて、それぞれの登場人物が自分の人生と向き合わざるを得なくなる。家という器が、個々の抱える問題を可視化する鏡のように機能している。

連作短編なので、一話一話にそれなりの区切りがあるのだが、読み進めるほどに「この町全体に流れている空気」みたいなものが感じられてくる。うつくしが丘という場所に住む人々の、見栄や羨望、ささやかな優しさや残酷さ。そこに、町田そのこ特有の、弱者の側に寄り添う視線が重なっている。

大事件が起きるわけではないのに、「この家に住むと本当に不幸になるのか?」という問いがじわじわと迫ってくるのが、読んでいて少し怖くもあり、目が離せないところだ。日常のなかにある澱のようなものを見たいときに、ちょうどいい一冊だと思う。

6. ぎょらん

『ぎょらん』は、死者が遺す赤い珠「ぎょらん」をめぐる物語で、町田作品の中でもやや幻想味の強い一冊だ。ぎょらんは、亡くなった人の思いや未練が結晶化したようなものとして描かれ、その扱い方によって、残された人々の人生が大きく変わっていく。

設定だけ聞くと純然たるファンタジーのようだが、実際に語られているのはとても現実的な「弔い」の話に近い。誰かが亡くなったあと、遺された人が何にすがり、何を手放せないのか。その心の動きが、ぎょらんというモチーフを通して描かれる。

印象的なのは、ぎょらんが必ずしも「良いもの」として扱われないところだ。大切に抱え続ける人もいれば、それを捨てようとする人もいる。どちらが正しいという単純な話ではなく、喪失とどう付き合うかという問いが、各エピソードを通じて投げかけられている。

読んでいると、自分の中にも似たような「ぎょらん」があるのではないか、という気持ちになってくる。もう会えない人との記憶、手放せない後悔、言えずじまいだった一言。そうしたものが、目に見えない珠として胸の奥に沈んでいる感覚だ。

死や別れというテーマにじっくり向き合いたいとき、でもあまりリアルな悲劇としてではなく、少し抽象化された形で受け取りたいときにちょうどいい。町田作品の中でも、後からじわじわ効いてくるタイプの一冊だと思う。

7. あなたはここにいなくとも

『あなたはここにいなくとも』は、「さよなら」から始まる五つの再出発を描いた短編集だ。タイトル通り、物語の中心には「いなくなってしまった誰か」がいる。その不在を抱えながら、それでも日々を続けていく人たちの姿が描かれる。

恋人との別れ、家族との断絶、事故や病気による突然の喪失……。一つひとつのエピソードは決して大仰ではないが、その分、登場人物たちの感情の揺れが細やかに追われている。喪失の直後ではなく、少し時間が経ってからの奇妙な静けさや、日常の中に紛れ込む「いないはずの気配」が、本当によく描かれている。

個人的に刺さるのは、「誰かの不在に慣れてしまうこと」への罪悪感のようなものだ。人は、どんなに大事な人を失っても、いずれはごはんを食べ、仕事に行き、笑ったりもする。そのことに対して、自分を責めてしまう瞬間がある。この短編集は、まさにその感覚を抱えた人たちの物語でもある。

それぞれの物語に明確なハッピーエンドが用意されているわけではないが、完全な絶望もない。ほんの少し視線をずらしたり、言葉を別の場所に置き直すことで、「いなくなった誰か」との関係をもう一度作り変えていく。そんなささやかな再生の姿が、静かに描かれている。

大きな別れを経験したばかりの人には、タイミングによってはつらく感じるかもしれないが、少し時間が経ってから読むと、自分の感情を整理する助けにもなる一冊だと思う。

8. 夜明けのはざま

『夜明けのはざま』は、葬儀場を舞台にした連作で、死を見送る人々の後悔と再生を描く作品だ。日常的に「死」と向き合う場所にいるからこそ見えてくる、生者の弱さや強さが丁寧に掬い取られている。

葬儀場で働くスタッフ、亡くなった人の家族、遠方から駆けつけた友人、長年顔を合わせていなかった親族……。それぞれの立場から、死者との距離感や抱えてきた感情が描かれる。誰かが亡くなったあと、残った人たちのあいだに生まれる「言えなかったこと」の重さが、どのエピソードにも共通している。

読みながら、何度か自分の身近な葬儀の場面を思い出した。あのとき、自分は何を考えていたか。もっと話しておけばよかったことはなかったか。そうした個人的な記憶を触れつつも、物語は決して感傷に流れすぎない。

印象的なのは、葬儀場が単なる「終わりの場所」ではなく、「別の生き方が始まる場所」としても描かれている点だ。死者を送り出すことで初めて、自分の人生を引き受け直す登場人物たちがいる。その姿は、重くはあるけれど、どこか救いにもなっている。

死というテーマに抵抗がないなら、かなり読後感のいい一冊だと思う。真夜中よりも、少し早起きした朝に読むと、「今日一日をちゃんと生きよう」という静かな決意みたいなものが、身体の内側に残る。

9. コンビニ兄弟 ―テンダネス門司港こがね村店― シリーズ

『コンビニ兄弟 ―テンダネス門司港こがね村店―』は、九州にしかない架空のコンビニチェーン「テンダネス」の名物店を舞台にした、軽やかで温かいお仕事小説だ。フェロモン全開の店長・志波三彦と、その兄弟、パート・バイトスタッフ、個性豊かな常連客たちが織り成す日々が描かれる。

パート店員は、店長を観察しながらWEBで「フェロ店長の不埒日記」を連載していたり、真っ赤なオーバーオールで三輪車を乗り回す自称観光大使がいたりと、とにかくキャラクターが立っている。現実にいたらちょっとしんどい人たちも、小説の中では絶妙なバランスで愛おしい存在になっている。

シリーズ2作目、3作目になると、登場人物の背景が少しずつ明らかになり、「ただの面白キャラ」だと思っていた人たちが、実はさまざまな痛みや事情を抱えていることが見えてくる。一方で、コンビニという場が、彼らにとっての「居場所」として機能していることも伝わってくる。

他のシリアスな長編に比べると、こちらはかなり読みやすく、笑いの要素も多い。それでも、町田そのこらしい「弱い立場の人への視線」は変わらない。コンビニを利用する誰もが、ふとしたタイミングで救われる場所になっているのが、このシリーズの魅力だ。

重めのテーマの作品に少し疲れたときに挟むのにぴったりだし、町田作品が初めての人が、「いきなり『52ヘルツ』は怖い」と感じるなら、ここから入るのもいいと思う。

10. わたしの知る花

わたしの知る花

わたしの知る花

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『わたしの知る花』は、孤独死した老人と女子高生の交流を軸に、埋もれた過去と愛がほどけていく物語だ。タイトルだけ聞くとロマンチックだが、実際はかなり現代的な孤独と向き合う小説でもある。

物語の起点にあるのは、「誰にも看取られずに亡くなること」の恐ろしさと、その事実を知った周囲の人間の戸惑いだ。女子高生の視点から描かれることで、世代間のギャップや、価値観の違いがとても鮮やかに浮かび上がる。老人の人生に横たわっていた選択や後悔が、彼女との対話を通して少しずつ言葉になっていく。

読んでいて印象に残るのは、老人が「過去の人」として扱われていない点だ。年齢差はあるが、彼もまた現在進行形で人生に迷い、揺れている。その姿は、若い読者から見てもどこか親近感があり、同時に「こんなふうに歳を重ねていくのかもしれない」という未来の自分の姿にも重なる。

孤独死というテーマに身構える人もいるかもしれないが、物語自体はとても静かで、最後には優しい余韻が残る。自分や身近な人の老いについて、少し真面目に考えてみたくなったときに手に取りたい一冊だ。

11.ドヴォルザークに染まるころ

『ドヴォルザークに染まるころ』は、廃校が決まった小学校の「最後の秋祭り」を軸に、小さな町で暮らす人たちの現在と過去が交錯していく群像劇だ。小学生の頃、担任教師とよそ者の男性が駆け落ちした出来事を忘れられない主婦。バツイチ子持ちの恋人との関係に行き詰まりを感じている看護師。認知症の義母にセックスレスの悩みを打ち明けてしまう管理栄養士。転校を控えた小学六年生の女の子。発達障害のある娘を育てるシングルマザー。それぞれの視点が、閉校を前にした学校と秋祭りの一日を、少しずつ違う光で照らしていく。

構成としては、同じ日・同じ場所を別の人物がリレーしていく仕掛けになっていて、読んでいるうちに「この人は、さっきのあの場面のあの人だったのか」と線がつながる感覚が心地いい。かつて目撃してしまった“禁じられた光景”や、誰にも言えない後悔が、些細な会話や仕草の端々に滲む。そのにじみを追っていくと、秋祭りのざわめきや、体育館に響くドヴォルザークのメロディが、ただの学校行事ではなく、それぞれの人生の転機の場として立ち上がって見えてくる。

おもしろいのは、「閉じ込められている」と感じているのが子どもではなく、むしろ大人たちのほうだということだ。家庭という檻、地方都市という檻、性別役割の檻。誰もがどこかで「こんなはずではなかった」と呟きながらも、今日をやり過ごすための笑顔を身につけている。そんな彼らの胸の内に、小さく灯る反発や願いが、祭りの一日を通して少しずつ形を変えていく。

読んでいて一番刺さったのは、過去の「見てしまったもの」が、長い時間を経て現在の自分をそっと支え直してくれるような瞬間だ。取り返しのつかない出来事だからこそ、それを覚えている自分ごと抱きしめ直す勇気が生まれる。祭りの喧噪の中でふと立ち止まる人物たちの姿を追っていると、自分自身の学生時代の校舎の匂いや、町の空気まで一緒に甦ってくる。

『52ヘルツのクジラたち』や『星を掬う』が好きな読者なら、この作品の「静かな痛み」と「いつの間にか前を向かせる力」はかなり相性がいいはずだと思う。派手な事件は起きないが、気がつけば登場人物たちが少しだけ身軽になっている。その変化を確かめたい人、地方の小さなコミュニティで生きる閉塞感と、それでも続いていく生活の手触りを味わいたい人に、じっくり時間をかけて読んでほしい一冊だ。

12.月とアマリリス

『月とアマリリス』は、北九州市の山中で発見された白骨化遺体をめぐる事件を軸に、元週刊誌記者の女性が再び「書くこと」と向き合うサスペンスだ。地元のタウン誌でライターとして働く飯塚みちるは、かつて東京の出版社でいじめ事件を追った記事を書き、その結果一人の少年を追い詰めてしまった過去を抱えている。逃げるように実家へ戻った彼女のもとに、元恋人で編集者の堂本から「白骨遺体の記事を書かないか」という依頼が届く。遺体のポケットに残されていたメモには「ありがとう、ごめんね。みちる」と記されており、同じ名前を持つ彼女は、もう一度取材に向き合う決意をする。

物語は、みちるの調査が少しずつ進んでいく過程と、白骨遺体となった人物の過去が交互に立ち上がるような形で進む。刑事の丸山、かつての同僚たち、地元の人々との会話を通して、事件は「一つのニュース」から、「確かにこの街に生きていた一人の人間の人生」へと輪郭を変えていく。記者としての倫理や、「正義感で書いた記事」が誰かを追い詰めてしまうかもしれないという恐怖が、みちるのモノローグに生々しく刻まれているのが印象的だ。

サスペンスとしての読み応えも十分で、白骨遺体に添えられた花束、名前の書かれたメモ、残された人々の証言が少しずつかみ合っていく構成は、ページをめくる手を止めにくい。けれど、最終的にこの物語が照らそうとするのは「犯人は誰か」という一点ではなく、「誰が誰をどう見ていたのか」という視線の交差だ。人は他人を「犯罪者」や「被害者」といったラベルで見がちだが、その奥にある人生の複雑さ、ゆがみ、誇りを、町田そのこらしい筆致で掘り起こしていく。

個人的には、みちるが「逃げてきた自分」を否定するのではなく、その弱さごと引き受けたうえで再び取材の現場に立つ姿が、とても胸に残った。過去の失敗をやり直すことはできないけれど、その後の選択を変えることはできる。その当たり前の事実を、物語としてここまで説得力を持って提示されると、読後にふと自分の過去の後悔まで撫で直したくなる。

『月とアマリリス』は、ミステリーやサスペンスが好きな人はもちろん、「仕事で誰かを傷つけてしまったかもしれない」と自分を責め続けている人にも刺さる小説だと思う。真相が明らかになったときに残るのは、スカッとしたカタルシスというより、静かな祈りに近い余韻だ。事実と真実、その間にある揺らぎを味わいたい夜に、ゆっくりページを開きたくなる。

13.蛍たちの祈り

蛍たちの祈り

『蛍たちの祈り』は、山間の小さな町を舞台に、中学生の頃に「互いの秘密を守り合う」と誓った二人の少年少女と、その十五年後を描く長編だ。蛍が舞う夏祭りの夜、家庭に恵まれず、追い詰められていた坂邑幸恵と桐生隆之は、生き延びるためにある罪を犯し、それを胸にしまい込むことを決める。それから十五年後、彼らは大人になり、幸恵には息子の正道がいる。過去の秘密は忘れ去られないまま、彼らの生き方や人との関わり方を静かに歪め続けている。

物語は、幸恵や隆之、正道、そして彼らの周囲で孤独を抱えた人々の視点がバトンのようにつながりながら進んでいく。まるで連作短編集のように章ごとに主役が入れ替わるのに、読み進めるほど一本の太い時間軸が浮かび上がってくる構成が秀逸だ。それぞれの章で描かれるのは、決してドラマチックではない日々の営みと、その隙間からこぼれ落ちてしまいそうな心の叫びだが、どの話にも「自分の小さな光を誰かに手渡そうとする瞬間」が必ず現れる。

隆之の存在は、この作品の核だと思う。消えない罪を抱えた彼は、自分を罰するように「同じような境遇の誰か」に手を差し伸べ続ける。その姿は、自己犠牲と救済のぎりぎりのラインを歩いていて、読んでいて何度も胸が痛む。それでも、彼の差し出す手によって確かに救われていく人がいることが、物語全体にほのかなあたたかさを宿らせている。

読む前はタイトルの「蛍」というモチーフから、もっと幻想的な物語を想像していたが、実際には現実にしっかり足をつけた、かなり骨太な人間ドラマだと感じた。とはいえ、暗闇の中にふっと灯る蛍の光のように、人物たちの心にも一瞬だけ差し込む光がある。その儚さと確かさが、読後にじんわりと残る。

虐待や貧困、家族からの見捨てられ感など、重いテーマも扱うので、読むタイミングは選ぶかもしれない。それでも、「それでも人は誰かに手を差し伸べてしまうし、その手を取ることでしか前に進めない」という町田作品らしいまなざしが、最後まで支えになってくれる。『52ヘルツのクジラたち』の痛みと希望が好きだった人には、ぜひ覚悟を決めて向き合ってほしい一冊だ。

14.彼女たちは楽園で遊ぶ

『彼女たちは楽園で遊ぶ』は、山奥に突然できた新興宗教団体の施設と、そこで起きる若者の連続不審死事件をめぐる青春スリラーだ。九州の田舎町で暮らす女子高生・凜音は、親友・美央と大喧嘩したまま夏休みに入り、仲直りのタイミングを逃してしまう。新学期になっても美央は学校に現れず、彼女は家族ごと宗教団体「NI求会」に入会し、山中の施設に移り住んだことが判明する。親友を取り戻すため、凜音は「楽園」と呼ばれるその場所へ向かうが、その頃から町では、両目をえぐられたような遺体が相次いで発見される。

これまでの町田作品と比べると、本作はホラー色がかなり強い。閉ざされた宗教施設、笑顔で「救い」を説く大人たち、どこかおかしいルール、そして徐々に漏れ出してくる血の匂い。けれど、その土台にあるのはやはり「女の子たちの友情」と「自分の居場所を求める気持ち」だ。凜音も美央も、そして東京から「特別な存在になるため」にやってきた初花も、それぞれのしんどさから逃げ場所を探しているに過ぎない。

読んでいて印象的なのは、「救い」を掲げる側と、誰かを本気で救おうとする少女との対比だ。新興宗教は、寂しさや不安を抱えた大人たちに、わかりやすい言葉と儀式で“安心”を提供する。一方で凜音は、自分自身も大人から守られるべき年齢でありながら、必死で親友に手を伸ばしていく。その手は頼りなく震えているのに、その真剣さはどんな教祖の言葉よりも重い。

スリラーとしてのテンポも良く、宗教施設の不穏さがじわじわ増していく中で、町の外側で起きている事件との関係性が見えてくる構成は、かなりページをめくらせる力がある。怖さの質も「ドッキリ的なホラー」というより、「人が信じるものがずれていったときに生まれる恐怖」に寄っていて、読後に妙なリアルさが残る。

町田そのこの「新境地」として話題になるのも納得の一冊で、これまでの作品で描いてきた「傷ついた誰かをそっと抱きしめる視線」が、ホラーという器に入ってもぶれていないことがよくわかる。信仰やコミュニティの怖さに興味がある人はもちろん、女子高生たちの必死な友情物語として読みたい人にもおすすめだ。夜に読むと少しだけ怖いので、できれば明るい時間帯にどうぞ。

15.ハヤディール戀記(上) 攫われた神妃

『ハヤディール戀記(上) 攫われた神妃』は、神に嫁ぐ「神妃」の伝説が息づく王国ハヤディールを舞台にした、本格ファンタジー長編の第一部だ。繁栄を極めるこの王国で、類まれな「力」を宿す巫女・エスタと、王国最強と名高い騎士団長レルファンは、許されぬ関係だと知りながら互いに惹かれ合っている。やがてエスタは新たな神妃に選ばれ、二人は身を引く道を選ぶが、神妃祭の最中、エスタは何者かに攫われてしまう。同じ頃、王宮では第一王女が毒殺される事件が発生し、王国全体が不穏な空気に包まれる。

上巻では、エスタ失踪と王女毒殺という二つの事件を追う中で、ハヤディール王国の歴史や神話、王位継承をめぐる政治的な思惑が少しずつ明らかになっていく。レルファンは部下のリルとともにエスタの行方を追いながら、同時に王宮内の混乱収拾にも奔走しなければならない。彼の視点から描かれる「職務と個人的感情の板挟み」は、騎士物語としても非常に読み応えがある。

興味深いのは、この物語が単なるロマンスでも、単なる陰謀劇でも終わらず、「神と人との距離感」を繰り返し問い直してくるところだ。神妃制度は本当に神への奉仕なのか、それとも王国が権力を保つための装置なのか。エスタの特別な力は祝福なのか呪いなのか。細部まで作り込まれた祭礼の描写や、神話の断片が物語のあちこちに挿し込まれていて、読み進めるほどに「この世界の仕組みをもっと知りたい」という欲望が湧いてくる。

著者自身がデビュー前から十年以上かけて書き続けてきたという背景もあり、世界観の厚みは町田作品の中でも際立っている。普段は現代日本を舞台にした作品で「傷ついた誰かの居場所」を描いてきた作家が、舞台を異世界に移しても、やはり人の孤独や祈りを描こうとしているのが伝わってくる。エスタもレルファンも、自分の役割と感情のあいだで揺れながら、それでも誰かを守ろうとする人物として立ち上がってくる。

ファンタジーに慣れていない読者にとっても、町田そのこの文章の読みやすさと人物描写の細やかさのおかげで、意外なほどすんなり物語に入っていけると思う。一方で、王宮ロマンスや壮大な陰謀劇が好きな人にとっては、下巻へ続く引きの強さにニヤリとするはずだ。現代ものの優しい物語で町田作品を好きになった人が、「ちょっと違う味も試してみたい」と思ったときの変化球として、ぴったりの一冊だと感じる。


関連グッズ・サービス

本を読んだ後の学びを生活に根づかせるには、生活に取り入れやすいツールやサービスを組み合わせると効果が高まる。

たとえば、長編をじっくり読みたいときや、通勤・家事の合間に物語の続きを味わいたいときは、電子書籍や音声サービスとの相性がいい。

  • 紙の本+電子書籍の二刀流 紙の本でじっくり読み、気に入った作品をKindle Unlimited対応のものから電子でも持っておくと、外出先やベッドの中でもすぐに読み返せる。レシピノートのように、好きな一節をハイライトしておけるのも便利だ。
  • 葬儀場やコンビニのシーンを「ながら」で味わう 仕事や家事の合間には、オーディオブックで物語の世界に浸るのもいい。 Audibleなら、耳だけを物語に預けておけるので、『52ヘルツのクジラたち』のような感情の揺れが大きい作品も、少し距離を取りながら味わえる。
  • Kindle端末 町田作品のようにじっくり読み込むタイプの小説は、専用端末があると目が疲れにくくてありがたい。夜寝る前に『宙ごはん』を少しずつ読み進めるような使い方にも向いている。

あたたかい飲み物とお気に入りのマグカップ 家族や人生の「行き止まり」を読んでいるときは、身体が少し冷えてくる。お気に入りのマグでハーブティーやココアを用意すると、読書時間がひとつの儀式のようになって、物語の余韻も長く続く。

 

 

 

 

 


まとめ

町田そのこの小説は、派手な事件やどんでん返しよりも、日常の中に潜む違和感や痛みをじっくり見つめる物語が多い。『52ヘルツのクジラたち』で描かれる孤独と再生、『宙ごはん』の食卓から立ちのぼる湯気、『夜空に泳ぐチョコレートグラミー』の少年少女、『星を掬う』の母娘。それぞれの世界が、読者の中にある傷や記憶と静かに共鳴する。

読み終えたあと、肩に入っていた力が少し抜けているのに気づく人もいるはずだ。自分の過去が変わるわけではないが、それをどう抱えていくかの「持ち方」が変わる、そんな読書体験になる。

  • 気分で選ぶなら:『夜空に泳ぐチョコレートグラミー』『コンビニ兄弟』
  • じっくり読みたいなら:『52ヘルツのクジラたち』『星を掬う』『うつくしが丘の不幸の家』
  • 短時間で読みたいなら:『あなたはここにいなくとも』『夜明けのはざま』

どの一冊から入っても、きっと自分のどこかに触れてくる言葉と出会うはずだ。気になるタイトルから、ゆっくり手に取ってみてほしい。


よくある質問(FAQ)

Q. 町田そのこを初めて読むなら、やっぱり『52ヘルツのクジラたち』からがいい?

A. 安定の入り口ではあるが、「かなり感情が揺さぶられる」タイプの物語なのも事実だ。心身ともに余裕があるときに読みたい一冊なので、疲れている時期なら『コンビニ兄弟』や『夜空に泳ぐチョコレートグラミー』から入るのもおすすめだ。作風に慣れてから『52ヘルツ』を読むと、登場人物たちの選択がより深く響いてくる。

Q. 親子関係の描写が重そうで不安。あまりしんどくならない本は?

A. 親子テーマの中でも比較的読みやすいのは、『宙ごはん』だと思う。確かに厳しい場面はあるが、「ごはん」や人との出会いを通じて主人公が成長していくプロセスがしっかり描かれていて、希望の割合が高い。短編なら、『あなたはここにいなくとも』のいくつかのエピソードは、さよならを受け止め直す物語としてじんわり効く。

Q. 電子書籍や音声で読むなら、どの作品と相性がいい?

A. 電子書籍でじっくり読み込みたいのは、『52ヘルツのクジラたち』や『星を掬う』のような長編だ。気になったフレーズをハイライトしておくと、後から読み返したときに、自分の感情の変化も見えてくる。 音声で楽しむなら、場面ごとに人物が入れ替わる『コンビニ兄弟』や、『夜明けのはざま』のような連作ものが相性がいい。家事中や移動中にストーリーが途切れにくいので、Audibleで「ながら読み」するのも一つの方法だ。

Q. テーマが重い作品ばかりだと、続けて読むのが怖い。

A. その感覚は正しいし、自分を守るためにも大事だと思う。町田作品を続けて読むときは、間にエッセイや漫画、ライトなミステリーなど別ジャンルを挟むとバランスが取りやすい。あるいは同じ著者でも『コンビニ兄弟』のような軽めのシリーズをクッションに挟むと、心の負担がかなり違ってくる。


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