黒川博行を読むなら、まずは二宮と桑原の掛け合いが炸裂する「疫病神シリーズ」から入るといい。大阪の街、裏社会の金、逃げ切れない人間の欲が、笑える会話の奥でじわじわ黒く光る。この記事では、シリーズの流れを崩さず、ノンシリーズの悪漢小説まで広げて、黒川博行のおすすめ本を12冊に絞って紹介する。
- 読む目的別の入り口
- 黒川博行とは? 笑いと悪を同じ皿に盛る作家
- 疫病神シリーズから読む黒川博行
- ノンシリーズで黒川博行の黒さを読む
- 関連グッズ・サービス
- まとめ:まずは二宮と桑原の声を聞き、そこから黒い世界へ進む
- よくある質問(FAQ)
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読む目的別の入り口
黒川博行は、どこから読んでも会話のうまさに引き込まれる作家だが、読む順を少し整えると味わいが変わる。最初から濃い裏社会小説に飛び込むより、まずはコンビの呼吸をつかみ、そこからスケールの大きい長編やノンシリーズへ進むほうが折れにくい。
- はじめて読む人は、まず1.疫病神で二宮と桑原の関係をつかみ、余裕があれば7.破門まで進むと、シリーズの強さが見えやすい。
- 代表作の厚みを味わいたい人は、2.国境 上と3.国境 下を上下で読むと、笑いと犯罪小説のスケールが一気に広がる。
- ノンシリーズの黒さを読みたい人は、9.悪果、10.繚乱、11.勁草へ進むと、警察、金、詐欺、裏社会のにおいがより濃くなる。
黒川博行とは? 笑いと悪を同じ皿に盛る作家
黒川博行は1949年生まれの小説家。京都市立芸術大学を卒業し、美術教師として働いたのち、1984年に『二度のお別れ』でデビューした。初期には警察小説や美術を扱う作品を多く書き、やがて大阪の裏社会、暴力団、詐欺、金融、興行、建設、学校法人といった、表の顔と裏の金が重なる場所を描く作家として独自の位置を築いていく。
黒川博行の小説を読むと、悪人が単に悪人として出てこない。弱さも、欲も、見栄も、食い意地も、関西弁の軽口に乗って出てくる。だから怖い場面なのに笑ってしまう。笑った直後に、その笑いが自分の中の小さなずるさにも触れていたことに気づく。そこが黒川作品の嫌なところであり、離れがたいところでもある。
代表作となる「疫病神シリーズ」は、建設コンサルタントの二宮敬之と、二蝶会のヤクザである桑原保彦が、利権と金の匂いを追って危ない橋を渡る犯罪エンタメだ。二人は友情で結ばれているようにも見えるが、きれいな関係ではない。互いに利用し、罵り合い、巻き込まれ、見捨てきれず、また一緒に走る。そのぐずぐずした腐れ縁が、シリーズをただの痛快小説で終わらせない。
直木賞を受賞した『破門』から入っても楽しい。ただ、二人の会話がどう育ち、どんな危うさを積み重ねてきたかを知るなら、『疫病神』から順に読む意味は大きい。逆に、シリーズ以外の作品では、警察や美術や詐欺の世界に移りながら、同じ作家の別の黒さが見えてくる。この記事では、まずシリーズを流れで読み、後半でノンシリーズへ移る構成にした。
疫病神シリーズから読む黒川博行
1.疫病神(新潮文庫)
黒川博行を初めて読むなら、やはり『疫病神』から入るのがいちばん自然だ。建設業界の金をめぐるトラブルをきっかけに、建設コンサルタントの二宮敬之と、二蝶会のヤクザ・桑原保彦が組む。組む、と言っても気持ちのいい相棒関係ではない。二宮は小ずるく逃げ腰で、桑原は乱暴で強引。だが、金の匂いがすると、二人は妙な速度で同じ方向を向いてしまう。
この一冊でまず驚くのは、事件そのものより会話の強さだ。脅し、泣き言、値踏み、開き直り。どの台詞にも体温がある。大阪弁のやりとりが軽いので読みやすいのに、その奥では建設利権、暴力団、裏金、下請け構造が容赦なく動いている。笑いながら読んでいたはずなのに、気づくと泥の上を歩かされている感じがある。
二宮は正義の人ではない。桑原も魅力的な悪漢ではあるが、決して安全な男ではない。この二人を「いいコンビ」とだけ呼んでしまうと、作品のぬめりが落ちる。むしろ、互いに相手の危険さを知りながら、利益のために距離を詰めてしまうところが面白い。信用できないのに、なぜか会話だけは信用できる。その矛盾がシリーズの核になる。
仕事で面倒な相手に振り回された日の夜に読むと、二宮の愚痴がやけに身近に聞こえる。理不尽から逃げたいのに、逃げた先にも別の理不尽がある。黒川博行は、そういう世の中の面倒くささを、説教ではなく掛け合いで見せる。読後には、大阪の路地裏で誰かがまだ金勘定をしているような、ざらついた余韻が残る。
最初の一冊として強いのは、シリーズの型がここでほぼ見えるからだ。二宮と桑原の力関係、事件の巻き込まれ方、金を追ううちに危険が膨らんでいく展開。ここを読んで合うなら、先へ進んでいい。逆に、この会話の癖が合わないなら、ノンシリーズの『悪果』や『勁草』から試す手もある。黒川博行の入口として、判断しやすい一冊だ。
2.国境 上(文春文庫)
『国境』上巻に入ると、シリーズの舞台は一気に広くなる。大阪の地べたで金を追っていた二宮と桑原が、北朝鮮、釜山、大阪をまたぐ危ない話へ巻き込まれていく。シリーズものは、二作目で同じ型を繰り返すと少し弱くなることがある。ところが『国境』は、コンビの掛け合いをそのまま保ちながら、物語のスケールだけを大きくしてくる。
上巻で効いているのは、見知らぬ土地へ放り込まれる不安だ。二宮の小心さが、ここではただの笑いではなく読者の感覚に近づいてくる。知らない場所、通じない理屈、読めない相手。桑原の強引さが頼もしく見える瞬間もあるが、同時に、彼が隣にいるせいで危険が増えていることもよく分かる。助け船なのか沈没の原因なのか、最後まで判断がつかない。
黒川博行の長編は、説明で世界を広げるのではなく、人間の会話と移動で広げる。密輸、利権、国家、裏社会という大きな語が出てきても、読み味が遠くならないのは、二宮が常に目の前の損得と恐怖で反応してくれるからだ。読者は国際犯罪の地図を眺めるのではなく、うろたえながらその中を歩くことになる。
ここで『疫病神』との違いがはっきり出る。『疫病神』がシリーズの呼吸を覚える一冊なら、『国境』はその呼吸でどこまで遠くへ行けるかを試す一冊だ。上巻は、まだ物語の全貌をつかめないまま、湿った空気と嫌な予感が積もっていく。先を急ぎたいのに、足元がぬかるんでいるような読み心地がある。
代表作から黒川博行を知りたい人には、『国境』上下巻を早めにすすめたい。ただし、いきなりここから読むより、『疫病神』で二人の関係をつかんでからのほうが、会話の笑いと危険の落差が深く入る。上巻は助走ではない。すでに物語の熱は高く、下巻へ向かう圧力が強い。
3.国境 下(文春文庫)
下巻では、『国境』というタイトルの意味がじわじわ濃くなる。国と国の境だけではない。合法と違法、商売と犯罪、冗談と本気、生き延びるための嘘と、取り返しのつかない裏切り。その境目を、二宮と桑原が何度も踏み越えそうになりながら進んでいく。
黒川博行の面白さは、危険な状況を必要以上に美化しないところにある。命がけの場面でも、人間は腹を空かせるし、愚痴を言うし、金のことを考える。そこに可笑しさがある。下巻では、スケールの大きい犯罪の中に、そうした小さな人間臭さが何度も差し込まれる。だからこそ、物語が大げさにならず、手触りを失わない。
上下巻を通して読むと、桑原という人物の怖さも魅力も増す。強い男、頼れる男、という単純な姿ではない。暴力の近くにいて、相手を脅し、場を荒らし、それでも妙に筋を通す瞬間がある。二宮はそれに振り回されながらも、完全には離れられない。この危うい引力が、シリーズを先へ読ませる。
長い小説を読みたい気分のとき、ただ厚いだけの本はつらい。『国境』は長さに意味がある。移動し、騙され、追われ、また交渉する。その積み重ねの中で、二人の会話が少しずつ濁り、少しずつ強くなる。読み終えるころには、笑っていたはずのやりとりが、妙に頼もしい音として耳に残る。
『国境』下巻まで読み切ると、黒川博行が単なる「笑える犯罪小説」の作家ではないことがよく分かる。笑いは逃げ道ではなく、危険を飲み込むための呼吸だ。シリーズの代表作として読むなら、上下を分けずに一気に進みたい。時間のある週末に読むと、物語の圧力にそのまま持っていかれる。
4.暗礁 上 新装版(幻冬舎文庫)
『暗礁』では、シリーズの舞台がふたたび大阪の地べたへ戻ってくる。だが、戻ったからといって小さくなるわけではない。建設、政治、マスコミ、裏社会が絡み、金の流れはさらに見えにくくなる。上巻は、目の前にある儲け話が本当に儲け話なのか、それとも沈むための罠なのかを探りながら進む一冊だ。
タイトルの「暗礁」がうまい。海の上からは見えないが、船底を破るものが下にある。二宮と桑原が追う案件も、最初はいつものように金の匂いがするだけに見える。しかし近づくほど、政治家、業者、暴力団、それぞれの都合が岩のように現れる。勢いで進めば進むほど、どこかで底を擦る気配が濃くなる。
上巻の読みどころは、二宮の「嫌や」と桑原の「行くぞ」の間に生まれる速度だ。二宮は本当に嫌がっている。だが、金と好奇心と、桑原から逃げきれない腐れ縁が彼を動かす。読者も同じで、危ないと分かっているのにページをめくる。黒川博行のうまさは、この巻き込まれ感を理屈ではなく会話のテンポで作るところにある。
『国境』の大きな舞台を読んだあとに『暗礁』へ戻ると、大阪という土地の濃さがよく分かる。路地、事務所、車内、飲食店。場所の説明は過剰ではないのに、金と汗とタバコのにおいが近い。華やかな悪ではなく、机の下で足を蹴り合うような悪がある。
シリーズを続けて読むなら、『暗礁』上巻は飛ばさないほうがいい。二宮と桑原の関係が、ただの凸凹コンビから、より危ない共同作業へ変わっていく。笑いは相変わらずあるが、読み進めるほど笑いの下に沈んでいるものが重くなる。少し黒川作品に慣れてきた頃に読むと、シリーズの奥行きが増す。
5.暗礁 下 新装版(幻冬舎文庫)
『暗礁』下巻では、上巻で見え始めた利権の輪郭が、さらに生々しくなっていく。何が正しいかではなく、誰がいくら取るのか。誰が責任を押しつけられ、誰が逃げ切るのか。そんな計算が、登場人物たちの言葉の端々ににじむ。黒川博行は、悪を特別なものとして描かない。むしろ、ふつうの顔をした人間が、ふつうの声で欲を出す瞬間を逃さない。
下巻になると、二宮と桑原の動きも荒くなる。追う側だったはずが追われ、交渉していたはずが脅され、少し得をしたつもりが別の穴に落ちる。読者はこの混線に振り回されるが、不思議と置いていかれない。二宮が文句を言い、桑原が押し切る。その繰り返しが、物語の手すりになっているからだ。
『暗礁』の良さは、社会派の顔をしながら、説教臭くならないところにある。政治も業界も腐っている、と一行で言えば簡単だ。けれど小説の中では、腐り方にも人間ごとの違いがある。臆病な腐り方、強欲な腐り方、仕方なく流される腐り方。そういう差が見えるから、世界が平板にならない。
重い仕事のあと、まだ頭がざわざわしている夜に読むと、この作品の泥臭さが妙に合う。清潔な正論では片づかない場所で、人はどう動くのか。自分なら距離を置けると思っていても、小さな得や見栄や恐怖で判断はすぐに曲がる。『暗礁』は、そこを笑いながら見せてくる。
『国境』がシリーズの大きな山なら、『暗礁』は足元のぬかるみを確かめる巻だ。上下で読むことで、黒川博行が得意とする「地元の利権」の怖さがしっかり残る。派手な事件よりも、人間同士の癒着や駆け引きに惹かれる人には、むしろこの上下巻のほうが深く刺さるかもしれない。
6.螻蛄(新潮文庫)
『螻蛄』は、疫病神シリーズの中でも会話の勢いがとくに強い。宗教団体、政治、マスコミ、金が絡み、二宮と桑原はまたしても危ない話へ首を突っ込む。扱っている題材は重い。信仰や権力や組織の闇がある。それなのに読み味は軽快で、軽快だからこそ、奥にある薄暗さが際立つ。
タイトルの「螻蛄」は、土の中を動く小さな虫を思わせる。地表からは見えないところで何かが動き、気づいた時には土が崩れている。作中の金と情報の流れもそれに近い。誰が何を握っているのか。誰が誰を使っているのか。二宮と桑原は、その見えない穴の中へ、半分は欲で、半分は成り行きで入っていく。
この本で楽しいのは、二人の関係がもう読者にとって馴染んでいることだ。『疫病神』『国境』『暗礁』を読んできたあとなら、二宮がぼやいた時点で桑原の無茶が予想できる。予想できるのに笑ってしまう。シリーズものの快感は、人物が同じことを繰り返すところにあるのではなく、同じ癖が別の危機の中でどう響くかにある。
『螻蛄』は、社会の仕組みに対して少し嫌気がさしている時に読むと効く。大きな組織ほど、きれいな言葉を掲げながら、裏で泥臭い取引をしている。そんな疑いを小説として笑い飛ばしてくれる。もちろん、笑い飛ばしたところで現実がきれいになるわけではない。だが、汚れを汚れとして見られるだけで、少し呼吸がしやすくなる。
シリーズ中盤の一冊として、『螻蛄』は二宮と桑原の魅力をかなり濃く味わえる。代表作としては『破門』が目立つが、コンビの会話を楽しみたい人にはこちらも外しにくい。電車の中で読むと、ふいに笑いそうになる場面がある。けれど読み終えると、笑いよりも、地中を這うような人間の欲の感触が残る。
7.破門(角川文庫)
『破門』は直木賞受賞作であり、黒川博行の名前を広く知らしめた一冊でもある。映画出資詐欺をめぐって、二宮と桑原が芸能や興行の世界に踏み込んでいく。映画という華やかな表の顔と、その裏で動く資金、人脈、見栄、嘘。黒川博行が得意とする「きれいな看板の裏にある金の濁り」が、ここではとても分かりやすい形で出ている。
『破門』が入りやすいのは、事件の筋が追いやすく、会話のテンポもよく、シリーズの魅力が広くまとまっているからだ。受賞作から黒川博行を読みたい人にとって、ここは確かに強い入口になる。ただ、二宮と桑原の関係の面白さを深く味わうなら、前の巻を知っているほうがいい。長い腐れ縁の上に成り立つ遠慮のなさが、この作品の笑いを支えている。
桑原は相変わらず乱暴で、二宮は相変わらず逃げたい。だが『破門』では、二人の間にある妙な信頼のようなものも見える。友情と呼ぶには汚れていて、仕事仲間と呼ぶには濃すぎる。互いに相手を信用していないのに、相手がどう動くかは分かっている。この関係が、事件の展開以上に読ませる。
映画や芸能の世界を扱っているため、シリーズの中でも華やかさがある。だが、その華やかさはすぐに剥がれる。夢を売る世界にも、当然のように金勘定と詐欺がある。理想や作品愛を掲げる言葉が、別の誰かの金集めに使われる。その感じの悪さを、黒川博行は怒鳴らずに描く。軽口のほうが、むしろよく刺さる。
迷った時の一冊として『破門』を選ぶのはかなりいい。シリーズの代表作としての読みやすさがあり、黒川博行らしい悪さもある。疲れているけれど重厚すぎる小説はつらい、でも薄い娯楽では物足りない。そんな時にちょうどいい熱量で入ってくる。読み終えると、二宮と桑原にまた会いたくなるはずだ。
8.喧嘩(角川文庫)
『喧嘩』は、シリーズをある程度読んできた人にこそ効く一冊だ。二宮と桑原は、いつまでも若いままではない。だが、年齢を重ねたからといって、危ない金の匂いから離れられるわけでもない。むしろ、過去の付き合い、顔の広さ、積み重なった恨みや貸し借りが、より面倒な火種になっていく。
この作品で感じるのは、勢いだけではないシリーズ後半の味だ。『疫病神』の頃の荒っぽい新鮮さとは違い、二人の掛け合いには年季がある。言わなくても分かることが増えたぶん、言葉の少ない場面にも含みが出る。もちろん罵り合いはある。だが、その奥に、長く腐れ縁を続けてしまった人間同士のどうしようもなさが漂う。
タイトルは『喧嘩』だが、単純な殴り合いの小説ではない。面子のぶつかり合い、組織同士の駆け引き、金をめぐる綱引き、そして年を取った男たちの意地。黒川博行が描く喧嘩は、拳だけで決まらない。誰が引くのか、誰が引けないのか。その見極めが、会話の一つひとつに入っている。
シリーズ後半の本は、最初の一冊には向かない。人物の関係を知っているほど、何気ない会話の裏が読めるからだ。だから『喧嘩』は、初読で飛び込むより、少なくとも『疫病神』『破門』あたりを経てからのほうがいい。二宮と桑原がどれだけ変わり、どれだけ変わっていないかが見える。
長く続いたシリーズを追う楽しさは、人物が老いていくことを読む楽しさでもある。こちらも年齢を重ね、昔なら笑えた強引さに少し苦さを感じるようになる。『喧嘩』は、その苦さも含めてシリーズを先へ進める。まだ終わらない、でも同じままではいられない。そんな空気が、読後に低く残る。
ノンシリーズで黒川博行の黒さを読む
9.悪果(角川文庫)
「疫病神シリーズ」の会話劇に慣れたあとで『悪果』を読むと、黒川博行の別の硬さが見えてくる。主人公は大阪府警の刑事・堀内。警察小説ではあるが、きれいな正義の物語ではない。捜査の現場、組織の都合、情報屋との距離、金と欲が絡む場所で、警察もまた清潔な場所にはいられない。
『悪果』の面白さは、正義と悪を単純に分けないところにある。犯罪者が悪い。警察が追う。それだけなら分かりやすい。しかし黒川博行の世界では、追う側にも濁りがある。目的のためにどこまで踏み込むのか。情報を取るために何を見逃すのか。堀内の視界を通して、警察という組織の中にある薄暗い通路が見えてくる。
疫病神シリーズより笑いは控えめだが、会話の力は変わらない。刑事同士のやりとり、相手を探る言葉、わずかな反応から腹を読む感覚。派手なアクションよりも、人間の目つきや沈黙に緊張が宿る。黒川博行の文体は、こういう場面でよく働く。余計なきれいごとを言わないぶん、現場の空気が近い。
仕事で「正しいこと」と「うまくやること」の間に挟まれた時、この小説は少し苦く響く。理想だけでは進まない。だが、現実に流され続けると、自分がどこに立っているのか分からなくなる。『悪果』は、その境目をじっと見せる。読んでいて気持ちのいい善悪ではないが、だから信じられる。
シリーズもの以外の黒川博行を知りたいなら、『悪果』は大事な一冊だ。ここから『繚乱』へ進むと、警察という看板を外した人間が、さらにグレーな場所へ移っていく流れも見える。二宮と桑原とは違うバディ感を味わいたい人にも合う。ただし、軽快な笑いを期待して読むと少し重い。黒い現場の湿度を味わう本だ。
10.繚乱(角川文庫)
『繚乱』は、『悪果』で見えた黒さを、警察の外側へ押し出したような一冊だ。大阪府警を離れた堀内と伊達が、不動産コンサルタント会社に身を置き、巨大パチンコ店の競売をめぐる金の流れに近づいていく。警察という肩書きがなくなったことで、二人の動きはより危うく、より生々しくなる。
この作品では、不動産、競売、パチンコ、裏社会が絡む。言葉だけ並べると硬いが、実際に読むと、金の匂いに人が寄ってくる速度がよく分かる。誰も自分を悪人だとは思っていない。うまくやっているだけ、取り分を確保しているだけ、損をしないようにしているだけ。そうした小さな自己弁護が積もって、かなり黒い世界になる。
堀内と伊達は、二宮と桑原ほど漫才的ではない。だが、互いの腹を読み、危ない橋を渡るバディとしての面白さがある。元刑事だからこそ分かる情報の読み方があり、元刑事だからこそ越えてはいけない線も見えている。その線を見ながら近づいていくところに、読者の胃が少し重くなるような緊張がある。
『繚乱』を読むと、黒川博行が「業界もの」を書くうまさもよく分かる。制度の説明に寄りすぎず、その制度を利用する人間の顔を見せる。競売や不動産の仕組みが主役なのではなく、そこに群がる人間の欲が主役になる。知識の読み物ではなく、欲の動線を読む小説だ。
『悪果』の後に読むと、堀内と伊達がどこへ流れていくのかが見えやすい。警察小説としての緊張より、悪漢小説に近い危うさを楽しみたい人に向いている。何か大きな金が動く現場の裏側を覗きたい時に読むと、ページの奥から湿った札束の匂いがしてくる。
11.勁草(徳間文庫)
『勁草』は、黒川博行の中でも社会の暗部にぐっと寄った一冊だ。特殊詐欺、裏社会、そこに関わる人間たちの逃げ場のなさが描かれる。映画『BAD LANDS バッド・ランズ』の原作として知った人も多いかもしれないが、原作を読むと、映像の勢いとは別の、じわじわ沈むような重さがある。
この作品が印象に残るのは、犯罪を「悪いこと」として遠くに置かないからだ。もちろん犯罪は犯罪だ。しかし、そこにいる人間たちは、最初から怪物として生まれたわけではない。家庭、金、孤独、諦め、少しの運の悪さ。そうしたものが重なって、戻る道の見えない場所へ流れていく。黒川博行は、その流れを甘く慰めずに描く。
疫病神シリーズのように笑いで走る作品ではない。会話のうまさはあるが、笑ったあとに残るものがかなり冷たい。詐欺の仕組みそのものより、そこに巻き込まれた人間がどんな顔で生きているのかが迫ってくる。読む側も、安全な場所から眺めているだけではいられなくなる。
『勁草』は、軽い犯罪エンタメを読みたい時には少し重い。むしろ、社会の底にある見えにくい搾取や、生き延びるために悪へ近づいてしまう人間の話を読みたい時に合う。疲れている日に読むと沈むかもしれない。けれど、現実のざらつきから目を逸らしたくない時には、かなり強く残る。
ノンシリーズの中でこの本を後半に置くのは、黒川博行の幅を示すためだ。二宮と桑原の痛快さだけで作家を判断すると、ここにある痛みを見落とす。『悪果』『繚乱』で警察と金の黒さを読んだあとに『勁草』へ進むと、犯罪の奥にいる人間の孤独まで見えてくる。読後はすっきりしないが、そのすっきりしなさに価値がある。
12.煙霞(角川文庫)
『煙霞』は、ノンシリーズの中でも読みやすく、黒川博行らしいコンゲームの楽しさがある一冊だ。高校の美術講師と音楽教師が、私立高校の理事長誘拐という大胆な計画に踏み込んでいく。狙いは、理事長がため込んだ隠し財産。学校という一見まじめな場所と、金の匂いのする犯罪計画が結びつくところに、黒川作品らしい嫌な可笑しみがある。
教師が主人公だからといって、清潔な学校小説にはならない。むしろ、学校法人という閉じた組織の中にある権力、保身、欲が見えてくる。黒川博行は、表向きの肩書きを信用しない。先生、理事長、文化人、警察官、ヤクザ。どんな肩書きも、金と欲の前では少しずつめくれていく。そのめくれ方を読むのが面白い。
『煙霞』には、美術や教育の世界を知る作家らしい視線もある。高尚に見える場所にも、かなり俗っぽい駆け引きがある。主人公たちは善人ではないが、妙に人間くさい。計画は大胆なのに、会話には抜けがあり、ずる賢いのにどこか間が悪い。そのバランスが、重すぎない読み味を作っている。
疫病神シリーズを何冊か読んだあと、少し別の舞台で黒川博行を味わいたい時にちょうどいい。暴力団の圧より、詐欺や誘拐計画の駆け引きを楽しみたい人に向いている。学校や職場の「きれいな建前」に疲れた時に読むと、表の顔の裏で人間が何を考えているかを、苦笑いしながら眺められる。
最後に置いたのは、黒川博行の入り口としても、シリーズ後の息抜きとしても使いやすいからだ。『勁草』のような重さとは違い、『煙霞』には軽やかな悪さがある。とはいえ、ただ明るい小説ではない。煙の向こうに景色がかすむように、読めば読むほど、学校、金、欲望の輪郭がぼやけて不穏になる。その曖昧さが心地よい。
関連グッズ・サービス
黒川博行の小説は会話のテンポが強いので、紙でじっくり読むのもいいし、移動中に耳で追うのも相性がいい。シリーズものは一冊読んだあと次へ進みたくなるため、読書環境を先に整えておくと流れが切れにくい。
長編を続けて読むなら、軽い読書灯や電子書籍リーダーも相性がいい。夜に『国境』や『暗礁』を開くと、もう一章だけのつもりで二宮と桑原の会話に連れていかれる。
まとめ:まずは二宮と桑原の声を聞き、そこから黒い世界へ進む
黒川博行のおすすめ本を選ぶ時、最初に決めるべきなのは「シリーズから入るか、ノンシリーズから入るか」だ。会話の面白さ、テンポのよさ、笑いながら危ない場所へ入っていく感覚を味わうなら、まずは『疫病神』から始めたい。二宮と桑原の声が頭に残ったら、『国境』上下、『暗礁』上下へ進むと、シリーズの地形が見えてくる。
代表作として一冊選ぶなら『破門』が読みやすい。受賞作らしいまとまりがあり、映画業界の金をめぐる騒動も追いやすい。シリーズの会話に慣れてきたら、『螻蛄』でさらに濃い掛け合いを味わい、『喧嘩』で後半の渋さに触れるといい。順番に読むほど、二人の関係の変化が分かる。
ノンシリーズへ進むなら、警察と裏社会の黒さを読む『悪果』、金の動きがさらに生々しい『繚乱』、社会の底の重さが残る『勁草』、コンゲームとして入りやすい『煙霞』の順が分かりやすい。軽く読みたい日は『煙霞』、重めに沈みたい日は『勁草』。同じ黒川博行でも、読む日の体調で選ぶ本は変わる。
- 最初の一冊なら、『疫病神』でシリーズの呼吸をつかむ。
- 代表作の厚みを味わうなら、『国境』上下をまとめて読む。
- 受賞作から入りたいなら、『破門』が読みやすい。
- シリーズ外の黒さを読むなら、『悪果』から『繚乱』へ進む。
- 重い社会派寄りの読後感を求めるなら、『勁草』を選ぶ。
- 少し軽やかな悪さを楽しむなら、『煙霞』がいい。
黒川博行の小説には、きれいな正義はあまり出てこない。その代わり、金に揺れ、欲に負け、口だけは達者で、それでもどこか憎みきれない人間がいる。まず一冊開いて、二宮と桑原の声を聞いてみるといい。
よくある質問(FAQ)
Q. 黒川博行はどの本から読むのがおすすめ?
A. 迷うなら『疫病神』から読むのがいい。二宮と桑原の出会いから始まるため、シリーズの会話、金の匂い、裏社会の距離感がつかみやすい。受賞作から入りたい人は『破門』でもいいが、コンビの関係を深く味わうなら『疫病神』、代表作のスケールを味わうなら『国境』上下へ進む流れが自然だ。
Q. 疫病神シリーズは順番に読んだほうがいい?
A. できれば順番に読むほうがいい。事件ごとに読めるが、二宮と桑原の腐れ縁は積み重ねで面白くなる。まず『疫病神』、次に『国境』上下、『暗礁』上下、『螻蛄』、『破門』、『喧嘩』と進むと、二人の距離感や会話の変化が分かりやすい。時間がない人は『疫病神』と『破門』だけ先に読んでも雰囲気はつかめる。
Q. 黒川博行の小説は暴力描写が苦手でも読める?
A. 裏社会や犯罪を扱うため、暴力や脅しの場面はある。ただ、読ませる中心は残酷描写そのものではなく、会話、駆け引き、金をめぐる人間の動きだ。重い描写が苦手な人は、まず『破門』や『煙霞』のようにエンタメ性の高い作品から入ると読みやすい。逆に、黒さをしっかり味わいたいなら『悪果』や『勁草』が向いている。
Q. 疫病神シリーズ以外で読むならどれがいい?
A. 警察小説としての黒川博行を読みたいなら『悪果』、金と業界のグレーな世界を読みたいなら『繚乱』、社会派寄りの重さを求めるなら『勁草』がいい。少し軽快なコンゲームを楽しみたいなら『煙霞』も入りやすい。シリーズの笑いとは違うが、どの作品にも人間の欲と会話のうまさがある。



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