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【古田足日おすすめ本7選】怖さと遊びの手触りが残る【代表作】

古田足日の物語は、子どもを「かわいい存在」に閉じ込めず、群れて遊び、怖がり、踏ん張り、仲直りする生身の時間として描く。代表作から入りたい人にも、作品一覧を眺めて迷っている人にも、読み終えたあと日常の景色が少し変わる7冊を集めた。 

 

 

古田足日という書き手

古田足日は、評論家としても児童文学作家としても、戦後の児童文学を押し広げた人だ。自分の言葉で世界を切り取ろうとする子どもたちを、机の上の理想像ではなく、取材と観察の積み重ねから物語へ運び込んだ。押し入れの暗さ、原っぱの草の匂い、園庭の砂のざらつき。そうした現場の感覚が、読み手の記憶を呼び戻す。

もうひとつ強いのは、集団の中での子どもの倫理だ。仲間に遅れたくない、負けたくない、でも怖い。悔しい。そんな気持ちのもつれを、説教にせず、出来事の連鎖として見せていく。『宿題ひきうけ株式会社』が日本児童文学者協会賞を受賞し、長く読み継がれてきたのも、その「子どもの現実」を手放さなかったからだ。 

おすすめ本7選

ここでは、手に取りやすい単行本中心に、絵本(長編絵本)から創作童話、そして全集までを並べた。どれも「子どもが子どもでいる時間」を、軽く扱わない本だ。

1. おしいれのぼうけん(童心社/単行本)

押し入れは、子どもにとって世界の端っこだ。明かりが消え、布団の匂いが濃くなり、外の声が遠くなる。そこで「反省しなさい」と言われた瞬間、怖さは罰の形を借りて、ぐっと具体化する。この本は、その具体的な怖さから始まる。 お昼寝前、ミニカーの取りっこでけんかをしたさとしとあきらは、先生に叱られて押し入れに入れられる。暗闇の中で、二人は意地を張る。謝れば出してもらえるのに、口をきかない。その頑固さが、子どもの現実だ。合理より先に、体面が立つ。

けれど押し入れは、ただの反省部屋では終わらない。地下の世界に通じていて、ねずみばあさんが現れる。怖い存在が「いる」だけで、空気の温度が下がる感じがする。目を凝らすほど輪郭が濃くなる恐怖。読み聞かせでこの場面に来ると、子どもの呼吸が少し浅くなるのが分かる。

ここで物語が優れているのは、怖さを薄めるための大人が出てこないことだ。逃げるのは子ども自身で、しかも一人ではない。二人は手をつないで走りつづける。怖さが最大になったとき、友情が「きれいごと」ではなく、生存の技術になる。

走る場面は、ページをめくる手が速くなる。息が切れて、汗がにじむ感じまで伝わってくる。80ページの長編絵本なのに、体感は短距離走だ。読み手の体が引っ張られる速度がある。

ねずみばあさんは、単なる怪物というより、子どもが持っている「こわいもの」の集合体だ。押し入れの暗さ、人形劇の悪役、集団の中で浮く不安。そういうものが一つの姿を持って追ってくる。だから怖いのに、目をそらせない。

読み終わったあと残るのは、勝った負けたより、二人の「踏ん張り」だ。泣きたいのに走る。もう無理なのに、もう一回だけ前に出る。これを幼い頃に体に入れると、後の人生で役に立つ場面がある。

初めて読む子どもには、少し怖すぎると感じることもある。けれど、怖い話が怖いまま終わらない経験は、心の筋肉を作る。大人は「大丈夫」を言い過ぎず、隣に座ってページをめくるだけでいい。

古田足日の代表作として挙げられることが多いのも納得だ。子どもが子どもの力で危機を抜ける、その瞬間のまぶしさが、怖さと同じ強さで刻まれる。 

2. ダンプえんちょうやっつけた(童心社/単行本)

港や工場がある町の真ん中に、わらしこ保育園がある。体の大きな園長先生は子どもたちから「ダンプえんちょう」と呼ばれている。呼び名からして、子ども側の世界がちゃんと主語になっている。

年長クラスくじら組は9人。いちばん小さいさくらは「こわいんだもーん」が口ぐせで、周りは弱虫だと思っている。子どもの集団は残酷だ。悪意がなくても、ラベルが貼られ、役割が固定される。だからこそ、この物語の変化が効いてくる。 

ある日、ダンプえんちょうとひなた山に行き、ほら穴を見つけて海賊ごっこが始まる。さくらはお姫様役になるが、隠れているだけがつまらなくなり、自分から海賊になる。ここが痛快だ。「怖いからやらない」ではなく、「怖いけど、やってみたい」が勝つ瞬間。 

ごっこ遊びの中で、子どもは自分の役を試す。強い役をやると、声が変わる。立ち方が変わる。そういう身体の変化が、心の変化を先導することがある。さくらの変身は、まさにそのタイプで、読んでいるこちらも背筋が少し伸びる。

この本が「集団のあそびの中で成長していく子どもたち」を描いたと言われるのは、単に仲良くなるからではない。集団には揉まれる痛さもあり、押し返す力もいる。さくらが海賊として踏み出すとき、周りの子どもたちも微妙に態度を変える。その細部がリアルだ。 

園長先生が大人の権威として立ちふさがらず、遊びの場を支える存在として描かれるのも良い。子どもを管理する大人ではなく、子どもが動ける余白をつくる大人。理想論ではなく、遊びの現場の知恵として書かれている。

長編絵本の108ページは、読み聞かせだと少し長い。けれど、2回か3回に分けてもいいと本自体が許している感じがする。大事なのは、途中で切っても遊びの熱が残ることだ。 

読み終えると、「弱虫」は性格ではなく、役割だったのだと分かる。役割は、遊びの中で更新できる。子どもにとって、これほど希望のある話はない。

保育園や幼稚園の年長前後、集団の中で自分の位置が定まり始める時期に刺さる。親も、子どもの「こわい」を矯正するより、遊びが変化を起こすのを待つ目を持てる。 

3. ロボット・カミイ(福音館書店/単行本)

段ボール箱でロボットを作る。子どもにとって最高の発明は、だいたい廃材から生まれる。テープの匂い、紙の切り口のざらつき、完成したときの誇らしさ。その「作った」手触りが、物語の最初から濃い。

たけしとようこが作った紙のロボットは、紙だから「カミイ」と名付けられる。すると返事をする。ここで世界が少しだけずれる。ファンタジーなのに、現実の延長線上に立っている感じがある。だから、子どもは信じる。 

カミイは、泣き虫でわがままで、いたずら者で、でも力持ちだ。憎めない。幼稚園に入って大騒ぎを起こす。大人の目から見れば「困った子」なのに、子どもの目から見れば「放っておけない友だち」になる。その距離感が見事だ。 

この本は、ロボットの活躍を描くというより、集団生活の空気を描く。遊びが盛り上がるとき、誰かが置いていかれるとき、意地悪が生まれるとき。カミイはその中心に立って、子どもの感情を増幅させる装置になる。

たけしとようこが、まるで親のようにカミイを心配する場面がある。子どもが「世話」を覚える瞬間だ。世話は優しさだけではなく、苛立ちや疲れも連れてくる。その全部が、子どもの顔に浮かぶ。 

紙のロボットという設定も効いている。壊れやすい。濡れる。乱暴に扱えば破れる。つまり、関係も壊れやすい。だからこそ、丁寧に扱う気持ちが育つ。強さではなく、脆さが絆をつくる。

読後感は温かいのに、甘さがない。子ども同士の関係は、きれいな部分だけでは成り立たないと知っている書き方だ。それでも最後には胸が熱くなる。子どもの世界が持つ回復力が、静かに立ち上がる。

幼稚園から小学校低学年くらいに、ちょうどいい。友だちの輪に入るのが苦手な子にも、騒がしくて注意されがちな子にも、どちらにも居場所があると伝えてくれる。

読み聞かせでも、ひとり読みでも強い。読み終えたあと、段ボールを探したくなる。物語が生活に戻ってくる、その戻り方が気持ちいい。

4. 新版 宿題ひきうけ株式会社(単行本)

宿題は、子どもにとって「時間を奪うもの」だ。放課後の遊びが細る。やる気が出ない。親に言われる。先生に叱られる。そんな日々の悩みを、子ども自身がビジネスの形にして解決しようとするのが、この物語の出発点だ。 

小学生6人が発案し、本人に代わって宿題をやる会社を作る。発想は無邪気なのに、実行すると途端に社会になる。料金の決め方、仕事の分担、責任の所在。子どもは遊びの延長で始めたのに、現実のルールが追いかけてくる。 

この本の面白さは、宿題を「サボる話」にしないところだ。むしろ、宿題という制度の周りに生まれる不公平感や、親と子の力関係、クラスの空気を浮かび上がらせる。笑える場面が多いのに、読後に残るのは妙に現実的な問いだ。

会社を作るということは、誰かの弱みを引き受けるということでもある。引き受けた側は、だんだんと優位に立つ。頼む側は、だんだんと肩身が狭くなる。子どもの小さな社会の中で、力が生まれ、歪みも生まれる。その変化が、説教ではなく、出来事として描かれる。

「宿題をやる」という行為も、よく見ると奇妙だ。鉛筆を走らせる手は動いているのに、理解は本人のものにならない。つまり、成果と学びが分離する。大人の仕事でも起こる話で、だからこそ大人が読んでも刺さる。

新版として、挿絵を新しくしてリニューアルされた版だというのもポイントになる。昔の物語なのに、今の子が読んでもスッと入る。 

一方で、時代背景がにじむ場面はある。そこを「昔だから」で流さず、子どもがどう受け取るかを考えるきっかけにできる。親子で読むなら、笑ったあとに一言だけ感想を交わすと、本が生活の会話に変わる。

この作品は、日本児童文学者協会賞を受賞している。賞の名前を知らなくても、読めば理由が分かる。子どもの発想の面白さを保ったまま、社会の影が差し込むところまで描き切っている。 

宿題に苦しんでいる子にはもちろん、親として毎晩「早くやりなさい」を言い続けて疲れている人にも効く。宿題をめぐる戦いを、少し違う角度から眺め直せる。 

5. 大きい1年生と小さな2年生(偕成社/創作どうわ傑作選(1))

体が大きいのに弱虫の1年生まさや。体は小さいのに勝気でしっかり者の2年生あきよ。設定だけで、もう胸がきゅっとなる。子どもの世界は、体格や学年で役割が決まりやすいからだ。

まさやは甘えんぼうで、知らないことや初めてのことを避けてきた。あきよは、言いたいことを言い、けんかも強い。二人が友だちになると、まさやの世界が少しずつ広がっていく。成長物語なのに、大げさな事件は起こらない。原っぱで花を摘み、知らない道を通り、神社へ行ってみる。その「小さな冒険」が核心になる。 

子どもの成長は、劇的な成功より、今日できなかったことが明日できる、その微差の積み重ねで起こる。まさやが一歩を踏み出すまでの時間が丁寧だから、読んでいる側も急かさない目を持てる。

あきよの強さも、ただ格好いいだけではない。涙を見せない子が、ふっと崩れる瞬間がある。強い子が強いままでいるために、どれだけ我慢しているかが見えてくる。その瞬間、まさやの中に「守りたい」が芽生える。 

この本のやさしさは、弱い子を美化しないことだ。まさやの弱さは、読んでいて時に歯がゆい。けれど、その歯がゆさを抱えたまま、まさやが選ぶ。だから読後に残るのは、説得される感覚ではなく、「自分で決めた」感覚だ。

友だちの関係も、上下ではなく相互だ。まさやはあきよに守られ、あきよはまさやに救われる。小さな町の空気の中で、二人が交換するものが増えていく。その増え方が、静かで、確かだ。

読み聞かせより、ひとり読みが向くかもしれない。まさやの胸の内を、子ども自身が自分の速度で追えるからだ。もちろん、親子で読んで「まさやっぽいとき、ある?」と軽く聞くだけでも、子どもは自分の言葉を探し始める。

小学校に上がって間もない時期の不安、学年差のある友だち関係、体格へのコンプレックス。そういうものに触れている子に、そっと効く。

読み終えたあと、遠くの林まで歩いてみたくなる。子どもの「行ける場所」が一つ増える感覚を、物語が連れてくる。

6. モグラ原っぱのなかまたち(あかね書房/日本の創作児童文学選)

子どもにとって原っぱは、世界の中心だ。草が膝をくすぐり、虫がいて、走れば息が熱くなる。あきらとなおゆき、かずおとひろ子の仲よし4人組が遊ぶ「モグラ原っぱ」は、まさにそういう場所として息づいている。 

ところが、ある日ダンプカーがやってきて土を運び始める。原っぱが埋められていく。子どもの時間が、説明もなく壊される。ここで初めて、子どもは大人の都合に触れる。大人社会の利害に無関係ではいられない、という痛みが物語の背骨になる。 

この本は、反抗の物語であると同時に、喪失の物語だ。原っぱが奪われることは、遊び場が減るだけではない。友だちと過ごす時間の温度が変わる。帰り道の夕焼けの色が変わる。子どもの世界は、場所に支えられている。

4人組の関係も、ただ仲がいいだけではない。意見が割れる。怖くなる。諦めたくなる。誰かの勢いに引っ張られて強くなることもある。集団の中での気持ちの揺れが、まっすぐ描かれる。

大人側も、単純な悪役ではないのが苦い。大人にも事情がある。しかし、事情があることと、子どもの世界が守られることは別だ。そのズレが、読んでいて胸に残る。だからこそ、読後に「じゃあ、どうする」が立ち上がる。

現代の子どもも、似た喪失を知っている。空き地が駐車場になる。公園がボール禁止になる。声がうるさいと言われる。時代が違っても、子どもの身体感覚の失われ方は似ている。この本は、その悔しさを言葉にしてくれる。

選定図書として挙げられているのも頷ける。社会を見る目を育てるのに、早すぎることはない。ただし、読むと少し怒りが残る。怒りが残るのは、悪いことではない。 

親が読んで胸が痛くなるのは、原っぱが失われる前に、それを「仕方ない」で済ませてきた記憶がよみがえるからかもしれない。子どもに「我慢」を教える前に、守れるものがあるかを考えたくなる。

読後、近所の空き地や公園の見え方が変わる。草の一本が、ただの草ではなくなる。その変化こそが、この物語の力だ。

7. 古田足日全集 14冊セット(セット)

古田足日を「好きな一冊」で終わらせたくない人に、全集は向いている。物語だけではなく、時代の子どもをどう見るかという視点が、創作と評論の両方から立ち上がるからだ。作品を読むほどに、子どもが「かわいさ」ではなく、社会を生きる存在として見えてくる。 

童心社の全集は、古田足日の唯一の全集として紹介され、全13巻と別巻で構成される。限定復刊としての性格もあり、まとまった形で手元に置きたい人、学校や図書館で長く使いたい人にとって意味が大きい。

単行本で読んだ『おしいれのぼうけん』や『ダンプえんちょうやっつけた』が、別の作品群の中に置かれると、見え方が変わる。「怖さ」や「遊び」の描写が、作品ごとに微妙に色を変えながら反復され、作家の執念のようなものが見える。

また、評論を合わせて読むと、古田が何に抵抗していたかが分かる。子どもを管理し、規格化し、きれいな物語で囲い込む力に対して、現実のざらつきを残そうとする。全集は、その抵抗の軌跡を一望できる場所になる。

全集は、読み方を急がないほうがいい。通勤電車で一気に消費するより、机の上に置いて、気になった巻を少しずつ開くほうが似合う。雨の日に一冊、休日の午前に一冊。そんな読み方が、言葉の手触りを濃くする。

もちろん、子どもが全集を丸ごと読む必要はない。けれど、家庭や学校に「戻ってこられる棚」があること自体が、子どもの安心になる。今すぐ読めなくても、未来の自分が取りに来られる。

1994年度に巌谷小波文芸賞を受賞していることからも分かるように、古田足日は個々の作品だけでなく、業績として児童文学の地平を広げた人だ。全集は、その「業績」という言葉を、抽象ではなく読書体験として実感させる。 

買うべきか迷うなら、まずは手元の一冊を読み直してから決めるといい。読み直して「まだ奥がある」と感じたら、その感覚はだいたい当たる。全集は、奥行きを受け止めてくれる。

作品一覧を眺めて散らばりそうな人ほど、全集の背表紙の列が助けになる。読む順番を固定しなくても、帰る場所ができるからだ。 

関連グッズ・サービス

本を読んだ後の学びを生活に根づかせるには、生活に取り入れやすいツールやサービスを組み合わせると効果が高まる。

紙の本で読んだあと、気になった場面だけを読み返したいときは、読み放題や聴く読書があると助かる。家事の手を動かしながら物語を反芻すると、登場人物の声が生活の中に残る。

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もう一つは、電子書籍リーダーの導入も相性がいい。子どもが寝たあと暗い部屋で一章だけ読む、という読み方がしやすくなる。画面の光が強すぎないだけで、物語の余韻が途切れにくい。

まとめ

古田足日の本を読んでいると、子どもは「守られる存在」である前に、「生きている存在」だと強く思い出す。怖がって、意地を張って、仲間に混ざりたくて、負けたくなくて、でも泣きたくて。そういう矛盾のまま走っていく。

読み方のおすすめは、目的で分けると迷いにくい。

  • 怖いのに目が離せない読書体験がほしいなら、『おしいれのぼうけん』
  • 集団の中で変わっていく力を見たいなら、『ダンプえんちょうやっつけた』『ロボット・カミイ』
  • 学校制度の不思議を笑いながら考えたいなら、『新版 宿題ひきうけ株式会社』
  • 友だち関係に疲れた子の背中をそっと押したいなら、『大きい1年生と小さな2年生』
  • 遊び場が失われる悔しさを言葉にしたいなら、『モグラ原っぱのなかまたち』

一冊読み終えたら、近所の公園の砂や草を、少しだけ丁寧に見てみるといい。物語は、そこに戻ってくる。

FAQ

Q1. 『おしいれのぼうけん』は何歳くらいから読める?

怖さが強いので、読み聞かせなら年長〜小学校低学年が目安になる。怖い話が苦手な子には、途中で止めてもいい前提で、昼間の明るい時間に読むと入りやすい。大人が「怖いね」と同意してくれるだけで、子どもは安心する。 

Q2. 古田足日は絵本作家なの? 童話作家なの?

長編絵本(絵がある長い物語)もあれば、創作童話もある。さらに評論でも活躍した人で、子どもの文学をどう作るか、どう読むかを言葉にしてきた。入口は絵本でも童話でもよく、気に入ったら別の形へ広げるのが楽しい。

Q3. 『モグラ原っぱのなかまたち』は重い話?

原っぱが奪われる出来事が核にあるので、読後に悔しさや怒りが残る人もいる。ただ、その感情は子どもの正当な反応として描かれている。明るさだけではない現実の物語を、子どもと一緒に受け止めたいときに向く。 

Q4. 全集はどんな人に向く?

一冊の名作だけで満足できず、古田足日の視点をもっと深く追いたい人に向く。家庭でゆっくり読み継ぐ棚を作りたい人、学校や図書館で長く使いたい人にも相性がいい。読み切ることより、手元に置いて戻ってこられることが価値になる。 

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