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【諏訪哲史おすすめ本12選】芥川賞『アサッテの人』から言語実験・幻想・批評の世界を読む

言葉に触れたときの手触りが、ふだんより少しざらつく。そんな経験がある人なら、諏訪哲史の作品はきっと忘れられない読書になる。意味よりも音が先に届き、風景よりも気配が先に立ち上がる。ページをめくるたびに、世界の端がゆっくりめくれ上がっていくようなあの感じ。読み終えてからも胸の奥で小さな振動が続くのは、諏訪の言葉が“理解の外側”に触れてくるからだと思う。

今回は、そんな諏訪哲史の世界を味わうために、代表的な12冊をひとつずつ歩くように紹介していく。芥川賞作『アサッテの人』の奇妙な響きから、人工言語が躍る『りすん』、幻想と退廃が滲む短篇集、そして軽やかなエッセイや批評まで。作品ごとにまったく違う温度と深度を持ちながら、どこかでひとつの線につながっている。

 

 

諏訪哲史について

諏訪哲史は1969年、名古屋市生まれ。師として公言するのは、幻想文学と批評の巨人・種村季弘や、澁澤龍彦といった異端の知性たちだ。彼らの濃密な影響のもと、諏訪は早くから“言葉そのものの運動”に強く関心を向けるようになった。

大学では文学や芸術にどっぷり浸かり、編集者として働いた時期もある。だが、作家として名前が知られる決定的な転機は、2007年『アサッテの人』で芥川賞を受賞したことだろう。吃音の叔父が発する無意味な音の断片から、まったく別の世界を立ち上げてしまう文体は、日本文学の枠を軽く飛び越えていた。あれは事件だった。

その後も、人工言語を使った『りすん』や、耽美で硬質な短篇、軽やかなエッセイ、そして芸術論集まで、活動は広く深く続いていく。諏訪の仕事を一言でまとめれば「境界の作家」かもしれない。現実と異界、言語と沈黙、軽さと重さ。どちらの側にも完全には寄らず、その狭間に立って世界を見つめる。

今の日本文学のなかで、諏訪哲史ほど“言語の手触り”を意識させる作家は珍しい。読むたびに、自分が世界をどう見ているのかを問い返されている気がする。読者にとって、その揺さぶりそのものが心地よい刺激になる。そんな作家だ。

 

 

おすすめ本12選

1. アサッテの人(芥川賞受賞作)

諏訪哲史という作家を語るとき、この一冊を避けて通ることはできない。吃音のある叔父がふと漏らす「ポンパ」「パ」「アサッテ」といった、意味のようで意味でない言葉。その音が空気を振るわせる瞬間に、世界の裂け目がうっすらと見える。その微細な振動を、諏訪は驚くほど繊細に拾い上げていく。私は初めてこの小説を読んだ時、言葉を読むというより“聴く”体験に近いものを味わった。ページをめくるたびに、耳の奥に残響のような気配がこびりつく。

この小説の魅力は、プロットの大きさよりも、語り手の認識の揺らぎにある。叔父の“アサッテ語”が、ただの戯れ言ではなく、何か別の次元へ通じる暗号のように見えてくる瞬間がある。主人公は叔父の奇妙な発話と生き方を通して、世界の「意味」の輪郭がたまたまそう見えているだけにすぎない、と気づき始める。私たちは日々、当たり前だと思っている音や言葉を、無意識に均したり、捨てたりして生きている。諏訪の筆は、その無意識の領域まで踏み込み、そこに潜む奇妙な光と影を描き出してしまう。

読んでいると、何度か立ち止まりたくなる箇所がある。叔父の不思議な発話を前に、語り手がひっそりと感情を動かす場面。そこには「よく分からないもの」を前にした戸惑いと、なぜだか惹かれてしまう吸引力が同時にある。文学がまだ何ものにも回収されていない混沌を扱うことができるのだと、この作品は静かに示している。読後には、不思議な余韻が残る。意味でもプロットでもなく、“響き”が物語を支えていたのだと気づく。その瞬間に、日常の光景すら違って見える。言葉の奥を覗く感覚を味わいたい人にこそ、ゆっくり読んでほしい一冊だ。

2. りすん(言語実験小説の極北)

諏訪哲史という作家の“狂気”に触れたいなら、私は迷わず『りすん』を勧める。人工言語「スワテツ語」と日本語が混じり合い、ページの上で奇妙なリズムを刻む。初めて読むと、まるで理解を拒むような文字列に面食らうが、読み進めていくと奇妙な快楽がじわじわ押し寄せてくる。意味を追うのではなく、音の揺れ、語の質感、文章の運動そのものが、読者の意識を揺さぶるのだ。

私はこの作品を深夜に読み、中盤でふと気づいた。自分は“読んでいる”というより“乗っている”のだと。理解を後回しにし、語の波にただ身を委ねる。すると、文章の底で、諏訪がこっそり仕掛けている世界観の影が見えてくる。無意味なようで意味の粒子が漂い、意味があるようで突然裏切られる。その不安定さは、まさに現代に生きる私たちの心の揺らぎを映しているようだ。

この本は、物語を求める読書ではなく、言語そのものを身体に流し込む読書だと思う。読む速度を変えると、世界の色が変わる。速く読めば、語の奔流に押し流される。ゆっくり読めば、記号のような文字列が急に“生き物”のように蠢きだす。私は何度かページを戻り、「これは文章なのか?」「これは音楽なのか?」とぼんやり考えた。諏訪哲史が文体を実験し続ける理由の一端に触れた気がした。

『りすん』は簡単に答えをくれる作品ではない。しかし、読み終えた後、“言葉とは何か”という問いが、胸の奥で静かに燃え続ける。読者に負荷をかけつつ、同時に快感も与えてしまう。そんな不思議な一冊だ。読後に少し疲れても、どこかすっきりしたような心地になる。自分の中の“言語の回路”を試したい読者には、ぜひ挑戦してほしい。

3. ロンバルディア遠景(初期短篇の美と影)

『ロンバルディア遠景』には、諏訪哲史の初期ならではの透明感と影が漂っている。淡く、遠く、つかめそうでつかめない風景が、短篇という器にぴたりとはまる。私はこの作品を読んだ時、諏訪の“静かな狂気”のようなものに初めて触れた気がした。派手な仕掛けはない。しかし、じわじわと世界の輪郭がゆがんでいく感覚がある。

短篇ごとに雰囲気は少しずつ違うが、共通しているのは“遠景”のような距離感だ。読者が登場人物たちの横に立つのではなく、どこか高い丘の上から彼らの姿を眺めているような不思議な視点。その距離が、逆に読者の心に深い余韻を残す。私はある場面でふと胸がつまるような感覚を覚えた。諏訪の描く人物たちは、誰もが何かを抱えているが、それを劇的に叫んだりしない。ただ、静かに滲み出してしまうのだ。

この作品集には、後の諏訪文学につながる“影”の源が潜んでいる気がする。表面は穏やかだが、足元に黒い裂け目が走っているような気配。文章の端々から、それがひそやかに立ち上がってくる。私は読んでいて何度も立ち止まり、ページの余白を見つめた。言葉が語らない部分こそが、この作品の核心なのだ。

ゆっくり読み進めると、短篇という形式が持つ “一瞬の光” のような美しさが沁みてくる。物語が終わるのは早い。しかし、その短さが、読後に静かな震えを残す。日常の隙間にふっと風が吹き込むような、そんなささやかな体験ができる一冊だ。

4. 領土(静けさと異界の境目を歩く短篇集)

『領土』を読むと、“日常”というものがいかに脆く作られているかを思い知らされる。諏訪哲史の短篇には、生活の風景が整うほどに、逆にその背後がざわつき始める奇妙な感覚がある。いわば、私たちが安全だと思い込んでいる領域のフチに、薄いひびが走っているような気配。それを無理に誇張せず、淡々と描いてみせる筆致が、この作品集の魅力だ。

私はこの本を読んだ時、「理解はできるのに安心できない」という独特の読後感に包まれた。短篇の世界はどれも静かだ。大きな事件は起こらない。派手な仕掛けもない。しかし、ページの端にうっすらと影が差す。見えないはずの気配が、気づいたら背後に立っている。そんな微細な恐怖を、諏訪は異様なまでに丁寧にすくい取っている。

収録作の多くは日常の中でふと足を踏み外すような瞬間を描く。読者が気づかないうちに、風景が少しずつ異界へと傾いていく。私はこの変化を“音のない地滑り”と呼びたくなる。どこにも明確な断層はないのに、気づけば足元が違う地面になっている。そうした感覚に、妙な魅力を覚えるのだ。

『領土』が他の短篇集と違うのは、決して恐怖や幻想だけに寄らないところだと思う。諏訪の文章には透明な郷愁が漂っている。遠くの風景を眺めるようなまなざしがある。その距離感が、読み手に“自分の領土”とは何かを静かに問いかけてくる。自分がどこに立ち、何を守り、何から逃げているのか。物語を離れてからも、その問いが長く尾を引く。そんな余韻を持つ短篇集だ。

5. スワ氏文集(軽やかさと毒を同時に持つエッセイ)

諏訪哲史の“素顔”に近づきたいなら、私はまず『スワ氏文集』を手に取る。このエッセイには、創作ではなかなか見せない軽やかさがある。時に真面目に、時に飄々と、日常の一瞬を切り取っていく。その一つひとつの文章に、諏訪という作家の呼吸の仕方が透けて見える。私はこの一冊を読むたびに、「諏訪哲史はこんなふうに世界を眺めていたのか」と静かに驚かされる。

特に印象的なのは、芸術や創作に関する姿勢が、無意識のような筆致で語られている点だ。諏訪は芸術至上主義を自称しつつ、日常の瑣末にも異様なほど敏感だ。その相反する感覚が、このエッセイでは自然に共存している。難しい理屈や装飾を持たず、ただ“そう感じた”という素直さがある。

読み進めると、時折クスッと笑ってしまうような毒が混じる。気取らず、飾らず、しかしどこか鋭い。こういう軽妙さは、小説の諏訪とは別の顔だ。私は、小説の濃密な文体のあとにこのエッセイを読むと、まるで緊張していた筋肉がほどけていくような心地になる。

エッセイという形式は、作家の本音を露骨にしてしまいがちだが、諏訪の場合は違う。彼の文章には、常に“虚構の匂い”が薄く漂っている。書いているのは日常なのに、どこか演劇的な距離がある。私はその距離の取り方が好きだ。作者自身の生活を見ているのに、どこかで“物語としての諏訪哲史”を読んでいるような錯覚に陥る。それがこの一冊の不思議な魅力だと思う。

6. 岩塩の女王(硬質で透明な狂気が美しい幻想短篇集)

『岩塩の女王』では、諏訪哲史の“硬質な幻想”がもっとも純度の高い形で味わえる。作品全体に冷たい透明感があり、触れたら指先が切れてしまいそうな鋭さがある。私はこの本を読みながら、何度も呼吸を整えた。文章があまりにも研ぎ澄まされているため、読み手の心も自然と緊張してしまうのだ。

諏訪の描く幻想は、決して大げさなものではない。巨大な怪物や異世界が現れるわけではない。むしろ日常の小さなほころびから、ひやりとした異質が染み出してくる。光の届かない場所にそっと置かれた水晶のような世界。そこに手を伸ばすと、冷たさと同時にかすかな痛みを覚える。

特に印象に残るのは、“狂気”の扱いだ。諏訪は狂気をドラマチックに描かない。むしろ静かに、密やかに、誰の心の中にもひっそりと潜んでいるものとして描く。その姿勢が、作品全体に奇妙な説得力を与えている。読んでいると、どこか自分の内側にも似たような影が存在する気がして、ぞっとする瞬間がある。

そして、短篇という形式が諏訪の幻想には抜群に合っている。物語があまり長く続かないからこそ、断片のような世界がより鮮やかに浮かび上がる。読者に全てを説明しない。見えるところだけをそっと差し出す。その控えめな距離感が、逆に濃厚な余韻を生む。この感覚がクセになる読者は多いはずだ。

7. 昏色(くれいろ)の都(耽美と退廃の中で揺れる中篇世界)

昏色の都

昏色の都

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『昏色の都』は、諏訪哲史の耽美性がもっとも表に出た作品だと思う。ベルギーの古都を舞台にした表題作には、古びた石畳や曇ったガラス窓のような質感が漂う。見慣れない街の光景なのに、どこか懐かしい。その矛盾した感覚が、読者を掴んで離さない。

私はこの作品を読んだ時、風景の“温度”が印象に残った。諏訪の文章は、空気を描くのがうまい。温度、湿度、匂い、光の具合。そうした要素がさりげなく文章に染み込んでいる。舞台となる街は実在しながら、どこか夢の中のようにも感じられる。その曖昧さが、物語の耽美性を一層引き立てている。

収録作「貸本屋うずら堂」などでは、退廃と哀しみが柔らかく絡み合う。諏訪は決して情緒に浸らないが、どこかで読者の心をそっと刺すような一文がある。私はその瞬間に、ページを閉じて深呼吸をしてしまうことがあった。感情が過剰ではないのに、なぜか胸が締め付けられる。そんな独特の余韻が、この作品集の底に流れている。

諏訪文学の中でも、都市と心の距離感を描く作品として、特に美しい一冊だと思う。光の弱い時間帯を歩く時のような、静かなざわめきを感じる中篇集だ。

8. 偏愛蔵書室(ブックガイドを超えた“読書という行為そのもの”の探究)

『偏愛蔵書室』は、単なるブックガイドではない。作家・諏訪哲史という存在が、本という“他者”に向かうときの姿勢や温度が、むき出しのまま綴られている。ページを開くと、読書という行為の奥に潜む、偏りや執着や乱暴さ、そしてどうしようもなく美しい瞬間が次々と現れる。私はこの一冊を読むたびに、“偏愛”という言葉の本当の意味を考えさせられる。

諏訪の選書には、どこか一貫した“ねじれ”がある。一般的な評価軸とは違う、彼自身の審美眼だけで世界が組み替えられていく。文学、幻想、批評、歴史、奇書——ジャンルを横断するその偏りは、むしろ清々しいほどで、読んでいると「この作家がどれほど本を愛してきたか」が手に取るように分かる。

印象的なのは、紹介する本への語り口が、知識の披露ではなく“対話”になっている点だ。著者と書物と読者が、奇妙な三角形を描くようにして本の中で向かい合う。その構造によって、読者はただ情報を受け取るだけではなく、作家の偏愛の輪の中に引きずり込まれていく。私は「この人は本を読むことで世界を再構築しているのだ」と静かに圧倒された。

エッセイや批評でありながら、どこか小説的でもある。諏訪が語る“蔵書室”は実在の空間ではなく、彼の内側に広がる抽象的な世界のようにも感じられる。読後、手元の本を一冊一冊取り出して、改めて“自分にとってなぜこの本なのか”を考えたくなる。偏愛とは、自分の世界の重心を決める行為なのだと、しみじみ感じさせられる一冊だ。

9. 紋章と時間 ― 諏訪哲史文学芸術論集 (文学・芸術・師系譜がひとつに結ばれる核心的批評集)

諏訪哲史の背景を深く理解したい読者にとって、この本は避けて通れない。『紋章と時間』は、文学・芸術・思想・師弟関係が複雑に絡み合う“諏訪哲史の内的地図”のような一冊だ。とりわけ、種村季弘や澁澤龍彦といった師の存在に寄り添いながら、彼が何を受け継ぎ、何を拒絶し、どの方向へ歩んで行ったのかが鮮明に描かれる。

批評集といっても、諏訪の文章は決して難解な理論に寄りかからない。むしろ、体験に根ざした直感的な語りが多く、読者はまるで一対一で話を聞いているような心地になる。芸術の核心を語るときの鋭さと、人間の弱さに目を向けるときの柔らかさ。その二面性が、批評でありながらどこか“物語”のようでもある。

私はこの本を読んだとき、諏訪哲史という作家が、単に奇抜な表現や実験を好むのではなく、深く広い芸術の血脈の中で生きていることをあらためて感じた。作品の文体や構造に潜む異質さは、無根拠な前衛ではない。伝統や芸術史の深部に触れた先に、別の扉を開こうとする姿勢の表れなのだ。

一編一編をじっくり読むと、諏訪文学の“源泉”がゆっくりと見えてくる。ときに激しく、ときに静かに、芸術の根源へ潜っていく。その旅に付き添うように読める、充実した批評集だ。

10. うたかたの日々(日常の粒子を透かし見る軽妙エッセイ)

『うたかたの日々』の魅力は、“軽さ”の裏に潜む深さだ。諏訪哲史の文章は、一見すると日常のよくある光景を語っているようで、ふとした瞬間に読者を別の世界へ連れ出してしまう。この感覚は、小説の不穏な静けさとも違う。むしろ、日常のすき間に突然ふっと吹き込む“風”のようなものだ。

地元紙の連載を中心としたエッセイだけあって、語り口は柔らかい。身近な出来事、家族の話、町での偶然の一幕。それらが小さな粒子のようにつながり、読むほどに作者の視界が立ち上がってくる。私はこの一冊を読むと、諏訪が普段どんなリズムで生活しているのか、どんな呼吸で世界を見ているのか、その“速度”まで感じられる気がする。

何気ない場面でも、諏訪の視線はどこか捻れている。そこが面白い。物事を正面からではなく、少し斜め上から眺めるような独特の距離感。読者は「そこにそんな意味を見つけるのか」と思いながら、次の段落へと誘われてしまう。その感覚が心地いいのだ。

エッセイとしては軽やかだが、読み終わると不思議な余韻が残る。日常のなかに潜んでいるはずなのに普段は見落としてしまう“気配”を、諏訪はひょいと拾い上げてみせる。その瞬間、ありふれた風景がじんわりと輝き始める。静かな幸福感が漂う一冊だ。

11. スットン経(名古屋弁のリズムが躍る、軽妙で奥行きのあるエッセイ)

『スットン経』は、『うたかたの日々』の延長線上にありながら、さらに軽妙で自由な筆致が特徴のエッセイ集だ。特に、名古屋弁を交えた語りの“揺れ”が実に心地いい。諏訪哲史の文章の中に潜む韻律が、ここではより素直に、のびのびと躍動している。

エッセイとしての形式はシンプルだが、そこに書かれていることは単なる日常記録ではない。どんな小さな出来事にも、諏訪の独特の哲学が滲む。ゆるい笑いに混じる微かな毒、気取らない語り口に潜む知性。そのすべてが、読み手を飽きさせないテンポを生み出している。

私はこの本を読むと、まるで諏訪と散歩しているような感覚になる。彼の横で歩き、ふとした瞬間に漏れる独白を聞いているような距離感。肩の力が抜けた文章なのに、どこかで深いところに触れてくる。そのギャップが、この一冊の一番の魅力だと思う。

名古屋弁のリズムが加わることで、文章の“音”がより際立つ。諏訪文学が持つ音楽性を感じたい読者には、実は最適な一冊だ。ページを閉じたあと、耳に残る余韻がふと日常の景色を変えてしまう。そんなささやかな魔法のような作品である。

 

12.昭和の少年(記憶と成長の物語)

『昭和の少年』は、諏訪哲史の中でも少し異なる響きをもつ一冊だ。これまでの言語実験や幻想的な世界構築とは別の方向に、そっと伸びていく作品で、諏訪の“個人史”の奥にある柔らかな影と光を、そのまま紙にこぼしたような手触りがある。タイトルを見たときに抱く「懐かしい記憶の箱を開けるような感覚」と、実際に読んだときの“こちら側の胸に刺さる感触”には、微妙なズレがある。そのズレこそが、この作品の深さになっている。

読み進めるほどに、昭和という時代が単なる背景ではなく、“人を育ててしまう装置”として立ち上がる。テレビの音、団地の匂い、夏の湿気、知らぬ間に刷り込まれる価値観。そうしたものが淡い色のまま重なり、気づけばひとりの人生の核になっている。諏訪の筆は、その「育ってしまった過程」を懐かしさだけで包まず、時に痛みを伴いながら丹念に描き直していく。

私はこの本を読んでいて何度か手が止まった。幼いころの風景や出来事を思い出したからではない。むしろ、自分自身の記憶がこの物語のどこかに吸い込まれるような感覚があったからだ。登場する少年は諏訪本人を思わせるが、同時に誰にでも重なる“名もなき子ども”として存在している。その普遍性が、物語を読むという行為を越えて、自分の記憶をひらく鍵のように作用する。

面白いのは、昭和という時代を肯定的にも否定的にも描いていない点だ。美化せず、断罪もせず、ただ“そこにあった時間”として扱っている。そこにある静かさは、諏訪哲史の作品らしい距離感だと思う。語り手が入り込み過ぎず、突き放し過ぎず、記憶の表面にそっと指を置くような位置にいる。その絶妙な距離が、読者の記憶を強制的に掘り返すのではなく、「思い出してもいいし、思い出さなくてもいい」という自由を与えてくれる。

諏訪の文章は、ときに鋭利で、ときに硬質で、ときに音楽のように揺れる。この本では、そのすべてが少しずつ混ざり合っている。懐かしい世界を描くはずなのに、温度が一律ではない。子どもの視界の明るさと、大人になってから振り返った時の陰り。その両方を重ね書きするような構造が、物語にふしぎな奥行きを与えている。

個人的に強く印象に残ったのは、記憶そのものが曖昧なまま提示される場面が多いことだ。思い出したようで、思い出しきれない。確かにあった気がするが、指で触れると輪郭が崩れる。そうした曖昧さを、諏訪は誤魔化さず、むしろそのまま書き留める。記憶が“正確さ”よりも“匂い”や“気配”で残っていることを、彼は本能的に知っているのだろう。

読後感はしみじみとしているが、湿っぽくはない。むしろ、胸の奥を軽く押されるような感覚が残る。自分の中の「昭和」や「少年」「家族」「世界の最初の姿」を静かに揺さぶられる。諏訪哲史という作家が、なぜこれほど“記憶と日常の裂け目”を描くのがうまいのか、その理由の一端が見える気がした。

派手さはない。しかし、読み返すほど深まるような余韻がある。自分の記憶を連れてくる文学が好きな人には、確実に刺さる一冊だと思う。

まとめ:諏訪哲史の世界を歩いたあとに残る“静かな震え”

12冊を読み歩いてあらためて思うのは、諏訪哲史という作家は“理解より前に存在してしまう作家”だということだ。物語の筋や主題だけを追う読み方では、確かにうまく掴めない瞬間がある。でも、その掴めなさこそが魅力なのだ。

言葉のリズムに身を預けたときにだけ見える風景があり、日常のすき間にふっと入り込む魔のような暗がりがある。諏訪の作品は大声で迫ってこない。かわりに、読者の耳元で小さな音を響かせ続ける。読み終えてから数日たっても、その音が残っていることに気づく。そんな経験をくれる作家は、そう多くない。

もしあなたが、読書を“理解の作業”だけで終わらせたくない時期にいるなら、諏訪哲史は確実に刺さるはずだ。自分の中に眠っていた何かが、そっと揺り起こされる。静かだが、深い揺れだ。

最後に用途別の“読み方ガイド”を置いておく。

  • まず雰囲気に浸りたいなら:『昏色の都』
  • 諏訪の核心に触れたいなら:『アサッテの人』
  • 言語の冒険をしたいなら:『りすん』
  • 軽い気分で楽しみたいなら:『スワ氏文集』『うたかたの日々』

どの一冊を選んでも、“自分の中の静けさ”がほんの少し変わるはずだ。読書の余韻は、その変化の中にそっと残る。

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諏訪哲史の世界は、静けさや余韻が長く続く。読後の感覚をさらに深めたいときは、普段の生活に相性のいいツールを組み合わせると、作品の響き方が変わる。

● Kindle端末

諏訪の繊細な文体をゆっくり追いたいとき、E Inkの読み心地は相性がいい。夜の部屋の静けさの中で読むと、作品の“音”“間”がより濃く伝わってくる。

Kindle Unlimited

諏訪のエッセイや周辺書の下調べにも便利。気ままに試し読みしやすいので、幻想文学や批評の周辺領域も合わせて探したいときに合う。

Audible

諏訪作品は“音の小説”でもある。朗読で聴くと、文章の中の韻律がじわりと浮かび上がる。歩きながら聴くと、風景が少し違って見える感覚がある。

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書籍の配送が早いので“次に読む候補”を途切れず揃えられる。ふと読みたくなる諏訪の短篇集を気軽に買えるのが便利。

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蔵書を多く扱う人には意外と役立つ。紙の本をまとめ買いする時など、法人価格や一括管理が便利だったりする。

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静かなピアノやアンビエントを流しながら読むと、諏訪の文章の陰影がより深くなる。音と文体の相性がいい作家だと実感できる。

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