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【赤羽末吉おすすめ本22選】昔話絵本と異国の物語に出会う【おすすめ書籍・代表作】

赤羽末吉の絵は、昔話を「昔の話」に閉じこめず、いまの息づかいへ引き寄せる。代表作から作品一覧へ歩いていくと、日本の雪、川の音、土の匂い、そして中国や草原の乾いた光が一続きになる。読み聞かせにも、ひとり読みにも効く22冊を、入口から奥まで並べた。

 

 

赤羽末吉という絵本画家

赤羽末吉(1910-1990)は、東京に生まれ、20代で大連へ渡り、戦後に帰国してから絵本の仕事へ深く入っていった。50歳で『かさじぞう』を世に出し、民話や昔話を中心に、墨と岩絵の具のような質感を使い分けながら、物語の温度を絵の側に固定した画家だ。『ももたろう』『白いりゅう 黒いりゅう』『スーホの白い馬』などで国内外の評価を重ね、全業績に対して国際アンデルセン賞画家賞を受賞している。日本の伝統絵画を研究しながら、異国の風土や民俗の手触りまで絵本に移し替えた人でもある。 

おすすめ本(まず10冊)

最初の10冊は、赤羽末吉の「核」に触れやすい順に置いた。昔話の骨格をそのまま通しつつ、絵が空気の層を作る本、異国の光が差し込む本、そして仕事全体を俯瞰できる本まで。ここを踏むと、追補の12冊が自然に「横に広がる」読み方になる。

1. スーホの白い馬(福音館書店/単行本)

草原は、ただ広いのではなく、音が遠くまで逃げていく場所として描かれる。風が通り抜けるたびに、人物の輪郭が少し薄くなり、馬の白さだけが目に残る。

物語は、やさしさが試される速さで進む。大切にしていたものが、力の差で奪われる。その不条理が、説明ではなく体感として胸に落ちてくる。

赤羽末吉の強さは、悲しみを泣き顔で描かないところにある。たとえば地平線の高さ、雲の重さ、土の色の冷え方で、取り返せない瞬間を見せてしまう。

読み聞かせで読んでいると、子どもが静かになる場面がある。声の大きさではなく、間が必要になる本だ。あなたはその間を怖がらずに置けるだろうか。

逆に、大人のひとり読みにも向く。言葉が少ないぶん、ページをめくる指の速度が自分の心拍に近づく。読書が「鑑賞」へ変わる感覚がある。

草原の光は、やわらかいのに冷たい。昼の明るさが、救いになりきらない。その中で残るのが、誓いのような静けさだ。

絵が物語の設計図になる、という言い方があるなら、この一冊がそうだ。情景が先に立ち、言葉があとから追いつく。読むたびに、先に見える景色が変わる。

読み終えて外へ出ると、空の広さの感じ方が変わる。今日の街の音が少し遠くなったら、この本が体の奥まで届いている。

2. ももたろう(福音館書店/単行本)

「桃太郎」を知っている、と思っている人ほど、最初の数ページで足元をすくわれる。見慣れた話が、別の速度と重みで立ち上がってくるからだ。

赤羽末吉の絵は、派手な勇ましさより、生活の質感を先に置く。肌の色、着物の皺、土間の冷たさ。英雄譚の入口が、家の匂いから始まる。

だからこそ、旅立ちが際立つ。家から外へ出た瞬間、風景がぐっと広がり、人物の小ささがはっきりする。強さとは、外へ踏み出す小ささの裏返しだと見えてくる。

この版は「原型、あるべき姿」を追い、桃太郎の昔話としての面白さを正面から味わわせる作りになっている。 

読み聞かせでは、犬・猿・雉の場面で子どもが笑い、鬼の場面で急に真顔になることがある。あなたが読んでいる声の温度も、自然に変わるはずだ。

勧善懲悪の気持ちよさだけでは終わらない。勝ったあとに残る、少しの空白。戦いの後の静けさまで描くから、拍手で閉じない余韻が残る。

大人が読むと、むしろ「共同作業」の話として響く。ひとりで勝つ話ではなく、関係の結び方を学ぶ話になる。

読み終えたら、昔話を「教訓」でまとめたくなる衝動が薄れる。絵が、まとめより先に沈黙を選ばせる。

3. かちかちやま(福音館書店/単行本)

うさぎとたぬきの対決は、軽い復讐譚に見えて、実は呼吸のコントロールの物語だ。怒りがどれだけ長く続くか、ページの間で試される。

自然の背景が美しいのに、そこが安心にならない。草の色や水面の光が、逆に緊張を際立たせる。赤羽末吉は「きれい」を、怖さの器として使う。

この版は、多様な「かちかちやま」から選びぬかれた話としての骨格がしっかりしている。息をのむ対決、という言葉が誇張にならない。

読み聞かせで難しいのは、読んでいる大人の気持ちが先に揺れる点だ。ここまでやるのか、と。あなたは途中で声を弱めたくならないだろうか。

子どもは意外と、残酷さを「線」として受け取る。怖いから閉じるのではなく、怖いから目を離せない。その反応を見て、大人の昔話観が更新される。

赤羽末吉の描く動物は、かわいさで逃げない。表情に甘さがないぶん、行為の重さがそのまま残る。だから後味が長い。

読み終えても、すぐに次の本へ行けないタイプの一冊だ。少し水を飲んで、窓を開けるくらいの余白がほしくなる。

それでもまた読み返してしまうのは、怖さの中に秩序があるからだ。昔話が持つ「落ち着き」を、絵が最後に取り戻してくれる。

4. かさじぞう(福音館書店/単行本)

かさじぞう 日本の昔話

かさじぞう 日本の昔話

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雪の白さは、紙の白さと違う。赤羽末吉の雪は、湿り気を含み、夜の音を吸い込む。ページを開いた瞬間に、足の裏が冷える。

貧しい老夫婦の暮らしが、誇張なく置かれる。だから善意が「美談」にならず、生活の一部として自然に見える。やさしさが、きれいごとでなくなる。

大晦日の焦り、売れない笠、暗くなる道。出来事はよく知られているのに、読んでいるうちに、自分がその道を歩いている気分になる。

奇跡の場面も、派手な光で描かれない。静かな移動、重さのある足音、戸口の気配。あなたはこの静けさを、ちゃんと聞けるだろうか。

読み聞かせでは、声を張るより、雪の降る速度に合わせた声が合う。子どもはその速度に安心する。ページをめくる音さえ、物語の一部になる。

この本のやさしさは、見返りのための善行ではない。寒さの中で、目の前の存在を見過ごさない、というだけのこととして描かれる。

読後に残るのは、あたたかさというより、火鉢の灰のような熱だ。派手に燃えないが、手を近づけるとちゃんと温かい。

冬に読むと雪が増え、夏に読むと雪が恋しくなる。季節の感覚を、心の側で調整する絵本だ。

5. だいくとおにろく(福音館書店/単行本)

だいくとおにろく 日本の昔話

だいくとおにろく 日本の昔話

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川が速すぎて橋がかからない。困りごとが、生活の実感から始まる。ここで現れる鬼は、恐怖の象徴というより、交渉相手としてまず立つ。

目玉をよこせ、という乱暴な条件が出るのに、話は妙に現実的だ。契約のように進み、最後は知恵比べになる。怖さが、頭の働かせ方へ変わっていく。

赤羽末吉は鬼を「派手な怪物」にしない。色や線を抑えたまま、圧の強さを出す。だから目が合うと、背筋がすっと伸びる。

この本は印刷上の制約を逆手に取り、モノクロとカラーの頁を交互に使うなど、画面の切り替え自体でドラマを盛り上げた例としても語られる。 

読み聞かせで盛り上がるのは、名前当ての場面だ。子どもは、怖い話でも「当てる」遊びになると一気に前のめりになる。あなたは、声に少し遊びを混ぜられるだろうか。

鬼の名前がわかった瞬間、空気が軽くなる。その軽さが、救いというより、知恵が命を守る感じとして残る。

大人が読むと、約束の重さや、取引の危うさも見えてくる。うまく切り抜けたあとに、冷たい汗が残るのがいい。

読み終えたら、橋を見る目が変わる。渡れることは当たり前ではなく、誰かの知恵や工夫の上にある、と体が思い出す。

6. くわずにょうぼう(福音館書店/単行本)

タイトルの時点で不穏だが、怖さはゆっくり来る。「食べない妻」という謎が、暮らしの中の違和感として積もっていく。

昔話の型ははっきりしているのに、赤羽末吉の絵は、恐怖を派手にしない。むしろ家の暗さ、米びつの重さ、夜の気配を丁寧に積むことで、逃げ場を少なくする。

この話の肝は、禁を破る瞬間の「手」の動きだ。見たい、確かめたい、という小さな衝動が、取り返しのつかない流れを呼ぶ。あなたにも覚えがあるはずだ。

読み聞かせでは、子どもが笑わないところで笑いが起きることがある。怖いのに、どこか滑稽。昔話の怖さは、日常と紙一重だと気づかされる。

絵の中の食べものは魅力的で、だからこそ奪われる。豊かさが、安心の象徴ではなく、危うさの入口になるのがこの本の冷たさだ。

読後は、戸締まりや灯りのことを少し意識する。怖がらせるためではなく、夜をちゃんと扱うための感覚が戻る。

大人は、自分の好奇心の扱い方を試される。子どもは、「見てはいけない」に触れたときの体の反応を学ぶ。

読み終えてもしばらく、台所の音が大きく聞こえる。その余韻が、この絵本の力だ。

7. おおきな おおきな おいも 鶴巻幼稚園・市村久子の教育実践による(福音館書店/単行本)

昔話とは別の角度で、赤羽末吉の「設計力」に触れられる。子どもたちの想像が、芋の大きさをどんどん増やしていく。その増え方が、言葉より先に絵で伝わる。

土の断面、道具の線、汗の粒。現実の描写がしっかりしているから、途方もない想像が「ほんとうらしく」見える。ふざけているのに、手応えがある。

読み聞かせをすると、聞き手の子どもが途中から参加したくなる。本の外で「うちならもっと大きい」と言い出す。その脱線が、むしろ正しい読み方になる。

あなた自身も、子どもの頃の「盛る」感覚を思い出すはずだ。見栄でも嘘でもなく、世界を大きくする遊び。大人になると忘れがちな遊びだ。

赤羽末吉の絵は、笑いを軽くしない。身体を動かす楽しさ、泥の重さ、集団の熱を、そのまま画面に置く。だから読後に体が温かい。

教育実践の記録でありながら、説教に寄らない。子どもが自分で世界を作ることの健やかさが、ただ描かれている。

読み終えたあと、現実の芋を見る目も変わる。小さいものが小さいままではなく、想像の入口として立ち上がってくる。

雨の日に読むと、室内で遊ぶ力が戻る。静かな日の「遊び」を、体の奥に仕舞い直してくれる本だ。

8. 王さまと九人のきょうだい―中国の民話(岩波書店/大型本)

一枚絵の迫力が先に来る。大型本の広さが、群像の動きと笑いを受け止める。ページを開くだけで、舞台が立ち上がる。

九人のきょうだいがそれぞれ違う力を持ち、権力に立ち向かう。筋は痛快なのに、単純な勝利で終わらない。知恵と連携の「手順」が描かれるからだ。

赤羽末吉の異国描写は、装飾で終わらず、生活の厚みがある。衣装の色、建物の陰、空の乾き。異文化が「遠い」のではなく、「触れられる距離」になる。

読み聞かせでは、子どもが「いちばんすきな兄弟」を選び始める。そこから話が伸びる。あなたの家では誰が人気になるだろうか。

大人が読むと、権力の理不尽さと、それに対する抵抗の工夫が見える。子ども向けの顔をした、硬いテーマの本でもある。

それでも後味が暗くならないのは、絵が笑いを支えているからだ。笑いは逃避ではなく、立ち上がるための姿勢になる。

読み終えたら、共同作業の場面をもう一度眺めたくなる。ひとりではなく「複数」で勝つ。その感覚が、いまの生活にもそのまま刺さる。

9. 白いりゅう 黒いりゅう: 中国のたのしいお話(岩波書店/単行本)

短いお話がいくつも入っていて、気分で一話ずつ読める。けれど軽くはない。読み終えるたび、世界の見え方が少しずつずれるからだ。

赤羽末吉の中国の描写は、異国情緒の甘さを避ける。乾いた風、硬い光、土地の広さ。そこに生きる人の体温が、画面の奥にちゃんといる。

この本は『ももたろう』と並んでサンケイ児童出版文化賞の受賞作としても知られる。

読み聞かせなら、話を選んで読めるのが強い。怖い話、笑える話、少し胸が詰まる話。子どものその日の気分に合わせられる。

あなたが大人なら、むしろ寝る前に一話が合う。短いのに、頭の中に風景が残って、すぐには眠れないときがある。その「すぐには眠れない」が心地いい。

異国の物語を読むと、自分の当たり前がほどける。正しさの基準、賢さの形、家族の輪郭。ほどけたあとに、少し自由が増える。

読み終えたら、気に入った一話だけを繰り返してもいい。短編の反復は、詩に近い読書体験になる。

10. 画集 赤羽末吉の絵本(講談社/単行本)

絵本を「物語」としてではなく、「仕事」として見たいときの入口になる。ページをめくるたび、筆致の変化、色の選び方、余白の作り方がはっきり見えてくる。

昔話絵本の雪や闇は、偶然の表現ではない。墨の濃淡、線の太さ、人物の小ささ。すべてが計算され、なのに息苦しくない。その不思議を、画集はほどいてくれる。

読んでいると、「この一枚だけ壁に飾りたい」という欲が出る。けれど飾るより、まずページの中で動かしたくなる。赤羽末吉の絵は、止め絵より物語に近い。

あなたが絵を描く人なら、なおさら刺さる。技法の話以前に、モチーフの掴み方が強い。何を捨て、何を残すかの判断が、画面の端々に出ている。

逆に、絵に詳しくなくても大丈夫だ。好きな見開きを決めて、そこだけ繰り返せばいい。繰り返すうちに、目が育つ。

子どもと一緒に眺めるのもいい。「ここ、さむそう」「ここ、こわい」と、感想が先に出る。その感想が、絵を見る力の芯になる。

読み終えたあと、絵本を開く手つきが変わる。物語を追うだけではなく、画面の呼吸まで一緒に読むようになる。

赤羽末吉の世界へ長く居たいなら、この一冊が居場所になる。

日本の昔話絵本を横に広げる(11〜19)

ここからは、入口の10冊で掴んだ感覚を、別の昔話へ伸ばしていくための追補だ。同じ昔話でも、怖さの種類、笑いの温度、自然の描き方が違う。読み聞かせの「持ち札」を増やす意味でも強い。

11. したきりすずめ(福音館書店/単行本)

やさしさと欲の差が、箱の重さとして手に残る昔話だ。赤羽末吉は罰を派手にせず、欲の表情を淡々と描くことで、むしろ怖さを深くする。

読み聞かせで効くのは、箱を選ぶ場面の沈黙だ。あなたの声が止まると、子どもが勝手に先を想像しはじめる。

読み終えたあと、自分がどちらの箱を選びそうか、少しだけ考えてしまう。その考えが、昔話の「生活への戻り道」になる。

12. こぶじいさま(福音館書店/単行本)

こぶじいさま 日本の昔話

こぶじいさま 日本の昔話

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笑える話として読めるのに、どこか背筋が寒い。うまくいった理由を勘違いした瞬間、人は同じ穴に落ちる。その仕組みが、昔話の短さで刺さる。

赤羽末吉の絵は、宴の楽しさと不気味さを同居させる。笑いながら、少し離れて見ているような視線がある。

子どもは笑い、大人は反省に寄る。その分かれ方が面白い絵本だ。

13. うまかたやまんば(福音館書店/単行本)

やまんばに出会って魚を取られ、ついには馬の足まで取られていく。残酷なのに、どこか可笑しく転がる話で、聞き手が笑う年齢に「波」があるとも言われる。

赤羽末吉は、その可笑しさを誤魔化さない。馬の足が減っていく滑稽さを描き切ることで、怖さと笑いが同時に立つ。

読み聞かせでは、子どもの笑いに引っ張られて大人の怖さがほどける。その瞬間が、この昔話の醍醐味になる。

14. みるなのくら(福音館書店/単行本)

美しいあねさま、十二のくら、最後の一つだけ「見るな」。禁をめぐる昔話の骨格が、静かな屋敷の空気で満たされる。

赤羽末吉の画面は、きれいで、冷たい。きれいだから近づき、冷たいから戻れない。あなたはその矛盾に、じわじわ捕まる。

読後、家の中の扉が少し怖くなる。それは悪い怖さではなく、見えないものを想像する力が戻った証拠だ。

15. にぎりめし ごろごろ(福音館書店/単行本)

食べものの昔話は、安心と欲が近い。にぎりめしが転がる単純さの中に、暮らしの切実さが混ざる。赤羽末吉の絵は、米の白さを「豊かさ」ではなく「現実の重さ」として置く。

読み聞かせでは、子どもの口が勝手に動く。食べる想像は、体の反応として早い。そこから話が生きる。

短く読めるのに、食卓のありがたさが少し戻る。忙しい日の一冊になる。

16. へそもち(福音館書店/単行本)

へそもち (こどものとも絵本)

へそもち (こどものとも絵本)

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雷が「へそ」を取りに来る。怖さがありつつ、どこか愉快な民話的発想で進む話に、赤羽末吉の縦長の画面が効く。高さの迫力がそのまま落雷の気配になる。

読み聞かせはテンポが命だ。怖がらせすぎず、笑わせすぎず。あなたの声の加減が試される。

読後は、空模様を見る目が変わる。雷をただの現象ではなく、昔話の登場人物として一瞬思い出すようになる。

17. そばがらじさまとまめじさま―日本の昔話(福音館書店/単行本)

小さな存在が主役になる昔話は、弱さを笑いに変える。そばがら、まめ、という素材感のある名が、絵の中でちゃんと手触りを持つ。

赤羽末吉の描写は、かわいく寄せず、存在として立たせる。だから子どもが「小さい」側に立って読める。

読み終えたあと、道ばたの小さなものが少し目に入る。世界が、わずかに細かくなる。

18. さるとかに(単行本・ハードカバー)

さるとかに

さるとかに

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「さるとかに」は痛みがはっきり出る話だ。だからこそ、絵が感情のブレーキになる。赤羽末吉の画面は、怒りを煽るより、因果の流れを冷静に見せる方向へ働く。

読み聞かせなら、復讐の場面で声を強めすぎないほうがいい。強めると気持ちが先走る。淡々と読むと、子どもが自分で怖さを掴む。

読後、正義感が少しだけ複雑になる。その複雑さが、昔話を今読む意味になる。

19. 日本の昔話 全5巻セット(福音館書店/単行本・セット)

日本の昔話 全5巻セット

日本の昔話 全5巻セット

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一冊ずつ選ぶのもいいが、「家に昔話の棚を作る」ならセットが強い。読みたい話が気分で変わるとき、手元に幅があるのはそのまま安心になる。

読み聞かせは、同じ話を繰り返す時期と、新しい話へ移る時期がある。その波に、まとめて応えられる。

赤羽末吉の昔話絵本を、暮らしの道具として置く。その発想に、セットはよく合う。

絵の仕事を追う本(20)

20. 絵本画家 赤羽末吉 スーホの草原にかける虹(福音館書店/単行本)

作品を読み返すとき、作者の人生が邪魔になることがある。けれど赤羽末吉の場合、生涯の起伏がそのまま「絵が風土を掴む執念」へつながっているのが見える。

『スーホの白い馬』の草原と、『かさじぞう』の雪が同じ人の手から出ている理由が、生活の手触りとしてわかってくる。

絵本を好きになったあとで読むと、作品が遠くならず、むしろ近づく。読み手の「見方」を整えるための一冊だ。

児童読み物(21〜22)

赤羽末吉は絵本だけでなく、読み物でも画面の設計を発揮する。物語が長くなるほど、挿絵は飾りではなく「視線の休憩所」になる。その役割がよく出る2冊を並べる。

21. おへそがえる・ごん 2 おにのさんぞく やっつけろの巻(福音館書店/単行本)

題名からして景気がいいが、勢いだけでは終わらない。怖さを笑いへ変える筋立ての中で、絵が「怖いものをちゃんと怖いまま見せる」役を担う。

読み聞かせなら、戦いの場面ほど淡々と読むと効く。子どもが自分で笑いどころを見つけるからだ。

読後、元気が戻るタイプの読み物になる。

22. おへそがえる・ごん 3 こしぬけとのさまの巻(福音館書店/単行本)

「こしぬけ」と言い切る乱暴さが、むしろ優しい。弱さを責めるのではなく、弱さを笑いにして前へ動かす。

赤羽末吉の絵は、人物を持ち上げすぎない。だから変化が嘘にならない。読んでいる子どもが、安心して自分を重ねられる。

読み終えたあと、少しだけ背中が軽い。そういう効き方の児童読み物だ。

関連グッズ・サービス

本を読んだ後の学びを生活に根づかせるには、生活に取り入れやすいツールやサービスを組み合わせると効果が高まる。

Kindle Unlimited

Audible

読み聞かせ用の小さなライト:昔話絵本は「暗さ」が美しい。手元だけ照らせる灯りがあると、絵の黒や雪の白が深く見える。夜の読書が、儀式みたいに落ち着く。

まとめ

赤羽末吉の絵本は、昔話を懐かしさで包まず、風土の手触りまで連れてくる。草原の広さ、雪の湿り気、家の暗さ、食べものの重さ。物語の筋より先に、体が反応するのが強い。

選び方に迷ったら、気分で入口を決めるといい。静かに沈みたい日は『スーホの白い馬』。冬の夜には『かさじぞう』。知恵比べなら『だいくとおにろく』。笑いで体を温めたいなら『おおきな おおきな おいも』。異国の光がほしいなら『白いりゅう 黒いりゅう』。

昔話は、読み終えたあとに生活へ戻るのが上手い。本を閉じて湯気の立つ台所へ戻っても、窓の外の暗さが少し違って見えたら、それで十分だ。

FAQ

Q1. 赤羽末吉はまずどれから読むのがいい?

一冊で赤羽末吉の強みを掴むなら『スーホの白い馬』が早い。風土の描写と物語の哀切が直結していて、「絵が空気を作る」感覚がつかめる。昔話として入りやすいのは『かさじぞう』や『ももたろう』で、読み聞かせの手応えも得やすい。

Q2. こわい昔話が苦手な子にはどうする?

怖さを避けるより、読む時間と声の温度で調整するといい。昼間に短く読む、途中で区切る、声を張らずに淡々と読む。怖い場面を「ひと息」の間で受け止めると、子どもは案外平気になる。笑いが混ざる『おおきな おおきな おいも』や『へそもち』から入るのも手だ。

Q3. 絵本は子ども向けとしてしか読めない?

赤羽末吉は大人の鑑賞にも強い。むしろ大人になるほど、墨の濃淡や余白の取り方、画面の構図が刺さる。絵の仕事をまとまって見たいなら『画集 赤羽末吉の絵本』が合う。絵本を「読む」から「眺める」へ切り替えた瞬間、別の深さが出てくる。

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