ナンセンス絵本を選ぶなら、ただ変なだけでなく、言葉のリズム、発想の飛び方、日常のずれ方がそれぞれ違う本から読むと楽しい。子どもは声に出して笑い、大人はその奥にある妙な理屈やこだわりに引っかかる。この記事では、大人も子どもも違う角度から楽しめるナンセンス絵本を8冊紹介する。
読む目的別の入り口
ナンセンス絵本は、順番を間違えると「何が面白いのかわからない」で止まりやすい。最初は、意味を追いかけすぎず、絵と言葉の変な流れに乗れる本から入るといい。
- まず代表的なナンセンス絵本から入りたい人は、1.キャベツくんと2.おじさんのかさから読むと、変な発想と大人に刺さるユーモアの両方がつかみやすい。
- 言葉遊びや声に出す楽しさを味わいたい人は、3.ねぎぼうずのあさたろう その1と7.これはのみのぴこが向いている。
- 小さい子と一緒に笑いたい人は、5.もうぬげない、6.バナナじけん、8.パンツのはきかたから入ると、読み聞かせの場がほどけやすい。
ナンセンス絵本は、意味がないようで意味深い
ナンセンス絵本の面白さは、「意味がない」ことではなく、「意味がありそうなのに、まっすぐ説明できない」ことにある。キャベツがブタヤマさんを怖がらせたり、傘を濡らしたくないおじさんが雨の中で奇妙な行動をとったり、りんごひとつから世界の見え方がどんどんずれていったりする。筋だけを追えば短い。けれど、読み終えたあとに残る引っかかりは妙に長い。
子どもは、理屈より先に絵の変化や音の繰り返しを楽しむ。大人は、そこに自分のこだわり、思い込み、日常の窮屈さを見てしまう。だからナンセンス絵本は、年齢によって笑いどころが変わる。幼いころは「へんなの」で笑い、大人になると「たしかに自分もこういうところがある」と苦笑する。
今回の8冊は、ナンセンスをひとつの色でまとめないように選んだ。長新太の突拍子もない飛躍、佐野洋子の人間くさいこだわり、飯野和好の節回し、高畠那生の因果のずれ、谷川俊太郎と和田誠の言葉の積み上げ。ヨシタケシンスケ作品も入れているが、そこに寄せすぎず、昔から読まれてきた絵本と現代の発想絵本を混ぜている。
読むときは、正解を探さなくていい。ページをめくって、「なぜそうなる」と思った瞬間に、もうその本の中に入っている。疲れている日ほど、まじめな教訓よりも、こういう変な本のほうが心の力を抜いてくれることがある。
ナンセンス絵本おすすめ8選
1.キャベツくん(文研出版)
ナンセンス絵本の入口として、まず置きたいのが『キャベツくん』だ。タイトルだけ見ると、野菜が主人公のかわいい絵本に見える。けれどページを開くと、そこにあるのはもっと変で、もっと自由な世界だ。キャベツくんが歩いていると、ブタヤマさんに出会う。ブタヤマさんはキャベツくんを食べようとする。そこから始まるやりとりが、普通の物語の予想を気持ちよく外していく。
この本の面白さは、「もしキャベツを食べたらどうなるか」という発想を、まじめに、しかも徹底して遊ぶところにある。空に浮かぶ動物たちの姿は、理屈で説明するとばかばかしい。けれど絵として見ると、妙に納得してしまう。ぞうがキャベツを食べたら。へびがキャベツを食べたら。そうやって想像が連鎖していくうちに、現実の形が少しずつゆるんでいく。
長新太の絵本は、子ども向けという言葉だけでは収まりきらない。線はのびのびしていて、色は明るいのに、どこか不穏な気配もある。ブタヤマさんの「食べたい」という欲望は単純だが、それをかわすキャベツくんの言葉には、奇妙な強さがある。食べる、食べられるという関係が、恐怖ではなく笑いに変わっていく。そのずらし方がうまい。
読み聞かせでは、子どもはまず絵で笑う。空に浮かぶ動物たちを見て、ページの中を指で追いかける。大人は、その発想のしつこさに笑う。ひとつ思いついたら終わりではなく、何度も何度も変な可能性を出してくる。その繰り返しが、まるで子どもの「じゃあこれは?」という質問の連続のようでもある。
この本が刺さるのは、意味のある本ばかり読んで少し疲れたときだ。仕事でも家でも、理由や成果や説明を求められる日が続くと、頭の中がまっすぐな線ばかりになる。そんなときに『キャベツくん』を読むと、線がふにゃっと曲がる。役に立つかどうかを横に置いて、変なものを変なまま楽しむ感覚が戻ってくる。
ナンセンス絵本を初めて読む人にも向いている。なぜなら、この本は難しい言葉や背景知識を必要としないからだ。絵を見て、言葉を聞いて、次に何が出るかを待てばいい。大人が深読みしても楽しいし、子どもが直感で笑っても楽しい。入口の本として強いのは、その両方を受け止める広さがあるからだ。
読み終えたあと、キャベツを見る目がほんの少し変わる。スーパーの棚に並んだ丸いキャベツが、ただの野菜ではなく、どこかとぼけた顔をしているように見える。いいナンセンス絵本は、ページの外の世界まで少し変えてしまう。『キャベツくん』には、その力がある。
2.おじさんのかさ(講談社)
『おじさんのかさ』は、ナンセンス絵本でありながら、かなり人間くさい絵本だ。主人公のおじさんは、立派な傘を持っている。けれど、その傘を大切にしすぎて、雨が降ってもささない。濡らしたくないからだ。傘なのに雨の日に使わない。この小さな矛盾から、物語は静かに転がり出す。
この本のユーモアは、派手な奇想ではなく、こだわりの滑稽さから生まれている。誰にでも、似たようなところがある。大事にしている服を汚したくなくて着ない。高いノートを買ったのに、もったいなくて最初の一文字が書けない。便利なものを持っているのに、傷つけたくなくて使えない。おじさんの傘は、そういう大人の小さな本末転倒を、やさしく笑いにしている。
佐野洋子の絵本には、かわいらしさの奥に、少し冷静なまなざしがある。おじさんは決して悪い人ではない。むしろ、傘を大事にする姿はどこか誠実だ。ただ、その誠実さが行きすぎると、物そのものの役割から離れてしまう。大切にするとは何か。使うとは何か。そんな問いが、説教にならず、雨の音と一緒にしみてくる。
読み聞かせでは、子どもは「なんで傘ささないの」と素直に突っ込む。そこがいい。大人はその突っ込みを聞きながら、自分の中のおじさんに気づく。子どもにとっては変なおじさんの話であり、大人にとっては、こだわりに縛られる自分の話でもある。ひとつの場面を、親子で別々の深さで読める。
この本がとくに刺さるのは、生活の中で「ちゃんとしなきゃ」と思いすぎているときだ。物を大事にすること、習慣を守ること、自分の流儀を崩さないこと。それらは悪くない。けれど、気づかないうちに自分を狭くしている場合もある。おじさんが雨の中で少しずつ変わっていく姿を見ると、かたく握っていたものを少しゆるめてもいい気がしてくる。
ナンセンスというと、突拍子もない世界を想像しがちだが、この本は日常のずれで読ませる。傘をさすか、ささないか。それだけの話なのに、妙に忘れがたい。雨の日の道、濡れた地面、傘を打つ音。そうした小さな感覚が、最後にはおじさんの心の変化と重なる。
『キャベツくん』が発想の飛躍で笑わせる本なら、『おじさんのかさ』は人間のこだわりで笑わせる本だ。大人が読むナンセンス絵本としては、こちらのほうが身につまされるかもしれない。読み終えたあと、雨の日に傘を開く動作が、少しだけうれしくなる。
3.ねぎぼうずのあさたろう その1(福音館書店)
『ねぎぼうずのあさたろう その1』は、言葉の勢いで読むナンセンス絵本だ。主人公は、ねぎぼうずのあさたろう。野菜を擬人化しただけなら珍しくないが、この本はそこに時代劇の節回し、旅ものの匂い、浪曲のような調子が加わる。読んでいるうちに、台所の野菜たちが急に渡世人の顔をしはじめる。
飯野和好の絵は、濃い。人物ならぬ野菜たちの顔つきが濃く、構図も濃く、言葉のリズムも濃い。すました絵本ではない。ページから声が飛び出してくるような絵本だ。ねぎぼうずが旅をするというだけで変なのに、その世界は妙に本格的で、どこか講談や股旅ものの空気がある。この本は、ナンセンスを「子ども向けのかわいい変さ」に閉じ込めていない。
読みどころは、やはり言葉だ。声に出すと、文章が体に乗ってくる。黙読していると少し通り過ぎてしまうところも、読んでみると調子が出る。舌が忙しく動き、息の置き場ができ、聞いている子どももそのリズムに巻き込まれる。意味だけでなく、音で楽しむ絵本として強い。
ナンセンス絵本の中には、静かに変な本もある。『ねぎぼうずのあさたろう』はその逆だ。堂々と変で、派手で、少し大げさで、読者を舞台の前に連れていく。ねぎ、にんにく、とうがらし。普段なら食材として見るものが、それぞれ顔と性格を持つ。台所と時代劇が重なるだけで、世界はこんなにずれるのかと思う。
この本が刺さるのは、言葉のリズムで子どもを引き込みたいときだ。静かな絵本に集中できない日でも、節をつけて読むと空気が変わる。読んでいる大人も、少し芝居がかった声を出したくなる。恥ずかしがらずに読んだほうが、この本は生きる。
一方で、最初の1冊としては少し濃いと感じる人もいるかもしれない。だから、発想の飛躍を楽しむ『キャベツくん』や、日常のずれで笑える『おじさんのかさ』のあとに読むと入りやすい。ナンセンス絵本には、絵で笑うもの、設定で笑うもの、言葉で笑うものがある。その言葉側の楽しさを引き受けているのが、この本だ。
読み終えたあと、野菜売り場が少しにぎやかに見える。ねぎがただのねぎではなく、何かを背負って旅に出そうに見える。そういう馬鹿馬鹿しい変化を残してくれる本は、意外に貴重だ。子どもの笑い声だけでなく、大人の喉にも残る絵本である。
4.りんごかもしれない(ブロンズ新社)
『りんごかもしれない』は、現代のナンセンス絵本として外しにくい一冊だ。目の前にあるりんごを、「これは本当にりんごなのか」と疑うところから始まる。普通なら、りんごはりんごだ。赤くて丸くて、食べれば甘い。けれど、この本では、その当たり前がどんどん崩れていく。もしかしたら、これはりんごではないのかもしれない。中に何かが入っているのかもしれない。別の世界につながっているのかもしれない。
ヨシタケシンスケの絵本は、日常の小さなものを起点にして、考えが横へ横へと広がっていく。『りんごかもしれない』の強さは、その広がり方が子どもの空想に近いことだ。大人の論理では、最初に正体を決めたくなる。これはりんごだ、と名づけて安心したくなる。けれど子どもの目は、ときどきそこに留まらない。見えているものとは別の可能性を、何度も開いていく。
この本は、ナンセンスでありながら、想像力の入門書でもある。大げさな冒険に出なくても、りんごひとつで世界は広がる。机の上、台所、皿の上。そこにあるものの見方を少し変えるだけで、物語が始まる。読者はページをめくりながら、「そんなわけない」と思い、次の瞬間には「でも、そうだったら面白い」と思う。その往復が楽しい。
大人にとっては、固定観念をほどく本でもある。仕事や生活の中では、物事に早く名前をつけることが求められる。これは問題だ。これは正解だ。これは失敗だ。そうやって分類していくほど、世界は扱いやすくなるが、同時に少し退屈にもなる。『りんごかもしれない』を読むと、名前をつける前の状態に戻れる。
この本が刺さるのは、子どもの発想を伸ばしたいときだけではない。大人自身が、考え方の幅を取り戻したいときにも効く。企画を考えているとき、文章が硬くなっているとき、子どもに「なんで?」と聞かれて答えに詰まったとき。りんごをりんごで終わらせない態度は、意外と生活のあちこちで使える。
ただし、ヨシタケシンスケ作品に寄りすぎると、ナンセンス絵本全体の幅は少し狭く見える。だからこの記事では、この本を中盤に置いた。古典的な飛躍や言葉遊びを読んだあとで手に取ると、現代的な「考えるナンセンス」としての位置が見えやすい。
読み終えたあと、身の回りのものが少し怪しくなる。コップかもしれない。靴下かもしれない。椅子かもしれない。そうやって日常に小さな疑いを入れると、見慣れた部屋が少しだけ知らない場所になる。ナンセンス絵本の楽しさを、考える方向へ広げてくれる一冊だ。
5.もうぬげない(ブロンズ新社)
『もうぬげない』は、日常の小さな困りごとを、最後まで本気で膨らませる絵本だ。服が脱げない。たったそれだけのことなのに、主人公の頭の中では大事件になる。このままずっと脱げなかったらどうしよう。ごはんは食べられるのか。寝るときはどうするのか。将来はどうなるのか。子どもの一瞬の困惑が、人生全体を巻き込むように広がっていく。
この本の笑いは、とても身近だ。子どもは服が引っかかって泣くことがある。大人はそれを見て、つい「早くしなさい」と言ってしまう。けれど本人にとっては、世界が止まるほどの問題なのだ。『もうぬげない』は、その大げささを馬鹿にしない。むしろ、本人の想像の中へ一緒に入って、どこまでも付き合う。
ヨシタケシンスケのうまさは、困った状態を暗くしないところにある。服が脱げない姿は、絵としてまず面白い。顔が見えない。お腹が出ている。体の自由がきかない。その姿だけで笑える。けれど、笑いながら読むうちに、子どもの中で不安がどんなふうに膨らむのかも見えてくる。
親子で読むと、この本はかなり強い。子どもは「あるある」と笑う。大人も「あるある」と笑う。ただし、見ている場所が少し違う。子どもは脱げない状態そのものを笑い、大人は、そこからどんどん未来を妄想してしまう感じに笑う。小さな失敗を世界の終わりのように感じることは、大人にもあるからだ。
この本が刺さるのは、子どもの支度にイライラしてしまった日だ。服を着る、脱ぐ、靴を履く、手を洗う。大人には簡単に見える動作でも、子どもにはうまくいかないことが多い。そんなときにこの本を読むと、「できない」を少し笑いに変えられる。しつけの本ではないのに、生活の空気をやわらげる力がある。
ナンセンスとして見ると、『もうぬげない』は発想が外へ飛ぶというより、ひとつの困りごとの内側へ潜っていく絵本だ。脱げないならどうするか。その状態を受け入れたら、どんな生活になるか。普通ならすぐ解決するべきことを、あえて解決せずに眺める。そのしつこさが面白い。
小さい子にとっても入りやすい。絵の状況がわかりやすく、言葉も追いやすい。けれど大人が読むと、単なる幼児あるあるでは終わらない。自分で自分を追い込んでしまう頭の動き、起きてもいない未来を心配し続ける感じ。その滑稽さが、少し胸に刺さる。
読み終えたあと、服が引っかかった子どもを前にしたとき、ほんの少し待てるかもしれない。笑いは、生活の速度を落としてくれることがある。『もうぬげない』は、親子の慌ただしい時間に入れると効くナンセンス絵本だ。
6.バナナじけん(BL出版)
『バナナじけん』は、因果のずれを楽しむ絵本だ。バナナが落ちる。そこから何かが起こる。単純な出来事のはずなのに、ページをめくるたびに、思わぬ方向へつながっていく。事件というほど大げさではない。でも、たしかに事件だ。小さなバナナひとつが、周囲を巻き込んでいく。
高畠那生の絵本には、乾いたおかしさがある。説明しすぎず、絵で見せる。読者はページの中で起きていることを見て、「ああ、そうなったのか」と気づく。その間合いがいい。笑いを押しつけないのに、気づいた瞬間におかしい。ナンセンス絵本の中でも、比較的小さい子が入りやすいタイプだ。
この本の面白さは、原因と結果がずれていくところにある。普通の物語なら、事件には理由があり、登場人物は目的を持って動く。けれど『バナナじけん』では、バナナが落ちたことをきっかけに、予想外の動きが生まれる。誰かが大きな計画を立てたわけではない。ただ、ものがそこにあり、誰かが通り、何かが起きる。
子どもは、こういう連鎖が好きだ。積み木が倒れる。水がこぼれる。誰かがすべる。ひとつの出来事が次の出来事を呼ぶ。その流れを目で追うだけで楽しい。『バナナじけん』は、その楽しさをとても絵本らしい形で見せてくれる。
大人にとっては、説明の少なさがむしろ心地いい。たくさん語られないぶん、自分で見つける余白がある。絵の中で何が起きているかを追いかける時間は、画面や文字情報に疲れた頭を少し休ませてくれる。小さな子に読んでいるつもりが、大人のほうがページの間を楽しんでいることもある。
この本が刺さるのは、長い物語にまだ集中しにくい子と一緒に読むときだ。言葉の量が多い絵本では途中で離れてしまう子でも、絵の変化を追うタイプの本なら入れることがある。声に出して大げさに読むというより、ページを見せながら「どうなった?」と一緒に見つけていく読み方が合う。
ナンセンス絵本の中では、かなり軽やかな位置に置ける。重いテーマも、深い象徴も背負わせなくていい。けれど、その軽さが大事だ。笑いには、考え込ませるものだけでなく、ただ目の前の動きに反応して笑うものもある。『バナナじけん』は、その素朴な笑いをきれいに残している。
読み終えたあと、床に落ちたバナナの皮という古典的な笑いが、少し新しく見える。何が起きるかわからないから面白い。世界は、ときどき小さなものをきっかけに勝手に転がる。その転がり方を、子どもと一緒に眺めるための一冊だ。
7.これはのみのぴこ(サンリード)
『これはのみのぴこ』は、言葉が積み上がっていく快感を味わう絵本だ。最初は短い。けれど、ページをめくるたびに言葉が少しずつ増えていき、前に出てきたものを抱え込んだまま、文が長くなっていく。読んでいるうちに、意味を追うというより、言葉の塔が高くなっていくのを見上げるような気分になる。
谷川俊太郎の言葉と和田誠の絵の組み合わせは、余白があるのに強い。言葉は単純に見える。絵もすっきりしている。けれど、その単純さがあるからこそ、繰り返しと積み上げがよく見える。ナンセンス絵本の中でも、この本は「何が起きたか」より「どう言葉が増えるか」を楽しむ本だ。
読み聞かせでは、だんだん読む側が試される。文が長くなり、息継ぎの場所を探し、前の言葉を忘れないように進む。子どもはそれを聞きながら、次は何が足されるのかを待つ。うまく読めると気持ちいい。少しつかえても、それはそれで楽しい。読み手の体まで巻き込む絵本である。
この本のナンセンスは、発想の奇抜さだけではない。言葉が増え続けること自体が、だんだんおかしくなってくる。普通なら、文はわかりやすく短くしたほうがいい。けれどこの本では、長くなることが遊びになる。意味を整理するための言葉が、逆に迷路を作っていく。その逆転が面白い。
大人が読むと、言葉の構造の美しさにも気づく。子どもにとってはリズムの絵本、大人にとっては文の仕組みを楽しむ絵本でもある。主語と修飾が連なり、ひとつの言葉が次の言葉を連れてくる。声に出すと、頭だけでなく口や耳で文を理解していることがわかる。
この本が刺さるのは、言葉遊びが好きな子、音の繰り返しに反応する子と読むときだ。物語の山場を求めると、少し肩透かしに感じるかもしれない。けれど、声の面白さを楽しめる状態のときには、とても強い。寝る前に静かに読むより、少し元気のある時間に読むほうが向いている。
後半に置いたのは、この本がナンセンス絵本の中でも少し性質が違うからだ。絵の変さや設定の変さではなく、文の増殖そのものを楽しむ。『ねぎぼうずのあさたろう』が節回しの楽しさなら、『これはのみのぴこ』は構造の楽しさだ。言葉遊びの幅を知るために、ここで読んでおきたい。
読み終えたあと、子どもが同じような長い文を作り始めることがある。これは、あの、だれそれの、何かの、というふうに言葉をつなげていく。その遊びが始まったら、この本はもうページの外へ出ている。言葉がただ意味を伝える道具ではなく、積み木のように遊べるものだと感じられる一冊だ。
8.パンツのはきかた(福音館書店)
『パンツのはきかた』は、実用とナンセンスの境目にある絵本だ。タイトルの通り、パンツをどうはくかを扱っている。けれど、ただの生活習慣絵本として読むと、少しもったいない。パンツをはくという当たり前の動作が、歌うような言葉と佐野洋子の絵によって、妙に楽しい儀式のように見えてくる。
小さい子にとって、服を着ることは大仕事だ。大人には簡単でも、子どもの体にはまだ難しい。足を入れる場所を間違える。途中で転ぶ。前と後ろがわからない。そういう生活のつまずきを、この本は明るく受け止める。できる、できないの話だけでなく、体を使って覚えていく面白さがある。
ナンセンスとして見ると、この本は派手な飛躍をしない。キャベツが空に浮かぶわけでも、りんごが別の何かになるわけでもない。けれど、パンツをはくという動作をわざわざ絵本にして、そこに言葉の調子をつけるだけで、日常が少し変になる。ここがいい。ナンセンスは、遠い世界だけで起きるものではない。足元の生活にも潜んでいる。
読み聞かせでは、子どもが自分の体と重ねやすい。絵を見ながら、足を動かしたくなる。実際にパンツをはく場面とつながるので、読んだあとに生活へ戻りやすい。しつけのために読ませるというより、できないことを笑いながら練習する空気を作ってくれる本だ。
大人にとっても、子どもの自立を少し違う角度から見られる。パンツをひとりではくことは、小さなことに見える。けれど子どもにとっては、自分の体を自分で扱う大事な一歩だ。そこに失敗があり、笑いがあり、少しの得意げな顔がある。この本は、その一歩を大げさに褒めすぎず、軽やかに見せてくれる。
この本が刺さるのは、トイレトレーニングや着替えの時期で、親子ともに少し疲れているときだ。生活の練習は、まじめにやりすぎると重くなる。できた、できないで空気が固くなる。そんなときに、この絵本のゆるい調子があると、失敗も少し笑えるものになる。
8冊目に置いたのは、ナンセンス絵本の出口として生活に戻りやすいからだ。『キャベツくん』のように世界を飛ばす本から始まり、言葉遊びや想像の飛躍を通って、最後にパンツへ戻ってくる。変な本を読んできたはずなのに、着替えという日常が少し面白く見える。これは、とても絵本らしい着地だ。
読み終えたあと、子どもの着替えを見る目が変わるかもしれない。急かす前に、少し待つ。うまくいかない姿を、失敗ではなく途中の面白さとして見る。『パンツのはきかた』は、低年齢向けのユーモアでありながら、大人の生活の見方も少しやわらげてくれる一冊だ。
関連グッズ・サービス
本を読んだ後の学びを生活に根づかせるには、生活に取り入れやすいツールやサービスを組み合わせると効果が高まる。
Kindle Unlimited
絵本そのものは紙で読みたい場面も多いが、大人が周辺の児童文学や読み聞かせ関連の本を探すときには、電子書籍の読み放題サービスが役に立つ。気になったテーマを少しずつ拾い読みできるので、次に買う一冊を考える前の下調べにも向いている。
Audible
声で物語を味わう習慣があると、読み聞かせの間合いもつかみやすくなる。ナンセンス絵本は音の楽しさが大きいので、耳から物語を聞く時間を持つと、声に出して読む感覚も自然に広がる。
絵本用の小さな面出し棚
ナンセンス絵本は、背表紙だけより表紙が見えているほうが手に取られやすい。子どもが自分で選べる高さに数冊だけ並べておくと、寝る前や休日の朝に「これ読んで」が生まれやすくなる。
まとめ
ナンセンス絵本は、ただ変な絵本を集めればいいわけではない。発想が飛ぶ本、こだわりを笑う本、言葉のリズムで遊ぶ本、日常の困りごとを膨らませる本。それぞれの変さには種類がある。
最初に読むなら、まずは1.キャベツくんがいい。ナンセンス絵本らしい飛躍があり、子どもにも大人にも入口が開いている。大人のこだわりや人間くささまで味わいたいなら、次に2.おじさんのかさを読むと、笑いの質が少し変わる。
言葉の楽しさへ進むなら、3.ねぎぼうずのあさたろう その1で声の勢いを味わい、7.これはのみのぴこで言葉が積み上がる快感に触れるといい。想像力を広げたいなら、4.りんごかもしれないが合う。りんごひとつから、見慣れたものを疑う楽しさが始まる。
親子で笑いたいときは、5.もうぬげない、6.バナナじけん、8.パンツのはきかたが使いやすい。日常の失敗や小さな事件を、叱る前に笑えるものへ変えてくれる。
- 迷ったら最初の1冊は『キャベツくん』。
- 大人向けの味わいを求めるなら『おじさんのかさ』。
- 声に出して楽しむなら『ねぎぼうずのあさたろう その1』と『これはのみのぴこ』。
- 小さい子と読むなら『もうぬげない』『バナナじけん』『パンツのはきかた』。
ナンセンス絵本は、意味を急がない時間をくれる。変なものを変なまま笑えると、日常の見え方も少しやわらかくなる。まずは一冊、声に出して読んでみるといい。
FAQ
ナンセンス絵本は何歳くらいから楽しめる?
絵の変化や繰り返しを楽しむ本なら、幼児期から楽しめる。『バナナじけん』や『パンツのはきかた』は、言葉の意味を細かく追わなくても絵で入りやすい。少し大きくなると、『キャベツくん』や『りんごかもしれない』の発想の飛び方を面白がれるようになる。大人は、子どもと同じところで笑わなくてもいい。子どもは絵で笑い、大人はこだわりや思い込みのずれで笑う。その違いも含めて楽しい。
大人が読んでも面白いナンセンス絵本はどれ?
大人にまずすすめたいのは『おじさんのかさ』と『キャベツくん』だ。『おじさんのかさ』は、物を大切にしすぎて使えなくなる人間くささがあり、年齢を重ねたほうが刺さりやすい。『キャベツくん』は、理屈では説明しにくい発想の飛躍が魅力で、意味のある読書に疲れたときに効く。もう少し考える楽しさがほしいなら、『りんごかもしれない』もいい。
読み聞かせで盛り上がるのはどの本?
声に出して盛り上がりやすいのは『ねぎぼうずのあさたろう その1』と『これはのみのぴこ』だ。前者は節回しや時代劇風の勢いがあり、読み手が少し芝居がかって読むと楽しい。後者は言葉が積み上がっていくので、聞いている側も「次はどう長くなるのか」を待つ面白さがある。小さい子なら『バナナじけん』のように、絵の変化を一緒に追える本も読みやすい。
ヨシタケシンスケ作品だけでなく、昔から読まれているナンセンス絵本も読むべき?
読む幅は広げたほうがいい。ヨシタケシンスケ作品は、日常の疑問や困りごとを発想で広げるのがうまく、現代の読者に入りやすい。一方で、『キャベツくん』『おじさんのかさ』『これはのみのぴこ』のような本には、絵と言葉そのものが持つ古びにくい強さがある。現代の発想絵本と定番のナンセンス絵本を混ぜて読むと、変さの種類が見えやすくなる。
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