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【山崎ナオコーラおすすめ本15選】代表作『人のセックスを笑うな』『あきらめる』から読んでほしい書籍まとめ【恋愛小説とエッセイ】

恋愛や家族、ジェンダーをめぐる「当たり前」に、少しだけ穴を開けて呼吸しやすくしてくれる作家が山崎ナオコーラだ。ここでは主要作を見渡しつつ、初めてでも手触りが残る10冊を、読後の温度まで含めて紹介する。

 

 

山崎ナオコーラとは? やわらかく、制度にひびを入れる書き方

山崎ナオコーラは1978年福岡県生まれ。2004年に『人のセックスを笑うな』で文藝賞を受賞してデビューし、その後も恋愛や結婚、子育て、ルッキズムといった「個人的に見えて、実は社会そのもの」なテーマを、軽やかな言葉で掬い上げてきた作家だ。

特徴は、断罪で押し切らないところにある。誰かの加害性を指摘するときでさえ、相手を殴るより先に、自分のなかにある思い込みの形を確かめていく。小説でもエッセイでも、読者を説得するのではなく、読者の呼吸を整えるようにページが進む。その結果、読み終えた側の生活のほうが、じわっと改造されていく。

恋愛小説の顔をした作品が、いつの間にか「役割」「規範」「二人組の神話」を問い直していたりする。社会批評の顔をしたエッセイが、結局は今日の食卓や、明日の送迎や、誰かの手のぬくもりに戻ってきたりもする。山崎ナオコーラを読むことは、世界を大きく変えるより先に、世界の見え方を変える練習なのだと思う。

山崎ナオコーラのおすすめ本15選

1. 人のセックスを笑うな(デビュー作/小説)

まずこれは、恋愛小説としての瑞々しさが強い。年齢差のある相手に惹かれていく気持ちが、理屈より先に肌で書かれている。山崎ナオコーラが「言葉の体温」で勝負してきた作家だと、一行目から分かる。

読みどころは、恋の美化をしないのに、恋の醜さだけにも寄らないところだ。好きになってしまった側の、取り返しのつかなさ。小さな自己嫌悪。だけど、その自己嫌悪を抱えたまま、生活は進んでいく。

この本は「恋をすると人が成長する」みたいな話ではない。むしろ、成長しないまま、ぐずぐずしたまま、でもちゃんと生きていく人間の像がある。それが、読む側の弱さに優しい。

もし今、誰かの視線や評価に疲れているなら、逆に刺さりやすい。恋愛の話なのに、自己採点から少し離れて息ができる。そういう読書になる。

紙の本がしんどい日なら、耳から入れるのも手だ。散歩しながら聴くと、恋の場面が妙に現実っぽく迫ってくる。Audibleに向くタイプの小説でもある。

2. 美しい距離(恋愛小説/長編)

病と死に向かう夫婦の物語、と聞くと身構える。でもこの作品が描くのは、悲劇の大きな波というより、日々の「距離」の調整だ。近づきすぎると壊れて、離れすぎると届かない。その間の、うつくしい測り方がある。

泣かせる装置として死を扱っていないのが、山崎ナオコーラらしい。むしろ読んでいると、こちらの生活のほうが整頓されていく。今夜ちゃんと湯を張ろう、とか。言いそびれた一言を、明日に回さないでおこう、とか。

島清恋愛文学賞の受賞作だが、それは「恋愛の甘さ」ではなく「関係の現実」へ手を伸ばしたからだと思う。恋愛を人生の中心に据える人にも、恋愛が中心になれなかった人にも、同じ角度で届く。

読むのに元気がいる時期もある。だからこそ、弱っている時に読むと、優しさの解像度が上がる。怖いのは死ではなく、言えなくなることだと気づかされる。

3. ニキの屈辱(恋愛小説/長編)

人気女性写真家と、彼女のアシスタントになる男性。「見る側/見られる側」の力関係が、仕事と恋でねじれていく。そのねじれ方が、妙に生々しい。

嫉妬や劣等感の描写が、きれいに片づかない。そこが良い。誰かを好きになるとき、尊敬と支配欲が同時に立ち上がることがある。その気味の悪さを、ちゃんと文章にしてくる。

それでも読後に残るのは、嫌悪感だけではない。むしろ「屈辱」を抱えたままでも、人は自分を取り戻せるのだという、弱い肯定だ。強がりの肯定ではなく、情けなさ込みの肯定。

仕事の関係が恋を汚すのか、恋が仕事を汚すのか。どちらでもないのか。そんな問いが、読んだあとも残る。恋愛を「清潔」にしたい人ほど、ひっかかる。

4. カツラ美容室別室(小説/長編)

カツラをかぶる店長がいる美容室で出会う人々。恋と友情が、ふわっと始まるのに、現実の事情が容赦なく差し込んでくる。大人の関係のややこしさを、ユーモアと体温で描いた作品だ。

この小説は、ドラマを盛らない。盛らないのに、読んでいる側の心拍が少し上がる。人間関係の「気まずさ」を、真正面から描くからだ。

別室、という言葉が象徴的で、みんな少しずつ隠し部屋を持っている。過去、コンプレックス、言い訳。隠しているからこそ、相手に優しくできる瞬間もある。

読後は、不思議と自分の他人への見方が柔らかくなる。相手の奇妙さを「変だ」と切り捨てる前に、その人の別室を想像するようになる。

5. この世は二人組ではできあがらない(小説/長編)

タイトルがすでに強い。恋愛至上主義、カップル単位の社会規範、その空気の濃さを、生活のディテールから照らしていく小説だ。

説教ではなく物語として進むので、読みながら何度も「自分もこれ、やってたな」と思う。勝手に二人組を前提にして、勝手に孤独を増やしていたりする。そういう、日常の癖が暴かれる。

登場人物が、すぱっと正解にたどり着かないのも良い。規範から降りるのは、意志だけでは無理で、身体や習慣のほうが先に引きずられる。そこまで含めて現実だ。

恋愛に疲れた人だけの本ではない。むしろ恋愛が順調な人ほど、胸の奥で痛い場所に触れるかもしれない。順調だからこそ見えない「前提」があるからだ。

6. 反人生(連作短編集)

「役割」や常識から少しズレてしまう人々の連作、と言いたくなるが、この本の面白さは「ズレ」を矯正しないところにある。全4編、それぞれが、ゆるやかな連帯の形を探っていく。

就活や婚活のように、人生をフォーマットに流し込む圧が強い時代に、そうじゃない生き方の輪郭が見えてくる。反抗の旗ではなく、生活の選択として描いているのが大事だ。

読んでいると、自分の「人生観」のほうが揺れる。努力か、才能か、愛か、孤独か。そういう二択が、いつのまにか単純化だったと気づく。

気持ちが落ちているときに読むと、「前向きになれない自分」も人生として許される感じがある。励まされるのとは違う。放っておかれる自由に近い。

7. 昼田とハッコウ(小説/長編)

タイトルだけで、何かの名前と、何かの現象が並んでいる。そこにすでに「関係の謎」がある。物語は、日常の違和感が少しずつ発酵して、別の匂いに変わっていく感覚をくれる。

ミステリ要素がある、と言われる理由も分かる。だが犯人探しというより、人の多面性そのものが謎として置かれている。昨日までの知り合いが、急に別人に見える、あの瞬間の怖さ。

山崎ナオコーラは、説明を省くことで人物を薄くするのではなく、説明を省くことで人物を厚くする。分からない部分があるから、人物が生きる。『昼田とハッコウ』はその感触が強い。

読むのに向いているのは、「何が嫌なのか分からない」疲れが溜まっている人だと思う。嫌さの正体を当てるのではなく、嫌さと付き合う技術が残る。

8. 母ではなくて、親になる(エッセイ)

「母親」という役割への違和感を、感情だけでなく言葉の設計として差し出してくるエッセイだ。妊娠・出産・育児の経験を、ジェンダー規範の問題へ自然に接続している。

押しつけがましくないのに、読後は視界が変わる。誰かの育児に対して、無意識に「母らしさ」を要求していなかったか。あるいは自分に要求していなかったか。静かに点検が始まる。

この本は、育児のハウツーではない。むしろ、育児の周辺にある言葉の暴力を取り除く本だ。だから子育て中だけでなく、子育てをしない人にも効く。

まとまった読書時間が取りづらい時期なら、Kindle Unlimitedのような読み方で、短い区切りで戻ってくるのも相性がいい。エッセイは、生活の隙間に差し込むほど残りやすい。

9. ブスの自信の持ち方(エッセイ)

タイトルが挑発的だが、ここで言う「自信」は自己啓発のそれではない。容姿差別の構造を、被差別側の努力に回収しないための思考の道具として提示している。

読んでいると、「気にしないようにしよう」という言葉の暴力が見えてくる。気にする側が矯正されるのではなく、加害側の規範が変わるべきだ、という筋の通り方がある。

同時に、これは痛い本でもある。自分が誰かの外見を採点していた記憶が、ふと戻ってくるからだ。恥ずかしい。でも、その恥ずかしさを「気づき」に変える余地を残してくれる。

きれいごとで終わらないのが、山崎ナオコーラの強さだと思う。怒りを持ちながらも、関係を断ち切るだけにしない。生活のなかで、どう扱うかまで書いてくる。

10. ミライの源氏物語(古典エッセイ/現代的な読み替え)

『源氏物語』を「好きだけど、現代の倫理観だとしんどい」と感じる人のための本だ。古文の壁だけでなく、規範の違いという壁をどう越えるかを、現代の感覚で考えていく。

特徴的なのは「より現代的な訳」を目指した“ナオコーラ訳”を読みどころとして持っている点だ。単なる要約でも、断罪でもない。読者が古典と折り合いをつけるための足場を作る。

ルッキズムやロリコン、不倫といった論点を避けずに、でも「古典だから許す/許さない」で終わらせない。読む側の生活の倫理と、古典の世界の倫理を、同じ机に並べて眺め直す本になる。

山崎ナオコーラの卒論テーマが『源氏物語』だったという話を知ると、ここでの語りが「思いつき」ではなく、長い時間の堆積から出てきた言葉だと分かる。

 

11.魔法のつららペン (つららペンと氷の国)

これは、児童書の顔をしながら、「書く」という行為の残酷さと救いを、真正面から描いた物語だ。主人公のゆきのは文字を書くのが苦手で、努力してもノートがきれいにならない。ある日、橋の上で拾ったつららが右手にぴったりとはまり、ペンのように字が書けるようになる。すると、その持ち主だという謎の子が現れて、物語は氷の国へと滑っていく。

「書けない」ことが、ただの不器用さとして処理されないのがいい。わかっているのに、考えているのに、書けないせいで“考えていないことにされる”という感覚が、子どもの目線で切実に出てくる。ここが最初の山場だと思う。

つららペンは、魔法の道具としてわかりやすい快感をくれる。けれど、その快感を「これで全部解決」にしない。むしろ、上手に書けるようになったあとに、別の居心地の悪さが立ち上がってくる。

氷の国の場面は、きらびやかなファンタジーというより、言葉の透明さと脆さを見せる舞台装置に近い。凍っているから形が保てる。溶ければ残らない。書くことも似ている。

読み終わったあと、ゆきのの“がんばり方”が少し変わるのが好きだ。根性論でも、甘やかしでもない。手触りのある変化として残る。

子ども向けの物語なのに、大人のほうが痛いところを突かれるかもしれない。誰かの困りごとを、結果だけで判断してしまう癖がある人ほど。

やさしい話だ。ただし、やさしさを「丸めること」と勘違いしていない。最後まで、そこが信頼できる。

12.陽ちゃんからのそよ風

友達がいない小学五年生のアマネが、人気者の陽ちゃんに「『女子みんなで』遊ぼう」と声をかけられるところから始まる。アマネは「女子」という言葉にひっかかりながらも、初めて“友だち”を得て、出会いと別れを繰り返しながら人生を進めていく。

この小説は、友情をきれいに飾らない。友だちができる嬉しさと同じくらい、集団の言葉に自分が削られる感覚も描く。しかも、それを“被害者の物語”にしない。

陽ちゃんの明るさが、ただの光じゃないのもいい。風みたいに、背中を押すこともあれば、体温を奪うこともある。近さって、いつも正義ではない。

時間の進み方が独特で、小学校の狭い教室から、就職後の関係、家族の形、老年期の視野へと、友情が届く範囲が変わっていく。友情を「青春の一時期」から引きはがして、生活の根に戻していく感じがある。

読んでいると、自分の中の“呼びかけの雑さ”が気になってくるはずだ。「みんなで」「女子で」「普通に」。その一言で、誰かを外に立たせていなかったか。

それでも、読後感は不思議と明るい。世界が簡単に優しくなるからではない。優しさを発見するまでの時間が、ちゃんと書かれているからだ。

13.あきらめる

火星移住が身近になった「今よりほんの少し先」を舞台にした、ゆるいのに芯が硬いSF小説だ。散歩の途中で出会った親子風の二人組の言葉から、人の人生が静かに方向を変えていく。「自分の人生をあきらめたい」という告白が、この物語の入り口になる。

タイトルの「あきらめる」は、投げ出すことの免罪符ではない。むしろ、執着と見栄と義務感の糸を、一本ずつほどいていく動作に近い。読んでいると、呼吸が深くなる瞬間がある。

未来の制度や価値観は、どこか“整っている”ように見える。けれど整っているからこそ、人間の未整理な部分が目立つ。正しさが増えた世界で、感情の遅れが浮き彫りになる。

この作品は、読者に「こう生きろ」と言わない。そのかわり、「何を守るために、何を諦めるのか」という問いだけを置いていく。問いが軽いまま残るのではなく、生活に貼りつく重さで残るのが厄介だ。

たぶん、疲れている人ほど合う。頑張り続けることが自分の人格みたいになってしまった人ほど。あなたが今、何かを諦めたくなっているなら、その“諦め”の中身を一回見てみたくなるはずだ。

14.鞠子はすてきな役立たず (河出文庫 や 17-8)

「働かないものも、どんどん食べろ」──そんな勢いで、主婦の鞠子と銀行員の小太郎の生活が始まる。「金を稼いでこそ一人前」に縛られない鞠子の自由さが、家の空気と小太郎の価値観をじわじわ揺らしていく。なお本作は『趣味で腹いっぱい』を改題した文庫版だ。

鞠子は、ただの怠け者として描かれない。むしろ「役に立つ」という言葉のほうを疑っている。役に立つって、誰の基準で、どの期間で、何をもって測るのか。その曖昧さを、生活の場面で露出させる。

小太郎が銀行員であることが象徴的で、数字と信用と将来設計の世界から来た人間が、家の中の“数えられないもの”に足を取られていく。その足を取られ方が、滑稽で、切実だ。

読んでいると、自分の中にある「ちゃんとしなきゃ」が、誰の声なのか気になってくる。社会の声か、親の声か、自分の不安の声か。鞠子はそこを、説教せずに炙り出す。

いわゆるアンチ労働の旗を振る話ではない。働くことの尊さも、稼ぐことの安心も否定しない。ただ、それらが“唯一の尺度”になった瞬間に生まれる暴力を、日常の会話として見せる。

読み終わってから効いてくるタイプの小説だ。冷蔵庫の前で、コンビニのレジで、仕事の帰り道で、ふと鞠子の声がよみがえる。

15.肉体のジェンダーを笑うな (集英社文庫)

医療の進歩で男性でも母乳が出せるようになった世界(「父乳の夢」)、筋力差を埋める装置が普及した世界(「真顔と筋肉ロボット」)、性差への理解が進み男性にも月経前症候群が訪れる世界(「キラキラPMS(または、波乗り太郎)」)など、性差が減った未来をユーモラスに描く全4編の小説集だ。

設定の勝利に見えるのに、読んでいる最中ずっと現実が近い。なぜなら、テクノロジーが「正しさ」を実装しても、感情の整備は別問題だと書いているからだ。正しさが増えるほど、別の息苦しさが生まれる。

笑える場面が多いのに、笑いは逃避にならない。むしろ、笑った直後に「自分の当たり前は誰の負担で成立していたか」が戻ってくる。身体のことを語るとき、人はすぐ“正解”のほうへ走る。その癖を、軽くつまずかせる。

この本が扱うのは、ジェンダーの理念というより、生活の手触りだ。育児の手、職場の空気、恋愛の距離、似合うと似合わないの圧。そういう細部が、未来設定の中で逆照射される。

読み終えると、言葉遣いが少し変わると思う。配慮のための言葉が、別の誰かを追い込んでいないか。あなたが普段使う“善意のテンプレ”が、急に信用できなくなる。

そして何より、未来が明るいか暗いかではなく、「明るさの作り方」が問われる。山崎ナオコーラの想像力は、その問いを笑いに乗せて運んでくる。

 

関連グッズ・サービス

本を読んだ後の学びを生活に根づかせるには、生活に取り入れやすいツールやサービスを組み合わせると効果が高まる。

Audible

エッセイ系(『母ではなくて、親になる』のように生活と地続きの本)は、家事や移動の時間に耳で入れると、言葉がそのまま日常に貼り付く感じがある。

Kindle Unlimited

山崎ナオコーラは「一気読み」より「生活に差し込む」ほうが合う作品も多い。読み返しやすい環境があると、同じ一文の刺さり方が季節で変わって面白い。

Kindle端末

スマホの通知から距離を取って読むだけで、作品の「静けさ」がきれいに残る。とくに『美しい距離』のような本は、画面の光が弱いほど沁みる。

薄いノート(A6〜B6程度)

山崎ナオコーラは、名言集より「自分の思い込み」を書き換える本だ。気づいた規範を一行だけメモすると、翌週の自分が別人みたいに軽くなることがある。

 

 

 

まとめ

山崎ナオコーラの本は、派手に背中を押すタイプではない。むしろ、背中に貼りついていた余計な札を、そっと剥がしていく。読み終えたあと、部屋の空気が少しだけ薄くなる感じがある。

  • 気分で選ぶなら:『人のセックスを笑うな』
  • じっくり読みたいなら:『美しい距離』
  • 短時間で効かせたいなら:『ブスの自信の持ち方』

自分の人生を、誰かが決めたフォーマットに押し込まないために。いまの自分に一番近い一冊からでいい。読み始めた瞬間に、もう少しだけ自由になる。

FAQ

山崎ナオコーラはどの順番で読むのがいい?

最初は小説なら『人のセックスを笑うな』、落ち着いた呼吸で読みたいなら『美しい距離』が入りやすい。規範の話を正面から受け取りたいなら『この世は二人組ではできあがらない』へ進むと、作家の芯が見えやすい。

恋愛小説が苦手でも読める?

読める。山崎ナオコーラの恋愛は「ときめきの物語」というより「関係の設計」でもある。恋愛が主題に見えて、実際は距離や役割、視線の力学を扱っているので、恋愛が苦手な人ほど「これ、恋愛の話だけじゃないな」と気づきやすい。

エッセイから入るならどれがいい?

生活の規範をほどきたいなら『母ではなくて、親になる』、外見の採点から降りたいなら『ブスの自信の持ち方』が強い。古典が好き、または古典がしんどい人には『ミライの源氏物語』が意外と効く。読むことで「好き」と「引っかかり」を同時に持っていいと分かるからだ。

 

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